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四十にして惑わず……ず?

「四十にして惑わず」とは時に目にする一節ですが、これをして数え歳の40歳(一般的な39歳)を「不惑(ふわく)」と言ったりします。語源は孔子の論語で、「子曰く、吾十有五にして学に志す、三十にして立つ、四十にして惑わず、五十にして天命を知る、六十にして耳順う、七十にして心の欲する所に従えども、矩を踰えず(のりをこえず)」という節に依拠します。その意味は「先生は仰る。私は15歳にして学問を志し、30歳にして学によって自立し、40歳にして迷うことが無くなった。50歳にして天より与えられた使命を理解し、60歳にして人の意見を聞くようになり、70歳になって思うままに行動しても人の道を外すことは無くなった」となります。

有体に言えば「ワシくらいの天才をしてこんなにかかるんだから、みんな頑張んなさいね」ということなんだろうと思っていますが、その中から「惑わず」の40歳のところだけが抜き出されて良く使われます。

迷わないなんてことある?

繰り返しますが孔子をして「四十にして惑わず」なので、ペラッペラの我々凡人が同じレベルに立つなどおこがましいことです。まずスタートの15歳の段階で学問なんか志しません。いいとこ「エロに目覚める」がせいぜいです。
私事ですが、経営者という仕事柄、大から小まで結構な数の決定をしてきましたが、迷うことが無くなったなんて口が裂けても言えません。そんな中、丁度ネットフリックスで始まった番組がなかなか面白かったのです。

ラジオのオールナイトニッポンでプロデューサーをしていた佐久間さんという方が、星野源さんと若林正恭さんが一緒になった回が面白かったので、「ながーい期間かけてトーク番組を組んだら、その変化が見えて面白くなるのではないか?」という着想を得て成立した企画だったそうです。実際面白い。とはいえ、これ面白いのは40歳以上の人だけかもしれない。笑

飽き性

私にはこの中で幾つかとても印象に残った会話があって、一つは「若林さんがTVやラジオや漫才やいろんなことをやってきて、仕事に飽きちゃった」という話で、それを受けて星野さんは「僕も常にあたらしいところへ行かないと壊れちゃうんです」と話していた下りです。
これがねー、すごくわかる。わかるわー。

私は常々人は大きく分けて「すぐに飽きるタイプ」と「同じことの繰り返しの方が安心するタイプ」に分かれると思っています。どちらが良い悪いではなくそれぞれの強みが違います。前者はクリエイター気質とも言えますが、すぐに何でも放り出す人も含まれます。後者は保守的で変化を嫌う人も含まれますが、毎日きちんと決められた作業手順を積み上げる仕事にはとてもありがたい人です。
私は明らかに前者で、後者の人を尊敬すらしています。実際私は、仕事の都合も含め、実家を出て以来4~5年ごとに引っ越しをしています。飽きちゃうんですよね住んでるところに。自宅は好きなのに。笑
やったことのある趣味なんか並べだしたらすごい数になりますし、これからやってみたいことも山ほどあります。

これが40歳代にさしかかればマシになって、少しは落ち着くのかと思ったら、むしろ逆で多少のリスクを取ることに慣れてしまって、拍車がかかり始めた感すらあります。弊社で私を支える立場の人たちは次から次へと新しい仕事を振られて本当に大変だと思います。これでも思いついたもののかなりの割合を捨てて、全体構想に合致するものだけをお願いしているんです。(反省していない)

ストレス

もう一つ印象的なエピソードは星野源さんのものですが「立場も出来てくると、言ったらいけないこと、ホントは嫌いな人、そういうのが増えてストレス」というのは笑ってしまいました。いやまぁ誰しもありますよね。
私もこれは悩んだことがありました。過去形なのは「誰かを傷つけるようなことを言うのは良くないが、会社にプラスにならないことは全部拒否しよう」と決めたからです。その典型例がゴルフやめちゃったことですね。プラスもないし自分にとってストレスの源みたいなことやって、それ故に仕事した気になるのは誰も幸せにならんなと分かったのが大きいんですよね。他力本願な話ですが、コロナでいろんなものがキャンセル出来る様になって気付いたことでもあります。たぶんいろんなところで文句も言われてると思いますが、気にしないことにしました。笑

結局この5回のトーク(放送は6回)の中で二人は変化し、特に若林さんの方は新しい企画を立ち上げたりして、やらせ云々ではなくプロデューサーの期待した通りになっていくのでネットフリックスを契約している方で40前後の方は是非ご覧ください。私たちは彼らのようなプロフェッショナルでは無いけれど、お二人の心の動きは自分たちを客観視できてとても面白いです。飲み会も減ってしまった昨今、同世代と一緒に恥ずかしくなったり、いっしょにモヤモヤ出来るのは貴重です。笑

ストレスは減らない

番組内で星野さんが「ストレスが減らない」と嘆いていますが、何にストレスを感じるかは人それぞれとしても、私は「ある程度のストレスがないと人間おかしくなるな」と感じることが多々あります。貧乏性なのか長すぎる休みはソワソワしちゃいますし、大体仕事のこと考えない日はありません。あと後期高齢者に入った母親を見ていても「ストレスが無くなると人はダメになるな」思います。(実際母親はストレスも多いおかげか、やるべきことが多く、元気でボケていません)

気持ちいい事ばっかりだとダメになるんですよねきっと。人は生まれてくる時に、産道で窒息状態になるのでそのストレスで直後に泣くことで肺呼吸に切り替わると言われています。生まれる時から酷いストレスにさらされる生き物なのだから、その強度はともかくストレスが存在していることが普通なのかもしれません。楽がストレスになる私みたいなのはもっとダメですね。迷うこともストレスですが、それでいいのだろうと思います。会社にプラスにならないことは放り出しますが、何でも放り出していいわけではない。
(注:心身に異常を来すようなストレスを推奨しているわけではありません。その場合は速やかに転職するなどして居場所を変えましょう。)

惑わなくはならないが、肯定できるようになった

今年既に43歳(数えだと44歳)なので不惑なんて遥か後方に過ぎ去って見えなくなりましたが、迷うことは一向に減りません。本人が迷うことを楽しんでいる感があるのでこれからも無くなることは無いんじゃないでしょうか。ただ、40歳を過ぎたあたりからこれまでの自分を肯定できるようになってきた様に感じます。
まぁ失敗も恥ずかしいこともやり直しも多い人生ですが、それを自分から話すと「面白いですねぇ」って言ってもらえることに気付いた頃からでしょうか。最初は恥ずかしいと思いながら、色んな人に私という人間を理解してもらいたくて覚悟を決めて話し始めたのですが、繰り返していると案外嘲笑ではなく、「この人と話していると面白いな」というポジティブな反応(私の思い込みの可能性あり)を見ることが出来ました。私は何をしてても人に喜んで貰うことが好きですから、「ああ、こんな人生でも悪くなかったなぁ」と思えるようになったのです。そうすると今悩んでいることも「もしかすると失敗したほうが美味しいかもしれん」みたいな芸人みたいなことまで考えている自分も居て、それはそれで経営者としてどうなんだという話ではありますが、そうなってくると俄然迷いが楽しくなってきました。大きな失敗も待っていると思いますが、それでもこれからもずっとそうでしょう。

本当は誰の人生も面白い

星野源さんや若林正恭さんのような苦労と成功に溢れた人生でなくとも、私の様に苛められたり車に轢かれたり反社と戦ったりするトガリまくった人生でなくとも(私は希望していません笑)、私は誰の人生も面白いと思います。新卒採用の面接をしていていつもそう思います。彼らは必死に正解を探して緊張して面接を受けてくれますが、「え?あなたは何故そうしようと思ったの?」と聞くと、まず大体びっくりした顔をした後おそるおそる話始めるエピソードには、彼ら彼女らなりに悩んで答えを出して来た経緯があって面白いものです。事前に出してもらった資料から来る印象とは全然違ったりすることもしばしばです。
でも彼ら彼女らにはそれが魅力的だとは自身では思えないのでしょう。なぜなら正解だったかどうか分からないので。でも「自分で選んだ」のなら面白いんですよソレ。つまらないものになることがあるとするならば「選ばなかった」時だけかもしれません。「仕方なかった」といって流されていると、なかなか振り返ることが出来ないのです。覚えてないし。
でも完全に流されるだけで生きている人なんてそうそう居ないので、きっと誰の人生も面白いのです。

人間40歳も過ぎてくるといろんなエピソードが積みあがるから、一つ一つ話すだけでも面白い。だから「まぁこんな人生も悪くない所もあったかな」と思えると、これから先もちょっと楽しみになりませんか?
「四十にして惑わず」の域は程遠いけど、そう悲観したもんじゃないですよきっと。

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