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食品と衛生

このネタは以前もここで触れた気がしますが、またぞろ最近「デスマフィン」だのなんだのという話が出ておりますので、あの事件の原因追求ではなく、食品業界のすみっこで禄を食んでいる人間として、食品と衛生を取り巻くあれこれに触れて読者のみなさんの役に立つ話をしたいと思います。

衛生とは

「食品衛生」の「衛生」とは何か。語源を検索した範囲でまとめると、どうやら中国から伝わった書物に登場しているようで、文字通り「命をまもる(衛る)」という意味で使われていたものを、明治時代に英語のhygiologyの訳に困って使ったことから広がったようです。今ではどうやらhygiologyは「生理学」、つまり生物の機能などを意味する言葉で、衛生はhygieneとするようです。
食中毒に限らず疾病の予防なども衛生に含めると、その原因となる微生物の生態や生理を知らなければ実現は不可能ですから、hygiologyやhygieneといった派生語を使うのは正しいようにも感じます。私達がコロナ禍の真っただ中でコロナウイルスの特性を理解して備えなければ予防できなかったのと同じように、食中毒など食品にまつわる事故もその原因を理解しなければなりません。

食中毒の原因となる微生物

食中毒とは異物を飲み込んだ場合と、人体に悪影響を及ぼす微生物を取り込んだ時に大別されます。前者は野菜の残留農薬や毒キノコのケースを想像して頂けると分かりやすいと思います。後者はいわゆる「傷んだものを食べておなかが痛くなる」「アニサキスのような寄生虫にやられる」という皆さんがイメージする食中毒です。食品が傷むことを「腐敗」と言いますが、実は「発酵」と「腐敗」は紙一重で、単に人間の体にいいものを「発酵」と呼び、悪影響がある物を「腐敗」と呼んでいます。つまり人間の都合です。微生物にとって見れば「種としての本能に従って増殖しただけなのに人間に好かれたり嫌われたりする」理不尽な話です。笑

さて、異物の方は食品に入らないようにすれば対策が出来る(一番簡単な対策は「食品工場やキッチンといった作る場所に置かない」)のですが、微生物の混入を防止するのは簡単ではありません。微生物は地球上のあらゆる空気中に存在しているからです。缶詰や真空パックのように殺菌・密閉パッキングされていれば別ですが、お菓子やパンの様にパッケージに空気が入っていれば当然微生物がそこには存在します。店頭に並んでいるだけならなお厳しい環境です。では具体的に食中毒を起こす微生物はどのようなものがいるのかご紹介します。

新宿区の公開情報から引用

他にもありますが、一般的なのはこんな感じです。最後のヒスタミンは魚の一部が経時劣化することで出てくる毒物なのでどちらかというと異物に近いですね。あとはアニサキス以外に共通するのは「人体の中で増殖する」ということです。菌類は自分で増えて、ウイルス類は人体の細胞を使って増殖するという違いはありますが、いずれにしても「一定数を超えると人体の免疫が間に合わなくなって症状が出る」ということになります。ホントは微生物の種類によって発症に必要な数は違うのですが、ややこしいのでここでは詳しく述べません。大事なのは予防なので。(例:セレウス菌だと10万個だが、O157だと100個でも発症可能性がある等)

食中毒予防3原則

微生物による食中毒を予防する原則は3つです。
「つけない」「ふやさない」「やっつける」
分かりやすいですね。

まず「つけない」。さっき「空気中に微生物はいくらでもいるので難しいっていったじゃないか」と指摘されそうですが、そもそも微生物は1個が2個になり、2個が4個になり4個が8個に、という風に殖えます(ウイルスなど例外アリ)、ですから最初にくっつく数が少なければ少ないほどリスクを減らすことが出来る、あるいは傷むのを遅らせられるというわけです。「食事の前、料理の前に手を洗いましょう」「肉を切った後は包丁まな板を洗いましょう」というのはそういうことです。
つまり作ったものを「触る」「空気に触れさせる」をすれば傷むのは早くなると考えるとシンプルで良いかと思います。例えば「冷蔵庫に入れる前に冷ますために蓋を開けて置いておいたカレー」と「沸騰させた後蓋を開けずに冷ましたカレー」では全く傷む速度が違います。

次に「ふやさない」
微生物は増えるのに条件があります。ウイルスは独力では殖えないので、ここでは細菌類の話に限定しますが、あれらに必要なのは「温度」「栄養」「水分」です。あとついでに「空気」もあります。たくさんあってややこしいですが、「どれか欠けると傷むのがゆっくりになる」と覚えればよいです。

「温度管理」というのは、しっかり冷やして保存しましょうということです。細菌類には増えやすい温度帯というものがあります。大体20℃~50℃くらいがそれにあたります。この間では菌は活発に増殖します。50℃なんて人間が入浴するなら熱くて入れませんが、ヤツラには効きません。冷蔵庫は熱いものを入れたり、ギッチギチに詰めたりしなければ10℃以下になりますので、菌が活発に動く温度帯から外れるので長持ちするのです。
そして見落としがちなのは冷蔵庫に入れる前に20℃~50℃の間に長く放置しないことです。調理したものの温度が下がっていく過程でこの帯域の時間が長くなると菌はその間にも増えます。お菓子作りのカスタードクリームは炊いた後すぐに氷や保冷剤を当てて一気に冷やしますが、これは性質上猛烈に傷みやすいので、危険な温度帯を速やかに通り過ぎるようにしているのです。例のマフィンは「エアコンを18℃でかけて5日置いていた」との証言がありますが、18℃と10℃では菌にとっては天と地ほど違います。20℃さえ切っていればいいというものではないので誤解のないように。
この温度管理は奥が深く、次の「やっつける」でも再登場します。

「栄養」は人間にとって栄養になるものは大体細菌にとっても栄養になってしまうので、これで食品の食中毒対策するのは難しい。人はプラスチックを食べるわけにはいきませんからね。しかし、乳製品の様に栄養価が特に高いものは、より一層気を付けた方が良いということは覚えておきましょう。

次は「水分」です。細菌も水が無ければ増えることが出来ません。塩や砂糖が腐らないのはこのためです。ジャムや乾物が腐りにくいのはこの原則を利用しています。
しかし実は水分と簡単に言っても、正確には「水分活性」というものが問題になります。難しいですよねぇ。
水には塩や砂糖が溶けますよね。あれは水の分子に塩や砂糖の分子がくっついているのですが、くっつくと細菌が利用でしにくくなります。例のマフィンは「素材の甘味を」とか言って標準的なレシピから砂糖を減らしていたのでフリーの水分が多く傷みやすかったのも一因と考えられます。水がくっつくのは塩や砂糖だけでなくタンパク質や様々なものがあるのですが、どんどん難しくなるので割愛します。笑
何でもかんでもダイエットとか血圧対策といって味を薄くして保存していると食中毒でえらいことになる可能性が高まるということです。一般家庭で何日かに分けて食べたりする際、食中毒を防ぐには味付けは重要だと覚えておいてください。薄味は健康にプラスなことも多いですが、薄味志向のご家庭では調理したらはやめに食べきりましょう。
ちなみにエージレスという脱酸素剤を作っておられる会社のホームページに良い資料がありましたので貼っておきます。

エージレスHPより抜粋

水分活性は低い程傷みにくいです。醤油も大体水分活性は0.7~0.8くらいとのことですが、この辺りから傷みにくくなります。同じレベルに煮干しが居ますが、煮干しは干して水分が無くなっており、味噌醤油は塩分などで細菌が自由に使える水分が減らしてあるということです。他方、餅が右端にありますが、あんなに固い食べ物なのに、水分は単独でふわふわしているのでメッチャかび易いことがわかります。

最後に「空気」です。食中毒を引き起こす多くの細菌類は空気が無いと殖えません。真空パックして販売されている食べ物や、先述の「エージレス」みたいな脱酸素剤が同梱されている食品の賞味期限が長いのはそのためです。ですが、まれに嫌気状態(空気が無い状態)でも増殖する奴がいるので絶対安全というわけではありません。いずれにしても真空シール機を持っている私の様な変態を除いて一般家庭では真空状態は作れないと思いますので、参考程度にしてください。脱酸素剤も隙間が開いていたら効果がパァなので袋が密封できない一般家庭では利用しにくいです。何か他の食品に使われていた脱酸素剤の再利用なんてもっとダメです。

この他「pH管理」とか「添加物」という手もあるのですが、家庭では不可能なマニアックな話になっていくので割愛します。

誰が食品衛生を守るべきか

ここまで菌の生態を足掛かりに、一般家庭で日々の食事の安全を守るための知識を整理しました。専門的になるともっと深いものがあるのですが、家庭で作って長期保存ということはあまり考えられないので簡略化した次第です。しかし世間では私達食品製造業や飲食業など「第三者に食品を提供し、対価を得る」という仕事があります。家族では「ごめんごめん」で済むことも、業者となると社会的な信用や責任を伴いますので許されません。しかし人間のやることですから、ウッカリさんも居れば、悪意を持って食品衛生を害する人もゼロにはできません。そんなわけで食品衛生の行政的なガードレールはどうなっているかについて引き続きお話します。

まず、許可申請・届出が必要になります。ここでは参考に兵庫県で公開されている資料のリンクを掲載します。

https://web.pref.hyogo.lg.jp/kf14/shokuhineigyou/documents/1-3kyoka.pdf

御覧の通り、飲食業や私達の様な食品製造業は許可を受ける為申請が必要です。審査を受け、問題なければ登録の上で許可されます。スーパーの食品売り場や自販機などは届出さえすれば営業して良いことになっていますね。そしてこちらを御覧頂ければわかりますが、営業許可業種には必須設備というものがあって、業種ごとに規定されています。手洗い場などがそれにあたります。

更にその上で「食品衛生責任者」の設置が必要です。これは資格ですが、各地で行われている講習会とテストを受けることによって資格が得られます。内容は食品衛生に関わる法規や食中毒予防の知識などになりますが、基本的に試験に落ちることは無いようなものです。

例のデスマフィンの際にも「食品衛生責任者資格に意味があるのか」という批判を目にしましたが、至極もっともだと思います。しかしこの資格は大学入試の様に「ふるいにかける」ことを目的としておらず「最低限この程度の知識は持ってね」というラインの維持のためのものといった方が実態に近いかもしれません。

では食品衛生行政はどうなっているのかというと、「問題が発生すると事後的に保健所が対応する」ということになります。ものすごい数ある製造業者・飲食業者を前に、食品衛生の事故をゼロにすることは不可能であり、事後的に対応するしか無いのです。先ほど「兵庫県の例」としましたが、何故厚生労働省ではないのかと言えば、食品衛生ルールの「運用」は保健所に一任されており、保健所は厚生労働省ではなく各都道府県の下にあるからです。コロナの時にも話題になりましたよね。当然保健所の予算も限られ、何でも出来るわけではありません。
実は食品衛生責任者の講座も各地域の食品衛生協会という団体が都道府県から委任されて、各保健所と協力して運営しています。そして何を隠そう私は「揖龍佐用食品衛生協会」の会長を拝命しています。各理事を含め事実上手弁当で活動しており、食品事故予防を呼び掛けています。無事故の飲食店を表彰したり、事故時の経営を助けるための共済保険を取り扱ったりもしていますが、活動実態としては地域の自治会に近いです。もちろん県の職員さんたちも真面目に取り組んで頂いています。しかし各地の協会は予算が少なく、保健所の業務、も食品衛生だけでは無いので非常に難しいです。(コロナ対応の時に保健所業務がパンクしたのは記憶に新しいところです)

食品衛生行政を厳しくするとどうなるか

「いやそれでも買って食べてお腹を壊すのは御免被りたいので厳しくすべきだ」というご意見もあろうかと思います。できるかどうかは別にすれば「保健所に抜き打ち検査をさせる」「食品衛生責任者の試験を猛烈に難しくする」「食中毒が起きていなくてもルールを守れていなかった場合は即時無期限に営業を停止させる」等の対応が考えられます。もし実際にこういったことをするとどうなるかというと、恐らく食の供給が不安定になります。これは開き直ったりしているわけでは無く、現実的にあり得る可能性です。

農水省の資料によるとコロナ前の時点で中食(持ち帰り)で10兆円、外食で26兆円の規模があります。チェーン系飲食店はもちろんのこと、給食、総菜、コンビニのからあげ、街の中華料理屋にいたるまですべて含まれます。これに厳しい網を張ると、今よりは供給が確実に落ちますから、「いつでも、好きな時に、好きなだけ食べられる」という状態は維持できなくなるわけです。世の中自炊できる人達ばかりではありませんし、先日の業者倒産のように給食の供給が止まったら代替選択肢が無い。また、飲食店の新規出店も減って店舗も埋まらないかもしれません。
もちろん大半の人達は注意して真面目に仕事をしているわけですから、その人たちからすれば「いい加減な仕事をしている奴らを取り締まれ!」というのは当然の気持ちだと思います。が、供給を絶やさず、ガンガン営業停止させるのは簡単では無いんですよね。

HACCPの衝撃

では行政は何もしていないのかと言いますと、実はやっています。それがHACCP(ハサップ)の導入義務です。令和3年から義務化されました。HACCPの制度解説しはじめると文量が倍になるのでやめておきますが、端的に言うと「業務に合わせて「どこで異物が入ったり食中毒の原因が発生し得るかキッチリ分析し」、「それに基づいてどう管理するかの手法を整理し、実践し、絶えずチェックし、ダメなら改善する仕組み作りをしなさい」ということです。これ結構しんどいんですよ。勿論私達企業には厳しく適用されますので、担当者を決めて実行するわけですが、個人飲食店などでは実に難しい為、「各業界団体で小規模組織でも実行可能な簡単バージョンを作りなさい」というのが厚生労働省の方針です。厳しくするために見捨ててはいけないというスタンスに立っていますし、そのままガチの全面導入は不可能と分かっていたわけですね。

そりゃそうですよね。セブンイレブンの総菜作ってるわらべや日洋さんの現場なんてこんな感じですよ。こんな飲食店あります?

求人情報から拝借

皆さん良く知る「渡鬼」の幸楽はこう。

同じ厳しい基準を適用することが果たして良いことなのかはとても難しいわけです。ちなみに後ろに見えてる表彰状は多分食品衛生協会の表彰ですね。笑

「日本の外食は安いし美味しい」というのが外国人観光客の評判だそうです。北米に行くとラーメン一杯2000円で出しても売れますから、そのインパクトたるや推して知るべしといったところですが、衛生管理って手間とお金がかかる割に、やって当たり前とされててお代に含めにくいのが実態です。これは企業でも個人店でも同じです。さらに人手不足もあって、不慣れな素人でも雇わないと飲食店やコンビニを営業できないこともさらに覆いかぶさって来ています。(当社は食品会社には珍しく全員正社員です。えっへん。)
企業も個人店も、より衛生管理を高められるように、供給責任を果たしながら勉強していくしか無いのです。家庭で料理される皆さんと同じように、食品製造会社も飲食店もお客さんを苦しめたい訳がありません。何がしか飲食が好きで携わっている人達ばかりであることは知っておいて頂きたいと思います。

食品衛生の話をつらつらとまとめてきましたが、年末年始皆様には料理の保管には気を付けて頂き、元旦でも便利に買える食品も衛生管理が色々大変なのだということを思い出して頂けると幸いです。

お節料理の出しっぱなしとかダメですよ!

それでは皆様良いお年を。
年内もう一度更新できるかは怪しいので先に申し上げておきます。笑

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