頑張ることは大事だと思っても、その生き方はしんどいという話

頑張ることについて皆さんが普段どのように考えているのか、自分はどのよ
うに考えているのかについて、少し思う所があり、ちょっとまとめてみようかと思います。

基本的には自分の考えを整理するために書いているので、結構、論理があっちゃこっちゃいきます。オチもありません。
よくある如何でしたか記事です。それでも良ければちょっと見ていって下さい。

みんな生きるのに頑張っている

基本的な話になるのですが、今の時代って生きるのにめちゃくちゃ大変な世の中になっていますよね。

だれもかれもが頑張って生き抜いている。

少し例に挙げると、小さい頃から学業で競争を勝ち抜き、大体、青年くらいまでの年齢まで学業を脱落せずに収める事が出来たら、次は就職して会社の為に働かなきゃいけない。

それだけでも相当大変なのに、大抵はなんも努力せずにこのルートを辿っていくことが難しく、学生であれば勉強が、社会人であれば業務スキルが努力が必要になっていく現状があり、もし、そのルートを維持しなきゃいけなくなった場合は、否が応でも努力しないとあっというまに食べていけなくなります。

ずーっとそんな状況で生き抜いてきたせいか、いつの間にかどんな場合でも努力はしなきゃいけない、努力しない人生を歩むと簡単に社会からドロップアウトしてしまい、底辺の生活になってしまったり、明日食べるものもないような状況になってしまう、みたいな価値観が出来上がってしまうんですよね。

そうすると、毎日、頑張らないといけないと思うようになってしまいます。それは普通の人の感覚だとしてもそうなんじゃないかと思ってます。

頑張って何を達成するのか

ここで一旦、振り返ってみますが、頑張るって一体、何のために頑張るのでしょうね?

学生であれば頑張る事は勉強だと思うのですが、それで達成できるのは良いテストの点数だったり内申書の点数だったりします。

社会人であれば、頑張る事で仕事の利益が増えたり、上司からの評価だったり、お客さんからの信頼だったり、生産性の向上だったりします。

これだけ見ると、なんと頑張る事は素晴らしいのだ、生きていく上ではもはや必須事項でなかろうか、という美辞麗句になりそうなのですが、ちょっと待って下さい。

それってほんとですかね?

確かに頑張るというか、ある程度、嫌な事に大して我慢して勉強やら仕事やらをやらないといけない、というのは勿論です。これはやらなくていいとかじゃあなくって、最低限をこなす頑張りは必要になってます。
そこは間違いない。

でもそういう頑張りを除いた他でも、いつの間にか知らないうちに頑張って生きるって事が、もうなんというか普通になっていると言いますか、もう生きる事は頑張ること!みたいな姿勢で生きていますよね。みんな。

勿論、自分もそうなのですが、よくよく考えてみるとこれっておかしいですよね。簡単に言うと頑張って達成したものに大して、リターンが少なすぎる気がします。

凄くざっくばらんに言ってしまうと、頑張った結果、テストの点数を平均点10点あがりました、会社で頑張って売り上げを100万円アップさせました、これによって得られたリターンってなんでしょう?

大抵の頑張れば達成できるレベルのものなんてのは、殆ど今の地位から上がる事が期待できるレベルではありません。

ただ、何年も努力して頑張った結果で勝ち取った地位は別ですが、それだってそんだけ努力したのに、偏差値が10上がっただけとか、年収が100万増えたとかそんなレベルの地位向上に留まります。

これは経営者や学校の先生から目線でいうと、頑張りに大してそこまで他の人と差をつけにくいって状況があるから。

このように頑張りの総量コストに見合ったリターンは望めないので、じゃあ何を目的に頑張るのか、って事になるのだと思います。

頑張るのは辛いよねって

何度も繰り返しますが、自分が一番問題だなって感じたのは、こういう状況なんだってことを、いつの間にか、当たり前に思っていたという事です。

中々、普段から頑張ってばかり生きてる人達はこの事に気づけないかなって思うんですよね。

一番これでヤバイなと思うのは、達成できない事に大して知らず知らずのうちにいつも頑張っているという状態が作られちゃうことです。

世の中ってとっても理不尽で、納得いかない事も多いし、辛い出来事も多いじゃないですか。
でもこれ何とか頑張って改善させたいってみんな思うと思うんですよ。

でも、自分でコントロールできる範囲の物事ならそれで良いんですけど、その範囲外のものに大していつまでも頑張らなきゃ、って思い続けていくのってほんとに辛いじゃないですか?

例えば夫婦間だったり子供だったり親だったり恋人だったりが、どうしても自分的にイラッとする行動をするとなった場合に、自分ではコントロールできない、その他人様の事について、色々と理由付けして、自分がもっと頑張ってよく分かって貰えるように話をしなければ、とか、自分の教育方針でその子供の性格は形成されたのだから、責任は自分にあるとか、友達と仲良くできないのは自分の方に何かしらの原因があり、不快な気分にさせてる自分のせいだとか、色々あるじゃないですか。

でもでも、これって自分がコントロールできる範囲を超えちゃってるんですよね。だって自分では無い、他者の事なのですもの。
自分が行動を決めるように他人が言う通りに動きますかって話なんですよね。

んで、こういう自分がコントロールできる範囲じゃない事に対して、頑張らないと、ってなっちゃった場合は、そりゃあもう辛いですよ。
しかも仮に頑張った結果が達成出来たとしても、いつの間にか元に戻っていたりしますしね。

仮の例で人間関係のことを話ましたが、それ以外も同じで、無理なノルマを課してくる会社や、全然思う通りに動かないシステムやら、好き勝手な事を言うクレーマー顧客とか色々とありますよね。

人間、どうしても気づかないうちに何にでも頑張っちゃっているものだと思うんです。これが凄く問題だなって思うんですよね。

頑張らないで生きていくようにしよう

こういったコントロールできる範囲を超えた努力目標にいつの間にか突き進んでしまっている、ってのは勿論、普段から頑張らなきゃいけないっていう思い込みもあるのですが、も1個良くあるのが自分の防御反応なんですよね。

誰だってお金が無くなったら、食っていけないという危機感がでますし、人から叩かれれば、叩かれないように行動しなきゃって防御反応がでます。

何かしら心が傷ついたり、身体上で不具合が出た場合=自分が生きていく為の障害発生って事で、このような障害を排除しなきゃってなります。
これは生命維持の為の人間という生き物の構成上、仕方がないこと。

でも、その障害を解決する事が出来ない、自分のコントロールできる範囲を超えてるものについては、大人しく諦めたり、受け入れるしかないんだと思います。

ある意味、こういうのをまとめて大人になる、と言うのかもしれませんが、あまりそういう言い方はしたくない所ですよね。

よく言えば、現状をきちんと認識する、ってことなんだと思います。

個人的には1.25倍努力すれば何とかなる範囲であれば頑張った方が良いと思いますが、1.5倍を超えてくるとかなりしんどくなります。

なので、普段から何にでも頑張ろうとしていないか、防御反応でコントロールできる範囲を超えた事象について頑張ろうとしていないか、よくチェックしながら生きていくことが大事なんじゃないか、って思うんですよね。

そうすればQOL向上というか、より生きる事が楽しくなるんじゃないか、とそう感じた次第です。

長々とお読み下さり、ありがとうございました。


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