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冬のたのしみ

冬のたのしみはなんですか?と聞かれたら。いちばんに、沈丁花の観察ですと答えたい。沈丁花は常緑の低木で、冬でもひとり青々としている。そして冬が春になるそのとき、花が咲く。その木は、私が住むマンションの裏口に、ひっそりと植わっている。


十二月になり、気がつくと、その木の前を通るたびに「今日もさむいね」と心の中で声をかけるようになっている。特に返事はないけれど、勝手にはげまされて、出かける足取りが少し軽くなるような気がする。そして、今年もつぼみがつくだろうか、つくとしたらいつごろだろうかと楽しみに思う。

毎日見ていても、当分はあまり変化がないような、まだはやい時期。それでも、この木が静かに息をしていて、内側では、水や、土からのかすかな栄養がたしかにめぐっているのだと思うことが楽しい。


年があけてしばらくしたころ、葉の付け根の奥のほうに、小さな小さなつぼみを見つけた。つぶらな、たくさんの緑の粒が、身を寄せ合って寒さをしのいでいるようす。葉がいつもよりたくましく見える。あぁよかった。うれしさと安堵が混じる。

つぼみを見つけてからは、日々の観察にも気合が入る。顔を寄せて、どんなぐあいかまじまじと見つめたり、まださすがに香りはしないかなと思いつつ、くんくんしてみたり。傍目に見れば怪しいのかもしれないけれど、その時だけはかまわないと思えるのが不思議だ。


日々、少しずつ、つぼみは変わっていく。粒だったのが、小さな竜の角のようになり、その角がだんだん前にせり出してきて、もう葉に守られずとも大丈夫と言わんばかりになる。そうして、冬の夜、だれにも見られていないあいだ、空の星がこぼれてくるのを集めているかのように、ゆっくりふくらんでいく。緑色もしだいに身を引いて、花の白を思わせる色になる。

日々の変化がうつくしい。毎日、この木が今日一日ぶじでありますようにと祈る。


そして二月が終わるころ、かすかに、たしかに香る沈丁花が、春を呼んでいる。ひとつ、ふたつ、花が咲いたのだ。

うれしくて、ひとり、にっこりする。沈丁花の香りは、そっと春を手わたしてくれるような香り。満開になって、その香りにすっぽり包まれるのも幸せだけれど、こうして、咲きはじめるところもいいものだなぁと思う。


街が少しずつ色づいていく。
冬のたのしみが、いつしか春をたぐりよせている。

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