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せっかくお盆なので故人のことでも

盆と言えば旅行に行ったり子供を遊びに連れて行ったりと子育て世代は忙しかったりしますし、普段激務の方は静養されることもあるでしょう。毎年決まって帰省されるご家族もあるかもしれません。

とはいえ本来盆は仏教イベントで、正式名の盂蘭盆会(うらぼんえ)とか起源とか調べだすと結構面白かったりするのですが、それは今回置いておいておきます。日本では先祖の霊をまつる儀式です。胡瓜とナスで馬と牛を作ったりしますよね。あれもご先祖に速くやってきてゆっくり帰ってほしいという象徴です。
そんなことですので、せっかくの機会だから私の亡き父親のことを考えてみることにしました。

基本悪口にしかならない笑

実は私に父親のことを語らせると大体悪口にしかなりません。笑
まぁ父親としてというよりも経営者として山ほど問題を遺して逝ったので恨み言しか無いというのが正直なところなのですが、ここであまりネガティブな話を書いてもいいことありませんので、そのくだりは割愛します。

父はすこし変わった人で(少なくとも私はそう思っている)、趣味はクラシックやジャズの音楽鑑賞と読書、あとちょっとゴルフ、子供にあまり関心が無く、寡黙であまり喋らない、そんな感じの人でした。私は似てない所が多いです。(音楽は好きだけど聞くものの幅は広いし、他人様のお子さんでも見てて楽しいし、ゴルフは辞めたし、ずっと喋ってる)
私と妹に関心が無かったことについては不満はありません。父親の顔色を気にして生活する必要が無く、楽だったからです。彼は超インドアの人だったので、実は私が未だに野球を見に行ったことが無いのは父の影響ですが、不便はないのでそれも気にしていません。

私と違って寡黙だったのか聞き上手だったらしい。仕事を引き継いでからいろんなところで「貴方のお父さんはいい人だった」「貴方のお父さんにはいろんな話を聞いたし聞いてもらった」といった良いエピソードをたくさん伺いました。私の持っていた父親像とずいぶんかけ離れていたので最初は驚いたのですが、もう慣れました。仕事をしていれば家の内外で見せてる顔が違うなんてことはよくありますよね。聞き上手というのは羨ましいですね。私にはなかなか出来ないので。

早くに亡くなるという事

最近父の友人が一人亡くなりました。他の友人たちも年齢とともに昔とは違って来ています。父が亡くなったのは彼が63歳、今から14年も前のことです。本格的な老いとともにいろんなことが出来なくなって来たり、友人を見送ったりすることが無かったのは本人にとっては幸運だったのかもしれないと思うことがあります。(友人たちは辛そうでしたが)
本人はまだやりたいことはあったのかもしれないとは思いますが、それもあまり語ることのない人でしたので、今となってはよく分かりません。

さて長々と書いてきましたが、ここからが一番今回書きたかったことです。
彼は早くに亡くなったので、震災を知りません。Twitterも知らないしトランプも知らないしコロナも知りませんしウクライナの戦争も知りません。
彼は勉強家でしたが、他方で感受性がむき出しというか、人が良かったので、大惨事や常識では理解できない理不尽なことに突き当たった時、しんどかったのではないかと思います(学生運動とは距離を置いた人です)。こういった時代に立ち会わずに済んだことは彼にとって良かったと思うとともに、「もし生きてたらどう思ったんだろうなぁ」という事は時々考えます。
彼の仕事を引き継いだ私の、彼とは正反対に近い仕事の進め方を見たら「何か言われたかなぁ」「まぁ生きてたら相当ケンカしただろうなぁ」と思うこともしばしばです。

彼はピュアでした。悪く言えばボンボンです。
私もボンボンでしたが、前職でホントに色んな事に遭遇したのですっかりスレてしまいました。世間的には「ボンボンである」というのは批判的に使われますが、いざスレてしまった身になると、それを維持できたのは羨ましくもあります。

故人に思いを致す

「亡くなった人のことを思い出すことが一番の供養になる」と私は考えます。早逝してしまった友人などは特にそうです。亡くなった時どんなに悲しくても、時間とともにどうしても考えることは減っていきます。人間の脳はそういう構造になっているし、精神衛生上もその方が良いからです。
ですからお盆というのはそれをたまには思い出すキッカケとしてよいのだろうなぁと思います。

とはいえ、亡くなった方の中には好ましからざる人も居るのは事実です。「居なくなって清々した」その感情も否定されるものではないと思います。思い出すだけでも腹が立つこともあるかもしれませんが「自分はあの人の様になってないだろうか?」と思うことも他山の石として時には良いのではないでしょうか。

あの人が生きていたら何と言っただろうか?何か言ってくれただろうか?あるいは大嫌いなあの人の様になっていないだろうか?

神様仏様はいつも無謬です(完璧、間違いが無い)。神様仏様と自分を比べると情けなくなるばかりですが、亡くなった人達ならもうちょっと楽ですよね。ちょうどいいくらいに謙虚に生きるには、思い出してみるのもいいのではないでしょうか。

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