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鯛は頭から腐るんだという話

こんにちは。ラジオの冒頭から謝罪してきた社長です。

「鯛は頭から腐る」ということわざ?があります。語源はロシアのことわざの様で、正確には「魚は」だそうですが、実際魚は頭についているエラやその隣の内臓から腐るので正しいです。

いや、そういう話ではなくてですね。「鯛は頭から腐る」というのは、「魚も頭から腐る様に、組織も上から腐っていくのだ」という意味で使われます。実際政治であれ軍隊であれ企業であれ、その通りだという実例は枚挙に暇がありません。

なぜ組織の上層部が「よろしくない行いに手を染めるのか」これも「コーポレートガバナンス」という概念の下に様々な議論がされてきました。しかし厳罰化してもやはり発生しましたし、監査を厳しくしても発生しましたし、上層部の収入を上げてインセンティブを与えてもやはり発生したので、今のところ発生源については打つ手がありません(個人の感想です)。日本では割とすぐに人が交代するので「ワシがいる間だけ判明しなかったらOKだしそれに賭けよう」って蓋する人が多いのも一つの傾向かもしれません。

トップの倫理観に依存するところ大では?

組織を変えていくことと同様、コンプライアンス(遵法)を含めた組織の倫理の問題は、「アレをすれば解決」「コレをすれば違反のリスクは無い」といった安易な対策は無いと思います。組織の長や管理職が事あるごとに説いて回らないと定着・安定しません。

例えば、伝え聞いた話ですが、JR西日本では2005年の福知山脱線事故という大変に痛ましい事故を起こした後、安全や運行についての哲学を全社員に教育し続けているそうです。しかし、あれから15年以上が経過し、当時幼くて事故の明確な記憶もない若者が入社してくるようになると、事故を教訓とした悲惨さや使命感を伝えていくことが以前のようにはいかなくなってきたと、あの手この手の工夫をされているそうです。

あの事故を経験した組織でさえこうなのです。これまで特段の問題も無くやってきた組織がより厳しい倫理観を等しく持つということがどれだけ大変なことか。そして昨今の流れとしては、倫理観を厳しくしようとする傍から、社会から求められるレベルがどんどん上がって行ってしまうのは、仕方ないこととはいえ本当に大変です。

常々このnoteでも触れていますが、人間とは弱い生き物です。だから他人には厳しい基準を求めるけれど、自分がそれを果たす側の時には「そんなめんどくさいこと…」と拒否する身勝手なところが誰しもあります。それにもめげずに組織に価値観を定着させるにはやはり「腐敗を伝染させやすいトップが逆に正しい倫理観を伝染させるべく」常に規範を示すことが一番効果的です。

マズイことがあれば、キチンとその現実を受け止めて、あるべき対処をするという姿勢を部下に見せていて初めて部下も報告を上げようと思うものです。元部下をやってた身としてそう思います。

ちなみに私が今回ラジオで謝罪した内容は、材料の産地を言い間違えていたことでした。こういうことは時間が経つ前にさっさと謝罪・訂正するのが一番です。

謝罪をしやすい形に

また、謝罪や説明をするのがトップは限りません。むしろ担当者が客先に出向いて説明をすることの方が多いと思います。その場合は出来るだけ「やりやすい様に」配慮してあげることも、間違いを速やかに正せる組織風土には欠かせないのではないかと最近思います。

具体的には、「こういう風に言ってきなさい」と放り出すのではなく、「何が起きて、何が原因なのか」という趣旨の説明をキチンとした公式の文書として持たせてあげたり、責任の所在を明らかにしたり、対策をどうするのかということも後日改めて説明できるようにすること。さらにはその担当者の責任ではない場合はそれを明確にして、必要であれば技術的なことを説明する為に専門性を持った別のスタッフをつけてあげることも必要かもしれません。そういうことを重ねていくと「ああ、会社の一員として謝罪はしなくてはいけないけれど、それをしなくてはならない身にもなってくれているのだな」と伝わります。(たぶん)

「給料を払ってやってるんだから忠誠心を持って、嫌な仕事も率先してやりなさい」なんて今日日流行りません。むしろ「自分がされたら嫌なことを他人にしてはいけません」という価値観を思い出すべきです。

細かいことの積み重ね

結局従業員(社内)に対しても、顧客や消費者(社外)に対しても、有事の際の対応だけでは無く、普段からの行いが全てなのでしょうね。そしてそれを規定するのは法律だとか常識だとかでは無く、組織の長の普段の振る舞いの影響の方が大きいのだろうと思います。そしてその長をやってて思いますが、平素から恥じるところなく行動、判断を下していれば、過ちが判明しても卑屈になることなく正直に堂々と対応できると感じます。

色んな人が謝罪する場というのを日本ではよくテレビなどで見かけますが、何でも謝ればよいというのも少し違うかなと思います。謝罪も大事ですが、キチンとした説明がなされると納得度が高くなる気がします。そしてまだ分からないことは分からないと言ってしまうことも大切だなと思うことは最近しきりです。

タイは頭から腐るってことから始めましたが、組織ってトップの生き様出ますよねというお話でした。

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