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主導権が入れ替わる時

先日トヨタ自動車株式会社の社長交代が発表されましたが、その広報の手法に度肝を抜かれたことから色々考えたことをまとめた回です。

またしてもトヨタイムズ

このnoteもトヨタイムズに触発されてのスタートであることは最初のエントリに書いたことですが、そのトヨタイムズを始めた豊田章男社長が実務を後進に譲り、会長職に着く(現会長は退任)旨が発表されました。思い起こせば就任直後北米でのプリウス欠陥疑惑のアメリカ議会公聴会で晒しものになるところから始まり、赤字転落、震災、半導体不足などずっと波乱万丈でした。しかしそこで培われたのか、彼は抜きん出たコミュニケーション能力の持ち主だと私は尊敬しています。

その彼が今回の発表を衝撃的な方法で行いました。何と一般的な記者会見を行わず、YouTubeライブで、一般ユーザーのコメントを解禁した状態で行い、マスコミからの質疑応答もZoomで接続してそのままライブ配信するというやり方です。



通常上場企業の記者会見は、自社に持つ大きなホールか、交通アクセスのよいホテルの宴会場を借りて、場所と日時をマスコミ各社に通知して「集まってもらう」というのが一般的な方法だと思います。
それに対して「まずYouTubeで説明しますので、そちらを一通りみてからの質疑応答をお願いします。各社一名の参加で、企業名と氏名を返信してくださいzoomのアドレスを返信します」くらいの案内であったと想像されます。まずYouTubeライブで行う時点で「マスコミの為の会見ではなく、社員及びトヨタファンに向けた会見である」ことが分かります。次にコメントを解禁したことで炎上や荒らしのリスクを抱えましたが、見ている人達がどう受け取ったかの一端が見ることが出来る様になりました。私も見ていましたが、MAXで1万3千人が視聴し、アーカイブは51万回再生(2月3日現在)を記録しています。
そしてマスコミの質疑応答も白日の下に晒されることとなりました。

このことが何を意味するのかと考えましたが、まず「広報の中抜き」です。これまで企業は広い意味での広報活動において、会社の取組を知って貰うための広報を記事にして貰う所からTVに流す広告までメディアを頼らねばなりませんでした。記者会見をしても記事になるかどうかはメディア次第、不始末があって謝罪会見をしても切り取らずに意図を伝えてくれるかどうかもメディア次第、広告を打つにもメディアから提示されるお金を支払わねばなりませんでした。
しかし今回YouTubeというツールは使いましたが、全てトヨタ自動車側のコントロール下にあります。何時間やるかもトヨタ次第、質問者を指名するのもトヨタ次第、そしてメディアが詳しい記事やニュースにしてくれなくてもアーカイブ動画が永遠に残るので関心がある人は参照できます。

嫌な言い方をすれば、これまではメディアからすれば「私達とちゃんと付き合ってくれないと広報は出来ませんよ?」という姿勢で居られたのですが、トヨタから「私達自身でやることにしたので」と言われてしまった形になります。それどころか、どうもこれまでのトヨタイムズYouTubeチャンネルの作りを見ていると、メディアを経験した人達がトヨタに採用されている感じがします。良い人材を引き抜かれている可能性があります。(リンク先で司会進行している富川さんも元テレ朝の看板キャスターの一人ですよね)

メディアに頼らずに社内外へのコミュニケーションを自らデザインするというトヨタイムズの決断には驚きました。

メディアの民主化?

インターネットが広がり、高速通信が可能になり、SNSで拡散されるようになり、誰もがスマホの綺麗な画面で見ることが出来る様になった結果、様々なものが個人の手に移って行った様に感じます。
「YouTube」がテレビの様に見られるようになり、ファッション雑誌を見なくても好きなモデルの「Instagram」のアカウントをフォローしておけば着こなしが流れてくるし、お金を払わなくても「なろう系のサイト」を見れば個人が書いたライトノベルが読めてしまいます。もちろん個人でやってるYouTuberの作り込みはTVにかなわないし、スマホより雑誌のカメラマンの方が撮影は上手だし、素人のラノベがプロ作家の小説にかなうはずも無いけれど、利用者はそれでいいと思っている。これは私達製造業の「よいモノを作ったからといって売れるわけではない」という問題にも通じる難しい課題です。

今回のトヨタイムズの進め方はこれに一石を投じるものだと思いますが、いずれにしても「発信し、認知される」という機能がメディアの専売特許では無くなっていく契機となった気がします。

主導権が入れ替わる時

時代の中で「攻守が入れ替わる時」というものがあると私は考えています。かつて、戦後モノが無かった時代には私達食品製造業は随分と横柄だったことがあると聞いたことがあります。それは物不足で供給が間に合っておらず、小売店も小規模だったからです。「売ってやるよ」という姿勢だったわけです。そこへ出てきたのがダイエーで、価格破壊の名の下、規模を楯に価格決定権をメーカーから小売りに移してしまいました。以降、今日に至るまで食品メーカーは小売りに対して立場が強いとはお世辞にも言えません。

別のケースを見て見ましょう。ZARAやユニクロはSPA(製造小売り)という業態を取っています。SPAとは販売企業が製造工程まで自社で抱えるビジネスモデルを指します。SPAが出てくるまではファッションはハイブランドが色や形状のトレンドをデザインで作り、製造は下請け会社に任せ、下位に甘んじるメーカーがそのトレンドを取り入れて安いものを半周遅れで作るというパターンしかありませんでした。SPAは自分で製造機能を取り込むことで、コストは大きくなりますが、流行りの変化に合わせてすぐに安く提供できるようになって大成功しました。各社巨大な企業となり、ハイブランドと肩を並べてトレンドを作り出す方に回りました。

これらと同じようなことが今起きつつあるような気がします。もちろん背景には広報と報道のバランスの問題や、報道対象である一方で広告スポンサーであることも多いことや、大企業のメディアとの付き合いの大変さ(飲食の付き合いが多い等色々耳にすることは多い)などなど昭和の頃からずっと引きずってきた要素に対する不満があったのかなという想像をします。
そこへ高速通信網の整備と誰でも使える動画サイトが出現するという環境の変化が起こった結果、拡散をメディアに頼らざるを得なかった側が、自ら発信拡散するようになりました。トヨタの様に製作スタッフを独自に持つというところまで必要かはともかくとして、記者会見の為の場所の確保や膨大なスタッフがかかわっての段取りなどがかなり削減できるコスト削減効果を考えてみても、今後資金や人材が豊富な大企業から順番に独自の広報拡散活動に一層取り組むようになるのではないかと思います。

変化しないものはない

10年に一度と言われた1月の大雪もなかなか衝撃的でしたが、当たり前はいつまでも続かないし、あると思っていたものが無くなることも、考えもしなかった新しいものが出てくることも沢山あります。そして強かったものが弱くなってしまうということも往々にしてあります。平家物語にもありますが、

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理ことわりをあらはす。おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。

祇園精舎の鐘の音には、この世の全てが常に流動変化し、一瞬と言えども同じ状態ではない、という無常の響きがある。沙羅双樹の花の色は、盛んな物も必ずや衰えるという道理を示している。驕り高ぶる者も長くは続かず、凋落ちょうらくするだろう、ただ春の夜の夢のように。

とはよく言ったものです。私達に大切なことは「あいつらもいずれ滅びるのだ」などと妬みの感情を持つことではなく、また「今の状態がいつ壊れるか分からない」と不安に駆られることでもなく、「もっと新しいやり方があるかもしれない」と希望をもって物事を見ることだと思います。

私にも旧メディアとかかわりのある知人が居ないわけではありません。彼らに不幸になって欲しいなんてこれっぽっちも思いませんし、きっと彼らも何か変えてくると思います。私はそれに上手く自分を合わせながら、自分のフィールドで同じように新しく出来る事が無いか考えることを絶やさない様にしようと思いを新たにした次第です。


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