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変わりたくないのは幸せだからか?

 おいしいパンで有名なショップの前を通ると、早朝にもかかわらず30人くらいの人、20代から80代とも思える人たちが開店を待っていました。このコロナショックのなか、人気のおいしいパンを食べたいと思う気持ち、とてもよくわかります。世界中がコロナの脅威に身を縮めているときに、うららかな春の早朝にパンを買いに並ぶ。そんなささやかな幸福を得るためにと見た次の瞬間、とはいえ、ほかにもやることあるんじゃないか、外国では緊急事態宣言が出ていたりするのに、と関係のない他人がどうでもいい批判をもしてしまうのです。どちらも正解であり、どちらも残念な解でもあり。どちらかに決め込んでしまうことがいちばん間違いだと私は思っていますが、みなさんはいかがでしょう。あ、これもジャッジかも・・・。


 人は、このコロナショックで「変化」を求められているといいます。とくに、ビジネスマインドで声高に言われるのがイノベーションだったりするのですが、今まさに、「変化」が求められている時代かもしれません。とりあえず今年の年末の一年をふりかえる番組にどかんと紹介されるだろうし、将来の歴史の教科書にのることまちがいなしです。そう、明治維新の衝撃の何倍もの「令和維新」。刀を置いてちょんまげを切り落とし、和服からワンピースになる以上の超激変の最中です。

 それなのに変わらない、変われない人の存在が目に付きます。今までやっていたことがうまくいったので、その方法を継続しようとする気持ち、よくわからなくはないし、成功者ほど成功哲学があるということかもしれません。でもそれに執着してしまうと、この変化の時代に変化しそびれてしまい、いつしか気づけばとりのこされているなんてことも考えられそう。そんな危ない企業や組織もだんだん目につくようになってきました。日常の生活も同じ。夫婦や親子の関係も変わっていくのに変えられずにいることで破綻してしまい福祉課題を抱えている人も増えているように感じます。

 でも、それは経営者が悪い、人が悪い、と言いたいのではなく、変える恐怖を覚えた、変わる習慣がなかった、変えかたを忘れた、変えたが失敗してそこからリベンジが絶望的、など、変え慣れてないのかもしれません。変える必要がないから変えない。変えないことでなんとかなっているのです。言い換えると、そもそも危機が起きないと人は変わらないのです。これ以上悪化させたくないから変えようと思うわけですよね。だとしたら、危機感も悪化もない安定した現状が続いてきているということと思いませんか。便利で簡単でそして、手間のかからない方法や道具が増えて人はどんどん便利で効率的な生活に慣れていきます。変えることがネガテイブになってはいないか、なにがそうさせたのか。その理由は、便利になりすぎてその便利を手放してしまう恐怖にかられてしまったからなのではと思うのです。不便への嫌悪、不便の不幸感、不便や無駄の後退感が人の行動を止めているということ。そうだとしたらたしかに変わらないし変えたくないし、さらに、誰かに指示されて強制的に変えられたくもない。言い換えると、戦後の私たちは便利を求め続けて最高に便利になったのです。その時その時に危機的事件や事故、災害もあったものの、言い換えると、そこからの復興を成し遂げ、それによって多くの人々はひどく困ることがなくやってこれた。これは同時に、大きく変わることを強制されないできた安心な時代だったのでしょう。先人達のおかげです。


 でも今、変わるべきときがやってきた。どこから変えればよいだろう。所有する人ほど重たく、変えにくい。未だに変化の落ち着くタイミングを待ち続ける人がいれば、変わるための助走を始めた人もいます。今、変わるタイミングでありチャンスであり、自分なりの正解を出す機会と私は考えます。もし、変わりたい気がするけれど怖くて変われないというのなから「変えることは、便利を手放す代わりに、幸福を手に入れる」と考えるのはどうでしょう。そういえば、確かに便利にはなったけれど、私たちは幸福を手にしてきたのだろうか。実感するより先回りされて便利を目の前に提示されるとだれだって思考停止になりがちです。幸福感を味わえず自分らしさを確かめたくてさまよう人が増えているように思うのはなぜだろう。それが人生最高においしいパンを食べる体験をしたいがために並ぶ、という今までにしたことない新しい行動をとった人がいれば最高です。

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