見出し画像

ヘップってなんなん?【なぜヘップを作る-前編】 Vol.19

ヘップってなんなん?
ヘップの名称の語源として1954年、映画「ローマの休日」でオードリーヘップバーンが履いていたフロントオープンバックレスサンダルを親しみ込めてヘップサンダルと呼ばれた事だと業界では言い伝えられています。そのヘップサンダルを通称ヘップと業界で呼んでいます。
著作権の問題があるかもしれないので画像は載せることが出来ませんが、アン王女(オードリーヘップバーン)が街にくり出すシーンの中で、露店で履物を買って履き替えるシーンがありますよね。そのシーンの履物がヘップの語源と言われてます。興味のある人は休日に映画観てみて「ローマの休日」だけに笑

画像2

なぜヘップを作るのか。今ならすぐ答えられる。『お客様の笑顔を見たいから。」

子供の頃、家の横が工場でよく現場で職人さん達と一緒に仕事の真似事をしたり、荷造り用の箱に入ったりと、工場は遊び場でした。

小学校に入学しても、校区の友達の家もヘップに携わる仕事をしていた子達がたくさんいたため、私たちにとってヘップは生活そのものでした。

そして中学は地元を離れ私学に通うようになった頃から少し変わってきました。ヘップのことを知らない同級生。当然ヘップの語源なんかも知りません。

と言う私もヘップはヘップであって語源については意識したこともなかった。
今から思うと、ヘップ産業は奈良県の地場産業とはいうものの、私の地元御所市、そして大和高田市、王寺町等一部の地区に限られていたのも事実でした。

だから中学•高校の友達には家業の話をすることはほとんどありませんでした。たまに聞かれ説明すると、ああアレな。程度でした。

比較的裕福な暮らしをしていたので、ちょっと認識されていなかってことにプチショックをうけたのを今でも覚えています。

大学でもやはり家の家業のことは話すことなく過ごしていた。たまに聞かれても、「ちょうだい」って言われるくらい。

「ヘップって存在するのに、人は知らんねやんなぁ」って思いながら過ごした大学時代でした。

(ヘップは業界用語だったってことでした。今でも知らない人多いのでもっと知って欲しい!SNS発信これからも続けまーす。)

それが就職してからは、奈良県の農協系金融機関だった事と、父が農協の組合員でもあったこともあり、家業のことを知ってる人達もいました。

この頃も、まさか家業を継ぐとは考えもせず、平々凡々なサラリーマンを送っていた。そして3年程経った頃、父から戻ってこいとは言われた。初めて仕事として家業を意識した瞬間でした。

最初はとりあえず、営業それからは生産と商品開発。商品開発のために参加した講習会で初めて私の師匠と出会い、ものづくりの楽しさを教えてもらいました。

ミシンも扱えないと悩んでいたところ、縫えなくてもスケッチで表現して、それをパタンナーさんに伝える方法もあるよ。と教えて頂いて、ほっとした事を今でも覚えています。

他人に自分のアイデアを伝えることの楽しさで、しょっちゅうサンプル用のデッサンを描くようになった。
(ちなみに見出しの画像は私のデッサンではありません(笑))

そして、衝撃吸収材と出会い。あのキャッチコピーを目にしたのです。
明日へ、ひとひねり
『足のウラに笑顔。』
このコピーを見た時、そうか履物で人を笑顔にできるんだと思ったのが最初のヘップを作る理由です。

画像1

これは、POP材料メーカー様からの原案を元に作った1stのPOP。

CMで「そこに愛はあるんか?」というのを初めて聞いたとき、私には愛が足に聞こえました。そして、「そこに足があるから笑顔を届けたい。」TVに向かってそう答えたのは言うまでもありません。

To be continued/つづく

画像3

ヘップ親父渾身の•••(買ってください笑)
https://marusanfootwear.stores.jp/
https://marusanfw.thebase.in/

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?