カバンの中身

それはカバンである。

一つのカバンだ。アタッシュケースのような四角いカバンだ。
材質は革で、ひと昔前のドクターバッグのような印象のある、少しばかり古めかしいカバンだ。
金の装丁が下品でない程度にあしらわれている。持ち上げてみるとずっしりと重い。振ってみても音はしない。
中に何が入っているのか。それは開けてみないとわからない。
しかしこのカバンの中身を知るものはいないという。

カバンは、玄関の前や公園のベンチの上、駐車場の隅などに出現する。
誰かが置いていくわけではなく、気づけばそこにある。隠されているわけでもなく、人目につく場所に出現することが多いため、発見することは容易である。

カバンにはダイヤル式の鍵がかかっている。最初は「0000」に数字が合わされている。
しかし、このカバン、数字を合わせなくとも開くらしいのだ。
ではキーナンバーが「0000」なのかと言うと、そうでもない。適当な数字に合わせても、問題なく開錠される。四つの数字で成り立つ一万通りの数字、全て試してみれば、その全てで鍵は開くだろう。
このカバンを開けることは非常に容易だ。鍵がかかっていないも同然なのだから。
しかし、このカバンの中身を知るものはいないという。

何故、この発見も開錠も容易なカバンの中身を知るものがいないのか。

カバンを開けたものは、等しく「消失」するからだ。

ある監視カメラの映像がある。アパートの廊下の映像だ。そこには、カバンと一人の男性が映されていた。
カバンはいつの間にか、男性の部屋の扉の前に出現していた。突然無から現れたわけではない。気づけばそこにあったのだ。
男性はカバンの存在に気付くと、カバンの前にしゃがみ込み、しばらくカバンを不思議そうに眺めていた。
カバンを触ってみたり、持ち上げてみたり、耳を当ててみたりと、数分間カバンを外から弄り回した後、カバンを自分の目の前に置き、ダイヤルを回し、カバンを開けた。
その瞬間、男性は「消失」した。
一瞬だ。煙のように、という表現は正しくない。
突然、前触れもなく、当たり前のように、最初からいなかったかのように、声を上げることも驚いた表情を見せることもなく、開けた途端に消失した。
残されたカバンは、ゆっくりとひとりでにその口を閉じ、いつの間にかなくなっていた。

カバンを開けた者が消失する瞬間の映像は、いくつか残されている。
そのどれもが監視カメラなどで偶然に撮影されたもので、準備してセッティングしたカメラでカバンと消失現象を撮影できた事例はない。
気づけばそこにあったカバン。それを開く人間と、途端引き起こされる消失現象。それらは映像によって残されているが、カバンの中身はわからない。残された映像に、カバンの中身が映っているものは一つもないのだ。映像の中の人物は、偶然なのか、いつもカメラにカバンの背を向けて、中身が映らないようにカバンを開ける。そして中身を語ることなく一瞬のうちに消え失せる。
カバンの中身を映した映像も、もしかすると存在していたのかもしれない。
撮影した瞬間に「消失」してしまうだけで。

消失した者の行方はわからない。それどころか、身元もわからない。映像に残された全ての人物に関する情報は、今までただの一度も確認されていない。
先ほど紹介した「消失」した男性が住んでいたと推測されるアパートの部屋も、随分昔から空き部屋で、映像に残された男性が住んでいた記録などどこにもないという。
消失現象は、単に「カバンの中身を確認した人物がその場から消える」というものではない。
その人物の痕跡や記録、かかわる記憶の全てが、この世から消失してしまうのだ。
まるで、最初からこの世界のどこにも存在していなかったかのように。

いつからか、カバンはこの世界に出現し始めた。
その存在が認知され、広まり、都市伝説のような形で語られるようになってもなお、カバンを開け消失する者が後を絶たない。
カバンの存在を知っていて、不気味がっている人間ですら、このカバンを目の前にすると、「中身は何なのか?」という好奇心に勝つことができないのだ。

今日もどこかにカバンは現れる。
校門の前に。噴水の横に。自室の扉の前に。あるいはベッドの下に。
突如として出現するカバンは、誰かが開けるのを待っている。

あなたが開けるのを待っている。

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