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ストーリーが分からない?

先日ある話がちょっとTwitter(現X)でバズりました。

最近「フリーレン」の話が分からんという人が多いって聞くんだけど、あれくらいの物語が分からないって大丈夫?他のものも分からなくなってるのでは?

という趣旨のものでした。インターネット仕草というか、インターネットに健全に相対する基本は、こういう話が出た時に「ホントにいるのかそんな人?」という風に疑ってかかることです。センセーショナルな内容だし、「出来ない人を下に見る」というのは人間だれしも気持ちよく共感できるので悪魔の味なんですよね。でもよく見るとこの人の身近な話であって、一般化(どこでも起きている)できる根拠も特に無いわけです。勿論この主に悪意が無い可能性も大きく、叩き回るのも良くないので元のポストが分からないように要約しました。

とはいえ、今回は悪ノリしてこの話を深堀りしてみることにします。

フリーレンとは?

ここでいう「フリーレン」とは、「葬送のフリーレン」というマンガの作品のことです。

今大人気でして、アニメ化もされてTV放送は勿論NETFLIXでも高ランクを維持する。お化けコンテンツです。オープニングがYOASOBI、エンディングがmiletって制作側の費用のかけ方が半端ではなく、この2曲はラジオなどでも聞いた人は多いのではないでしょうか。

ストーリーを超々簡単にまとめますと。
「フリーレンとは少女の姿だがエルフという大変に長命な存在で、数千年を生きる。勇者の一行に魔法使いとして加わり魔王を倒したが、その後数十年で人間の仲間は天寿を全うしてしまう。元々他人に関心は薄い方だったが、亡くして初めて仲間のことを実はほとんど知らないことを自覚し、仲間のこと、人間のことを知るための旅に出る。道中で楽しかったことやしてもらったことなど様々なことを思い出し、生活する人間に触れ、理解をし、フリーレンが変わっていく」
というお話です。
原作を読んだ方、アニメを見た方はお分かりだと思いますが、毎回展開するストーリーは「メッチャ地味」です。ドラゴンボールやワンピースの様に次々と強い敵が襲い掛かってきて、修行して強くなるわけでもないですし、スラムダンクやハイキューの様に全国大会があるわけでもありません。エロの要素は殆どありませんし、便利家電みたいなしょうもない魔法を集めてばかりです。笑

エルフは長命と知らない説

先のポストに派生した話で「エルフが長命って分かってないと話が分かりにくいのでは?」というものが出てきました。「エルフが長命」というのはファンタジーの常識みたいなところがあり、確かに世間一般でいうところの「亀といえば長寿」みたいな扱いですが、ファンタジー作品に触れて来ていない人たちには分かりにくいのかもしれません。
とはいえ、長命であることは作品冒頭から何度も説明されているので、ストーリーが分からない理由としてはちょっと説得力に欠けるなと私は思います。

飛ばして見るからでは?説

本noteで以前出した「映画を早回しで見る?!」でも触れましたが、若い世代の中には「流行り物はチェックしておきたいが時間が無いし、好きになれるかもわからないので早回しで時間をかけずに見る」という人達が居るそうです。早回しで見ていると「エルフが長命である」という話の大前提も抜け落ちるだろうという話も出てきました。まぁそれもあるかもしれませんが、昔のビデオテープ録再機と違ってストリーミングの早回しは台詞が飛んでしまうわけでは無く、早口になるだけなのでこれもあまり説得力がありません。

フリーレン特有の問題なのでは?

マンガや小説でキャラクターが死ぬということはよくあることです。それは他のキャラクターが大きく変化するキッカケとして描かれていたり、単に新たな敵が強いことの証明とされたり色々ですが、私が思うに葬送のフリーレンの難しさの1つは仲間の大切さが旅を通してだんだんと分かっていくという「緩慢な」話であることです。
読者視聴者は旅を通した冒険活劇を期待するも、敵はそんなに出てこないし老人は多いし、主人公フリーレンは一度魔王を倒したメンバーなので最初からやたら強いし、客観的にはすごく浮き沈みが少ないストーリーです。ドタバタの活劇を期待して見ると「一体何をしているんだこの話は?」となるのは、改めて考えると自然なのかもしれません。

しかしこの点がこの作品の面白い所でもあります。本作は仲間の死後残された人達の視点で話が進みます。死んだ人がどう思っていたのかはあまり語られません。「こんなこともあったな」「あの人はあの時どう思っていたんだろう」「あすればよかった」「言っておけばよかった」といった思い出や後悔など、たくさんの感情を持つエピソードが出てきます。これは即ち「人の死を偲ぶ・悼む」ということです。これはマンガでは珍しい主題だと思います。そして、これは親戚でもペットでもいいのですが、誰かの死を経験したことが無いとなかなかわかりにくいかもしれない。緩慢な日常の中でふと故人を思い出してしまう事こそがエモいのです。
私は祖父母はもちろん父まで見送っていますし、前職では総務にいたので交通事故で亡くなる方や、同期・同僚の病死などたくさんの死と向き合う立場にありました。「死という絶対的に動かしようのない事実」に対した時の感情にどう整理をつけていくのかというのは経験しないと分かりにくいだろうなぁと思います。特にまだまだ親族も若い若い人にはなおさらです。

全てを説明はしない難しさ

エヴァンゲリオンが「シン」になって完結した後、庵野監督が「今何でも作品中での説明を求められて面白くない。想像であれやこれや考えたり言い合ったりするのがオタクの楽しみのはずなのに」みたいなことを映像で言われていた気がします。「分かりやすさ」がやたらと求められる、というのは私も感じます。「行間を読む」なんてのは最も嫌われるところで、マンガだとセリフ外、顔の横に文字が書いてでも補足します。(セリフが多くなりすぎるのでこういう手段を取る場合もある)

同じく昨今人気の「シャングリラ・フロンティア」第一巻より抜粋

ところが葬送のフリーレンではセリフが無いコマが案外多い。アニメでもそこは尊重されていてセリフ無しシーンがしばしば入ってくる。でもキャラクターは喋っていて、何を喋っているのかはこちらで想像するしかない。
葬送のフリーレンは人の気持ちや葛藤を大切にしている作品です。心情は全て言葉で表現することは難しく、どうか読者視聴者それぞれで想像して欲しい、と言われている気がします。これもこの作品の理解を難しくしているポイントかもしれません。

少年誌?

葬送のフリーレンが分かりにくいかどうかよりも個人的に驚いたのは、この様な心情中心の作品が少年誌でヒットしたことです。勿論昨今の少年誌は「かつて少年誌を読んでいた大人がそのまま読者になっているケースも多い」とは言われますが、それでも多数は20代以下の様です。若い彼ら彼女らに「故人を偲ぶ作品」が刺さったというのは実に面白いことです。さらに言えばこういう作品を少年誌でやってみようとリスク取った編集部の判断も面白いですが、結果は大成功と言えるでしょう。

本当にストーリーが分からないのか?

散々思わせぶりな話を書いてきましたが、結論から言うと「大人気なんだから大丈夫でしょ」というのが私の感想です。何かが流行ればワッと遅れて飛びつく人達が出て人気になることはありますが、それが継続している、つまり気に入って読み続ける、視聴を続ける人達が居る、しかも年齢も幅広く受け入れられているのだから、多くの人にちゃんとストーリーは伝わってるのだと思います。分からなかったら見るの止めますよね。理解できないという人が居ないわけでは無いのでしょうけれど、「勧善懲悪・みんなハッピーなエンド」ばかりでない話が人気になるのは良いことだと私は思います。少年誌とはいえ読者をバカにしてはいけません。

大事なのはストーリーテリングの能力

葬送のフリーレンの様なやるせない物語だって多くの人はちゃんと理解できるでしょ、というのは述べた通りですが、「物語にして話ができるか」というのはどうでしょうか?いわゆる「ストーリーテリング」という能力です。話を物語に出来ると「面白さや説得力が格段に上がる」というのは厳然たる事実です。例えばラグビー日本代表の試合前円陣を見てみましょう。円陣というと「がんばろうぜ!オー!」みたいなものを想像しますが、ラグビー日本代表だとアドリブでこうです。

いやそりゃこっちのほうが俄然燃えますよね。一緒に練習したわけではない私達でも色々伝わってくるものがあります。
こういう「語り」が出来るかどうかはとても重要です。面接・商談・教育・交渉・告白、などなど、生きていれば話しかけなければいけないシーンは多々あります。相手が目上、年上の人のこともあれば子供のこともあります。性別が違うこともありますし、外国人かもしれません。都度都度その相手に合わせた物語りが出来る様になっていると、とても役に立つのです。

ではどうやったら出来るようになるのか。それにはまずマンガでもドラマでもゲームでも小説でも何でもいいですから、たくさんの物語に触れることです。そして話の紆余曲折に触れて自分の中に生まれた感情を受け止めることだと思います。いざ就職活動となって、面接でどう話していいか分からない、事務的な応答(因果関係を説明したあらすじのようなものはプロットと呼びます)になってしまうというのは自分の感情の整理する経験が少ないからです。まさに葬送のフリーレンのこれ。

「葬送のフリーレン」一巻より抜粋

子供は小さい時、保育園など外であったことを「それでね!○○ちゃんがね!××って言ってね!」って一生懸命伝えようとしますよね。それの延長上にあるのがストーリーテリングという能力だと思うのです。反抗期で「親に言ってもしょうがないし」と言って端折るようになったり、人間関係から「当たり障りのないことを言う」様になったり、仕事で「手短に話せ」と求められ続ける結果、苦手になっていくのです。真正面から伝えるのってめんどくさいですからね。でも、バットを振ったことも無い人がいきなり野球が出来るわけないですよね。

素振りを何百回何千回としていれば、バッターボックスのワンチャンスで球を打てる可能性が上がるのです。このnoteも私の修行の為に続けているのも1つの目的です。読んで頂いている方を巻き込んで申し訳ないですが、読み返しながら書いて修正してを繰り返して読み物として磨いてからアップしています。始めた3年前よりはマシになっていると思いたいですが如何でしょうか?笑

職場では個人の感情を出すことが否定的に言われ、効率を求められることも多い昨今です。つまり要点をまとめたプロットを求められます。しかし世間では「コト消費」とか「ナラティブ」といった単語をよく耳にするように、求められるのは物語性という矛盾した状態にあるようにも見えます。世の中には少ない経験で上手に物語を紡げる才能を持った人達もいて、それを「陽キャ」などといって嫉妬半分に表現したりしますが、練習すればだれでも出来ることです。みんな誰かの死に接した経験がなくともフリーレンを読んで見て楽しめるのだから、起きたこと感じたことを誰かに伝えて楽しませることもできるはずですよね。
ストーリーはみんな分かるのだから、是非「語る」ところまで目指して、周囲の人を楽しませ、誰かに思い出してもらえる人生を送りたいものです。そうすればみんな楽しく過ごせます。

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