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食品業の片隅からみた紅麹の一件

今回は昨今世間を騒がせている紅麹の一件について私見を述べたいと思います。但し、政府や大阪市が進めている原因追求に意見するつもりは一切ありません。食品製造業を担う一つの会社としての思いの様なものを述べます。
私達は醤油や調味料を造る事を生業としています。乳製品には乳製品の、生鮮品には生鮮品の、そしてサプリメントにはサプリメント、それぞれの技術的な難しさや規制、ノウハウがあるわけです。食品市場は非常に広大で、専門性も分かれていますので、よそから偉そうに物言うことは失礼であるとさえ考えます。とはいえ、あれは一体何だったんだと本件で色々と不安に思われる方もあろうかと考え、現状報道されている範囲で少し整理したいのです。

口に入る物への消費者の関心は強い

まず食品業界で何か起きた場合非常に耳目を集めます。廃棄品の転売事件や、エビの偽装事件、コメのトレーサビリティ偽装事件など色々過去にもありましたが、その度にワイドショーなどで大きく報じられ、広く話題になりました。
それは誰しもが被害を受ける可能性があるからだろうと思います。さらに今回の場合あのサプリメント起因で「亡くなった方が居るかもしれない」という命に関わる話になっているのでさらに報道やSNSでは加熱するのです。

注)この点は非常に重要です。亡くなった直接の原因であったのかは現時点で分かっていません。そうかもしれないし、そうではないかもしれない。分からないことを分からないこととし、事実を整理して憶測を呼ばないようにするのはとても大切です。本noteはその立場に立ちます。

そして、多くの人を巻き込むので食品メーカーは日々工程を管理し、注意して製造するのです。高い管理レベルを維持するには設備投資や従業員の教育など本当にたくさんのコストがかかるのですが、「食品は安全に提供されることが当然」であるため、なかなか価格転嫁できないのが現状です。食品が安全に提供されることがメーカーの義務であることに議論の余地はないのですが、価格転嫁があまりに難しいと安全のための投資を遅らせることにもなりかねませんので、悩ましい問題なのです。本件に限らず、食品の安全の確保は簡単では無いことはご承知おき頂きたいと思います。
また、やや蛇足ですが、今回製品回収が広範にわたったのは、紅麹を「赤色着色料」として使用していた企業が多かったからです。天然系の色素としては紅麹は優秀なのです。昆虫由来のコチニールは既に忌避されて使えないですし、トマト色素は加熱すると黄化といいますか、朱色になってしまうのです。当社では使用していないので分かりませんが、今後何に代替していくのかは気になります。

食品のリコール

食品業界では事故品の発生がゼロに出来ているわけでは無く、都度メーカーが責任をもって広報を行ったり、謝罪に回ったり、製品の回収を行っています。現在では食品のリコールについては厚生労働省で検索できるようになっています。昔は新聞に社告などを出していたのですが、それでは追加費用もかかるし、それゆえにどこまでやるかは各社の判断となってしまい、周知が出来ないということで現在は厚生労働省が管理するサイトに登録することになったのです。もちろん最初に届け出るべきは所轄の保健所である点は変わりません。小林製薬は大阪市に拠点を置く企業ですので、この件は大阪市の保健所が預かっています。ちなみに保健所は厚生労働省ではなく県・政令指定都市の指揮命令下にある組織です。コロナの時にワクチンを含めた対応が最初スムーズでなかったのはこの辺りにあります。調整が大変なんですね。

保健所には食品衛生は勿論、感染症や指定難病、精神疾患や地域医療、水質管理まで幅広い専門家の方が在籍します。ところが今回は「食品枠であって薬ではない、効果や工程が国によって検証され、認可されたものではなく、かつ化学的な単一材料ではなく、菌の培養によって出来上がった物」であることが非常に問題を難しくしました。以下表面的ですが解説していきます。

機能性表示食品という存在

あの紅麹を使ったサプリメントは「機能性表示食品」と呼ばれる分類に属します。機能性表示食品とは「食すると○○という効果が期待される」という表示をした食品のことです。効果についてはメーカーが科学的に検証し、資料と併せて消費者庁へ申請することで認められます
似たようなものが以前から在ることに気づいた方は居るでしょうか?そう「特定保健用食品」通称トクホといわれる食品です。ヘルシア緑茶で有名になりました。

このマーク1度は見たことあるはず

機能性表示食品と違ってトクホは国の審査が入ります。効果効能が本当なのか、ちゃんと謳うだけの効果が出るのか、資料に間違いがないか、厳しく審査されます。それゆえに取得するのは本当に大変なのです。そして制度スタートはトクホが1991年、機能性表示食品が2015年なので、トクホのほうがだいぶ先輩です。
では何故機能性表示食品が生まれたのか、これについては私の憶測の域を出ませんが、当時の報道の感触の記憶から言って「トクホの取得が難しすぎて多くの企業が利用できないものになっている」というメーカーの主張と「デフレ脱却のため、機能性を持たせて単価の高い製品を販売させたい」という政治的な思惑が一致した結果ではないかと思います。そして、当時それなりに合理性があったのです。実際にトクホを取得できる食品は少なく、食品業界は付加価値率が低く、他の業界に比べて給与水準も低かったからです。政府としてはデフレ脱却に向けて高機能高価格な製品をたくさん製造販売して欲しかったわけです。

本来「体内に取り込んで何らかの効果を得る」というのは医薬品の役割です。「医薬品、医療機器等の品質、有効性及び安全性の確保等に関する法律」、通称「薬機法」の守備範囲です。現在でも通販商品などで行き過ぎた効果をあおる広告をしたカドで指導を受けている企業がありますが、まさにこれです。しかし薬の効果といってもまちまちです。抗がん剤のように命に係わる薬もあれば、お腹の調子を整えるだけの薬もあります。しかし効果が明確で劇的に効く以上、副作用や飲み合わせの検証などを行わなければならず、また製造工程も食品以上に厳しい管理基準を持っています。果たして食品にまでそれに近い基準を適用するべきかという議論は当然あったのだろうと思います。

今回の件についてあまり薬界隈の友人と話したことはありませんが、厳しい審査やルールを受けて開発、販売を行っている彼ら彼女らからすると「食品が体に作用するようなものを作るなよ」という批判はあるかもしれませんし、あって然るべきかもしれません。

菌の制御という難事

次に、以前このnoteでも触れたことがありますが、「発酵と腐敗は紙一重」です。人間にとって有用なものを発酵と呼び、害をなすものを腐敗と呼んでいるだけです。菌からすれば遺伝子に課された種の繁栄という目標を目指して増殖しているだけのことです。
これは裏返せば「条件が整えばどんな菌でも繁殖する」ということです。私たち食品会社は健康被害を出さないように、腐敗を起こさないように細心の注意を払って製造しているわけです。なぜ細心の注意が必要かといえば、有用な菌も有害な菌も無害な菌も、この空気中を無数に漂っており、真空中では活動できない私たちはその中で製造するしかなく、それはつまり常に菌が食品に付着・混入するリスクにさらされているということだからです。

当社は醤油を製造しています。「いやお前たちの食品にはそもそも菌が入ってるじゃないか」という点にお気づきの方もおられるかと思います。私たちは麹や酵母の力を借りて醤油を作っています。
当然麹の繁殖しやすい環境は他の菌にとっても繁殖しやすい条件となることは間違いありません。ではなぜ醤油やみそはお腹を壊したりする健康被害が発生せず、楽しんで食べてもらうことができるのでしょうか。これは実は先人の苦労に因るとしか言いようのない壮大な話なのです。

(実は一部で誤報道があったようですが、醤油やみそを作る麹と今回の紅麹は全く別種の菌です。属も科も異なるので親戚ですらありません。ネコ科とイヌ科が違うのに、犬と猫を親戚って言わないですよね)

結論から申し上げると、「長年の経験に基づいて麹や酵母だけが活動しやすい環境を整えているから」ということです。具体的に説明すると、麹を植え付けるとき、みそや醤油では蒸したり炒ったりして大豆や小麦に熱を持たせた状態で、専用の部屋で行います。日本酒も蒸した米に麹室で植え付けますね。これにより一気に麹で栄養を独占させてしまいます。そしてみそや醤油は高い塩分濃度下に置いてしまうので、ほかの菌は近寄れなくなるのです。例えば塩わかめは冷蔵で3か月も保存が可能です。それもこれも圧倒的な塩の量で付着した菌が死滅するからです。
お酒の場合は立て続けに酵母が発酵を始め、アルコールがどんどん生まれてくるとアルコールの殺菌作用でほかの菌は大体死滅するので腐敗しないのです。(いずれも好塩菌や火落ち菌といった一部例外あり)

そしてこの方法は細菌という生き物が発見されるはるか前から編み出された方法です。このちっさい生物の存在さえも知らない人たちが「この方法はうまくいった」「この方法で出来たのはなんかお腹痛くなる」といった形で作り上げていったのだろうとしか考えられません。後に科学が発展し、分析能力も向上した結果「おお、伝統的な作り方はこういう風に合理的になっていたのか」という説明が初めてついた、ということです。

星の数ほどの実験によって作られた製造方法、かつ長年の実績、そして菌種を限定し続ける条件の合理的な説明が可能になって初めて今日の安全安心な発酵食品があります。翻って今回の紅麹の一件では、紅麹を培養する容器は管理されていても、水漏れによる菌の混入の可能性が指摘されているほか、他の菌を抑制する条件(高塩度、高アルコール度数、高酸度など)はいまだに報道されたものを私は確認していません。おそらくそれでは紅麹菌が死滅するのでしょう。ということは環境的に他の菌にも繁殖に適した環境でしょうから、紅麹の純度を確保するのはかなり難しかったのではないかと推察します。

健康被害の犯人物質が分からない

菌の扱いは大変に難しいということは伝わったでしょうか?次に、今回の事件で最大の難事を挙げておきます。それは人の腎臓に悪影響を及ぼした物質が何だったのかまだわかっていないということです。物質が特定されていないので菌由来なのか、はたまた異物混入なのかすらわかりません。当然工程の何が問題だったのかもわからず、問題解決には程遠いのが報道から伺い知ることのできる現状です。
そして物質が分からないので健康被害の機序(どういう経路で作用し発症したか)が分からないので補償を決めるのも難しいのではないかと思います。コロナの時にも問題になりましたが、基礎疾患を持っていると重篤な症状が出やすいのは多くの中毒・疾病で見られることですし、何より「摂取量」が分からないのです。医薬であれば処方される必要があるため医師・薬剤師が渡す量を調整できますし、要指導医薬であれば薬剤師が確認できます。ところが今回は食品扱いのサプリメントですから、だれでもどれだけでも購入でき、痩せたいからとパッケージに書いてある用量以上に大量摂取・超長期服用していても分からないのです。逆に穿った見方をすれば、被害を訴えている人が本当に飲んでいたかどうかも分かりません。現に回収が告知された後でもメルカリのようなフリマアプリで転売されており、メーカーが回収できたのは4%しかなかったという有様ですから、もう手の施しようがありません。

人の欲望を刺激することはどこまでが許されるのか

痩せたいと思って大量に飲む、あるいは長期にわたって服用する可能性があることに触れましたが、「痩せたい」「綺麗になりたい」「健康になりたい」といった人の本能に近い欲望を刺激することはどこまでが肯定されるべきなのかと非常に考えさせられます。経済とは欲望で回っているようなものですから全否定されるものではないし、食品一つとっても「空腹を満たしたい」「美味しいものを食べたい」という欲望に根差した産業です。また当社には減塩製品もあり、それこそ「血圧を下げる」イメージを連想させる製品です。(実際には血圧には様々な要因がある為、塩分摂取量が問題の人とそうでない人がいます)
どこで線を引くかは大変に難しい問題ですが、いろいろ考えた結果「人の体に直接何らかの作用をすることは、本来食品ではなく薬の役目ではないか」という考えに至りました。当社では今後も機能性を持たせた製品は作りません。良い悪いではありませんので他社は他社でご判断をされるでしょう。
食品は栄養を通して人の身体を形作る重要なものですが、バランスの良い食事や適度な運動・睡眠などによって長期的に身体に働きかけます。他方、薬は即効で、場合によっては副作用もあります。本来この二つに求められることは別なはずで、間のグレーゾーンに係わる効果の場合は、やはり薬のように厳しい管理下に置かれる特定保健用食品であるべきではないかと思うのです。

最後に

何回も述べていますが、菌というものは人間にプラスにもマイナスにも働きます。目に見えないことから管理が難しく、私たち食品会社や医療の現場でも「こういう環境を整えれば悪さはしないはずだ」「これくらい加熱すれば・薬品処理すれば殺菌できるはずだ」という経験則で安全を確保しているにすぎません。菌だって変異することはありますし、思わぬものを作り始める可能性もゼロではありません。現に研究機関の高レベル実験室レベルではあらゆる抗生物質が効かない病原菌が再現されてしまっています。(実験用ですから厳重に管理されています)
したがって、発酵食品というだけで健康にいいとか、安全だと判断してはいけません。先人の知見に現代の科学が加わって管理されている発酵食品が安全なのです。どれとは言いませんが、昨今「お家で手軽に発酵食品」みたいなものが一部のサイトで紹介されたりしており、私たち菌を扱う者からすると目を覆いたくなるようなものもたくさんあります。先にも述べましたが、有用な菌だけを増やすということは難しいのです。専用設備もないお家で簡単に殖やすということは、黒カビや黄色ブドウ球菌、大腸菌みたいな食中毒の原因になる菌も一緒に殖やす可能性が極めて高いということです。殖え方が中途半端なので健康被害に至っていないだけです。
もちろん専門知識を有しない一般消費者の方からすれば「それっぽい人がそう言ってるんだから大丈夫だろう」と受け止めてしまうことはよくわかります。ですから私たち食品会社は発信の仕方や内容に細心の注意を払うべきであることもまた事実です。

今回の紅麹の一件で、食品製造業を生業とする企業として考えさせられることはたくさんありました。これからも安心して食べていただける製品を生み出す為に努力を続けていきます。これを読んで頂いた消費者のみなさんも、是非自衛してお気を付け頂きたいと思います。

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