【マルセイユタロット:20.審判】記録①
みなさん
こんにちは
こんばんは
マルソルです
①.今日という人生、私はどの視点から見る?
今日の私の人生
このカードの視点から見たらどう見える?
②.今日の1枚
「20.審判」
これはもう自分でどうこうする話ではない
一度死んで終わったこと、それが、別の意味を持って蘇る時が来る事を表している
蘇るのは自分の中での話
自分の中の、あれ、それ、これ
過去の様々な点と点が繋がって、自分だけの意味を持つ
それは思っていた形とは違うかもしれない
理想していたものではないかもしれない
それでも、自分だけの意味を携えて、自分だけの新しい形に生まれ変わった
自分にできるだろうかと不安かもしれない
でも、自分だからこそできると肚を括るかもしれない
審判の視点が示すのは、
「一度意味をなくしたが、別の意味を持って新しく再生する
それには、こだわりを手放す事が前提にある」
③.気づき
「痛みのある出来事を通過して生まれるもの」
これまで私が経験した苦い過去は、もう過ぎ去った事、もう意味をなくした出来事だ。
2度の離婚も、再婚中の継母という立場での苦悩も、ひとり親として自立しようと必死になって働いた事も、チクリチクリと自分の心にトゲを刺し続け、とうとうポキリと折れた事も、自分に社会での居場所がなくなって大きな穴に突き落とされたような気持ちになった事も、全部、終わった話だ。
”審判”のカードが今週3度も出るので、ほとんど、このカードの事を考えていた。
私にとってもう意味をなくしたことは過去の出来事だけど、同様にその出来事の中から、自分の中にあるこだわりを読み取るとすれば、
「社会に属してそこから外れないように生きたい」
ではないかと思う。
そこを理想としていた私は、もう理想の形から外れてしまった。
そして、そこにしがみついたままなら再生はしない。
でも、理想からは外れてしまうけど、そのこだわりを手放せば、自分だけのオリジナルの何かが形になってくるのかもしれない。
それはわからないが、もう過去の出来事は終わったのだから、その中にあったこだわりも終わらせれば、別の何かは生まれるのだろう。
さあ、では
④.本題
「”審判”という視点から見た自分はどうだろうか?」
・自分だからできる事がある、という事に気づいているだろうか?
・〇〇だから△△、ではなく、全く違う▢▢かもしれない?
・それには、自分の中にあるこだわりは手放せているだろうか?
・自分はそのこだわりを手放して、「まあいっか」と受容する段階にいるだろうか?
このカードから見た私は、今どんな感じだろうか。
そして、このカードの持つ意味がバランス悪く働いているその原因はどこにあるのか。
そこに私は気づけただろうか?
私への問いかけは続いていく…
ではまた。
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