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まるのんの青春シリーズ(高校文化祭編)


 私の青春時代を思い返して綴った物語を久々にUPDATEしようと、こちらのnoteの記事に再掲したいと思います。しがないおじさん投資家の青春時代の話など、きっと誰も関心はないかと思います。主に投資家として断片的な「私」しか表現出来ていませんが、少しでも私という人間味を知って頂ければ嬉しいです(別にあんたという人間には興味ないよ、それより儲かる銘柄教えてと言われてしまいそうですが(笑))。

 自分自身の甘酸っぱい青春時代の思い出は、今も心のどこかに宿ります。そんな欠けがえのないひとときを、形に残しておきたいと書き下したものです。皆さまの心の中にあるそれぞれの青春は今も生き続けているかと思います。そのひとつひとつの記憶が、慌ただしく過ぎていく日々の中に温かさをもたらしてくれるきっかけになれば嬉しいです。

 私は文才はなく、むしろ文章を書くことは苦手です。ですから読みにくい部分が沢山あると思います。そして完全に自己満足のための回想記となりますが、お付き合い頂ける奇特な方が一人でもいらっしゃれば嬉しいです。


0. 前置

 むさくるしい男子高に進学した私にとって、女子高と聞くだけで幾重にも妄想は膨らみ、ただただ異性への欲求は大きなものに膨れ上がる。思春期真っ盛りの中、興味があることといえば、女の子だった。女の子と知り合い、彼女の存在が生活の明暗を分ける唯一のステータスといってもいいくらいに偏っていた。SNSはおろか、携帯電話すら珍しかった時代。相手との繋がりといえばポケベルだった。限られた文字を送るために公衆電話は行列となり、至る所で思い思いにしたためたメッセージが物凄いスピードで打ち込まれていく。繋がっている事の証を確かめるように皆が躍起になっていた。女の子との繋がりもまた、男子高生にとっては電話回線を通したたった20文字にも満たない数値の羅列でしか通じ合えないようなもどかしさがあった。日常を行き交う中で、手が届きそうなところに存在する女の子が、果てしなく遠い存在に感じるそのもどかしさが、しがない男子高生である私の憧憬の念を深め、思春期にある私の心を苦しめた。
 高校1年の夏が終わり、秋を感じさせる風が、絶望の中にある私の心を益々寂寞とさせた。

1. 序章

 垂れ下がった稲穂が連なる田んぼのあぜ道が、綺麗な夕陽に包まれてだいだい色に映る。そんな彩られたあぜ道を、仲睦まじく2台の自転車が私の行く手を阻むようにゆっくりとその先を走っている。あはは~という笑い声が風に乗り、後ろを走る私の心につき刺さる。2人の中に通う穏静で満たされた時の流れに羨望の眼差しを向け、そこで自分が感じる時の流れの現実とは、まるで次元の異なるもう一方の満たされた世界があることを目の当たりにすることで、煩悩は益々深まっていく。同じ時空にあっても、彼らの世界は夕陽に照らされた朱色のように温かくあるいは情熱的で、稲穂を支える緑のように爽やかで支えあい、交わされる戯笑は黄色く華やいでいる。全体が彩られ、踊っているのである。一方で自分の置かれたこの時空の世界は、まるでモノクロームの写真のように色が失われ、曇天のようにすっきりしない。この田んぼのあぜ道で同じ時間を切り取ったフレームとは想像できない程に対照的である。

 家路について何事もなかったかのように家族との食事を終えて自室に籠る。年頃の男子高生として、情欲に満ちていることは疑いもないのだが、
一方で行為による発散では解決しない、精神的な繋がりを欲している自分がそこにはあった。得られないものを、得ている者を目の当たりにする日々に、やりようのない感情の処理に困惑した。ただ、田んぼのあぜ道を自転車で風を切り、談笑するだけでよかった。手を取り肌を重ねたいという欲望はあまりにも刺激が強すぎた。言葉を交わし、笑いに満ちた時空を共有することにより、そこに少しの彩りさえあれば、私は満たされるし、それに飢えていた。静寂が深まる秋の夜長に、鈴虫の音が響き渡る。少しばかり開けた部屋の窓からはリーンリンリンと絶え間ない合唱と共に、初秋らしい涼しい空気に、スゥーッと頭が冷やされる。

 私は机の引き出しの奥底に一枚のメモを秘めていた。もう何度目だろうか、家族も寝静まった夜更けにそのメモをこっそりと机の上に出し、その折られた紙を広げて見つめるのは。それは名刺サイズに乱雑にちぎられた紙きれで、四つ折に小さく畳まれたものであった。罫線の入ったそのメモの紙にはかわいらしい丸字を帯びた文字が書かれている。男子高の中では見ないフォントである。

 そこには住所と名前が書かれていた。もちろん、携帯電話は普及してないのだから電話番号も書かれていないし、SNSなんて存在しないのだから、LINEのIDもない。もうその住所も暗記をしてしまった。それくらい何度もそのメモを見てはその扱いに悩んでいた。

 なつみさんの住所は電車でも1時間以上は離れた場所にあった。気軽に赴ける場所ではないし、いきなり足を運ぶほど度胸もないし、その行動が常識を逸した見境いがないものだという理解は出来ていた。

2.役割

 厳しい残暑が残る1ヶ月ほど前に高校の文化祭が開催された。文化祭は一般開放され、多くの来訪者があるイベントであり、1年に1度の男子校に華やかさがもたらされる恰好の出会いの場と化す。男子ばかりのこの校舎には黄色い声が満ち溢れ、あちらこちらで男女のグループが形成されていく。この浮き足立った異様な熱気に包まれるお祭りは、今後の青春生活を決めるといっても過言ではない選別の会なのである。だからこそ、ハイエナの狩りの如く、そこは弱肉強食の世界であった。

 なつみさんとの出会いもこの文化祭がきっかけだった。

 文化祭はクラスや部活毎に有志で様々な工夫を凝らした店を出して、要するにミニスカートにルーズソックスを纏った女子高生を勧誘し、彼女らと仲良くなることに精を出すのが共通的なアクティビティである。ターゲットもゴールもはっきりしているから、なすべきことも明確であった。ごつい男子高生がかわいらしいピンク色のチョコをあしらったお菓子を拵え、ビビットな色のテーブルクロスの上には可愛いらしい人形を配置したカフェを運営する。異様な光景であったが、彼らなりに女の子ウケを熟慮した結果の打算的行動であった。不器用ながらもみんなが一致団結してギラギラしていた。

 文化祭における私の役割は特殊なものだった。私はクラスや部活などの集団において、出店メンバーには名を連ねていなかった。全てが有志なのでそれもまた不思議なことでもなかったのだが、私は生徒会活動を司る役員だったため、実行委員の一員として、裏方でこの文化祭を支える立場であった。

 生徒会の活動は高校に入学した4月の直後から参画していた。裏方仕事として目立たず、しかし何かに埋没してみたいと進んでこの生徒会活動へ立候補をした。生徒会の活動というと優等生が率先して模範を示すようなイメージかもしれないが、むしろそれとは真逆であり、周囲からの扱いもそのようなものだった。優等生は勉強にスポーツにと文武両道の道を邁進していた。
その王道から外れるインドアな生徒会活動は間違いなくアウトローな道であった。

 そんな王道から外れた生徒会の活動であっても、ひとつ上の学年の先輩と共に精力を傾けていれば、自分には未知の知識が学びとなり拡がったし、それによって充足感を得る事もできた。優等生の歩む花形とかけ離れ、光が当たらない地味なことであっても、情熱を傾ければ、それなりに楽しいものだった。情熱を注げば無駄なことなんてないとはうまくいったものだ。そして客観的な見え方や見られ方に気を奪われるほど、ばからしいことはないとも思った。

 3年生は受験に集中するため、生徒会活動も引退するのが伝統であり、この活動の中心的な役割は2年生の先輩が中心を担っていた。1年生の私からみえる彼らの立ち振る舞いは歳の差以上に優秀にみえたし、自分にはない自立した姿に憧れた。1年の人生経験の差がここまで大きなものかと思ったし、自分に与えられた1年で自分の後輩にそんな姿を見せられるものかと不安にも感じた。

 文化祭の活動における企画から準備、また当日の運営までの全ての工程において大人が出てくることはなかった。年間の予算である100万円ほどの現金を予算として教師から渡され、その使途の意思決定から管理までの全てが生徒に任せられる。パンフレットの原稿作成や印刷業者との交渉、地域からの広告スポンサーを集め不足予算を充当することに奔走しなければならなかった。また、ゲートの建設のために必要となる木材や工具の調達、その他の構造物も含めた設計デザインや構築、あるいはステージにおける音響設備も必要となるため、出来るだけ卒業生を辿り融通してもらい、リース会社への発注コストを抑制しやりくりをした。後方事務も高校生にしては大金を扱うため、会計の帳簿管理まで見よう見まねでそれらしいことを実践した。まだパソコンも普及していない中で、全く洗練されていないUIのWindowsOSに悪戦苦闘し、なんとか書類を電子化した。

 自由が与えられることほど難しいことはなかった。自由である権利を得るということは、とてつもなく重い責任を全うすることである。このシンプルなスキームを目の当たりにして、自治を保つのである。高校1年生の私にとっては難しい概念だったが、それでも先輩達の自立した言動をみて、またその積み重ねの中で築かれてきた結果として、今があるのだと悟った。

 私は対外的な広報役として、渉外部門の仕事に就いていた。周囲の学校に赴いて、教師や他校の生徒会役員と面会をして、ポスターの掲示やパンフレットを配布して回る営業マンのようなものだ。当然のことながら女子高にも訪問する機会もあるわけだが、口下手な私であっても、大義名分があればまだ平然を保っていられた。そしてそれぞれの学校で同じような苦労をしながら、文化祭というイベントへ情熱を傾ける同志ということもあり、話も自然と盛り上がった。年頃の初対面の男女の間に生まれるぎこちない空気は、そんな共通的な境遇があったからこそ、凝り固まった氷が融氷するかのように通じ合えた。

 文化祭は近隣の学校では日程をずらして開催し、開催当日は、生徒会役員が相互に近くの学校間で開催の祝福に往来することが恒例であった。閉鎖的な環境に閉じこもるのではなく、何かと繋がっていたいという思春期特有の欲求がこの流儀を標準化させていた。この校外での出会いが多い点は、渉外担当としての役得だとみなされていた。

 先輩である、たかゆき先輩は、渉外担当のリーダである。人との繋がりを拡げる事への意欲やその行動力で右に出るものおらず、天職だった。人当たりもよく、初対面の人にも適度な距離をわきまえつつ、親近感を抱かせる話術には尊敬の念を抱くほどであった。まさに渉外の長としては適材適所でばっちりはまっていた。そして、その真逆の人間性を持ち合わていた私も、そのたかゆき先輩と共に、いくつかの学校へ開催の祝福と称した、人との輪つくりに帯同することになった。

 1年生で渉外として外部と接点を持っていたのは私だけだった。自分で積極的に望んだポジションではなかったが、女子高での出会いに飢えた周囲からは羨ましがられ、からかわれた。ただ、正直なところ憂鬱だった。役得どころの騒ぎではない。これは罰ゲームではないかとすら感じられた。自分というパーソナルな部分が、相手からどう思われるのか、まして、女の子からの視点となると劣等感の塊であった私にとっては、不安ばかりが頭を過ぎっては鬱々と心も体もシュリンクした。

 なすべき目的やゴールが明確であれば、明確な大義名分の元で、大きく言動を見誤ることはない。自校内のイベントの企画運営を進め、出版社や建設事務所との調整し、あるいはリース会社への調達を行う、このひとつひとつのビジネスライクな対応の方が粛々と進める事が出来る。

 レールがあってその先にゴールがあるからこそ走ることができる。こなすべきことが明確である事が安心だった。典型的な受動型人間であり、それがまた自分の劣等感のひとつの根源であった。

 文化祭開催の祝福という取って付けたような大義名分は、営業マンとしてパンフレットやポスター掲示の依頼という明確なゴールがある訪問と異なり、実に曖昧なものであった。そんな曖昧な中で、初対面の、まして相手が女の子ともなると、一体何を話して、どう立ち振る舞えばいいのか、訪れる前から不安でいっぱいだった。自分のキャラクターをどう置けばいいか、それをどう活かせばいいのか・・・。自分でコントロール出来もしないことで、ハードルを自ら上げていた。私は渉外担当としてはたかゆき先輩とは真逆である。対人関係構築において、不適合者だと改めて自認をすると共に、その役割から逃げたい衝動にかられていたのである。

 私は渉外担当といいつつ、全ての部門の仕事を把握していた。各部門の進捗状況はもとより、現状の課題や各部門の人間関係、またそれが今後の作業に与える影響までを見通すことが出来ていた。印刷業者との間ではコストダウンの交渉や、音響設備の配置や、食品を扱う上での保健所への申請など、ひとつひとつの経験がノウハウとして身についていた。

 私の役割を果たすために、たかゆき先輩と行動を共にすることになる。

3.出会い

 私の学校の文化祭まであと1週間となった土曜日。渉外の長でありコミュニケーション能力に秀でたたかゆき先輩とそこはかとなく憂鬱な私とのアンバランスなペアは、電車に揺られていた。贈り物にと気の利いた祝意の花束を携えていることが、余計に異質さを高めていた。どこで用意してきたのか、たかゆき先輩は気の利いた暖色系で彩られた花束を私に託していた。私は丁寧にその花束を扱いながらも、周囲からの視線が気になり恥ずかしかった。

 初めて訪れるその女子高は電車で1時間以上を要する場所にあった。近隣の学校には事前に自校の宣伝のためのポスター掲示のお願いの名目で訪問をしていたが、ここまで遠方の学校にまでは訪問はしていなかった。つまり、前触れなき突然の訪問である。その道中、私は不安を吐露するようにどう振舞えばいいのか、たかゆき先輩に小手先の教えを請うた。しかし、特筆すべきソリューションもナレッジもなく、普通にしてたらいいという的を得ないアドバイスをもらった。

 普通であり続けられることがどれだけ難しいのか、玄人は凡人をこのように傷つけるのだとねたましく思った。

 景色も見慣れない小さな商店街を従える駅に降り立った。太陽も天頂に差し掛かり、益々気温も高かったが、それ以上に駅前は熱気に溢れていて賑やかだった。駅の前には誘導の女子高生が浮き足立った声をあげてその場を盛り上げていた。普段の生活圏では目にしない、純白のセーラー服にプリーツが仕込まれたスカートがヒラリと風に舞うと私の不安な気持ちにざわつきを与え、その見慣れない制服の新鮮さに硬直した。

 商店街を抜けて少しすると視界が広がってくる。その先に訪れる女子高の校舎がみえてくる。ごくりと唾を飲み込み、落とし所のない覚悟を決めた気になった。実際には全く覚悟なんて決まっていなかった。この期に及んで、やっぱり帰ろうかということにならないかと考えあぐねていた。

 目の前に清純な女の子が沢山いるのに、そんな発想になる自分は、男として大丈夫かと心配になるくらいだった。しかし、それ位、花束を従え、初めての女子高へ赴くことは計り知れない羞恥なものであったのだ。

 かわいらしく手作りで折られた花がアーチ上に連なっていて、構造物としては大きくないものの、愛情が込められており、女子高らしさに溢れていた。そしてリアルな花束を手に持ち、その造花のアーチをくぐることが、私の最初の試練だった。

 文化祭に訪れるしがない男子高生が、なぜか花束を持って入校していくのである。まるでお目当ての誰かに想いを告げにきたかのような様相だ。

 明らかなる周囲からの奇異な目と、そこで迎える多くの女子高生たちから
嘲笑が注がれているだろうことを想像するだけで、益々私の心は後退し、暑さとは違う汗で、ダサい半そでのチェックシャツが益々滲んだ。

 受付で自分の学校名と名前を手早く記すとパンフレットを手渡された。花束を抱えた私に少し怪訝そうな表情を必死に隠してその受付の女の子は必死の愛想笑いを返してくれた。その気遣いは嬉しいというより心苦しかった。その真っ当で親切な振る舞いは、私の後ろ向きな心を深くえぐった。私は、ただ、「ありがとう」というか弱い声を発するの精一杯だった。目を見て話をすることすら叶わなかった。自分の男としての小ささに改めて愕然とした。

 たかゆき先輩は私の隣で同じように受付を済ませ、その横で初対面であるはずのその女の子らと早速親しげに話していた。私は自分の受付を済ますと、そのたかゆき先輩の輪に入るわけでもなく、外れるわけもなく、なんとも中途半端な距離の下に身を置き、自分の存在感を出来るだけ消すことに懸命だった。

 たかゆき先輩は決して女子受けするような爽やかな外見でもなく、男から見ても特段モテる要素があるようには思えなかったが、そのコミュニケーションの取り方の上手さから、すぐに輪を形成することができる。

 そのやり取りに耳を傾けていると、どうも目に付いた疑問や印象を矢継ぎ早に問いかけたり、褒めたりしているようだった。何か、こう思われようとか、無難にその場を取り繕おう、あわよくば少しでもよく思われようという打算的なプロセスが、たかゆき先輩には決定的に欠けているようにみえた。
ありのままの自然体でいられる強靭さこそが、その強みの原点なのだろうと思った。同時に、煩悩の塊の自分にはたやすくそれが極められない境地なのだと自分のややこしい性格に嫌悪した。

 我々は電車で1時間あまりをかけて赴いており、彼女らからしても少々異質だったようだ。生徒会の役員としてここへ赴いた旨を話すと、こんな遠いところまでご苦労様ですというようなやさしい言葉をかけられ、同時に抱えている花束もその贈り物として正当化された。周囲からの無言の奇異な視線というプレッシャーが、正当化されたことが嬉しかった。

 自分がどう思われているかという主観的な価値観が、私を支配していることは間違いなかった。そのライフスタイルからの脱却は真の豊かさと自らの創造性を伸ばすためには避けられない克服すべき課題であった。

 生徒会役員とはいえ、これだけの距離がある学校の文化祭へ足を運ぶことは珍しかった。これもたかゆき先輩の広く交流を持とうとする行動力がなければこの訪問もなかったわけである。しかし、ただ漫然と訪問する学校を選定しているわけではないだろうから、何かしら、この学校の文化祭へ期待を抱いていることは間違いなかった。今の私にはそれは全く見当のつかないことであった。

 生徒会の役員が詰めている、運営事務室へ案内をされる道中も、なぜこんな遠くから来てくれたのかと、きらきらして目で案内係りの女の子が問いかけてくれた。私はまだ余裕もなくその女の子のことも直視できなかったが、
たかゆき先輩とその子の会話が弾む光景を横目にしながらその歩みに付いていく。不思議だったが、少しだけ肩の力が抜けた気がした。遠い道中、足を運んでみてよかったかもと少しポジティブになれた。

 何事も始まってしまえば少しリラックスできるものだ。いや、リラックスできるというより、覚悟が生まれる、もうやるしかないという状況になるものだ。そもそも、そんな仰々しい状況であるはずもないのだが、自分で自分を大袈裟な事態へと置いていたわけである。

 各教室は、団体が思い思いに華やかにデコレーションをしており、そこでは楽しくなるようなアトラクションやメルヘンチックなカフェが運営されている。一方で実行委員が詰める運営事務室の教室は、極めて質素で実用的なレイアウトだった。

 タイムチャートが大きく張り出されたホワイトボードを前に、打ち合わせ用の机が並べられ、備品類や演出に使うだろう小道具類も使う時間帯、場所毎に綺麗に整理されていた。

 私たち一向はその部屋の中に通された。

 ホワイトボードの前で、機敏な動作で陣頭指揮にあたっていた1人の女子生徒がくるりとこちらに向き直って笑みを投げかけてくれた。

 背は低く、肩にかからないショートヘアは黒髪で飾り気はなく、すべすべしたほっぺの丸顔が印象的である。実行委員が纏うお揃いのオレンジ色のTシャツの袖は肩まで巻き上げられ、その肩から華奢に伸びる二の腕は白く透き通っていた。膝丈上の下品でない清楚さを演出したスカートから伸びる脚も綺麗だった。

 容姿もさることながら、リーダーシップを取ることへの充足感からくるオーラーなのか、はつらつとした有様が凛としていて綺麗に映った。Tシャツの色のように暖色系が余計に優しさと活動的な面を増長していた。並べられた机の上に白い布を被せた、簡易的なテーブルへと案内をされ、そこで私はかたぐるしく自己紹介をした。といっても何を話したらいいかわからず、
自分の学校名と名前を名乗るのがやっとだった。これが最初のなつみさんとの出会いであり、なつみさんと交わした最初のやり取りとなった。

 緊張でがちがちになっている私は直立不動でなつみさんの反応をどきどきしながら待った。

 「ふふふ~」

 そんな私を撫で笑った。あまりの私のカチコチの緊張ぶりに笑ってしまったのだろうか。いや、笑うしかなかったのだろう。なつみさんは続けた。

 「まぁまぁ、遠いところをわざわざ来てくれて嬉しいです。」

 より満面の笑みで迎え入れてくれる。

 「私は、実行委員長のなつみです。よろしくね。」

 声のトーンも決して高くなくいわゆる飾り気のあるものではなかった。
自然なトーンでハキハキとした話し言葉は明瞭で堂々としていた。

 「あ、はい。どうぞ、よ、ろ、しく、おねがい、しますっ。」

 ぎこちなく言葉を返すのがやっとだった。ほんわかとやさしい雰囲気と、漲る活気のオーラーが眩しかった。実行委員長ということは2年生であり、私からみて先輩になるわけだった。対照的な立ち振る舞いによって、一層、お姉さんにみえた。1年の年月の差ではこのコミュニケーションスキルの差は説明できない。先天的な問題が自分には付きまとっているのだと理解するしかなかった。

 たかゆき先輩は既に椅子に腰掛けて、そんなぎこちない私となつみさんのやり取りを横目で見て失笑していた。そして、すっかり頭が真っ白になっている私は、抱えている花束の扱いすらどうしてよいのかわからず、自分がその花束を持っていることすら忘れて棒のように突っ立っていた。

 たかゆき先輩から突っつかれて、はっ、と、自分が花束を渡せねばならない状況へ意識が戻る。なつみさんを前にして花束を持っている自分の存在そのものがまた急に恥ずかしくなって、たじろいだ。そんな病的で要領を得ない私を見かねて、なつみさんが助け舟を出してくれた。

 「その花束をくれるのかな。とても綺麗な花ですね。」

 私は、盛況な文化祭のお祝いにと、ようやくその花束をなつみさんに差し向けた。

 「気を遣ってもらってありがとう。みんなが喜ぶと思います。」

なつみさんがまるで天使のように思えた。どこかへ飛んでいってしまうのではないかと思う程に私は舞い上がった。女の子をエスコートするのが男としての当然の所作と知りながらも、実際には私が全てにおいてフォローされ、その優しさにただ感謝をするしかなかった。理想と現実はまるで逆で、思い描くように立ち振る舞えないものである。

 「オレンジはこの学校のイメージカラーですからね~」

 と横からたかゆき先輩が余裕の表情で口を挟む。

 「いや~憎いですね。そんな風に女の子をいつもたぶらかせているんでじゃないですか~ふふふ~。」

 となつみさんとたかゆき先輩は早速冗談を言い合っている。

 たかゆき先輩はこの学校のイメージカラーがオレンジであることから、オレンジ色のガーベラをメインにした花束をこしらえていた。暖色系の花束には理由があったのだ。

 オレンジ色のTシャツにその花束は同化するようでもあったが、一層燃え上がるようでありながら、かわいい凛としたガーベラの花は、間違いなく、この場にぴったりだった。こういう気遣いは大切なのかもしれない。些細な気遣いではあるが、こういうところで気が利くのはかっこいいなと思った。

 紙コップに注がれたりんごジュースがおいしかった。喉はカラカラだったが、がぶ飲みするのも場にそぐわない気がして、遠慮した。上品にそれをちびちびと喉に通していった。スナック菓子もあったがそこには手は伸びなかった。うまい棒をかじる余裕は、その時、私にはなかった。

 「こんな遠くまで来てくれたのは嬉しいのだけど。またどうして来てくれたんですか~」

 至極もっともな質問だった。電車で1時間以上も離れていることもあり、
確かにちょっと奇異に感じたのだろう。なつみさんはキョトンとした顔で問いかけた。

 「やっぱり女子高だし、お互い仲良くしたいと思ったし、繋がりが出来れば何か一緒に出来ることがあるかもしれないと思って。」

 たかゆき先輩は、うまい棒をバリバリ口に運びながらあっけらかんと答えた。女子高の皆さんと仲良くしたい、なんていかにも下心丸出しで、私にはそう思っていたとしても、到底口には出来ないことだった。初対面でいきなり繋がりを持ちたいなどという直接的な表現も大丈夫なのかとこちらがドキドキした。

 「そうですか~それは嬉しいですね。お互い男女別学だと出会いとかもないですもんね。実行委員としては力仕事とか頼りたい時もあるので、そういう繋がりがあるととても助かります。お互い進学校ですし色々な部分で切磋琢磨できる部分も多いと思いますしね。」

 なつみさんも率直に応対した。

 そんなフランクであけっぴろげでいいんだと拍子抜けした。自分だってどこかで出会いたいとか、一緒に色々なことを共有できれば実行委員の仕事もより張り合いが出てくるものだ、とどこかでわかっていたし、それを求めていた。でもそんなことを正面に出すことは恥ずかしいし、いじきたないと感じていた。自分の自然な感情を押し殺し、表面的には繕わねば恰好がつかないと考えていた。

 たかゆき先輩のアドバイス通り、普通でいいんだよ、ということが改めて頭を過ぎり、とはいえ、それは難しいことだよと、余裕の振る舞いでくつろぐたかゆき先輩へ心の中で訴えた。

 今年の文化祭のテーマやそれを踏まえてどんなイベントを企画したのかとか、どんな苦労があったとか他愛もない情報交換が続く。その情報交換では私も現場で仕事を沢山していたことから、口を挟めることも多かった。

食品を扱い上での保健所の対応の話になった時も、保健所は地域毎に異なるため、我々とは異なる所轄であったが、書類上、どのように書くといいかなど、私も知見があったため、自分の存在を出来るだけ薄めながら、途中で何度か口を挟んだ。なつみさんは緊張している私に終始和やかに接してくれた。
私が緊張の中でも言葉を口にするとニコニコして話を聞いてくれた。
そんな優しが、時間の経過と共に、私の心へ落ち着き与えてくれた。

 「それでは、私はこれからステージで次のイベントの準備があるので、一旦、失礼しますね~。ゆっくりしていってくださいね。」

 私がなんとか平常心を徐々に取り戻した頃、なつみさんはその場から離れていった。この場の空気がすっと薄まったような気がした。

 いつもそうだ。慣れてくると事態は次の展開へ移るのだ。練習をしてようやく勘所がわかってきたと思えば、なすべきことのハードルはまた上がって違うことへのチャレンジを求められる。この繰り返しで色々な事が成せるようになってきたし、今の進学校への受験に成功したのも、あるいは今ここにあるのも多くの試行錯誤の連続があってのことだ。とはいえ、今回ばかりはもう少しなつみさんと共にする時間が過ごしたかった。もちろん、それは叶わぬことというのもわかっていたのだが。

 我々も校内を1周見て回ろうということで席を立った、なつみさんの指示を受けて花束を花瓶にしつらえていた1年生がそのお花のお礼と共に送り出してくれた。

 各教室のデコレーションは入室を躊躇してしまうほどメルヘンチックだった。衣装にも凝っていて、視線の置き所に迷う程、かわいらしい装いで接客していた。先客の男子高生が恥ずかしそうにその中でお茶を飲んでいる。
その隣ではキャキャ言いながら輪投げをしていた。こんな女の子に囲まれながら、茶を啜り、輪投げをする心境を想像しただけで、私は震えを覚えた。いや、正直にいうと羨ましいと思ったのかもしれない。でも、絶対にその空間に自分は立ち入ってはいけないことは誰より自分が理解していた。

 イベントの行われる屋外のステージは机を敷き詰めた簡易的なものであった。女子高の文化祭なのでステージ上で暴れることもないことから、この程度のステージがあれば十分だということなのだろう。

 これからミスコンが始まるようだ。目をギラギラさせた男子高校生で埋め尽くされた観客席の群れが壇上に熱い眼差しを向け、その時を待ちわびていた。私たちはステージの裏側を見渡せる人気が少ない方へ回った。どのようにオペレーションをしているか距離を置いて様子をみることにした。出場者やスタッフがステージ裏の袖際で目まぐるしくひしめきあっていた。そんな中、とりわけ目を引いたのはなつみさんだった。一人一人の出場者に対して楽しんで、といわんばかりに肩を叩きながら声をかけ、司会役らしき女の子には台本にペンを走らせて最後の確認をしている。ステージを囲む案内役には会場に危険が及ばぬよう、スタッフの配置の指揮を臨機応変にてきぱきと出している。そのひとつひとつの動作に目を奪われた。リーダーとしての周囲への働きかけはもちろん学びになったし、華奢な体が跳ねるように動き回る様に惚れ惚れした。こんなにも一生懸命に情熱を注ぎ、これまでの準備の集大成を仕上げる場に部外者とはいえ、自分があることに興奮を覚えた。

 ミスコンのステージが始まると音響や演出も小さな失敗はあったようだったが、会場はとにかく盛り上がった。校内随一の美人さんがステージの上で輝いていた。会場が盛り上がりクライマックスに達すると、なつみさんは少しの安堵の表情を浮かべたのちに、周囲にいるスタッフに声をかけ、次の会場に移るため、なつみさんはその場を離れた。

 その立ち去る時に、我々を目に留めたなつみさんは、拳から親指を立てて小さなガッツポーズをしてニコッと表情が柔らかくなった。その様子がかっこよく、またいじらしくかわいかった。ステージ上で煌びやかに舞う校内随一のどの女の子よりも、私には輝いてみえた。

 気が付くと夕方も近くなり、暑さも幾分和らいできた。至る所で男女のグループが出来て、この後の過ごし方について相談をしているようだった。といっても夜行祭のイベントが残っているため、校外に出て遊びにいってしまう者はいなかった。

 夜行祭はキャンプファイヤーの火を灯し、そこでダンスを踊ったり、バンドが演奏するなどして、この祭りを締めくくるプログラムがパンフレットに記載されていた。少し早く会場となる広い校庭にいくと、幾人かの男子高生がせっせとキャンプファイヤーの枠組みの準備をしたり、大型の音響設備を整えていた。

 近くの男子高の生徒だったようだ。このように近場の学校の生徒同士が準備や運営、イベントなどで、相互に協力をし合うのは普通のことだったのだが、その光景を改めて目の当たりにするといいものだな、と感じた。

 なつみさんがここでも男子高生に対しててきぱきと指示をしていた。彼らとは既に交流があるのだろう。冗談を言い合いながら和気藹々と進める作業は決して効率がいいものではなく、何度もやり直しをしながら、しかし少しずつ構想していた通りの形態へと準備は進んだ。

 力仕事にも目処がついたのだろう。運営事務室へ一度戻ったなつみさんは、アクエリアスのビックボトルを両手に抱えて戻ってきた。彼らひとりひとりに感謝の言葉と共にその飲み物を配って回っていた。もらった男子高生たちもまんざらでもなく嬉しそうだった。なつみさんを囲みしばし談笑する彼らを夕陽が赤く照らし、夕陽に照らされたその光景は、その場にますます柔らかさを与えた。なつみさんの小さな影を、長く伸びた影が囲む光景に団結を見た気がした。他愛もない団結が青春を形作っているように感じたのだった。

 陽は落ち、辺りが闇に包まれつつある中で、メラメラと燃え上がる炎というのは、情熱的でありながら落ち着きをもたらす。風が吹くと炎が盛り上がり、なびき、また少しおとなしくなる。生きているかのように盛衰を繰り返す様は、単調だといえば単調であるが見ていて飽きることはなかった。この炎に誘われるように、それを囲んで男女のグループは思い思いの場所に陣取って、エンディングを見届ける場が整っていった。

 バンドやダンスのイベントも滞りなく終わり、ボルテージも最高潮に達したところで、実行委員長の最後の挨拶の時間となった。

 なつみさんがゆっくりとステージに上った。

 「みんな、ありがとぉぉ~う!」

 さながらアイドルのステージのようだ。

 いたるところから声があがる。

 「なつみぃぃ~」

 校内でも実行委員長は目立つのだろうし、人気者なのだろう。この祭りの陣頭指揮にあたった実行委員長を称える声だった。そして、その端々からの声はすぐにリズムを取ったコールとなった。

 「なつみ!なつみ!なつみ!」

 感極まったなつみさんは、堪えていた涙を溢れさせている。そしてようやく一呼吸を整えて、改まった口調で感謝の言葉を語り始めた。

 「ご来校して下さり、遅い時間まで残って下さった、保護者の方、他校の生徒さん、本当にありがとうございます。また、先生方はもちろん、この文化祭の準備や運営に関わってくれた皆さんにも改めて感謝を申し上げます。」

 会場からは拍手が起こる。なつみさんは唇をかみしめて、次の言葉を発しようとするが、なかなか出てこない。天を仰ぎ、そして大きく息を吸い込み深呼吸をして再び呼吸を整えると、声のトーンを少し落として語り掛けるように続けた。

 「私は愛嬌だけが取り柄で、みんなに担いでもらってこの重責を任されてきました。そんな中にあっても、温かく、厳しくいつも周りで支えてくれた仲間がありました。私にとってかけがえのないこの仲間と共に、今ここに文化祭を成功へ導くことが出来ました。沢山の悩みや失敗も、ひとつひとつ乗り越え、一人ではなしえないことをリーダーとしてやらせてもらったこの機会を、私は今後に活かして生きたいと思います。」

 再び、割れんばかりの拍手が巻き起こる。今度はコールは起こらない。拍手もすぐに鳴りやみ、会場は固唾を呑んで次の言葉を待った。キャンプファイヤーの炎は静かにメラメラとその場を演出している。木が燃え朽ちていく時のパチパチという音が、次の言葉を待つその場の静寂をむしろ深めていた。

 「この文化祭に向けて皆さんの中にも多くの絆が生まれたと思います。また貴重な出会いもあったことと思います。今、皆さんの間にはより強い輪が生まれたことと思います。その輪は今日の出会いで産声をあげたものもあるかもしれません。クラスメートや同じ部活の同志、実行委員スタッフ、あるいは今隣にいる男の子。みんなで盛り上がったこの文化祭は今、ここで終わります。次の世代に引き継がれます。でもここで得られた輪はより強く繋がれ、絆が深まることで、皆さんの青春をよりよく彩ってくれるものであると期待をしています。私も多くの青春を頂きました。そしてそれを育てていきます。」

 風が吹き、炎の勢いが増す。同時に火の粉が舞い上がり、一層パチパチと大きな音を立てる。なつみさんの目にはまだまだたっぷりの涙が溢れているようにみえたが、声のトーンは落としながらも落ち着いた口調でしっかりとした意志を感じさせる言葉だった。

 「みんな、あがって。」

 なつみさんがそういうと、実行委員の中心的な役割を果たした各部門の幹部や実行委員が壇上にあげられた。ひとりひとりが思い思いの表情で達成感に満ちていた。

 そして全員が声を揃えて感謝の言葉を発した。これがこの文化祭の終わりを告げる、号令となり、会場全体へ響き。そしてこの日一番の大きな拍手によって締めくくられた。蛍の光が大音量で流れてきた。なぜ蛍の光だったのかは謎であった。もう少し気の利いた選曲でもよかったのかもしれないが、それもご愛嬌だった。ここは一発花火でも打ち上げたい所だった。もちろん花火を打ち上げることのハードルの高さは消防法の兼ね合いもあり、なにより自分はよくわかっていた。それぞれに形成された男女のグループもそれぞれの心の中で充実感を共有しているかのようだった。思い思いのその出会いを育むために校外へ散っていった。

 ステージ上でこれまでの苦楽を共有した仲間同士が抱き合っている。そしてそれを労い、最後までリーダーであり続けたなつみさんは立派だった。私は圧倒されていた。自分があまりに小さく、キャパシティが狭い性格への嫌気すらを忘失するほど、この空気にただただ飲み込まれて感動を超えた羨ましさに支配された。

 そして彼女らのその輪に、新参者の私が入っていくのはあまりに躊躇われた。少し距離を置いたところから軽く会釈をして、身ぶりだけの挨拶を交わしてこの場を後にした。この眩しいくらいに輝いていたなつみさんに惹きこまれる感情を感じていた。本当は一言、労いの言葉を近くで交わしたかった。これが一目惚れというものなのだろうか。今の自分にはよくわからなかったが、私は宙に浮いたようにふわふわしており、この充実感の中でよくわからない感情の絨毯の上で浮かびあがっているようだった。

 一期一会。もう会う機会もないだろう。なにせ高校生にとって、それなりに長い距離であるし、普段は全く接点もない遠い学区同士であったのだから。そもそも、この訪問自体が半ば取ってつけたような口実に基づくものなのだ。

 たかゆき先輩は途中で買い物のため、帰りは別行動となった。とても良いものを見せてもらい、同時に心を惹きこまれた私は到底買い物など他の目的に即した行動は取れなかった。心の中が満たされているのだが穴が空いていて、その穴からとめどなく得たいのしれない感情が垂れ流れていた。

 電車の車窓に映る闇の中の田園風景に、時々灯りが移ろい過ぎ去る様子をボーっと眺め、今日という日を回想し、感慨に耽った。

4.再会

 週が明けても胸はざわついていた。と同時に自分の学校の文化祭も充実させたものにするのだと、改めて心に強く誓った。いつも以上に各部門の作業の状況を把握し、自ら率先して首を突っ込んだ。周りの先輩たちもどうしたのだと、私の変化の様子を怪訝そうに眺めていた。良い刺激を受けることで、相乗的に頑張る力が湧いてきた。それは空回りだったかもしれない。それでもひたむきに向き合うことが、なつみさんの言う絆を深めそれを実感できることに繋がるのだと解釈をした。だからこそ、私は自分の時間を存分に注いだ。注げば注ぐほどに、自分を彩る青春の色は深まり、広がり、趣き深いものになる。それは結果ではなくプロセスが大事ということであり、大人になればなるほど、結果主義になりがちである中で、この時期だからこそ謳歌することができる贅沢な日々でもあったのだ。私は感化されやすく、単純な性格だったのである。

 私は仕事の合間に学校に届いた郵便物を受け取りにポストへ向った。生徒会役員や文化祭実行委員会御中と書かれた封書や荷物が多数届く。どの学校も文化祭が近づくと、直接授受しきれない学校から、完成したパンフレットや招待状が大量に郵送されてくるのだ。この中で渉外担当として今後赴く学校とそうでない学校を咄嗟に独断で仕分け、届いた荷物を適切に整理せねばならなかった。

 今日も30通くらいの郵便物が届いていた。1通ずつ差出人の学校名を見ては、右へ左へとスピーディーに分けていく。そして、最後の1枚の差出人を見て、体にビリッと電流が流れる衝撃があった。

 差出人になつみさんの名前が書かれていた。

 その便箋は定型のものでパンフレットが入るような大きさではない。だいいち、なつみさんの学校の文化祭は既に終わったのだ。その定型の封書を手に取り、ドキドキの鼓動が大きくなっていくのが、自分でもはっきりとわかった。なぜこんなにドキドキするのだろうか。

 とりあえず、その封書を一度ポケットへ忍ばせて、人目のつかないところにきた。やましいことなどないのだ。しかし、どういうわけか、人目につかないところへ来なければならなかった。そうしないとならないと本能がそう行動させたのだ。今ここで私がこの封書を開けるとどうなるだろうか。私は渉外担当も所掌しているのだから、誰の目からみても、この封書を開けることに違和感はないはずだ。当然の権利の下、正当化されるはずだということを改めて自問しそのロジックを確認した。同時に、こんなに心が乱れ平穏を装わねばならないということが、自分がこの封書1枚に狼狽していることを証明してもいたのだ。


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 こんにちは、なつみです。

 先日は、遠いところ私たちの文化祭に足を運んで下さりありがとうございます。また、綺麗なお花を頂き、一同、とても喜んでいました。

 私の学校の文化祭は毎年あのような感じで運営をしています。至らぬ点も多く、お恥ずかしいところをお見せしてしまったかもしれません。それでも精一杯楽しく皆さんと過ごさせてもらいました。

 私は実行委員長としては引退となりますが、後進の1年生は既に感動的な文化祭の熱気を抱いたまま、来年に向けて更に盛り上げようと新たな体制が組成されます。ぜひ来年のメンバーにも温かく応援をいただくと共に、
また今後よい関係が築いていけると嬉しく思います。

 普段全く接点のないところからはるばるお越し頂き、関心を持って頂いたことを嬉しく思います。貴校の文化祭もこれからと思いますが、お体に気をつけて、納得のいくお祭りになるようお祈りしています。

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 無地の白い紙に黒のインクのボールペンで書かれたその手紙は、丸みを帯びたフォントながら大きく明瞭にしたためられていた。

 社交辞令の範疇とわかっていながらも、興奮冷めやらぬ中、すぐにお礼状を投函してくれた気遣いに、私の興奮のゲージはすぐに振りきれて、うっとりした。

 私が運営事務室で初めて交わしたぎこちない挨拶をした時。ふふふ~と笑い、緊張している私に助け船を出してくれた心優しい女性。そしてあれだけの注目の中心にあって、大きなイベントを成功させた強いリーダシップを備えた女性。それがなつみさんであり、それはこの短い文面からも彷彿とさせるものがあった。

 後進の1年生のことを思い、引き継がれる世代へも配慮があった。私は同じ1年生であり、なつみさんとは違う学校であったものの、その気持ちに応えたいと奮起させる力があった。

 この短い便箋がここまで私の心を突き動かすだろうことを、なつみさんは想像していなかっただろう。所詮は単なるお礼状なのだから。

 ある人にとっては些細なことであっても、それを受け止める側の人はそれをとてつもなく違う印象で、あるいは重みで受け止めるものだ。人と人との間でのコミュニケーションはその間に漂う温度が同調していくと、交わされるやり取りに刺激さはなくなり安定さをもたらす。馴れ合いの度が過ぎればこの安定さが心地よいものであるが、私となつみさんとの間の温度は極めて違う。

 なつみさんは私に対して常温の水のごとく何の感情もないだろう。一方、私は1日にして人間的に惹かれ、女性としてもまた惹き込まれつつあり、それは沸騰寸前の熱湯のようなものだ。

 2つのビーカーに入った常温の水と、熱湯に近い水。これが相互に作用すると対流を起こす。この対流のごとく、私の心はぐるぐると巡った。

 その便箋の宛先はたかゆき先輩と私への連名宛になっていた。差出人は学校の封筒の最後に、「文化祭実行委員長 なつみ」と付記されていた。あくまで生徒会同士の仕事上のやり取りなのだと思った。

 必死に現実に戻ろうと、偽装の冷静さを自分に纏い、たかゆき先輩へその封書を手渡した。

 「こんなの届いてました~。気遣いが嬉しいですね。」

 私はあくまで平然を装い、自分も常温の水のように受け止めている体で、
努めて軽い感触でたかゆき先輩に伝えた。実際にはこの時も私の水はまだ沸点に近かった。

 たかゆき先輩はその便箋にさらりと目を通すと、少し神妙な面持ちになった。ほんの一瞬何か考えを巡らしているようだった。だが、すぐにその便箋を私に戻し、特に何も言わなかった。

 それから文化祭の本番までの2週間余りはめまぐるしく過ぎていった。入口に構えるゲートの建設がやや遅れ、残り1週間を過ぎた頃には、日が変わる深夜に渡り作業を続ける毎日となった。そして作業は力仕事だけではなかった。イベントのゲネプロにより、演出や進行上の課題も整理が必要だった。渉外担当としては、校外からゲストで招く女子高生へのケアや演出上の細かな注意点の伝達、それを網羅した台本の確定に向けてイベント班と綿密な企画会議を重ねた。

 前日になり概ね作業は終わっていたが、入口に構えるゲートの建設だけがまだ完成していなかった。とはいえ、あと一歩だった。連日疲労が溜まっている中で、実行委員長の采配で多くのメンバーが本番当日での英気を養うためにも、早めに帰宅を促していた。幹部と一部のメンバーのみが残り、最後の追い込みをすることになり、

 私はその残るメンバーにアサインされた。とても光栄なことだった。数日寝不足が続こうとも、気が張っているとなんとかなるものだ。私は必死にやった。必死にやることでそれが自分の糧になると信じていたし、それが青春だと青臭い使命感に燃えていた。この経験がいずれ、自分の宝になることを悟っていたから、何より自分のために頑張った。

 結局、朝までを要した。
 徹夜での作業となった。
 体は疲労困憊だったが、気持ちは晴れ晴れしていた。
 闇が明けるときの独特の空の色は、闇から深い青へ変わり、やがて白けてくる。そして太陽が照らす朱色のグラデーションが広がり、また新たな一日の始まりを告げる。

 完成したゲートの頂上にも朝の光りが差し込み、きらきらとしていた。いよいよ、私たちの文化祭が始まる。

 実行委員としてこなすべき様々なタスクの一覧と、書き込みばかりで、もはやボロボロになった詳細なタイムチャートの紙を、実行委員が羽織るハッピの内ポケットに忍ばせた。

 このハッピに袖を通し、分単位で校内を走り回っている自分は我ながら誇らしく使命感に燃えていた。寝不足ではあったが、漲るような活力が沸いていた。個々のトラブルに対しても、1年生の私であっても、その場で判断を下し処理をした。

 組織が真に機能するためには、それを動かすメンバーの個々の情熱が最も大事である。強烈なリーダシップや特に秀でた何かは必ずしも決定打にならない。凡人であっても、これまでのプロセスで注いだ情熱が満ちていれば、
本番で機能する。そんな自信を得ながら時間は刻々と過ぎていった。

 渉外担当として、合間の時間を使い、訪問してくれた他校の生徒からの来訪の対応もこなした。男女関わらず多くの他校の実行委員のメンバーが祝福に来てくれて、それが通念上の社交辞令と知りながらも嬉しいものだった。
自分が情熱を傾けてきた集大成であるこの場を、祝福してくれる同志がいると思うだけで胸も熱くなった。

 そんな中、容姿端麗なかわいい女子高生が訪問すると、なぜかタイミングよく、たかゆき先輩が現れて校内を案内して回った。役得を存分に満喫していたわけだが、私にとってもそれは好都合だった。私は、男としては奥手で、でも欲求だけは人一倍あり、しかし扱い方もわからない。そんな厄介な男に案内されるより、話術もあって雰囲気作りもできる、たかゆき先輩が案内した方がよいに決まっている。まさにWin-Winだったのだ。

 順調にタイムチャートは進んでいた。クライマックスの後夜祭の前に、一度コアなメンバーが最終のミーティングとして集められた。

 最後に大きな花火を打ち上げる。学校の校庭で花火職人に特注した花火を打ち上げるために、どれだけ消防署に通い、役所の手続きに翻弄させられたことか。火薬の量や安全対策などあらゆる手を尽くし、卒業生である市長にまで直訴をして強引ながらも理解を得た。とにかくなんとか今日の打ち上げにこぎつけたのである。学校の校庭には消防車が待機し、消防団員までも駆けつけた。

 私はこの花火の打ち上げの安全対策と最終的な打ち上げのGOを出す重役を担うこととなっていた。ステージ上の進行ではアドリブもあるだろう中で、そのタイミングの判断は難しいものだった。そこに私はアサインされたのだ。

 役割が人を育てるともいわれるが、その通りだと思った。重責はプレッシャーになるが、それはモチベーションとなし自信へと繋がる。すると更にチャレンジする気持ちが生まれる。このサイクルを良い形で循環させる場を醸成させることがリーダーシップの神髄なのだ。カーネギーのビジネス書を読んでもいまいちしっくりきていなかったことも、先輩のリーダシップをメンバーとして受け止めることで、実体験として自分の身になった。言葉の理解も悪くないが、凡人の私にとっては頭の理解だけではなく、体での理解を通して初めて腹に落ちた。

 後夜祭が始まると辺りは少しずつ暗くなり、そこに群がる人の密度も高くなる。私はその群れから距離を置いた場所で、自分の任を全うするためにステージを囲むその群れを眺めていた。

 会場の安全確保の兼ね合いから、規制線を超えた集団があれば、トランシーバーで警備の担当のメンバーへ連携し、規律を保つよう陣頭指揮を執った。常に会場の様子には目を見張り、注意を払っていた。

 見間違いかと思った。
 いや、見間違いなどありえなかった。
 私の視線はひとりの女子高生に釘付けになった。

 とにかく人が多く、会場も混とんとしていたこともあり、行き交うひとりひとりの個々の存在などほぼ識別が出来なかったのだが、私のその視線はまるで一本のレーザー光線かのように一筋にその女子高生へ照射されてから放さなかった。

 普段は見慣れない制服のそのセーラ服の胸のところへ、オレンジ色の校章を胸につけている。遠目から見て見えていたのかどうか定かでなかったが、それがなつみさんであることは絶対に見間違いではなかった。

 その距離は数十メートル位だったろうか。雑多な人の中に紛れ込んでいたこともあって、その距離は遠いように感じた。物理的には駆け寄って話しかけることは出来なくもない。それでもすぐに駆け寄り、声をかけることはできなかった。その勇気が私には足りなかった。

 動揺していた。
 我々が訪問してくれたから、お付き合いとしてこちらの文化祭にも足を運んでくれた。それは特段不思議なことでもなかったし、考えてみればなつみさんであれば当然のことのような気もした。いや、私はなつみさんの何を知っているのだろう。あのぎこちない1日を過ごしただけで自分にわかることなんて微塵もないはずである。しかし、ここになつみさんが存在していること自体は、すんなり受け入れられた。ただ、自分がその現実に対してどう振る舞えばいいのか、それがわからず心の中で右往左往していた。

 制服に身を包んだなつみさんは一層、かわいらしかった。白いセーラ服はなぜもこうも清純さを増してくれるのか。そんなサポートがなくとも十分に魅力的に映るなつみさんが、躍動的なオレンジ色のTシャツではなく、制服を纏う事は、私にとっては反則技を繰り出されたかのようなものだった。

 白い丸顔を満月の月明りが優しく照らしてきれいだった。なつみさん以外の部分が灰色と化しグレーアウトされ、なつみさんだけがそのスポットライトのように照らされ、視線の中にフォーカスされているように私の眼には映った。せめて、この後夜祭が終わったら一言だけでも挨拶をしたい。もう会うこともないと思っていたところでの再会である。勝手に自分をドラマティックに演出していた。気持ち悪いと思いながら、本能には逆らえなかった。ただ、このまま私の存在に気が付いてもらえないと、そのまま帰してしまうことになる。

 持ち場を離れる事も出来ない。いや離れることなんて出来たのかもしれない。私は中途半端な自分の優柔不断な覚悟を天命に任せた。アイコンタクトででもこちらに振り向いてもらえるよう、なつみさんへ送る視線のレーザー光線を最大出力にした。もはや睨んでいるという領域であったかもしれない。しかし、その焼き付けてしまいそうなくらいの熱量の視線も、周囲の混沌の中で容易に減衰させられ届くことはなかった。天命は私には微笑まなかった。そういうことなのだといったん自分をおさめた。

 後夜祭が始まり、タイムチャートに目を落としながら進行に集中した。浮かれている場合ではないし、答えのない苦悩をしている場合でもなかった。これからのひと時は私のひとつの区切りになる瞬間であったし、先輩たちにとっては有終の美を飾る集大成である。任せてくれた先輩の想いに応えたいと思っていたし、今はそれに集中すべきであることは当然わかっていたのだから。

 自分でいうのもなんだが、最高のタイミングで打ち上げのGOを出した。アドリブの演出がある中で、最高の終結への演出として、タイミングは遅すぎず、早すぎずで完璧のドンピシャだった。これだけの花火を打ち上げるのは極めて珍しかった。ざわついていた会場はその迫力に息をのみ、火薬が弾ける際の体を震わす衝撃音が静寂となった会場全体に数回響き渡った。

 これまでの努力の労いのようでもあり、今日の出会いの演出のようでもある。見る者にとってそれぞれ意味のある夜空に咲く花なのだ。

 私は打ち上げの指示を出した瞬間に、重責から解放され、即座になつみさんに視線を戻した。なつみさんはそこに打ち上がった花火を見上げている。花火そのものより、その明かりに照らされているなつみさんに関心が向いていた。そして打ち上げが終わると、その余韻をしばらく味わっていた。私はそんな一部始終を食い入るように視線を送りこちらに気が付いて欲しいと念力を送った。

 ロマンティックなドラマの中でよく見る光景が浮かんだ。夜景に思いを馳せるカップルで、女性が純粋にその夜景にうっとりしているの対し、男は夜景になんて実はさほど興味はなく、その女性のかわいらしい様子にこそ関心がある、というよくあるシーンの男の心情を正しく理解する事が出来た。

 集大成の花火、これだけの苦労をしてこぎつけた花火であったから、それは不謹慎のようにも思えた。しかし、花火を通して映る感動の形態は人それぞれなのだ。花火そのものに感動をする者もあれば、そのシーンに意味を見出す者もあるのだ。

 しばらくの余韻に浸った後、なつみさんはその視線を後方の私にまっすぐに向けてきた。急なことだったので驚きたじろいだ。そしてあの時みせた、拳で親指を立ててグーッという仕草を見せて微笑んでいた。そしてその拳を開き、胸元で小さな拍手をして、こちらに差し向けた。

 あれだけの熱視線を送っていても気が付いてもらえず落胆をしていた.。しかし、実はなつみさんは私の存在に気が付いていたのだ。私への彼女なりの最大限の気遣いだったのだとこの時に理解した。

 私の重責の事を知っていたかはともかく、進行の邪魔をしてはいけない、まして、不器用な私をまた驚かせ困惑させてはいけないとも思ったのかもしれない。いずれにせよ、私に全うしてほしいという思いがあったのだろう。
だから、なつみさんはあくまで一来校者の立場で群衆の中に埋没していたのだ。

 数十mの距離は私から埋めるべきだとわかってはいたが、一歩が出なかった。しかしここでへたるわけにはいかない。私は勇気をもって、私はなつみさんの元へ歩み寄った。

 なんで前もって事務所によってくれなかったのかと、野暮な事を聞いてはいけないとわかっていたし、来校してくれていたとは驚いたと、とってつけたような装いを演じるのもばかばかしいと思った。余計な言葉を挟むのも、わかりきっている社交辞令や前置きも控えたかった。

 「最後まで、みてくれて、そしてここにいてくれて、ありがとうございます。」

 今度は堂々と最初の一言を発した。これが余計な言葉を端折ったこの時の素直な言葉だった。それ以外の感情もなく、ただただ伝えたいことはシンプルだった。

 「こちらこそ、感動的なエンディングを堪能させてもらいましたよ。」

 どう続けていいかわからず、いきなり詰まった。
 少しの沈黙も怖かった。

 また、なつみさんから助け船が出てくる。

 「しかし、最後の花火のタイミングは完璧でしたね。緊張したことでしょう。」

 この優しさにまた救われた。

 「はい、緊張しました。何度も何度も頭の中でシミュレーションしたりしました。でも本番になると頭が真っ白になって、遠く離れた進行役と目に見えない連携が実り、なんとか偶然うまくはまりました。」

 謙遜ではなく、本当にそう思っていた。私の判断だけで成しえたわけではない気がしてならなかったのだ。

 「偶然ではないと思います。必然だったのだと思いますよ。いずれにせよ、大成功、おめでとうですね。そしてお疲れ様でした。」

 確かに偶然ではないかもしれなかった。たかがGOを出すというワンオペレーションではあったが、たかがGOを出すというワンオペレーションではあったが、綿密にシミュレーションを重ねて、信頼関係を築けたから、アドリブも含めた見極めが出来たし、それはやはり自分の偶然なるタイミングで成しえたわけではない実感もどこかに伴っていた。

 一つ一つの物事の結果は偶然の連続であるとみるか、実は必然なのだということで捉え方も変わってくる。

 仏教の教えでは、自分の在り方や過去のプロセスの善悪によって、その結果の良し悪しが決まるという教えがある。自分のこれまでの行いや在り方は善良であったと自認しており、だから良い結果が伴った。そう捉えるとなんだかしっくりくる。確かに偶然ではなく必然だったのだ。

 「はい、疲れました。でもめちゃくちゃ楽しかったです。」

 率直な言葉が自然と吐露してくる。寝不足の中で初めての文化祭の運営に奔走し、そして今緊張の糸が切れた。自分にとっては大きな区切りとなったし、素の自分として、疲れたという言葉が出てきた。

 普通でいられるとはこういうことなのかもしれない。たかゆき先輩が教えてくれたことである。

 自分をよく見せようとか、ネガティブに思われないようにしようという
打算的な考えが、この時は体力的にも及ばなくなっていたのかもしれない。感情の高ぶりがそのように自分自身を開放できるようになったのかもしれない。でもそれがよかった。自然と言葉が口に出てきた。なつみさんと言葉を交わすこと自体は、やはりドキドキしてはいたが、等身大の自分で接する事が出来た。ひとつの達成感がここまで人をも変えてしまうのかと思った。

 「ふふふ~」

 なつみさんは、そうでしょう、というような素振りで共感してくれた。
笑い方も一層かわいかった。この達成感は味わってみないとわからない、そう言いたそうであったが、それは今、私もその境地にあり、大いに賛同するものであった。

 既に時間は21時に迫っていた。ここからなつみさんが自宅まで帰宅することを考えると、電車で1時間以上はかかるであろう。いくら年上だとはいえ、女性である。もっとこの時間を共にしたいと思いつつも、帰路につくよう促す責任があるとわかっていた。

 いつもそうだ。

 もっと長く時間を共にしたいと思う時には、その時間は迫っている。早々に逃げ出したいと思う時には、その時間は延々と続く。追いかようとするとそれは逃げていく。逃げようと思うとそれはどこまでも追いかけてくる。どうして降りかかるあらゆる事象はこのように相反するのだろうか。ただ、この仕組みがあるからこそ、欲求を求めることで永く生きがいが示され、試練にさらされることで、人は育つということなのかもしれない。

 ここから最寄り駅までは歩くと30分はかかる。バスもあったが大変混雑していた。来客者も纏まって下校するためだ。

 歩くとしても住宅街を抜ける道も複雑だ。既にだいぶ遅い時間になっている。そんな不便が私に勇気を与えてくれた。花火のGOサインを出すより、よほど緊張したかもしれない。

 「駅までお送ります。バスは混むので、徒歩でいかがですか。」

 文化祭の帰りが私の送りでいいのかとは思った。もっとイケメンで弱肉強食に勝った強者の方がよいのかもしれない。ただ、ここで奥手になっている場合ではない。いや、別に何か手を出そうとしているわけではないので、そもそも奥手とかそういうことではなかった。

 「ありがとう。来るときは時間も昼下がりだったのでバスも空いてたのだけど、どうしようかと思っていたところだったよ。とても嬉しい。」

 まさか今日、なつみさんと再会し、そして2人で歩く事になるとは想像もしていなかった。そしてなつみさんの言葉も親しみからか徐々に敬語が削ぎ落されつつあった。

 私となつみさんはゆっくりと歩き始めた。

5.勇気

 女性を駅まで送っていくという言葉ですら、私にとっては勇気が必要だった。そして、今、なつみさんと共にいる。これを役得というべきなのかわからなかったが、女子高生とペアとなり、祭りの後の夜道を歩く自分は間違いなく高揚していた。そして、今、なつみさんと共にいる。これを役得というべきなのかわからなかったが、女子高生と2人ペアとなり、祭りの後の夜道を歩く自分は違いなく高揚していた。

 物事を成し遂げた達成感の上に、どういうわけか今こういう幸運に恵まれている。神様が与えてくれた賜物であり、私へのご加護だと思った。

 そう思うと、勇気が宿り、たどたどしいいつもの私は後退し、自然な会話がなつみさんとの間で交わされていった。

 学校を出るときに、最後は突貫で完成させたゲートをくぐる。このゲートは話題の宝庫であり、武勇伝がいくらでもあった。もちろん、ここで歩みを止めて、今朝方にようやく完成した経緯を話をした。その苦労も少し盛って話をした。悪気はなく、その方が話し甲斐もあった。真実を伝えることより、それだけの試行錯誤があったことを強調したかった。それはなつみさんなら理解して共有できるものだと信じて疑わなかった。

 案の定、なつみさんは興味津々で話を聞いてくれた。うんうんと相槌を打たれる度に、私は冗舌となった。細かな設計や工夫したことを次々に披露した。自分でも何をアピールしたいのかはっきりしなかった。そしてこれをなつみさんに話すことで、私はどうなりたいのかもまたわからなかった。しかし、話さずにはいられなかった。

 同じ運営をする側にいたからこそ、わかりあえることが多い。経験を共有していることは、人の距離を近づけるものだ。実際、今、なつみさんとの距離は近くなりつつあるという、そんな独りよがりな自惚れによって、自然と表情も凛々しくなった。やはり役得なのかもしれないと思った。

 たかゆき先輩がゲートの脇で他校の生徒と談笑していた。近くの高校から来訪してきてくれていた同じ2年生だろうと記憶していた。たかゆき先輩は、なつみさんと私に気が付くと、こちらに近づいてきて、私の耳元で一言だけささやいた。

 「繋がっておけよ。」

 私の鼓動は途端に大きくなった。

 今日が終わるとなつみさんとは本当に会う機会はなくなる。来年の文化祭では、なつみさんは既に実行委員を引退をしている。なつみさんの学校の文化祭に来年1年越しに改めて訪れ、多くの生徒の中からなつみさんを探し出すことは不可能ではなかったが、それは事実上の再会ではなく、一種のストーカーのようなものだ。能動的に繋がっておこうと、今思わなければ、短いなつみさんへの一目惚れという一方的な関係はここで終わる。たかゆき先輩のその一言で途端にそんな実感がこみ上げてきて、心が乱された。

 自宅の額縁にある一期一会の精神が頭を過る。この場での出会いの機会はもう二度と巡ってこないかもしれない。そういう覚悟で、この場の出会いを大切に、誠実に接するべきなのだ。ただ、出来ればそれぞれの出会いを大切に温め、関係が続くことの方がいいと思っていた。中学生の儚い恋も全てはまたどこかで線となって繋がっていて欲しいと思っている。それは希薄なものであってもいい、叶わぬ恋でもよい。関係が繋がることで、過去の思い出のページは、今の私に彩りと活力を与えてくれる。あるいは自分の拠り所を示してくれる可能性のあるものなのだ。

 なつみさんからもらったあの刺激、そして今この一緒にいる時の高揚感は、ただ者ではないことを素直に受け入れなければならなかった。そんな貴重な出会いの1ページをここで終わらせていいとはもちろん思っていない。

 こんなことはたかゆき先輩にいちいち言われなくても、当然のこととして把握していたし、自分が取るべき行動も理解はしていた。足りないのは私自身の一歩踏み込む勇気だった。

 たかゆき先輩はなぜわざわざ、そんな忠告を私に発したのか。それは単に初心(うぶ)な私への冷やかしだったのかもしれない。でもそんな、意地悪いことをするような先輩ではない。何か意味があってのことだろうと思った。しかし、やはりこの時にはわからなかった。そして、そんなに冷静な推察が出来るほど、私は心の余裕を持ち合わせていなかった。

 たかゆき先輩は私にささやいた後、なつみさんと言葉を交わした。

 「気を付けて帰ってくださいね。きちんと駅まで送らせますから。」

 なつみさんは相変わらずの笑顔を崩さずに返した。

 「ありがとうございます。素敵な文化祭を見せてもらって楽しかったです。遠かったですが、記憶に残る1日になりました。」

 たかゆき先輩は、駅まできちんと送っていけよという事に加えて、
ささやいたことをきちんと履行せよいう事を私に向けた視線に乗せて伝えた。そして、自分がいた輪に戻っていった。

 たかゆき先輩となつみさんのこのやり取りからすると、実はもっと早い時間に二人は話をしていたのだろうと思った。この前はありがとうという社交辞令もなかったし、なつみさんがここにいることを、たかゆき先輩はなんら不思議がる様子もなかった。

 たかゆき先輩は、敢えて私になつみさんを送らせているのかもしれないと思った。私がなつみさんの学校へ訪れた時の挙動不審な様子、そしてなつみさんからの手紙をもらった時の平然とした装いの裏にあった私自身の感情の変化をたかゆき先輩は察知していたのかもしれなかった。

 ただ、そんなことは今はどうでもよかった。私はなつみさんとこの後30分近くの時間、歩みを共にし、そして今後も繋がるための行動を取らねばならなかった。

 たかゆき先輩に言われたからではない。私自身の感情としてなつみさんと今後も繋がっていたいと思っていた。その自分の感情に正直に行動することは、当然のことであった。余計なお世話だと強がる自分もあったが、しかし、後ろから背中を押してくれたことも確かであり、それはありがたかった。とはいえ、ただ自分の気持ちに正直に行動し、自分の感情の赴くままでいることは、私にとっては大変難しい難題であった。

 なつみさんは長女で歳が離れた妹がいるそうだ。かわいい妹を面倒を見ている話を聞いていると、なるほど、年上だからというだけでなく、面倒見がいい素養が人一倍あるのだと至極納得した。なつみさんにとって不器用な私は一種の母性本能を擽り、ちょっとからかいたい対象なのかもしれない。私はそんなからかいであればずっとからかってもらいたいと思った。年上の女性にここまで惹かれるのは初めてのことだった。手の平の上で転がされるのなら、それに身を任せるのは全く悪い選択ではなかったし、どこまでも転がされたいと思った。

 文化祭のことはもちろん、身の上話などしていると30分はあまりにも短かった。やはり時の進みは自分の思い通りには進んでくれないと感じた。どこまでも続いて欲しい、そう思っているからこそ、すぐに終わりはくるのだ。

 往生際が悪いが、道が複雑であることをいいことに、わざと少し遠回りをした。なつみさんの夜道を案じて早く帰宅させねばならないという正義と、
自分の時の流れへの反逆の狭間において、ぎりぎりの姑息な選択だった。

 しかし、そんな小手先のインチキによる延命なんてたかが知れているのだ。駅舎が遠くに見えてくると、迫った別れの時が急に私へ実感として襲い掛かる。左から右へ直線のベクトルが伸び、そのベクトルに沿って時間が進み、私はそれに抗う事は出来ない。ベクトルが逆に向くことはない。私が出来ることはそのベクトルの線上で何かしらの意味のあるイベントを付加することだけだ。何も行動をしなければ、そのベクトルの線はただの平準な線となる。イベントのフラグをおいて、そのベクトルの線に豊かさを与えねばならないのだ。

 なつみさんは私との別れなどさほど意識していないのだろう。寂寞の念に襲われ自然と無口が多くなる私とは対照的に、なつみさんは相変わらず、陽気に冗舌だった。

 私は、自分の感情を悟られないよう、そんななつみさんの話に相槌をうち、しかしどこか焦点が定まらない応対をしていた。自分の感情を知られることは、何より恥ずかしかったから平然を装った。

駅舎につく。
改札へ延びるエスカレーターに乗る。

 女性が転落した時にも支えられるよう、女性を先に乗せるんだと、どこかの雑誌で読んだ知識を必死に実践した。なつみさんは体を90度回転させて、更に顔をこちらに向けて話を続けている。その横からのなつみさんの佇まいも、その斜め下の角度からのぞく表情もまた一層可愛かった。このエスカレーターがもっと果て無く伸びてくれればいいのにと思っても、それはすぐに平坦となり降りる事を強要する。自分の足で歩むよう求める。私は自分の勇気で行動に移さねばならないのだ。

 改札口の横にある切符の券売機で切符を買う。なつみさんの目的地の駅を聞き、一緒にその駅を表示版から探し、いくらの切符を求めればよいのかアドバイスする。この時間に目的地になるのだから自宅の最寄り駅だろう。それはなつみさんの高校の隣駅だった。その駅の地理に明るくなかったが、せめて駅からの夜道が安全であることを案じた。

 改札口の先の電光掲示板には次に来る電車の時間が案内されている。あと10分だ。ホームに降りる時間を考えると一緒にいられる時間は実際には10分もなかった。改札口の手前でなつみさんは止まり、こちらに向き直り、改めてお礼を口にした。

 「今日はいい勉強にもなったし、何より感動の連続だったし、楽しかったよ。」

 すっかり年下の私に敬語ではなくなっていた。

 「片付けとか忙しいのに、駅までこうやって送ってくれてうれしかった。」

 私はそんな直球の感謝の言葉に対してどう応えていいのかわからなかった。ただ、コクリと頷くしかなかった。そして、今後も繋がるために、なつみさんのプライベートな連絡先を聞き出さねばならなかったのだが、言い出せずにモジモジした。意識すればするほど、言葉が見当たらなかった。

 時間は迫っていた。
 しかし言葉が出てこなかった。
 勇気が湧いてこなかった。

 反対側の電車が到着し、改札口から客がなだれ出てきて、私となつみさんの奇妙な様子を横目で流し見しては少し怪訝そうに過ぎ去っていくのがわかった。私はこんな視線に負けてはならぬと思った。しかし、やはり言葉は出てこなかった。

 しばらくの間があった。それはとても短い合間だったはずだったが、
葛藤の下で長く感じられた。

 「じゃ、いくね。どうもありがとう。」

 なつみさんはゆっくりと自動改札に向き私に背中を見せた。
 手に取った切符を改札口に入れる。
 改札口の小さな扉が、なつみさんが入場するのを許容し開く。
 狭いゲートをなつみさんが通るとその向こうに投入した切符が出てくる。
 なつみさんはそれを手にとった。

 その当たり前のひとつひとつがゆっくりと段階的に私の認識の中にキャプチャリングされた。スローモーションのように、なつみさんが離れていく像が写る。大袈裟でなく、これが今生の別れのように感じる。本当にこのままでいいのか。

 数週間前の出会いのこと。
 そして今日の再会のこと。
 履歴は薄かったが、想いは重かった。
 やはり、このまま終わってはいけなかった。

 私は精一杯の勇気を絞った。

 「なつみさんっ!」

 声が改札口の辺り全体に響き渡った。
 自分でもなんでこんな大きな声を発したのかわからなかった。絞り出した勇気が、適切な声量までを狂わせた。まるで長年の想いを告白するかのような出で立ちだった。単に連絡先を聞くだけなのに。

 なつみさんは、改札口を通り過ぎて私の方へ振り向いた。その異様な私の声の大きさと形相に驚いた様子の表情で、続く私の言葉を待っていた。

 自分でも自分の表情の形相が想像できなかった。感情をうまく処理できず、今にも泣き出しそうな表情だったかもしれない。でも、そんな意気地がなく煩悩の塊にあるのが自分の自然な姿でもあった。そんな自分を露呈することは恥ずかしかったが、身の丈であることの勇気が必要であった。

 「なつみさんの、連絡先を教えてくださいっ!」

 はっきりと単刀直入に言った。
 というか他に言葉が見当たらなかった。相変わらず声が響き渡っていたので、そこを行き交う人がいよいよ何事だという野次馬の冷やかしの視線を向けた。電車の到着まで2分と迫っていた。しかも、今となってはもはや、私となつみさんの間には改札口で隔てられてしまっていた。

 なつみさんは私の適切な声量まで狂った押しつけがましい要望に対して、驚きの表情を崩して少し口元を緩めてにっこりとした。そして、機敏にカバンから小さなリングのメモ帳にささっとペンを走らせた。そしてその1枚をリングに沿って破った。

改札口という隔たりはたいした問題ではなかった。双方向から手を伸ばせば、メモの受け渡し位は容易だった。なつみさんはその破ったメモを私に向けて差し向け、私は改札口のぎりぎりに歩み寄り、それを手にした。

 「連絡を待っているね。」

 そういうと、なつみさんは、発車の迫った電車が滑り込むホームの階段に向けて駆けていった。

 私は、再び大きな声で発した。

 「ありがとうございます。きっと連絡しますね。」

 周りから見れば間違いなく茶番だった。
 しかし、私にとっては茶番などではなかった。これが奥手で初心(うぶ)な自分にとっては最大限の勇気をふり絞った行動の結果だった。

 勇気を出せば、事態は進展する。
 周囲の目などどうでもいいのだ。

 自分がどうあるべきかは自分が決める。不器用であっても、それが世間一般の処世術に比して未熟だったとしても、自分が自分であることの勇気を持つことは、代え難いことである。自分の感情をコントロールし、自分が納得する事態を引き寄せるためには自らで勇気を持たねばならないのだ。

 勇気を持ち、不器用ながらも行動した。私は心を躍らせていた。何度も心の中でガッツポーズを決め、自分を称えた。そのメモに書かれた名前と住所を何度も何度も見返して、そして大切に折ってポケットの奥底にしまった。

 学校に戻る間、私は1日を振り返り、その濃密な経験と共に物事を成し遂げられた達成感、そして、自分が自分のために勇気を持てたことに心を充足させた。

 学校に戻るとたかゆき先輩がニヤニヤと私の所へ来て、その成果を問いただした。私は自分の諸々の不手際の詳細には触れず、さも、さらりと入手したように装ったそのメモをちらつかせ、成功を伝えた。こういうところは変にプライドが高かった。

 たかゆき先輩にもどういうわけかお礼を言いたかった。なつみさんとの出会いはたかゆき先輩がいなければ叶わなかった。そして普通であることの大切さや、それを体現する勇気を教えられた気がした。だからこそ、私も一歩を踏み出せたし、振り返ってみるとそれはなつみさんのことだけでなく、この実行委員のメンバーとしてやってきた中での大切な教訓になった気がした。

6. 手紙

 鈴虫はいつ眠るのだろうか。窓の隙間から聞こえるその鳴き声にこの日もまた不思議に思った。生物の特性として夜行性なのだから、昼に寝て秋の夜長をリンリンと奏でている。私の生活リズムも鈴虫と近いものがあった。文化祭が終わり、虚無感の中で昼間は自分の意識が宙に浮いているような状態だった。そして夜になると空虚感がより増強して私を襲い、どこまでも感慨に耽るしかなかった。自転車で寄り添い走るあのカップルに感じたあの彩どりの世界は、私の置かれたモノクロームな時空の中では、やはり苦しみに近い形でみえていた。

 感慨に耽けている場合ではなかった。人の幸せに苦しみを覚えている場合ではなかった。私は、自分自身の課題として、このメモに書かれた住所にいよいよ向き合わねばならなかった。

 不思議な感覚だった。私はあの夜、勇気をふり絞り、このメモをなつみさんからもらった。心を躍らせた私は、すぐにでもこの連絡先にコンタクトをしたいと思った。しかし、その前のめりな欲求とは裏腹に、何をしたためたらいいかわからなかった。

 『きっと連絡をする』

 私はなつみさんに最後にこう伝えていた。でも何を、何の目的で、連絡をするのかは曖昧だったし、文化祭が終わった今、大義名分ももう存在しなかった。

 大義名分に頼らず、私は自分の率直な胸中をぶつける必要があった。とはいえ、自分の胸中の所在は不明瞭であり、そんな霧中にあり、自分がなつみさんに何をしたため、どのように連絡を取ればいいかわからないというのは情けないながらも今の実態であった。私はなつみさんのことが、女性として好きになったということなのか。それは文化祭の成功という青春の1ページの中にある憧憬の対象というだけのことなのか。はっきりと自分の感情はわからなかった。

 その知らせは、なつみさんがくれたように社交辞令の範疇のお礼状にもなりうるし、あるいは情熱的なラブレターにもなりえる。全ては私の真意に基づいた胸中のありどころ次第ということだった。

 『連絡を待っているね』

 なつみさんはあの夜、私にそう告げた。

 どんな連絡をするのが正解なのか、決して存在しない正解を求めてぐるぐると頭をこねくり回し、苦悩した。正解は自分次第の言動で決まっていくものであり、これから作っていくもので探すものではない。どこかに定義つけられているものではなく、自分がそこに意味を見出していくべきものなのでそれは運命の定めといってもよかった。

 なつみさんがどう思うかということばかりに気を巡らす。人の気持ちばかりが頭を過ってしまう、私の悪い癖がどうしても邪魔をする。それは相手への思いやりというより、結局は自分自身の保身なのだ。相手のことをおもんばかる体で自分が傷つかないようにしているだけなのだ。そのことをわかっていても、なお、私はなつみさんの立場ばかりを想像して自分が創っていくべき解を、どこかに拠り所を求め、益々ぐるぐると混乱の渦に飲み込まれた。

 あの日から、日が経てば経つほど、あの時の記憶はゆっくりと薄れ、感情も冷静になっていくのが世の常である。そうやって良きことも悪きことも、時の流れと共に薄れていくことは、前を向いて歩みを止められない私たちにとって実に合理的なのである。時は戻せず、過去の悲壮も楽観も全ては薄まる。それは未来へ向くための本能なのだ。

 しかし、今の私は実際にはその逆にあった。それは本能に逆らうものであったが、同時に自分の特殊な感情がそうさせた。日が経てば経つほど、考えれば考えるほど、想いは募った。ただそれを自分なりに表現することが出来ないだけだった。

 何度も書き直した。小恥ずかしい雑貨店で見つけたオレンジ色の便箋は、ごみ箱をいっぱいにした。それでもなお、納得いく想いは吐露できないで考えあぐねていた。

 論理を求めるからだめなのだ。自分が表現したい気持ちが理路整然としていないのに、ロジカルな手紙をしたためられるわけがなかった。読み手の事を考えず、その混沌とした気持ちを連ねた。

 頭にすっかり記憶されたなつみさんの住所は、今封書の表面に記載されている。その封書の中には、混沌とはしていたが、精一杯の私の感情を込めた言葉を連ねた便箋が厚手となって封入されている。私はほとんど眠れず迎えた朝に、ようやく書き上げ、その封書をバッグに忍ばせた。朝、通学途中のポストに投函しようと自転車を止める。しかし、投函するのに躊躇した。自分は精一杯の手紙をしたためたという自負はあった。ただ、もう一度冷静に考えたかった。再びバックの奥底にそれをしまい学校へ向かった。

 学校での私は浮ついていた。その封書を忍ばせ秘めていることが、なんとも自分の心をくすぐり、こそばゆい感じがした。それは決してラブレターではなかった。とはいえ、ビジネスライクな社交辞令を並べたものでもなかった。自分の感情をストレートにぶつけたもので、それは恋愛感情というより、同じ志をもつ人としての憧れであり、異性への関心であった。それを恋愛感情と捉えられる可能性もあったったが、自分の中では、まだ曖昧だった。だいいち、こんな短い接点で、「恋」だということを自認するのは、
軽率だし相手へ失礼だと思った。

 もっと相手の事を知り、心底、恋焦がれるというアプローチがあり、そこに相手への溢れんばかりの感情が伴うことが必須なのだと勝手に決め込んでいた。少なくても時間をかけて自分の感情と向き合い、真に相手に向き合うことが肝要なのだと信じてをしていた。

 なつみさんに手紙を出そうとしていることは誰にも内緒だった。正確にいえば、わざわざ周囲に話すきっかけなどなかった。クラスメートに話しても、文化祭でひっかけた女の子に手紙を書いたという単調な捉われ方になり、自分のこれはそんな軽いものではないと嫌気がさすことがわかっていた。

 こういう時、自分だけは特別なのだ。周囲からみれば些細なエピソードであっても、本人にとっては重大な局面ということは多々ある。それは他人は他人であり、他人の人生に対して何も責任もリターンもないのだから当たり前である。私は私の温度で人生を楽しむのだ。この熱き感情を抱きながら、
今後の私の青春の思い出にこのひとつひとつの出来事が生き続けてくれるのだ。自分の中にだけとどまるこの演出はかけがえのないストーリーなのだ。

 その奇妙な手紙を投函をしてからの日々は悶々とした。SNSというものもないわけなので、送ったメッセージがどう受け止められているか即座にわからないし、それを軌道修正する術もないのだ。ただ、届くか届かないかもわからない返信の封書を待つしかなかった。

 このアナログのもどかしさは日々募り、私の心に漫然とした大きな不安への影を落とし、しかし一方で一寸の希望も抱いていた。そしてこの秘めたる状況を誰にも相談できず、しかし家族にもクラスメートにも平然を装わなければならなかった。

 授業のテストで物語の主人公の心情を問われても、それに答える余裕はなかった。むしろ、架空の物語のいきさつなんかより、リアルな今の私の複雑な心情を紐解きたかった。難解な論理の証明を求められる数学の問題に対しても、論理が通用しない世界の方がよほど今の私には大切だった。心情を読み取り、論理が証明されても、それでは説明できない、思春期特有の不安定な心情とどう向き合い、日々を豊かにしていくのかの方が、自分の課題として大きなものであった。

 放課後になると、生徒会役員の執務室に向かう。文化祭自体は終わったのだが、今年の会計などの事務処理を締めるのはもちろん、レンタル品の返却の手続きや関係各所へのお礼回りなどが、残タスクとして嫌気を感じるほどに積み上げられていた。これらのタスクを早々に片付けて、来年の文化祭の準備に取り掛かるのだ。次は私たちが主役として実行委員を率いていくのだ。先輩の教えを踏襲しつつ、自分たちの色を出していきたいと創造意欲は膨らんだ。

 私もその一員として構想していることもあった。とりわけ渉外担当を経験してきたこともあり、外への繋がりや広がりを見出していきたいと思った。この構想が大きな流れとなり、県下を賑わす程の経験を積めることになるとは、今は予想だにしていなかった。

 とはいえ、今は私にとってはこの執務室は居心地がいいものではなかった。私の心は文化祭から派生する存在でもある、なつみさんからの返信に寄せられていたのだから。

 帰宅をして、今日も封書が届いていないのかとがっかりする日々がもう何日も続いた。確かに返信しづらい内容だったかもしれない。

 文化祭の企画運営へ情熱を燃やす者同志としての共感は、今更どう返していいか迷わせたかもしれない。また、リーダとしてのなつみさんの存在が眩しく凛々しいさまに惚れたというのも、ニュアンスを重く受け止められると困惑させたかもしれない。そもそも私自身もこれが恋愛対象としての感情なのかどうかすらよくわからないで書いていて、そんな率直な思いまでをも表明していたから、そんなあけっぴろげな内容に驚愕をしているかもしれない。来年の文化祭ではお互いにより密接に色々な企画を通して、繋がりをもっていきたいという本心も、単なる下心に捉われたかもしれない。

 とにかく思い返せば、書いた内容のひとつひとつに後悔の念が募った。いくら年上とはいえ、そういう曖昧な姿勢の中で、相手に受け止め方法を押し付けるやり方は失礼だったと猛省した。お姉さんというところに甘えてしまい、私は慚愧に耐えなかった。

 1週間余りが過ぎた。もしかたら受け流されたかもしれないという受け入れ難い覚悟が大きくなってくる。認めたくない現実に目を向けなければならないのかと、私の心は溺れ弱っていた。しかし、それでも、なつみさんのことだから、きっと何かを返してくれるという期待は捨てずにいた。そして、その小さくなりつつあった期待は、現実のこととなった。

 私の机の上には、あの丸字を帯びた、しかし明瞭な字で、私の名前が書かれた封書が置かれている。確かめる必要性ももはやなかったが、それを裏返し、なつみさんの名前を認め、自分の部屋の中で、まずは安堵した。自分の一方的で雑な感情の数々に対して、内容はともかく返信をくれたことがただ嬉しかった。

 ただ、当然のことながら、その直後に急激な恐怖が襲ってくる。私が乱暴に投げかけた独りよがりなメッセージに対して、どう答えてくれるのか想像が出来なかった。もしかしたら、ただ困惑している様子で書かれていたら、
私は耐えられないだろうと自分を案じた。

 一度不安に陥ると、なかなか復調できないものだ。どう転ぶかの明暗の2拓において右か左かがわからない時に、普段は信仰していない神を召喚して、天命の恩情を請う。実に身勝手だが、藁をもつかむ時には、手あたり次第祈るしかない。無宗教の私はあらゆる神を心に抱き、祈った。そしてその行為自体が益々不安を冗長させ、墓穴を掘るのだ。

 いつものように平然と家族と食事を済ませ、風呂をすませ、そして家族も寝静まる夜更けを待った。10月も終わりの頃になると夜は涼しさより寒さを感じるようになる。

 改めて封書を手に取る。
 以前に学校に送られてきた時の無地の封筒ではなかった。

 ピータラビットの挿絵が散りばめられた愛らしい雰囲気のものであった。
開封にあたっては、破らない様に最新の注意を払い、カッターでゆっくりと切っていった。それだけ私にとっては大切な手紙だった。

 中身もピーターラビットの挿絵の入った便箋が数枚2つに折られて封入されていた。なつみさんのあの跳ねるような躍動感ある姿を見ていたので、それが挿絵のようにうさぎのようでもあったが、しかしメルヘンな世界とは少し違った活発な女性だと感じていた。そのギャップがまた意外であり、私の知らない女の子として一面を見た気がして嬉しかった。

 私の胸の高鳴りは最高潮に達し、目をギュッと閉じたあと、その便箋を広げ、目を見開いてなつみさんのしたためた言葉を辿っていく。

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 こんにちは、なつみです。

 何から書いたらよいのかわからないくらい、たくさんの言葉をありがとう。

 正直にいうとね、とても不器用なのだな、と感じました(ごめんね、笑)。でも、ひとつひとつ一生懸命に色々な気持ちを伝えてくれて本当に嬉しく感じたよ。気持ちをこんなにも真っすぐに伝えるというのは、なかなか勇気が持てないと思うのだけど、でも不器用だからこそできることなのかなと思ったし、それはとても素晴らしい、『らしさ』なのかなと感じたよ。

 ひとつの出会いがこういった形で新しい繋がりを生んで、お互い自身のために切磋琢磨して、またお互いの文化祭の運営によりより価値が生まれることは改めて素敵なことだなって。だから私も遠い所、赴いて行って本当によかったな、と思うよ。それも唐突だったけど、私の学校に来てくれたからだよね。そんな不思議な縁がこうやって繋がりを引き寄せてくれた、たかゆきさんに感謝しないといけないね(笑)。

 そうやって私を褒めてくれるのも、憧れるなんて言ってもらうのも、男の子から正面きっていわれると照れてしまうけど、それでもやっぱり嬉しいね、ありがとう。でもね、私のことをきれいに見過ぎだと思うよ。あの日、来てくれた文化祭で見てもらった光景は、自分でも感極まって最後は泣いてしまった事も含めて、少し出来すぎなくらい美化されて見えたと思うんだ。でもね、その準備の間は、衝突も多くて何度もくじけ、逃げ出したいと思っていたんだ。そんな部分はみえないし、私も知られたくないのだけどね。私は弱い人間だし、だからこそ、いつも明るく振る舞って元気でいようとしてきたんだ。少し無理をしているところがあるというか。私も飾り気なく率直な思いをこうやって書いているよ。私に対して実直に感情をぶつけてくれたから、私もそうできるのかもしれない。

 私は文化祭の活動を引退して、これからは受験生になるんだ。私は文系だけど、まだ将来の夢みたいなものもないんだ。今は文化祭も終わり燃え尽きた感じだけど、これから自分のその後のために、また少しずつ頑張っていきたいと思っているよ。でもね、後輩が文化祭のイベントを通して、私が得られたような青春をぜひ経験してもらいたいと思っているから、そのサポートはしようと思っているよ。だから、もし、本当に何かを一緒に企画したいとか考えていることがあれば、新しい実行委員長とかも紹介するから、ぜひ盛り上げていって欲しいな。1人でも多くこういったイベントを通して自分の糧のようなものを見つけて、また次のことへ羽ばたいて行って欲しいと思うから。

 距離が遠いからなかなか会える機会は少ないけれど、また会えるといいなと思っているよ。今度は緊張しないでお話できると思うから、もしそんなときがくれば嬉しいな。

 だいぶ無理をしていたようだったし、まだ後片づけなどで忙しくしていると思うけど、体は大事に、元気にやっていってね。

追伸
 あの日、連絡先を聞いてくれて嬉しかったよ。
 もう連絡を取ることもないのかなと寂しく思っていたから。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 一気に読んだ。
 そして何度も読み返した。ピータラビットの便箋に穴が開くのではないかという程に、凝視をしてそこに書かれた言葉の裏の感情や、なつみさんの表情までを想像しながら繰り返した。

 神様はにっこりと微笑んでくれた。なつみさんは、私のことを受け止めてくれた。

 書かれた内容の真意なんてまずはどうでもよかった。高鳴る鼓動は脳内を熱くし、全身にドキドキが連鎖した。窓を開けて、秋の夜の冷気を胸に大きく吸い込んで思いっきり吐いた。外に輝く星空たちを通してあらゆる神に感謝を伝えた。

 狭い自分の部屋を意味もなくウロウロと回遊し、書かれていた文章のひとつひとつをかみしめた。不器用だと思ったという率直な気持ちを敢えて書くというのは、なつみさんらしいなと感じた。皮肉ではなく温かさだと思った。そしてそんなイケてない自分を肯定的に捉え、らしさとして受け入れてくれた。いまどきの女子高生にとっては、疎い男と敬遠されてもおかしくないと思っていたから、受け入れてくれただけで嬉しかった。

 なつみさんは自分自身を卑下して謙遜していた。決して憧憬のまなざしで見られるほど立派なものではないということだったが、逃げ出したいという状況にも逃げ出さずに最後にあのような形で締めくくれたことはやはり私には眩しかった。何より、なつみさん自身も自分の率直な気持ちをぶつけてくれたことがよかった。私に合わせているように書かれていたが、これも私への配慮なのだろう。やっぱり優しく、年上の女性だなと感じた。

 そして私は来年の文化祭に向けて、改めて外部と接点を活かした企画やイベントをしていこうと強く誓った。来年に向けて新たな実行委員長を紹介してもらい、なつみさんが作り上げた以上のよい文化祭を創り、また自分の中にそれを通して貴重な青春を刻むのだと意欲に火が付いた。

 なつみさんはまた会えることを期待してくれているようだった。だがこれは私もさすがにバカではないから社交辞令だろうと自分の舞い上がる感情を必死に抑えた。緊張しないでしょう、というのも確かに最初のぎこちなさから比べれば、格段の飛躍はしたかもしれないが、しかし最後の最後まで緊張していたことに変わりはない。

 改めてお互いが私服で休日に誘い合って会った時に、自然の会話を成立させられるかなんてこの時は想像すら出来なかった。

 追伸の最後の言葉は、とても嬉しかった。あの時、勇気を持てずにいたら、今この手紙もないし、この後に控える大構想も全部なかったことになるのだ。たかゆき先輩の一言がどこまで助けになったのか未知数だったが、
しかし感謝せずにはいられなかった。

7. 自覚

 私はいつだって表舞台より裏で動いてる方が好きだ。そもそも文化祭も実行委員という形で裏方の仕事に徹しようと思ったのもそんな理由からだ。文化祭の主役は、運営の顔である実行委員長であり、各サークルやクラスで出店をする団体であり、イベントの登壇者なのだ。

 私は劣等感の塊だったから、表舞台に立って人からの視線を集めることが苦手だった。気の利いたスピーチも出来ないし、群衆を盛り上げるテクニックも持ち合わせていなかった。友達とカラオケに行っても、私は勧められたマイクを使うことはなかったし、ひたすら、リモコン操作に徹し、その場に尽くす方が楽という変わり者なのだ。

 そんなわけで、私は次期の文化祭実行委員長は固辞した。周囲からは推されたし、説得もされた。確かに私は1年生の中ではとにかくあらゆることに精通していたし、各部門の作業にも没頭していたから、担いでくれることは不思議なことではなかった。私の個性としてこんな変わり者の一面がなければ、あるいはもっと私にリーダーシップが備わっていれば、快諾したかもしれない。しかし、裏方志望の実行委員長が、この大所帯を率いるに値するカリスマを発揮できるとは思えなかった。周囲からの推薦は本当に嬉しかったが、自分が責任と覚悟をもって引き受けられないことを、安易に受け入れてしまっては、誰も幸せにはならないと思った。

 何事も身分相応、身の丈というものがあるのだ。周囲にいくら担がれても、自分が妥協なくチャレンジしてみようと自発的な意思がなければ、それはいつか周囲への恨みへ変わる時が来てしまう。自分の無力を周囲に転嫁してしまうことこそ醜いことはない。そうならぬように、身の丈の判断に拘った。

 カリスマとは先定性の要素が強いのだ。もちろん実直な姿勢で実績を積み重ねることで、より高く築かれるものではあるが、しかしベースとなる部分のカリスマの発揮力は千差万別である。どういうわけかカリスマを持ち合わせる人というのは最初からどこかオーラがある。そこに佇む空気すらを変えてしまうくらいに存在感があるのだ。私には当然そんな素養は微塵も持ち合わせていなかった。

 私は曖昧な立場である副実行委員長へと着任した。なんでも副がつくものは曖昧だ。ただ、裏方にこそ自分の居場所があると信じていた私にとっては、この曖昧なポジションは最適だった。実行委員長というカリスマを影で支えるのだ。目立つのはいつも実行委員長。副実行委員長なんて、パンフレットのスタッフのところに小さく名前が載るだけだった。そしてそれがもっともしっくりきたのだ。曖昧な立場でも、人によってはそれを好感する。

 そして同時に私は、たかゆき先輩の後任として渉外担当の部門長との兼任となった。部門長といういかにも偉そうな役割は、自分には相当居心地の悪い肩書だった。しかし、渉外に関わることで、私は大きなチャレンジをしてみたいと、既にこのとき、漠然と思い描くものがあったのだ。自分が実行委員として主役世代になるときには、この道で何か成果を出してみたいと思っていた。なぜ、こんなにコミュニケーションに難があるのに、渉外という対外的な役割を担おうと思うに至ったかはよくわからなかった。でも、たかゆき先輩の後任は自分なのだと暗示されているに近かった。周囲もそれを自然のこととして支持した。

 校庭のもみじの葉は紅く染まり、いちょうの黄色と相まって深秋の訪れを感じさせる。陽が当たれるとそこまで寒さを感じなかったが、空っ風が吹き荒れると、寒さに慣れない体には一層堪えた。木々の葉は日に日に散っていき、どこか寂しさが漂うこの季節は嫌いではなかった。寒さがあるから、温かみを感じられる。寂しさがあるから、賑やかさに楽しみを見出した。そんな寒さを包んでくれるような温もりに満たされ、賑やかさの中で彩られた日々を羨望した。

 街中には早々にクリスマスイルミネーションが張り巡らされ、夕刻近くになるとあちらこちらで瞬き、華やかに夜の町並みを飾っていた。そこにクリスマスソングが流れてくると、行き交うカップルや家族が一層、温かさに包まれているようにみえた。ターミナル駅の待ち合わせのシンボルの前には多くの人が溢れている。忙しなく待ち合わせの相棒を探し、巡り合っては楽しそうに街に消えていく。また新たな待ち人が来ては巡り合う。そんな繰り返しの光景の数だけ、人は人と繋がっている。元来、人は寂しがりやなのだから、こうやって人との交わりがあるからこそ満たされるのだろう。

 私は待ち合わせより30分も早い時間にそのシンボルの前に着いていた。普段からネルシャツにジーンズというダサい恰好ばかりだったこともあり、特にオシャレをする術もなかった。いつもより少し小奇麗なチノパンにジャケットを羽織るくらいしかやりようがなかった。それでも慣れない装いに緊張は益々膨大した。

 私はこの日、なつみさんと待ち合わせをしていた。
 あれから手紙で何度かやり取りしてこのような段取りになったのだ。

 『また会えればうれしい』

 その言葉を真に受けたことになる。

 次期文化祭の役割も決まったことでそれを報告したい気持ちもあったし、早速、渉外担当として自分の構想の青写真についても相談してみたかった。もちろん、それに加えて、なつみさんのことをもっと知りたい、一人の女性としての魅力に触れたいという決して不純ではない気持ちがあったことも事実である。

 もちろん緊張はしていた。
 イルミネーションと高揚した世間の華やかさの中で、さながらデートのようだと勝手に舞い上がった。とはいえ、手紙のやり取りを通して普通の会話は成り立つだろうくらいに落ち着きは取り戻していた。あの時のように緊張の沸点を超えて、奇特な行動には至らない自信はあった。手紙というのは一呼吸を置いて、伝える言葉を熟考できるから、自分というものを表現しやすかった。伝えたいことをじっくりと言葉で選べることが出来るやり方は、自分には性にあっていたのだ。もちろん、その伝えた言葉が相手にどういうニュアンスで受け止められるかは不確実であるというリスクもあったが、そんな曖昧さが残るやり取りもまた楽しかった。相手がどう受け止めてくれるかを推し量りながら、自分なりの言葉を並べていく。相手を想像し、自分を見つめ、言葉だけを連ねる。実に難しい領域であり、それは学科テストなどとは格段に違う難しさを孕んでいた。

 ソワソワしていた。
 まだ待ち合わせの時間まで30分近くもあった。こんなに早くなつみさんが来るわけもないのに、辺りをキョロキョロと見渡した。女性とこのような形で仲を深めるというのはやはりこれが恋愛感情かどうかはさておき、感情は高ぶり、どうそれを抑えればいいか、平然を装うのも一苦労だった。

 待つ時間というのは悪くないものだ。どんなことを話そうか、どう振る舞おうかと自分の中で作戦を練る。これから現れる人を想い、喜んでもらおうとするために。いや、喜びでなくても、せめて一緒に過ごせて不快ではない時を共にしたい。それは相手を想う豊かな時間なのだ。

 「はやかったね、待ったかな。」

 待ち合わせの10分前になつみさんが現れた。
 背後から声をかけられ不意を突かれた形となった。

 初対面は文化祭のTシャツ姿であり、そして2回目の再会は清純さを備えたセーラーの制服だった。だからこそ、私服で現れたなつみさんが新鮮だった。上半身はクリスマスらしい赤色をあしらったアーガイル柄のニットセーターの上に、高校生らしいカーキー色のダッフルコートを羽織っていた。
下半身は無地のミニスカートからきれいな脚が伸びていた。そしてあの白肌の丸顔にはファンデーションが施されているようにもみえたが、それは気のせいだったかもしれないと思う程にうっすらと上品だった。そして、ほっぺたにほんのりと赤いチークが彩られていて、一層綺麗に見えた。私服でおめかした姿自体が当然ながら初めてのことだったし、何よりそんな風に気を遣ってここにきてくれただけでとても嬉しくドキドキ鼓動した。

 相変わらずの明るい笑顔で、私の緊張の程度を推し量るように、こちらに顔を向けて、ふふふ~と笑った。少しからかわれているようにも感じたが、そのあしらいも悪くなかった。

 ただ、このあしらいにまともに相対してしまうと、また自分自身が凍り付いてしまうと熟知していた私は防衛本能からか、出来るだけ正面から受け止めないように最新の注意を払った。

 オシャレとはこういう時に備えて普段から気を付けておくべきなのだ。そういう事に全く疎い私は男子高にいることから日々ががさつになり気が回らなかったし、だからこそセンスもないことが残念だった。なつみさんと私の出で立ちがあまりに対照的で申し訳ない気持ちだった。

 しかし、それが現実の私なのだ。
 背伸びをしたって、満たせないものなのだ。

 「いやいや、さっき着いたところだったんです。今日は、またこうやってお会い出来て嬉しいです。色々お話したいこともあったので、今日を楽しみにしていました。今日はお付き合いしてもらえればと思いますっ!」

 敬語はどうしても距離感が生まれる。
 より親密になるためには敬語は邪魔ではあった。その上、私はただでさえぎこちなく、気の利いた挨拶のひとつも出来なかった。ただ、なつみさんは年上でもあったから1年生の私は敬語で対応すべきだろうと、なつみさんのくだけた語調には合わせず、無難さを優先したのだ。それにしても、『お付き合いしてもらえれば』って、もう少しスマートな言い方があっただろうと猛省した。

 高校生が集う所いえば、ファストフード店であり、ファミレスであり、カラオケルームだった。ゆっくり話をすることが目的だったから、近くのファミレスに向かう。健全な高校生の男女だったから、ファミレスでドリンクバーとポテトをつまめば、それで十分なのだ。店員の案内により、奥まった窓際のボックス席に私となつみさんはおさまった。

 外は風が吹き荒れ、益々気温も下がり冬の到来を実感させていた。しかし、今ここに2人で座ったテーブルにはぎこちなさも漂っていたが、ほのかな温かみもあった。窓一枚隔てて、寒暖の差は大きかった。だから窓は曇って外がぼんやりと霞んでいたが、私の心は晴れ晴れしていた。

 常連のファミレスなのだからメニューなど記憶をしていたし、貧乏な学生だったから、どうせポテトとドリンクバーを注文する結論に変わりようはなかった。とはいえ、なつみさんに合わせて、一応はメニュブックを開いて、何かを選ぶ真似をする。メニューブックで視線をさりげなく遮りつつ、なつみさんの様子を窺った。なつみさんが楽しそうにメニューに目を通しており、それがひと段落した頃合いを見計らい、私も真似事をおしまいにする。なつみさんはドリンクバーにプリンを注文した。

 注文を終えると、席を立ちドリンクバーで思い思いの飲み物を注ぎ、再び席に戻る。

 まずは天気の話でもすればよいが、それもまた退屈だったし長くは話題がもたない。こういう時、救いになってくれるのは、共通の知人である。
たかゆき先輩は唯一の共通の知人であったから、自然とたかゆき先輩の近況の話を適当に話をした。自分の近況や相談したいことは山積みだったから早く切り上げたかったが、やはりなつみさんの気遣いにより、つかみの話題ですら盛り上がった。なつみさんの質問に答えていれば、話は膨らんだし、楽しかった。

 ポテトが運ばれてきて、ケチャップを取り皿に出して、なつみさんにも促し、二人でフォークでつまんだ。プリンはまだ運ばれてこなかった。

 私は私自身で自分自身のことについて、話を切り出さねばならなかった。なつみさんからすれば、私が次期の副実行委員長になったことなど、さして関心も興味もないだろうと思っていた。しかし、そのことはきちんと報告しておきたいと、律儀に振る舞おうと思ったのだ。

 「次期の文化祭では副実行委員長になることになりました。たかゆき先輩の後を継いで、渉外の部門長も兼ねます。」

 なつみさんにとってはどうでもいいだろう私自身のことについて報告した。薄い反応かなと思っていたし、別にそれでよかったのだ。自分の言葉で伝えたいという独りよがりな義理を果たすためだったのだから。しかし、なつみさんは想定外に関心を持ってくれた。

 「実行委員長になるものだと思っていたよ。ただ、実行委員長というより副だからこそ、らしさが発揮できることもあるし、それがあっているのかもしれないね。きっと色々な気遣いが出来るけど、やっぱり不器用だから、
縁の下の力持ちみたいな感じでやっていくのはとてもあっていると思うよ、頑張ってね。」

 なつみさんにそう評され、応援してくれたのは嬉しかった。いや、これはある意味ではリーダシップに欠けるというダメ出しでもあった可能性もあり、不器用という言葉も含めて、手放しでは喜ぶべきものではなかったのかもしれなかった。しかし、自分の自己分析に沿った自分自身の決断について、なつみさんが私の個性をも踏まえて応援してくれるのは、やはり嬉しいものだった。なつみさんが自分のことを理解してくれているという実感はより深まった。人から自分が理解してもらえているという実感は、その人との距離が縮める効果があるのだ。

 同時に渉外部門のリーダとして、自分の纏まらない構想としてやりたいことの曖昧なイメージを拙い言葉でなつみさんに共有した。空皿となったポテトの皿を横によけ、そこにノートと鉛筆を走らせて、そのイメージを少しでも具現化できるよう努めて解説した。

 一生懸命になればなるほど早口になった。ぎこちなく口籠ってしまうのが嘘のように自分でも雄弁だと思った。女性には不器用だったが、その厄介な異性への駆け引きが絡まなければ、私はむしろ弁が立ったし、ストレートに感情を吐き出すことが出来た。なつみさんはキラキラした目で話す私をニコニコしながら、ウンウンと時折相槌を打ちながら、一方的に続ける私の言葉に耳を貸し続けてくれた。

 それはとてもフワフワしたものであったが大きな構想だった。県下の高校の文化祭をネットワーク化して繋ぐ事だった。他校と繋がる機会といっても、現状では隣接する学校同士位であり、その個別エリアでの狭小で緩いネットワークそのものを広域へ拡大させ、かつそれを深め実現できることの高度化を図りたかった。それは様々なメリットがあると考えた。

 各地域毎に隣接する他校と連携したイベントは現状でも存在していたが、どうしても毎年マンネリ化する傾向があった。それは昨年のマニュアルをベースに少しの工夫で組み立てるから当然のことだった。昨年のやり方を踏襲することは悪いことではなかったが、それではイノベーションは起こらない。そこを根本から刷新する勇気を持つことにより、イベント運営においてイノベーションが起こりうると考えていたし、どうせやるならイノベーティブな要素を取り込んでみたいと考えた。

 また、ネットワーク化が広くに及び、県下の高校の文化祭自体が盛り上がることで、メディアへの訴求力が高まると考えた。高校生が自発的に様々な企画を連動させる取り組みは、メディアの恰好の取材にネタにもしてもらえると考えたし、それがそれぞれの学校の文化祭の宣伝広告にも大きく寄与すると考えた。更に、自発的に媒体そのものを企画し発行することも視野に入れていた。各行での企画から準備の様子を定期的に紙面にして、それを学校毎に集めて各行の全クラスに冊子として定期的に配布するのだ。色々な学校の文化祭へ関心を持ってもらうことで、生徒がより広範囲に行き交うきっかけにもなるし、何より顔が見える冊子作成に工夫を凝らすことで、日々の準備にもより活力が出てくるだろうと思った。県下の多くの生徒が関心を持ってその冊子を通して、自分たちの文化祭の準備を知ろうとしてくれる機会があることは、有志でブースを出す者にも実行委員にもモチベーションを与えると思ったのだ。そして、そういった冊子を通して、どこの学校の文化祭に行ってみようかと、クラスの中でも盛り上がるだろうし、それもまた宣伝広告の効果があると思った。加えて、その冊子への広告を募ることで、このネットワークの運営の助けにもなると考えていた。

 この時に既に私自身がメディアに出る事も視野に入れていたし、それはその後、実現していくことになる。

 まくしたてるように話す私の話が一段落すると、なつみさんはまだ飲み物が残っているカップを手に取り、一度ドリンクバーに行って飲み物を取りにいこうと誘ってくれた。お世辞にも理路整然とした話ではなく、感情的な要素を多分に含んでいた。聞いていてわかりづらいところばかりだったかもしれない。しかしそんな様子を一切出さず、話し手である私を尊重し傾聴してくれたのだ。

 決して喉が渇いたからではなく、一呼吸置くことがよいと機転を利かせてくれたのだ。こういうひとつひとつの優しさがありがたかった。お姉さんとしての気遣いが居心地よく、私は一方的に一緒にいて相性がいいなと慕った。

 沢山話をしたから、実際私は喉が乾いていた。ドリンクバーコーナーで注いだコーラーをその場で飲み干し、即座におかわりする。そんな行儀悪い私の様子を、隣で新しいティーパックにお湯を注ぎながらなつみさんが笑ってみていた。席に戻ると、なつみさんが話し始めた。

 「高校生にしたらどこまでできるかというのはあるけど、狙いもやりたいことも面白いと思ったよ。まだまだ整理しなくてはいけないこともあると思うけど、他にも具体化できることも出てきそうだね。こうやって話をしながら整理していくと、きっと面白いコミュニティが作れると思うよ。」

 紅茶を啜って続ける。

 「ただね、このファミレスの中の話で終わらせてしまうのはもったいないと思うんだ。そのコミュニティを作るといっても一人ではできないし、色々な人の知恵を借りた方がよい。やっぱり次期を担う各学校のコアメンバーを募り、そこから広げていくのがいいかな。そのためにも善は急げだからさ、まずはうちの学校の1年生で次期の実行委員長を紹介するし、もう1校くらい立ち上げに参加してもらえるといいと思うんだ。地理的にもちょうど三角形になるようなところかな。すると・・・。」

 こうしてファミレスの私の戯言が発端となり、交流会の立ち上げに向けて動き始めた。

 土台になる企画書に必要と思われる項目を洗い出していく。ビジネス上の勉強などしたこともないので、見よう見まねで5W1Hを軸として即席で必要と思われる項目を出し合った。そしてコンセプトやターゲットなど順番に仮でどんどん明文化していってみた。

 事業を興すわけではなかったので緻密なマネタイズは不要だった。だからこそ、まずは実現したいことに即して列挙していけばいい分、難易度はそこまで難しくはなかった。いや、実際には難しい内容だったのかもしれないが、なつみさんの的確なサポートがあったからその壁は低く感じたのかもしれないし、なつみさんと一緒に頭を悩ましていたから前向きに楽しめたのかもしれない。1人より2人の方がよりよい知恵出てくるし、物事へ前向きに向き合えるものだ。

 構想の実現のために、工程を3つのフェーズに分けることとした。まずは3校程度での立ち上げ期、10校程度まで基礎を広げる期、そして最終的なターゲットの30校程度までスケールして運営する期とした。これを残り10ヶ月で実現していくことになる。規模に応じて取るべきアクションや組織の青写真も描いた。

 運ばれてしばらくたったプリンは机の横にいつ食べてくれるのといわんばかりに佇んでいた。頭を使ったこともあり糖分が必要だった。私はコーラで十分摂取していたが、なつみさんは無糖の紅茶を啜っていたから、そのプリンは貴重なブレイクにおける糖質の源だった。ポテトを私がシェアしたからか、そのプリンを一口食べるかと私にも声をかけその器を差し向けてくれた。本当は一口食べたかった。ただ、ひとつしかないそのスプーンをシェアすることに躊躇したし、だからといってわざわざ自分のスプーンを取りにいってまで分けてもらうのも逆に不自然だと思った。たかがスプーンだったが、私にとっては間接キスというものだって、意識してしまえばしまう程、平穏を保てなくなるので、プリンは敢え無く辞退した。

 なつみさんはプリンをおいしそうに口に運んだ。スプーンで小さくすくっては、小さな口に少しずつ入れては幸せそうな表情を浮かべた。そんな表情を見て、私はポカポカした。

 私は自分の気持ちに徐々に認めざるえないものがあるのではないかと思った。

 なつみさんが私の心の中で大きくなり、それは文化祭というものに情熱をかける同志としてというだけでなく、ひとりの女性として自分の気持ちにいよいよ正直に向き合わねばならないと思った。

 それは結局のところ、実行委員長として最後の晴れ舞台で活躍するなつみさんを眩しいと思ったときから全ては始まっていたのだ。

 異性へ惹かれ想う気持ちは抑えられないのだ。それは様々な事情で気持ちを抑えようとしても、結局のところ無力なのだ。

 小さなコップに注がれる水は遅かれ早かれあふれ出す。抑制できる量は限られていて、それは当然の物理現象のように、あふれ出し、その流れを止めることはできない。

 その現象をありのままに受け入れるしかない。
 そこに理屈も解釈も必要ではない。
 そこにあるのは事実なのだから。
 今、この自覚を受け入れれば、全てはしっくりくるのだ。

 ただ、やはり文化祭を盛り上げるという同志として、この構想の実現に向けては力を貸して欲しいという気持ちは大きかったし、それをないがしろにしてまで、うつつを抜かそうとも思えなかった。

 それは両立させるべきものだし、両立させたいと思った。そうでなければ儚く全てがなくなってしまうような気がした。そんなことを本人を前にぐるぐると頭を巡らせていた。その自覚を自覚として受け入れるために、表情は難問にたじろぐ難しい表情になっていたのだろう。

 「どうしたの?」

 プリンを堪能し終わったなつみさんは、私のその複雑な心境の中にある不思議な表情を、怪訝そうに覗き込んだ。

 「あぁ、ごめんなさい。ちょっと一人の世界にいってました。」

 私は適当にごまかした。一人の世界って何だろうと思った。そもそもなつみさんを前についさっきまであんなにも盛り上がって話をしていたのに、一人の世界に急に旅立つ躁鬱性の自分を自分で突っ込んだ。ただ、恋情にほだされただろうことを考えれば、やむ得ないことでもあった。

 そしてその抑制することを諦め、自分の気持ちに素直にあろうと思うと、
余計になつみさんを異性として意識してしまう。意識しないようにと思っても、意識してしまうものが恋であることは間違いなかった。

 3校で集う最初の立ち上げ期をTODOにしてメモを走らせる、そのなつみさんの華奢な手元の動きを見ているだけでドキドキした。

 私は自分の恋愛感情をありのままに受け入れるにあたって、文化祭のこの交流会を成功させることは、自分の中のけじめだと思った。そうでないと、私が私でなくなってしまう。本末転倒なのだ。これからの10ヶ月は文化祭への活動のために精力傾けるのだ。それを通して私も人間として成長したいと思ったし、そこで得られる充実感は私自身を深めてくれるものであるとも思っていた。なつみさんに想いを馳せるのに値するように自分が輝いていられるようにありたいと思った。

 恋愛は生活全般に張り合いを与えてくれる。そして人を育ててくれる。恋をするということは、信じられないほどのモチベーションを与えてくれる。
どんな壁も頑張って乗り越えられると勘違いするくらいだ。しかし、それが勘違いだろうが、自分の身丈に比して高すぎる壁であっても、そこにチャレンジし、自分の器量を磨きなんとかそれを乗り越えてやろうと頑張る機会を得られることは、何物にも代えがたい機会をもらうことであるのだ。それは生きがいもある。だから頑張れるのだと思った。

 それは文化祭交流会を作ることへの覚悟の自覚でもあり、なつみさんへの特別な感情への自覚でもあった。

 私はまだ何もなしえていなかったが、こんな機会を得られたことにただただ感謝をするばかりであった。

8.順応

 イチョウの大木に広がる枝からは葉がみるみる落ちていき、黄色く染まったその葉たちは、木枯らしに乗って散り散りになり、今となっては殺伐とした大木の出で立ちである。

 校門の奥にずっしりと鎮座するその大木はこの学校の歴史の深さをいかにも物語っていた。それは殺伐というより、むしろ雄々しくどっしと構える力強さがあって、この学校の校風をあらわすかのような佇まいである。その大木の奥には、レンガが積み重ねられた校舎がそびえ、ゴシック建築の流れを汲んだ曲線の形状が重なり、この学校の奥深さと伝統を伝えていた。

 冬休み前のある日の放課後。私は明らかに他の学校とは一線を画す荘厳さすら感じる、この学校の校門の前に立っていた。放課後の時間に、ここでなつみさんと待ち合わせをしていた。なつみさんは新たな実行委員長を連れてきてくれることになっていた。そして、彼女たちと共に、この歴史ある学校の門をくぐり、3校での交流会の立ち上げに向けた初めての顔合わせをするのだ。

 約束の取り付けは強引だった。数日前、私はこの学校の生徒会室に前触れなく電話をかけた。ごちゃごちゃと前置きを電話口で言っても自分の話す言葉では要領を得ないとわかっていたので、一方的に日時を伝え、とにかく一度会いたいと伝えた。

 私も男子校だったが、ここもまた男子校である。人が繋がると何か面白いことが起る。そんなシンパシーを得るのは簡単だった。見知らぬ私からの唐突な電話にも即座に歓迎の意を示してくれたし、なつみさん達も同伴することを加えると、益々、やる気になっていた。わかりやすい男だとその時思った。

 空っ風が時折つむじ風となり砂埃を舞い上げて、その都度、顔を背けて待ち合わせの時間を待った。なつみさんの後輩はどんな子だろうと思った。
自分の気の多さに正常な男としての本能を見た気がした。

 なつみさんは制服の上に紺色のスクールコートを羽織っていた。首元には、チェック柄のマフラーを巻いていた。4度目の対面となることもあり、さすがに自分を見失う程に舞い上がることもなかった。なにより、それが特別な感情によるものだとどこかで受け入れることにより、小さく温かな気持ちが心にそっと宿り、ほんわかするのだった。自分の感情というものと折り合いをつけて、そのあるがままを受容することは、自分自身を落ち着かせるためには有効なのだ。

 なつみさんの横にスラリと背の高い女子高生が立っている。なつみさんより遥かに背も大きく私の背の高さとさほど変わらないように見えた。長い髪は後ろで結ってあり、前髪を横に流しておでこが広くみえるのがかわいらしかった。目がキリっとしていて力強く、鼻や口などのひとつひとつのパーツが小さく、モデルのように小顔だった。

 「はじめまして、新井りつ子といいます。今日はよろしくお願いします。」

 緊張をしていたのか小声で少しよそよそしい感じがした。しかし、私がなつみさんと始めて交わした時のような、ガチガチに緊張したしどろもどろさは微塵もなく、普通にコミュニケーションが取れる人なのだと、当たり前のことに感心した。

 なつみさんが横から口を挟んだ。次期の実行委員長になる旨、改めて紹介してくれた。そして私との経緯を改めてなつみさんは彼女に掻い摘んで話をした。

 『りっちゃん』ってみんな呼んでいるよと伝えられても、同じ1年生とはいえ、ただちに今、馴れ馴れしく、『りっちゃん』なんて呼べる度胸は私にはなかった。こういう時、女の子に対しては無難に苗字にさん付けになるのだ。そして女の子慣れしていない者にとっては、たいていはその呼び方の域からなかなか進展しないのだ。一種の呪縛をかけられたようなものなのだ。

 そういえば、なぜか、なつみさんを呼ぶときは最初からファーストネームだった。新井さんとは普通に今、平常心で初対面の挨拶を交わし話のやり取りが出来るのに、なぜなつみさんとの初対面ではあんなに緊張したのか。
なつみさんは愛嬌もあったから、むしろ話しやすかった。にも拘らず、普通の挨拶すらぎこちなかったのだ。やはりなつみさんは出会いの時から私にとって特別だったのかもしれない。

 よそよそしい挨拶もそこそこに校門を通り過ぎ、イチョウの大木の横のベンチに腰掛けて迎えを待った。

 男子高になつみさんと新井さんがいるのだから、下校していく生徒が関心の眼差しを向けるのも無理はなかった。そしてそこに同伴している私にも奇妙だといわんばかりの視線がぶつけられた。

 そういう視線には人一倍敏感だった。劣等感の塊のようなものだからこそ、周囲からの奇異な視線に咄嗟にアンテナが反応するのだ。そのアンテナをもっと有効活用できればよいのだが、天は二物を与えないものなのだ。もっとも、私の過敏なアンテナなんて全く役に立たないのであるが。校舎の中からひとりの男が、つっかけのサンダルでこちらに小走りに向かってくる。初対面とは思えない馴れ馴れしい素振りで手を振って、ニコニコしながら近づいてくる。きのこを被せたような髪型がなんともインパクトがあったが、
それ以上にミッキーマウスが大きく描かれたトレーナー姿なのに驚いた。ズボンもスウェットのだぼついたズボンで、さながら雑多な街中に座り込む不良のような出で立ちだった。

 彼もまた、次期の文化祭実行委員長となる。名前をタツヤと名乗った。軽い感じで、ようよう、ようこそ、中入りなよ、といったラップ調の挨拶に、
先が思いやられ、思わず困惑の表情をなつみさんに向けた。なつみさんはゲラゲラ笑っていた。この奇妙な状況がどこかツボだったようだ。新井さんはただただ目が点になっていた。

 エントランスから校舎の中に入っていくとより荘厳さは増した。そして、校舎の中は意外にも綺麗に管理されていた。階段を降り、建物の渡り廊下と繋がっているプレハブ小屋にいくと、景色は一転した。足場のない程のゴミの絨毯が行く手を阻み、幾人のグラビアアイドルの水着姿のポスターが、
あちらこちらに貼り付けられている。こんなところになつみさんたちを連れてきてしまって大丈夫だろうかと、タツヤの仕切る会議室にたどり着く前に不安は大きくなった。

 ドアの役割を果たしているかもはや微妙な扉を開けるとそれなりの広さのあるスペースがある。机の上には食べかけのカップラーメンと飲みかけの空き缶が雑多に置かれたままで、幾層にも重なる書類の山が山脈のように連なっている。

 乱雑なパイプ椅子の上にはダンボールに梱包された小包のような荷物が山積していて、座るところすら慎重に見渡し見つけなくてはならなかった。

 確かに一方的に日時を伝え、押しかけてきた身分だった。だから贅沢を言うつもりはないが、せめて座る場所と最低限の打ち合わせが出来るスペースくらいは用意をしておいてもらいたかった。それになつみさんたちを連れてくることも伝えてあったのだから、せめて卑猥さを連想させるようなポスターくらいはみえないようにする配慮がないのかと、怒りすら覚えた。

 「いや~汚くてすまないね~」

 と、タツヤはおどけて、もはや取り返しようのないこの現状に笑った。私は、笑いごとではないと思った。自覚があるのであれば改めるべきだ、どうしてくれるんだ、と早くもここを訪れたことを後悔した。

 時間が巻き戻るなら、違う高校にアポを入れたはずだ。しかし、この学校は随一の歴史と進学実績を誇る旗艦校でもあった。まさかこんな事態になるとは思わなかった。それにそもそも時間は巻き戻らないし、私たちには時間がなかったから、悠長なことを言っている場合でもなかったのだ。

 なつみさんはおもむろに、断りもなく、机の上のゴミなのかどうかもわからぬ得たいの知れないものに手を伸ばし、容赦なくゴミ袋にぶち込んでいった。はがれ掛けたグラビアのポスターを扱う時にだけは、
これも剥がして捨てる旨を、一応事前に通告をしてからゴミ袋にねじ込んでいく。なつみさんのせめてもの配慮だったのだろう。同時に臆せずあっけらかんと粛々と進めていく様が勇ましかった。こんなにも汚いのもまた珍しいよ、と苦言を呈しながらもてきぱきと処理をしていく。いきなり訪れた高校の部室のようなこの場所の掃除をするという異様な出会いから、この交流会の立ち上げは始まるのだった。

 どこで拾ってきたのかわからない3人掛けのソファーが対面する形で2脚配置されていた。最低限の座る場所とテーブルのスペースを確保して4人はソファーに腰掛けた。改めて自己紹介をし合うのだが、出会ってからここまでのほんの短い時間での累積の印象はここまで落ちぶれるかと思われるほどに悪過ぎて、本当にタツヤと一緒に今後をやっていけるのかと後ろ向きな気持ちにすらなった。

 私の弱点のひとつだった。自分とあまりにも違う種類の人とは距離を置いてしまう。多様性が大事と理解はしつつも、結局は似たような群集の中で物事を進める傾向にあった。タツヤのようにぶっ飛んだ自分とはまるで違うタイプの人間とは、一方的に距離を取り、関わらないようにしていた。しかし、それは自分のキャパシティを狭め、可能性を閉ざしてしまうことになるのだ。自分と異なる人種と交わるからこそ、イノベーティブな創造性は発揮されるものなのだ。

 もちろん、そんな風にはこの時は考えられなかった。しかし、実際に異質な二人の化学反応によって、私たちは導かれていくのである。

 玉は私が持っている。私が強引に誘ったのだから、まずは私が口火を切って自らの構想を話すのだ。それだけのために、奇妙な4人がこんな薄汚い部屋に揃ったのだ。ソファーに落ち着いて、皆が私の発言を待っていた。

 私はあのファミレスでなつみさんに語った時よりは、頭の整理もされた状態で、かつ冷静さを保ち、文化祭交流委員会の構想を披露した。今日の場ですんなりに理解をしてもらえるように予め要点を整理し、魅力を訴求し、一緒にやってみたいと思ってもらえるような工夫をシミュレーションしていた。

 私は段取りをした通り、自分の中で必死に熱意を込めてプレゼンテーションをした。しかし、タツヤは時折なつみさんや新井さんの方へ気を回し、キョロキョロしながら、話を聴いているのかどうかすらも疑わしい落ち着きのない感じだった。

 新井さんは何かをメモするように時より小さな無印良品のメモ帳にペンを走らせていた。まるで対照的な2人に戸惑ったが、構わず話を続けた。

 陽が落ちるのは早く既に外は暗くなっていた。半地下のようなこの部屋は益々暗みを帯びて、申し訳なさ程度の光はぼんやりとなぜか電球色で光だけはやさしくそこに漂い私たちを照らしていた。

 私が一気に話を終えると、タツヤはソファーから立ち上がって、大きな拍手をした。

 「いやー凄いね。楽しそうだね。やろう!やろう!」

 軽い感じだった。
 馬鹿にされていると感じた。しかし、私は冷静であろうと努め、それを自分に言い聞かせた。そんな軽率なタツヤと同じ土俵に立つこと自体に嫌気がさした。なつみさんを前に自らの小さな器量を晒したくいという私の汚い見栄も手伝った。

 突き詰めて考えればコンセプトや細かな制度や手順は定めなければならなかった。しかし、要するに、繋がれば何かが生まれるという打算的なものでもあった。宣伝広告やイベント運営、各種調達など連携できる部分はいくらでもあったし、そういったものをシェアしながら進めることは私たちのやりがいにもなると信じていた。それは用意周到に段階的に得られるものというより、実際にはその場その場で思いつきの連続により、振り返ると色々な副次的効果の恩恵を受けられるようなものなのだ。

 そもそも人生など、いつもそうだ。段階を経て、いくら準備を重ね、狙いを定めてみても、走り始めると、様々な壁にぶつかる。思い通りにならないこともあれば、想像もしていなかったような発見があったり、出会いがあったりもするのだ。敷かれたレールの上からだけでは得られないところに、本当に楽しみの価値は存在しているようにも思う。ストラテジーからみて無駄なことであっても、脱線してみることが、なんともいえないエッセンスを与えてくれることは多々ある。

 タツヤは実は頭が良かった。それはそうだ。ここもまた偏差値70を超えることが入学の前提条件のような学校だ。私がもし入学を希望したとしても間違いなく底辺となるのだ。

 軽い感じではあったが、ソファーの上に立ち上がった後に、ホワイトボードにがりがりと課題やなすべきことを羅列していく時の表情は真剣そのものだった。単なるお調子者なのかもしれない。私が以前になつみさんと取り纏めた時の即席のTODOリストよりも明確にわかりやすい纏めだったし、適度に私の話したことを網羅しつつ、そこに脚色が加えられ、遊び心も滲んでいた。

 タツヤはきちんと私の話を聞いていたのだ。その上で、なつみさんと新井さんの受け止め方の様子を見ていただけだった。私となつみさん、そしておとなしい新井さんも交えて、侃々諤々と議論を重ねた。あれもできる、これもできると前向きな議論が多かった。否定論調としないのは、ブレインストーミングの鉄則でもあるが、誰から教わるわけでもなく、こういう場で経験することが出来た。その方が滞りなく、またその構想に可能性の広がりを与えることができるのだ。どうせなら、大きく膨らませたい、それはこの場の共通認識になっていった。

 時計が21時を知らせると校内にチャイムが鳴り渡った。時間を忘れて議論を愉しみ、可能性への夢は広がっていった。気が付くと現実の時の流れに舞い戻ってきた。

 するとタツヤは突然皆にその場に伏せるように指示をした。その慌てぶりに、まずはなすがままに指示に従うしかなかった。ソファーの上に身を屈め、その体の上に適当な毛布を被せた。なつみさんと新井さんも同じように反対側のソファーに伏せて、同じようにたつやは毛布を被せた。そして部屋の電球の明かりを消し、すかさず自分は書類が重なる地面にうつ伏せになり、そこに転がっていたジャージなどを自ら被り、自分の姿をカモフラージュした。

 小さな声で、私は何事だと問いかけた。タツヤは静かにと忠告してその場では答えなかった。辺りはしーんと静まり返った。さっきまで雑然としていたこのプレハブ小屋の各部屋から漏れ聞こえてきた音もパタリと止まり、しーんと静まり返った。電気も消えた闇に包まれた。

 しばらくすると、外を歩く歩み寄ってくる足音が徐々に大きくなってくる。急に訪れた闇の静けさの中で、遠くからの足音はより大きく響き渡って近づいてくる。すると、懐中電灯の光が外の窓からこの汚い部屋の内部をさらりと舐めるように照らした。わたしはようやく事態を把握した。警備員が夜の巡回に訪れるのだ。届け出がない団体は21時までには完全下校が励行されているのだ。私の学校ではこれが深夜0時であったから、意外にも早かったので事態の把握に時間を要した。

 ただ、警備員も実は知っているのだ。体裁として巡回をしているだけであるから、生徒が潜んでいることは実質黙認されているのだ。だから幼稚な隠れ身の術で十分対応は出来るのだ。ただ、そんな形式的な巡回であったが、これに引っかかってしまうとややこしかった。まして、私は他校の生徒であったし、さらにまずいことに、ここにいるはずのない女子高生が潜んでいるのだから。万が一、ばれてしまうと釈明も大変となるに違いなかった。

 巡回が終わると再び辺りに電気が灯った。私たちを照らす電球もまたやさしい明りを取り戻した。隣の部屋からかすかに聞こえてくるじゃらじゃらマージャンの音も復活した。屈めた身を起こし、なつみさんと新井さんも同じように身を起こした。一瞬の張り詰めた緊張から解かれ、ソファーの上でお互いが向き合うと、その突拍子もない混乱に笑ってしまった。地面に伏せていた、タツヤは急な混乱と緊張を与えたことにちょっと罰が悪そうに、悪い悪いといった様相で平謝りをした。くだらない難局を乗り越えたこの経験もまた私たちの出会いのアイスブレークになった。ちょっと悪いことをしている時、それを共有するとなぜか絆は深まる。

 だいぶ話は進展したし、飽和もしてきた。だいいちお腹も空いていた。こんなに盛り上がるとは思っていなかったから、ここまで話が盛り上がり、今後のことを詰められたのは大きな収穫でもあった。この部屋の猥雑さに最初はどうなるものかと思ったが、なんとかなるものだ。

 なつみさんは私の方へ優しい笑みを向けてくれた。それは今日の手応えを一緒に喜んでくれているようで嬉しかった。一歩前進したことを表情を通わすことでそれは実感としての一歩と感じた。

 タツヤはメシ食って帰ろうと、行きつけの中華屋へ案内するという。確かに空腹ではあったし、この辺りの地理には明るくなかったからタツヤの申し出にただ従うしかなかった。女子二人を連れて行く店として大丈夫なのかと不安は過ぎったが、もう野となれ山となれだと思った。

 駅の方向に歩いていった一本路地裏にその店はあった。典型的な小汚い食堂であり、その店頭には色あせた食品サンプルが並んでいる。ラーメンやチャーハン、そして餃子が並んでいるのは当然であったが、かつ丼やカレーライスまでがラインナップされておりこれは正真正銘の町中華の赤色看板の大衆食堂であった。

 タツヤは女の子2人の意向も聞かず、引き戸の扉をガラガラと開けて中に入っていく。私はともかく2人は大丈夫かと案じながら店の中に続いた。難しそうな大将が厨房で年季の入ったフライパンをあおっている。小さなテレビが天井から吊り下げられていて、くだらないバラエティー番組がけたたましく垂れ流されている。ひな壇のタレントの大げさな笑い声が殺伐とした食堂に些細な賑わいをもたらしていた。店には、真っ赤な色を配したカウンターのテーブルが並び、その横に4人掛けの小さなテーブルが2セット並んでいる。机の上には筒上の割り箸が詰め込まれていて、故障やラー油、しょうゆなどのの調味料がセットされている。小さな瓶ビール用のグラスにセルフサービスで水を注ぎ、自席に座る。

 カウンターにぶら下がる和洋折衷のメニューが書かれた札は、長年の油の汚れなどで変色して決して清潔感はない。タツヤはいつものと注文をさっさと通し、やれこれがうまい、あれがうまいと私たちに講釈を垂れた。自分の馴染みの店に案内するのは嬉しいものだ。タツヤも今日の出会いに喜び、そして私たちをここへ案内出来て嬉しいのだろう。

 新井さんは少し戸惑いつつも無難にラーメンを注文した。タツヤが注文したいつものは、ラーメン半チャーハンに餃子だったから私もそれにした。
やはりこの手の店ではそれが王道だと納得した。なつみさんは、元気をつけなくっちゃと、嬉しそうにレバニラ定食を目聡く見つけ注文した。私とタツヤは、そんな男前のなつみさんの様子を見て驚いた後、笑った。

 なつみさんは、えぇ別に笑わなくてもいいじゃんと、冗談で私とタツヤをどついて、その笑いを一蹴してみせた。

 私が女の子に気を遣い、店のチョイス大丈夫なのかと気を揉んだのは、結局のところ、通り越し苦労だったのだ。

 汚い部屋に押し入って、わけもわからずに掃除をしたり、いきなり身を隠すシーンに遭遇したり、小汚い店に連れて来られても、なつみさんはそれに順応していたし楽しんでいた。そして、私もまた、自然体であることへの順応していけばいいと思った。

 タツヤとの関係性においても、異なるタイプの人種であることに変わりはなかったが、私自身がその関係性へ順応していけばいいのだと思った。

 しばらくすると、食べきれない位のデカ盛りのラーメンに、とても半分とは思えない半チャーハンが運ばれてくる。これだけで2人前を超える量は間違いなくあった。そこに餃子がなぜか10個ずつ盛られてくる。

 レバニラのお盆はさすがにご飯の量は調整されていたが、もやしで嵩増しされていたとはいえ、明らかに女の子にとっては大盛りだった。ここの大将はそんな当たり前の量の調整が出来ないくらい、感覚が麻痺しているのだろうか。しかし、そんな大盛り定食をなつみさんは嬉しそうに受け取り、箸を進めた。

 狭い4人席で肩を寄せ合い、ラーメンを啜り、定食をかきこむ。そんなシーンが妙に楽しく、おかしく感じた。新井さんもようやく緊張から解かれてきたのか、少しずつ自然に笑ってくれるようになった。食事は人との距離を近づける。それはこんな町中華でも十分だった。むしろこういう雑多な店だからこそよかったのかもしれなかった。

 「あぁ、お腹いっぱい。でもおいしかったなぁ~」

 なつみさんの華奢な体のどこにこんな大盛りの定食が入るのか不思議だった。それでもすべてを平らげた。皆がお腹がいっぱいになり、私たちは天井を仰いだ。なんだか、幸せだった。

 そんな満腹の状態で、すぐに電車に乗って大丈夫か案じられたが、既に時間も遅く、うかうかしていると終電の時間になってしまう。高校生が出歩くには不自然だったし、いよいよ私たちは不良のようなものだった。駅の改札でタツヤと別れると、ホームへの階段を降りた。1番線と2番線が対面に離れていて、その間に電車が行き交う。私は下り電車、なつみさんと新井さんは上り電車だった。新井さんには悪いとは思ったが、なつみさんと二人で少し話したい気持ちがあった。後ろ髪引かれる思いだったが、容赦なく、2つのホームの間に電車が滑り込んでくる。ぎりぎりまで手を振り別れを惜しんだ。上り電車が先に到着し、2人を乗せて電車はゆっくりと走り去っていった。もう向いのホームには2人はいなかった。1人になって、まだ来ない下り線のホームに一人になり、不思議な今日を回想した。

 これから大きく期待が持てる気がした。最初の戸惑いも自分が順応していけばいいし、それも悪い事ではないのかもしれないと思った。これまで避けてきたものから逃げずに順応していくことが、今後のこの交流会を大きくしていくためには必要なことでもあるのだろうと思った。そしてタツヤのように自由に赴くままに過ごせることは素直に羨ましいとも思った。

9.混沌

 生徒会室の電話はほぼ私が占有していた。それくらいやり取りが盛んだった。タツヤとの連絡はもちろん、なつみさんや新井さんとも毎日のように電話をし合ったし、書類のやり取りはFAXを使った。

 SNSはおろか、電子メールもまだ発達しておらず通信手段も限られていた。様々なコミュニケーションツールが発達していなくてもお互いの配慮があれば十分に話を前に進めることが出来た。

 制限があっても、物事なせるし、そうなるように皆が努めた。ツールばかりが発達しても、それを操る人に配慮が足りなければ、結局のところ、それは使い物にならないばかりでなく、関係性を壊す危険を孕んだ諸刃の剣のようなものとなるのだ。だからひとつひとつのやり取りを大切にした。

 もちろん無駄話も多かった。事務の効率はなおざりになったものの、その分お互いの親睦はより深まったし、絆も強固なものとなった。無駄なことがあるから、得られるものも広がりとユーモアに包まれる。効率ばかりを求めると、画一的になる。それはビジネスでは必要な要素かもしれないが、個人にふりかかるあらゆることには遊びがあっていい。その方が豊かになれるのだ。必要以上に何かに没頭し、決して効率主義にならず、様々な側面を見ながら進めることが自分を育て未来が明るくなるような気がした。

 年が明け、何度もあのラーメンも食べた。不愛想な大将ともすっかり顔なじみになった。お互いの学校の中間地点にタツヤの学校があったから、専らあの汚い部屋が私たちの常連のたまり場となった。

 新井さんはとても絵を描くのが上手だった。モデルのように背が高い美人が描くタッチは繊細でパステル調の色調だった。ホンワカした新井さんの雰囲気が写っているようだった。

 そんなイラストの数々は、交流会を呼びかけるチラシやポスターに配置され、そこに様々なキャッチーな言葉をなつみさんが置いていくことで、販促ツールは充実していった。

 私は自分の学校から多くの渉外予算を取り付け、また、タツヤも新井さんも同様に予算を引っ張ってきた。共通的な財源はまだまだ小さかった。

 だから自助努力で財源を確保するために、なつみさんと私は商店街に出て小さな商店を巡り、小さな広告収入を頼りに頭を下げて回った。

 県下を巻き込んだ珍しい取り組みの構想を抱き、学生が頭を下げにくると、多くの商店が快く、『お小遣い』をくれたのだ。それ位、当時の商店には恩情が溢れていた。そのひとつひとつに感謝をして我々の活動の軍資金をかき集めていった。そして後に発行する冊子への広告枠を埋めていった。

 なつみさんは自分が受験生になることもあり、徐々に積極的に活動には参加が出来ない事情が出てきた。だから一緒に巡ることができた、このお小遣い集めの珍道中は私にとってとても貴重な時間でもあった。

 ある店では説教を頂くこともあった。そんなに簡単に学生が金を求めるな、ということだった。私は私なりに真剣に取り組んでいたから、そんな心もとない説教に落ち込んだ。店から出た私をなつみさんが励ましてくれたこともあった。また他の店では、私となつみさんが夫婦漫才を演じるかのように盛り上がってしまい、その店主に気に入られたこともあった。そのお店の商品だといわれ、お揃いのマグカップをもらった。淡い青とピンクのペアカップだった。決して高価なものではないそのお揃いのカップは、少なくても私にとっては幾倍にも価値のある宝物となった。

 2月に入り、いよいよ交流会の立ち上げは2期フェーズへと進んでいった。参加校を10校程度にまで広げ、試行的に交流会を招集することになった。タツヤの学校が交通アクセスの面からも最適であり、今度は綺麗な建物に100人は収容できる部屋を確保した。さすがに、あのアジトは公にするべきでなかったし、スペースも限られていた。

 その部屋は特別な会議棟だったから、事前の手続きが必要だった。私はタツヤの学校の職員会議に突撃して今の取り組みと設備の利用許可を直訴した。他の学校の生徒が職員会議に現れて訴えることは、間違いなく異質なことではあった。しかし、当時の校長は一声で気まえよく了承してくれた。そういった大人の理解があったことが嬉しかったし、このプロジェクトを前に進める要素になった。

 結局、最初の交流会は40人程度の高校生がそれぞれの学校から参加をしてくれた。郵送での呼びかけに応じてくれて、なんだか面白そうと集ってくれた。様々な制服に身を包んだ高校生が一同に介し、挨拶を交わし合った。

 ここでも私はこの交流会のリーダーをタツヤに譲った。私はやはり副のリーダーに落ち着いた。私より弁が立ち、お調子者のタツヤがこの会を率いる方が、全てにおいて明るかった。新井さんも発起人の3校の代表として書記と会計の後方事務を担ってくれた。そんな感じで交流会は動き始めた。
ただ、その場になつみさんはいなかった。

 この頃になるとなつみさんとは益々会う機会が減ってしまった。なつみさんが、春の予備校の講習に通うようになるといよいよ受験勉強が本格化する。会えない日々に物理的な距離は感じざる得なかった。しかし、なつみさんとの出会いがきっかけで動き始めたこの交流会のことがあると、どこかで応援してくれているという自分本位の感覚が自分を支えてくれた。そんなこともあり、精神的な距離はそこまで大きくは感じなかった。いや、そのように状況を認識しようと努めただけかもしれなかった。

 会えない日々こそ、私にとって辛いものはなかった。しかし、そんな日々があるからこそ、精神的な繋がりを大切に出来た。それは独りよがりの妄想の域であったかもしれない。しかし、そもそもが独りよがりの想いなのだ。
制約があり、苦しみがあるからこそ、深まっていくものだ。その深まりの中に溺れ、大いにこれを楽しもうと思った。

 人を想うことは、自分のモチベーションを上げ、何事にも全力であたることのできるエネルギーの源なのだ。そして自分の身丈以上の困難なことにも積極的に取り組むことが出来る。心が切なさに押しつぶされそうになったり、小さくジンワリと胸が熱くなることもあった。急に声を聞きたくなることだってあるし、あの笑顔に触れたいと何度思ったことか。しかし、そんななつみさんを想う気持ちが、間違いなく私の原動力になっていた。

 40人が集い、そこで思い思いの高校生同士が出会い、繋がることで会場全体は浮足立った。個人としての出会いの機会としても思春期の男女にときめきを与えていた。そして、文化祭を盛り上げようとする同志としての出会いは、様々な共同イベントや相互協力の話は自発的に、有機的に派生していくのだ。これまで閉ざされた個別最適の世界であったが、ここにオープンな交流の機会を設けることで、確実に風穴を空けられた手応えがあった。しかしながら、今後が案じられる課題も浮き彫りになった。

 私は、秩序を重んじた。
 タツヤは、混沌を許容した。
 初回にこれだけの人数を収容してみてわかったことだが、この秩序と混沌の狭間で、それをどうマネジメントするかが大きな課題になると感じた。

 年頃の男女が入り乱れると、自然と秩序は薄まり、ここが単なる出会いの場でもあるかのような混沌さが出てしまうものだ。それは悪いことではないと捉えていたが、しかし私はけじめはつけたかった。秩序を保った中で、有意義な企画や交流が図られることが、この会の趣旨であった。散々、構想立案の議論を重ね、コンセプトの趣旨にも謳っていた。このコンセプトはなつみさんも助言をしてくれたものであり、私もその理念にこそ自分がなしたいことのイメージを投影したのだ。だからこそ、それを大事にしたかった。もちろん、そんな意義ある交流の中で、個人としても素敵な出会いがあれば、それに勝るものはない。なにも、個人の浮ついた欲求を抑圧することが趣旨ではない。しかし、ナンパ師のように見境いなく声をかける男子高生には苛立ちを覚えたし、まんざらでもない受け止めをする女子高生には眉をひそめた。

 この交流会が単なる個人の私利私欲にまみれる場であるとすると、それは苛立ちを通り越してただただ残念だった。文化祭の企画や運営の助けになり、それぞれの価値を高められるようなものであって欲しい。秩序をもった建設的な場の先に、個人としての出会いがあるならばそれは喜ばしいことだ。そんな風に考えていたわけである。

 しかし、タツヤはそんな本能むき出しの混沌さもまた許容していた。人間の行動様式など、規律では変えられないといわんばかりに私の正論をなだめた。まずは多くの生徒が集まり、一定の交流が図れたことは成果だった。しかし、一部の心もとない生徒の招いた混沌とした状況により、私の大切にしてきたすべてを踏みにじられたようで悔しかった。

 しかし、これが現実だった。自分が納得出来ないことから逃げずに向き合う試練が与えられているのだ。人が増えればそれだけ多様性は増す。多様性を認めてその中で組織を運営していくことの難しさは頭では理解していたが、自分が率先する立場になりそれを目の当たりにすると対処が出来ずに忸怩たる思いに伏した。

 他人の行動様式は主観的な課題により決まる。充実した文化祭への関心の重みが強ければ、趣旨に沿った言動となり私の考える秩序におさまる。しかし、自分の私利私欲の出会いの機会にこそ重みが寄せられれば、趣旨はなおざりにされ、その場の交流は混沌さを増す。各自の関心の向き先がどこにあるかによって行動は決まるし、それは他人が容易く変えることが出来ない難題であるのだ。異なる立場を非難し合っても、そこからは何も生まれない。
抱いている課題は人それぞれ違うのだ。アドラーの教えは本当にその通りだった。

 私の訴える趣旨を、同じ温度感で共感をしてくれる参加者も多かった。しかし、異なる温度感で、交流会の趣旨などにたいした関心もないとする者もまた一定数いた。人のコミュニケーションパスが増えることで多様性は増した。良いこともあったが、温度感を共有して物事を前に進める難しさを前に、私は困惑して混乱した。

 こんなとき、なつみさんがいてくれたらと何度も考えた。私のリーダシップの拠り所となり、心の癒しとなり、そして打開をしてくれるパートナーとしてここにいてくれたら、どれだけ救われただろうかと思った。しかし、実際にはこの場になつみさんはいない。秩序を保とうと全力をあげて交流会を企画し、準備をしてきた。そして今日はじめてこれだけの規模の人数を集客したのだ。その初回を終えて緊張の糸が切れた後、私は私の世界で混沌としていた。

 アンケートを集計すると初回の交流会は極めて好評だった。否定的な意見はなかったが、それは興味をもって参加してくれたという参加者バイアスがあるからであり、むしろここでこけたら先はないのだから当然だった。むしろ私は大きな課題感に苛まれ、そしてタツヤと対峙する必要性に迫られていた。これから3期に向けて規模を更に大きくする上で避けられない課題であった。

 もちろん、正論を振りかざし正面からぶつかってもよかった。しかし、それは得策とは思えなかったし、持論を押し付けることは、物事の解決にはならないことも理解していた。だからこそ冷静になる必要もあったし、掲げたコンセプトを全うしつつ、多様性にどう対応すべきかの難題が課せられていると思った。とはいえ、未熟な私が一人でこの答えを出すことは難しかった。

 相談すること自体、迷った。
 受験へ気持ちを切り替え、その道で走り始めただろう中で、甘えて頼ることに躊躇しないわけはなかった。しかし、私には相手のことを考えられるほどの余裕がなかった。

 予備校の前でなつみさんを待った。己の都合を優先する自己嫌悪を抱えながら、しかし、話しを聞いてもらいたいという気持ちに素直に行動することにした。2年生に進学して2か月ぶりになつみさんと会える。そのときめきの中にある私の立場と、交流会の裏方として運営を担う副リーダとしての混沌との狭間で、なつみさんにも2つの顔で接する複雑な事情を抱えていた。

 多くの悩みというのは、困惑の中にあっても、実際のところ、解決の糸口はたいていは自分の脳裏のどこかにひっそりとあるものだ。人に相談をするということは、それを掘り起こし自分の認識を表面化するようなものだった。本当に困惑の中にある時には、そもそも状況を他人に整理して伝えられないし、悩みの内容すらも支離滅裂になるものだ。何に悩んでいるかを認識して話せるということは、あとはどう対処するべきかについて薄々は理解しているのだ。

 なつみさんに話しているだけで、その凝り固まった困惑は少しずつは和らいだ。もちろん、本質的に話しただけで解決できるほどには軽傷ではなかった。でも聞き上手ななつみさんに言葉を並べていくと癒えていくのがわかる。具体的な目標を早くに共有して、ゴールを明確にした方がよいのではないか。そして、そこへ突き進む動きに役割を持たせるとよいのではないか。そんな助言をしてくれた。

 共通したゴールがより明確になるとアプローチは人種のタイプによって異なっても、目線を合わせやすいというのはその通りだと思った。コンセプトに掲げた定性的な交流会の在り方に沿った会の運営というのは、その共通的なゴールが見通しづらく、曖昧さをもっていた。個人の価値観に依拠され、ベクトルがずれやすくなるのかもしれない。

 それぞれの価値観を大切にしつつ、それぞれのメンバーに役割を与え、ゴールを共有できるような仕組みを作ろうと思った。タツヤと相談してみようと思った。これは自分の正論を押し付けるような野暮なことではなく、
建設的な前進を促すように働きかけたいと心を落ち着かせた。

 「どこまでも不器用なんだね。でもね、そういう堅物な要素がこういう会には絶対必要だと思うよ。色々な人がいるから大変だと思うけど、それを楽しんでやれることは幸せなことだよ。」

 なつみさんは私に話す。
 なつみさん自身が後ろ髪引かれて引退していることは感じ取っていた。なつみさんだってこの輪に入って一緒に活動したいと思ってくれているのもわかっていた。しかし、進学校にいるからこその掟でもあって、勉学に勤しまねばならないのが将来のためになるとはいえ無念だったに違いなかった。私は自分が主役となる2年生に進級し、好きなだけ謳歌できることが幸せなことなのだと言われて、そうだなと実感した。

 当たり前にある時間、それを好きなだけ全うできることは、幸せなことに違いない。ただ、苦悩の中にあるとそのことに気が付かなかったり、逃げ出したくなってしまうものだ。しかし、客観的にみれば恵まれた環境にも映るのだ。自分が構想をぶち上げて走り始めたことだ。悩みながらそれを楽しむ覚悟が必要だった。

 優しい言葉に包まれて、応援をしてくれるなつみさんの事が愛おしいと感じた。交流会の責務が和らぐと、急に恋をする一人の青年の顔が出現する。
度胸もないのに抱きしめたい衝動にかられた。女性を好きになるということは、理屈を抜きにして触れ合いたいと思うものだ。それは不思議な感情でもあった。

 高校2年の男子が想いを寄せる女の子を前にすれば、抱擁し、唇を重ねて、その先の淫欲を満たす発想に直結するのが正常な反応であるはずだ。いつだって妄想のどこかで服を脱がしその内たる部分にこそ入り込みたいと思うものだ。

 しかし、どういうわけか、そういう方へ関心が向かない。精神的な拠り所が強いと肉体的な情欲を抑制させるのかもしれなかった。体を重ねるより、言葉を重ね、感謝の気持ちを往来させることが、何よりも大切にしたいことであった。だからこそ、ことに及ぼうという気持ちはなかったが、しかし寄り添っていたいという気持ちが大きく、今晩は別れるのが辛かった。

 駅に着き、なつみさんが乗る電車を見送るためにホームに降りた。電車が到着する旨の電光掲示板が光る。ヘッドライトの明かりがみるみる大きくなり、電車はホームへ滑り込んでくる。ドアが空く。なつみさんが電車に乗って私の方へ振り返る。ニコっと笑ってエールを送ってくれる。私も受験の勉強頑張ってとエールを返す。そして、今日、私のために時間を作ってくれたお礼を伝える。

 トルゥゥゥ~♪ 発車ベルが鳴る。
 乾いたコンプレッサーの音が響く。
 乱暴にドアが閉まる。
 ドアのガラス越しに、なつみさんは手を振る。


 平然を装い私は手を挙げる。いつになるかわからない、『またね』を口ずさんだ。なつみさんはまた拳に親指を立ててこちらに向けた。なつみさんなりのエールだった。

 こんなに近い距離でもドアのガラス一枚でその声は届かない。あるいは伝わったかもしれなかった。

 電車はどんどん加速していく。
 ホームから電車が走り去っていく。
 テールライトが遠ざかっていく。それをただ眺めた。
 しばらくその場から動けなかった。
 そして不意に涙腺が緩む。

 遠ざかるテールライトが涙で滲んだ。感情の整理がつかなかった。じんわりと涙が溢れてきて、言葉では言い表せない感情に胸がギュッとした。それは苦しみともいえたし、感謝ともいえた。悲喜が折り重なるこの混沌さに、なす術もなかった。近くのベンチに座り、目の前の行き交う電車を何本かやり過ごした。

 私は交流会の副リーダ―としても、なつみさんへの想いを抱く男としても、混沌としていた。しかし、その混沌から未来をを見出さねばならなかった。

10. 完遂

 涙を流すことは、自分の心と向き合うことだ。心を解き放ち、内在しているあらゆるものを一度排出する。それには相当のエネルギーが伴い、それが涙となる。エネルギーをこうやって放射し、心持ちをなんとか保っていられるのだ。

 泣き虫だったが、私はそれは恥じることではないと思った。それが自分の感情を整理するのに何より効能があった。人の視線ばかりを気にする自分は、変わっていいのだと自分を許容した。

 タツヤと膝を突き合わせて話をした。この日は朝まで語らった。
あの汚いたまり場で、サシでとことんやり合った。春先の朝日は優しく降り注いだ。

 秩序を保ちながら、多様性を受け入れるためのアイデアを出し合い、様々な対策を講じることになった。また、なつみさんのアドバイスもあり、大きな目標に向けて具体的に動き始めることにした。各校の文化祭で催すイベントに連続性を持たせたかった。なつみさんに初めて構想を話したときから、やりたいことは変わっていなかった。のど自慢やミス(ミスター)コンの優勝者をその翌週に行われる他校の文化祭にゲストとして繋げ、それを連鎖していき、最終週に開催する私とタツヤの学校の文化祭で一同に集めるのだ。
そして各校の代表者から最優秀者を選ぶのだ。単なるより良いアクターを選ぶことが目的ではなく、各校で閉じていたイベントを連鎖させることで、盛り上がりを形成することに重きを置いた。そして最終週にはタツヤの学校と私の学校で紅白のようにチームを分け、同日同時間に中継を結んで、リアルタイムに双方向で楽しめるようにするのだ。

 各週の各校でのイベントの結果を適宜冊子にして配布しその状況を知らせる活動を通し、より楽しんでもらうきっかけを作ろうとした。そして最終週には、メディアを巻き込んで中継を結ぶことを考えた。

 また、広告宣伝の点から、この交流会での取り組みや、各校の文化祭の情報をフィーチャーして宣伝する機会として、メディアに取り上げてもらうことを狙った。企画書を書きあげながら、メンバーに役割を配布するように工夫した。私は、広告宣伝の機会を得られるようにマスコミを回った。また中継を使って2校を繋げてくれるような対応を打診した。

 NHKはもちろん、キー局にも企画書を持って訴えた。しかしそんなに簡単なことではなかった。むしろよく話を聞いてくれたと思った。真剣に話は聞いてくれたが、巨額なお金が動かないと、難しかった。商店街を回り地道に集める広告収入とはまるで別のことだった。

 いくら卒業生を頼ってみても、少し高校生が扱うには規模が大きすぎる話だった。結局のところ、キー局に取り上げてもらうのは難しいと悟ったのだった。そこで、地域のローカル局に中継の打診をしていった。また広告宣伝として定期的に取り上げてもらうのは、何もテレビでなくてよかった。よりリスナーに寄り添う、地元のFMラジオ局を回った。

 そして、地元のラジオ局で交流会のことを取り上げてくれることが決まった。最初の番組がオンエアーされるのは梅雨が明ける7月なりそうだった。この時は嬉しかった。立ち上げの経緯やその後3期に入り、参加者も100人を超えるようになっていたので、コミュニティとしても大きなものに成長していた。そんな高校生の取り組みの紹介はもちろん、参加してくれている各校の文化祭にもフィーチャーしてくれた。事前の打ち合わせもあり、週末の夕方の番組を仕切る番組の人気DJとも仲良くなった。お調子者ののタツヤと私がその番組に招かれ、私たちの声が電波に乗るのである。

 窓ガラスに滴る雫がひたひたと地面に落ちて、チャポンチャポンと水の音を奏でている。梅雨の雨は、ジメジメと肌にまとわり、決して気持ちのよいものではなかった。シトシトと降る雨が夜の静寂の中で響き渡っている。私はなつみさんに電話でラジオの出演を報告しようと思った。手紙でもよかったが、その嬉しい知らせをいち早く伝えたかった。

 自宅の電話を鳴らすのは初めてのことだった。これまでは手紙でのやり取りや、生徒会室の電話での往来だけだった。自宅の番号を聞くほどに親しくはなっていたが、しかし、そこにコールすることは相応の覚悟が必要なことではあった。

 なつみさんはその電話をとても喜んでくれた。そして絶対に、そのラジオを聴くことを約束してくれた。混沌の中での苦労を知ってくれていたから、
そのひとつの成果の喜びを共有できることは、私にとっても別格の喜びであった。

 なぜこんなにも寄り添って喜んだり、悩んだりしてくれるのだろうかと思った。そこには理由を求めても意味のないことではあった。だから、そんな疑問は横に置いておいて、その分かち合えたことを大切にしようと思った。

 なつみさんの受験勉強は決して順調ではないようだった。しかし、こういった類のものは順調だという方が稀だし、順調だと思っている方が危ないものだ。危機感があるからこそ、成長するものだ。自分の道を切り拓くために頑張って欲しいと思った。ただエールを送るしかできなかった。

 なつみさんは自分と向き合い戦っている。でも、私の今を一緒に喜んでくれた。私もなつみさんに成果を報告出来て嬉しかったし、声を聞けただけでも胸が熱くなった。感情が高ぶると自分の溢れんばかりの気持ちを告白したくなるが、受験に向き合うなつみさんのことを思うとそんなことは間違っても出来ない。だいいち、自分が傷つくのも怖かったのだから。だから、自分の胸の中で、ひっそりと温めておくのが一番よかったのだ。

 初めての公開録音のスタジオに入る。若者に人気のDJだったから、毎週ガラス張りのスタジオには多くのギャラリーが集っていた。そんな中でゲストとしてタツヤと共に、私はスタジオの中の机に座っている。大きなマイクがそれぞれの机に備え付けられていて、音響設備とコードが乱雑に入り混じっている。現場の仕事場に紛れ込んだ自覚が、私の緊張を高めていった。

 交流会へ参加してくれている多くの高校生もその窓ガラス越しに生中継を見に来てくれた。会場は異様な人でごった返して、警備員がその場をおさめるのに躍起になっているのが、中からみてもよくわかった。スタジオの中から外のギャラリーの様子はよく見渡せた。

 自分の声が電波に乗って届けられることに実感がなかった。一体どのように聞こえているのか、中にいるとよくわからなかったし、そもそもそんなことを考える余裕もなかった。

 番組のオープニングの音楽が流れてくる。ディレクター席から程なく、DJへキューが出される。いよいよ始まる。タツヤはニコニコ余裕顔だったが、私はやはり緊張していた。そして、どこかで聴いてくれているだろうなつみさんのことを想った。頑張るからね、と心の中で唱えた。恋慕の情は儚いものではあったが、私を十分に勇気づけてくれるものであった。

 蓋を開けてみると、お調子者のタツヤより私の方が話す機会は多かったかもしれない。ただ、気が付いたら終わっていた。頭が真っ白となり、何を話したかはほとんど記憶が曖昧だった。

 番組スタッフとDJの問いかけの誘導が素晴らしく、ただ問われたことに答えていれば、話は盛り上がったし、膨らませてくれた。プロは凄いなと思った。そしてそんな配慮に助けてもらい、なんとか初回のライブを終える事が出来た。スタジオから出ると、そこに来ていた仲間が称えてくれた。そしてその放送を聞いていた何人かからは、自分もこのコミュニティに加わってみたいという声もあがった。

 文化祭というのは高校生活を象徴する一つのイベントでしかない。でも、そこにはそれぞれの青春が映る。それを与えられるものとして捉えるか、一緒に創っていくものとして捉えるかによって、その人を彩る色の濃淡は変わる。文化祭でなくてもいい。私の場合、それがたまたま文化祭でこの交流会だったのだ。そしてきっかけがあり、そこから更に輪が広がっていく事が嬉しかった。

 ひとつのことに情熱を傾けると、誰かに関心をもってもらえるものだ。
もちろん、うまくいかないことばかりである。私が立ち上げ期に混沌の中で苦しんだのも洗礼だった。しかし青春のページを刻むことは、つまりそういうことの連続だった。失敗の連続の中に小さな一つの光りがあるようなものなのだ。

 慣れない生出演に普段とは異なる疲れを感じた。ただ、とても居心地のよい疲れだった。なつみさんから私の自宅に電話があった。お疲れ様という内容の電話だったが、やはり自分のことのように喜んでくれていた。それだけで十分だった。夜も遅かったので、話は尽きなかったが早々に電話を切った。放送で何を自分が語ったのかわからなかった。録音でもしておけばよかったが、そんなこと気が回っていなかった。

 数日が立った時、なつみさんから郵便が届いた。そこには、放送を録音したテープと共に手紙が添えられていた。なつみさんはいつもこうやって寄り添ってくれた。そのテープを再生し、その出来栄えは我ながらよく受け答えが出来ていて自らに感心した。手紙も温かな内容であった。

 その後、毎週のようにラジオに出演した。日が近い文化祭の宣伝の話をした。もちろん単なる告知では面白くないので、特徴やそれを企画し運営している人にもフォーカスし、より足を運んでみらいたいと思ってもらえるように努めた。また、交流会の企画として学校連動のイベントのこともより多くの輪が広がって欲しかったから、参加の呼びかけもした。

 最終週に開催する文化祭を中継することについても、地元のローカル局と話を纏める事が出来た。予算の兼ね合いもあり、双方に設置できる機器は小規模ではあったが、連動して企画を成立させるのに十分なものを用意してくれた。

 交流会は100人を超える参加者となり、各校の文化祭でのイベント、そしてその連動企画も順調に進捗していった。個々には様々な小さな問題は生じたが、軌道に一度乗れば、組織の中で十分な解決を図ることが出来た。

 交流会は、一貫してけじめをつけて真面目に取り組んだ。中途半端にしなかったから、これ以外にも多くの小さな改革が進んだ。そして、単に真面目なだけの会にもしなかった。タツヤが主導して親睦を深める機会を沢山作ってくれた。夏にはキャンプにも行ったし、海水浴にも行った。日を追うごとに仲は深まり、そこで男女のカップルになるものもいた。素晴らしい事だと思った。それぞれの青春がひとつのきっかけで刻まれ、それを裏で支え、運営出来たことに勝手に陶酔していた。

 このようにして、交流会はそのイベントの立ち上げから運営まで、参加者のそれぞれの役割のおかげで、またメディアを始め、地域の方からの応援もありいよいよ最終週を迎えた。各校で選抜されたのど自慢や美男美女をエリアに分けてタツヤの学校と私の学校のステージに分けて、紅白対決をするのだ。テレビ局の中継車からその一部始終を捉え、両校のそれぞれの画面に投影して中継を結んでイベントは進んでいった。新しい試みだったし、テレビ局が入り、中継まで結んでいたから、大変な関心が寄せられ、集客も昨年より多かったし、何より参加者もより盛り上がった。後進のためにも、当日の直接的な運営はできるだけ、後輩の1年生に任せた。任せることは投げることではない。だからきちんと状況は俯瞰し、フォローをした。自分の思い通りに進まず、思わず口を挟みたくなることもあったが、それがぐっと堪えた。自分の色を押し付けることはしたくなかったし、任された立場に立てば、それほどの侮辱はないことを知っていた。私の先輩も、私に任せるべきところは任せてくれた。権限と責任に育ててもらったのだ。

 一度実績があれば強い。今年もあの大きな花火を打ち上げる事が出来た。
もちろんタツヤの学校では難しかったから、まさに最後のクロージングは中継でその花火の打ち上げも共有した。私は打ち上がる花火の音を聞くと、
校庭の地べたに横たわった。

 大の字に仰向けになった。地面の堅さを背中に感じ、真上に上がる花々を全身で受け止めるように空を仰いだ。もちろん、ここ何日かは本番に向けてほとんど睡眠もとれていなかった。それ位あらゆることを忘れて自分の時間を注いだ。日が迫るとなつみさんとの連絡も益々疎遠になっていた。それくらい、私は私の中での自分の時間の有限さに悩まされていたのだ。

 なつみさんはもしかして、テレビを通してこの花火を見てくれているだろうか。

 そんな期待が脳裏のどこかに巡った。しかし、疲労のせいか、あるいは全てのことへの達成感からか、盛大な花火を仰ぎながら、意識がすぅーっと薄れていった。全てが完遂した。現役をこれで退く。一年前、私はここで野心を抱いた。そのすべてが成せたわけではなかったし、むしろやりたかったことのほとんどは実現させることが叶わなかった。しかし、青春の思い出は十分に積み重ねる事が出来た。閉じた目に昨年から今日までの様々な光景が走馬灯のように浮かぶ。そして、やはりそこにはいつも寄り添い笑いかけてくれるなつみさんの姿があった。

 少なくても私にとってはよい恋愛だった。これだけの思い出を作る上で、なつみさんの存在は大きかった。心の中でいてくれたことが自分の励みになり、前を向くことができた。1人の女性の存在が自分をここまで成長させてくれるものなのだとすると、その存在は一生ものの感謝を捧げねばならないと思った。

 もちろん、想いが通い合うことが一番だった。閉じた目の先になつみさんの姿を想像し、やり遂げられた自分と、そこへの感謝がこみ上げ、花火が終わったあとも、薄らぐ意識に身を任せてその場で天頂仰いで、呼吸を整えた。

 遠くの方で笑い声が脳に直接作用した。ふふふ~と、あの寄り添い優しいその笑い声は耳からではなく、脳内に直接響き、そして心地よかった。
この声に何度救われたことか。それが現実のものか、薄らぐ意識の中の夢の出来事のようであった。

 何分そこに横たわっていたのだろうか。遠くの方からまだ来場者同士のやり取りと思しき雑踏の音が聞こえる。多くの出会いがあったようで、楽しそうなやり取りの声に安堵した。心が満たされた心地よさにまだ宙を浮いているようだった。そして更にしばらくが経ち、私は瞼をゆっくりと開く。ぼんやりとした視線の先にうっすらと月明りが滲む。

 私ははっとした。
 その私の顔を上から覗き込む姿があった。
 それは闇の中でも月光に照らされた横顔ですぐになつみさんだとわかった。驚いたが、体がすぐには起き上がらなかった。まるで地面に張り付けられたように体は重かった。

 「お疲れさまだったね。」

 私の頭上にしゃがみこんで、語り掛けてくれた。

 「びっくりしました。」

 昨年も重役を担う私の心を乱さぬよう、自分の気配を消していた。今年もまた、こっそり来てくれていたのだ。それはなつみさんの配慮と、ちょっとしたいたずら心だったかもしれないが、それにただ驚いた。そして離れていると思っていたものが、今すぐここに存在してくれていることに、じわじわと実感はこみ上げていった。

 私はようやく体を起こした。でも立つことは出来ず、その場に座ったままだった。なつみさんも私も次の言葉が出てこなかった。しばらく沈黙だった。それは気まずいものではなく、自然なものだった。沈黙の中に様々な感情が2人の間に行き交った。

 泣き虫な私はその得体の知れない感情が規定量を超え、一気に涙を流した。なつみさんは、そっと自分のハンカチを差し出してくれる。遠慮なく、それで目頭を抑えた。

 感謝の気持ちに片思いの悲恋を孕む感情とが乱雑に入り混じりこの扱いに戸惑うばかりだった。

ハンカチからはいい匂いがした。女性からハンカチを渡され、涙を拭くなど、後先考えてもこの1回限りだった。止め処なく溢れ出る感情の涙はどんどん滴り落ちていく。私は、そのハンカチで目頭を包み込むように抑えた。
それは、なつみさんの温情の中で全身を抱擁され包まれているようだった。

 文化祭を完遂させたそのことより、この1年間のプロセスが走馬灯のように去来し、説明できない感情が沸き起こってきた。

 無難に文化祭を完遂させるだけであれば、目新しいことを追いかけ続ける必要はなかった。過去を踏襲し、歴史を積み重ねていくことでも十分にやりがいがある。次の世代にバトンを渡し継承していくことは、変化に富んでいないものであっても、誇れるものなのだ。

 しかし私は大きな変化を求めた。そのために多くの時間を割いたし、エネルギーを注いだ。なつみさんとの出会いにきっかけをもらい、連絡先を聞き、1通の手紙を送る勇気が、大きな一歩となった。

 立ち上げ期に人の輪が広がっていくことは嬉しかった。仲間が増えた気がして日々の生活は充実したとも感じた。自分の視野はさほど広がらなくても、人脈は多岐に拡がりを持ち、多様性に触れることで自ずと世界は拓けた。

 しかし、なつみさんがいなくなってからの交流会の運営は苦労ばかりだった。時間が経ち、規模が大きくなるにつれて課題は顕在化するものだ。分かれ道はほんの少しの角度の違いであっても、行き着くところはだいぶ違うところになる。秩序と混沌との狭間で、多様性の大きな海の中で何度も波に飲まれ、そして溺れた。不器用な私はそれを賢くやり過ごす振る舞い方を知らず、何度も心がくじけそうになった。堅物の自分がいない方が、みんなが幸せではないだろうかと、自分を卑下して逃げ出したくなる日々もあった。

 それでも最後まで走り続けた。そして、今日、多くの交流会のメンバーが来校してくれて労ってくれた。交流会がきっかけでカップルになった者は感謝をしてくれたし、やらされ感のあった生徒会活動に希望の活力を見出せたという者もいた。参加してくれたメンバーがこの交流会を通して、それぞれの青春を刻んでくれたことは私にとっても何事にも変え難い手応えとなった。くじけなくてよかった、逃げ出さなくてよかった。そんな感情が沸々と何度も繰り返し私の心を突き動かし、涙腺を益々緩ませた。

 なつみさんは私に寄り添い続けてくれた。

 私にとって文化祭は終わり、そして交流会も次の世代へバトンを渡す。私の夏は終わったのだ。

11. 告白

 勢いに任せるからやれることがある。
 感情が高ぶっている時だからこそ、一歩が踏み込めるものだ。


 大きな意思決定は周到な準備を重ねた先にあるものであり、最後の決断は勢いであり感情的なものであったりする。緻密な積み重ねと大胆さの双方がなければならないのだ。

 これは間違いなく恋愛感情だった。私はなつみさんに恋をしている。紛れもない事実であり、今ではそれは誇らしかった。最初の出会いから、ドキドキ感の伴う惹き込まれた普通ではない感覚があった。その出会ったときから予兆はあったが、どこかで確信は持てなかった。いや、受け入れてはならないものとして、自分の気持ちに大きく重い蓋を被せていたのかもしれない。

 しかし、沸々と湧き上がる感情が気化した際の蒸気の力は生半可なものではない。そんな重厚な蓋も弾き飛ばすほどに、熱く盛んに発散するエネルギーを持っていた。

 今、私はそれを晴れ晴れと自分の中の確固たる感情として受け入れることができたのだ。

 恋焦がれることは恥ずかしいことではない。むしろそんな自分の全てを捧げたいと心を傾け、苦楽の中をどこまでも共にありたいと思える人がここにあることは、生を授かった奇跡のように、運命が与えてくれた巡り合わせなのだ。

 ちょうど1年前。
 私は帰路につくなつみさんに、連絡先を聞くだけですったもんだした。駅の改札口で大声でなつみさんの名前を叫んで呼び止めた。そんな勇気とは比べ物にならないくらいの勇気が、1年の年月を経て、今こそ必要なときだった。

 「落ち着いたかな。」

 どれくらいの時間が経っていたのだろうか。
 なつみさんが私の傍らでそっとささやいた。私は自らの感情で溢れた涙で湿ったそのハンカチをどうすればいいかわからなかった。洗濯をしてあとで返すべきかと思った。そんな様子に気が付いたのかどうかすらわからなかったが、なつみさんは、そっと私の手からそのハンカチを手に取り、自分のバッグにしまった。

 「ありがとうございます。色々な気持ちが交錯してしまって・・・。それに、なつみさんが急にここにいるものだから、緊張の糸が一気に切れて、去年から今までの1年のことが思い出されて、泣いちゃいました。」

 私はよくわからないことを言っていたかもしれなかった。でもそんなことはどうでもよかった。今の感情など、どんな言葉を選び紡いでも、自分の心情を説明するには無力だった。

 「ふふふ~、本当にお疲れ様だったね。」

 なつみさんが笑い、労ってくれる。私はただその言葉に救われ、笑顔に陶酔し、なつみさんの存在そのものに魅了される。私の傍らに寄り添ってくれていたなつみさんを、改めてまじまじと見つめる。白い肌が透き通っていて、相手を気遣うことの出来るやさしさが表情に満ちていて、手を伸ばしたくなる衝動に駆られるほどにかわいらしかった。

 「ちょうど1年前、ここでなつみさんに労ってもらいましたね。あの時、とても嬉しくて嬉しくて、心が躍る気持ちでした。そしてあの時も、なつみさんがやさしくしてくれたから、僕は一歩を踏み込めました。色々苦しいことばかりだったですけど、でも、こんなにステキな思い出が出来ました。」

 心が躍るという表現は私としてはだいぶ突っ込んだ表現だった。ただ、事実として心が躍っていた。いや、むしろ躍るというのは控え目だったかもしれない。不意にもう会えないと思っていたなつみさんが目の前にいたのだから、あの時はドギマギしているしかなかったが、今は心だけでなく全身が躍動し、空を舞えるような気さえしたのだ。あなたを前に空に舞うくらい嬉しかったという表現は、単に今、なつみさんを困らすだけかと思い、本望ではなかったが、これでも本心をマイルドに表現したものだった。

 「私にとっても他人事とは思えないくらい嬉しいと感じているよ。あの時に声を掛けてもらったことがきっかけで、こんなにも私にとってもステキな思い出になったことに感謝しているよ。それにしても、心が躍るって随分憎いことを言うようになったんだね(笑)。」

 なつみさんは、最後にいじわるを言ってみせた。

 「いやいや、本当に心躍る気持ちだったんですよ~嬉しかったんですよ~。」

 私は自分の素直な気持ちだと、そこは訂正しておかねばならなかった。いや、実際のところは、空を舞える位に心だけでなく、体全体が喜びに満ちていたという『真実』は告白できなかった。

 「でも、なんでそんなに嬉しく思ってくれて、、、いたの、かな。」

 胸のドキドキが一気に高まった。
 なつみさんはもしかしたら、私が自分の気持ちを言い出すきっかけをくれたのかもしれない。いや、私の勘ぐり過ぎかとよくわからなくなり、混乱した。

 なつみさんには、薄々、私の真実の気持ちは伝わっていたのかもしれない。だから自然な形で自分の思いを告白するチャンスだったのだ。

 しかし、いざとなると言葉が出てこない。そもそも、何を伝えるのだろうか。好きだという恋愛感情はもはや揺ぎ無いものであり、この溢れ出る想いを伝えたいのは間違いがない。ただ、それを、『好きだ』という一言でおさめるのは、的確ではあるのだが、とても十分だとは思えない。

 そして、感情をぶつけるだけでいいのか。受験生という大事な時を過ごすなつみさんへ交際を申し入れるのか。それは相手の立場を尊重し、配慮がある言動なのか。いや単に自分の度胸のなさを環境のせいにしているだけではないだろうか。ならばやはり気持ちだけ伝えればいいのか。しかし、投げっぱなしの気持ちの伝達でよいものなのか。そんなややこしいグルグルの渦に私は苛まれた。あまりに突然の再会だったこともあり、私は踏み込めなかった。

 「あの時はですね、なつみさんの学校の文化祭でキラキラしたものを感じていて、そんなヒロインとまた再び会えたことがとにかく嬉しかったんですよ。」

 なんとも冴えない応対をした。テレビのドラマのシーンであれば、頭を引っぱたきたくなるセンスのない受け流しだった。こういうところで決定打を打てない自分は男としてやはり未熟だったのだ。これは一気に幻滅をされてもおかしくないと思った。

 「ヒロインだなんて、恥ずかしいね~。でも再会をそんなに喜んでくれていたのなら嬉しいな。」

 穏やかな笑顔でなつみさんは答えた。
 なつみさんは、大人の対応だった。

 私は大きなチャンスを逃したのだった。でも、やはりどう伝えてよいかわからなかった。言葉も浮かばなければ、勇気も出なかった。

 その後は思い出話に花が咲いた。たった一年であったし、なかなか会えない時も長かった。それでも多くのことを話題に盛り上がることができた。
時の長さはたいした問題ではないのだ。過去を回想する時、それは美化される。ひとつひとつの思い出は、苦労のばかりのはずなのに、なぜか全てがよき思い出となっていた。そんな過去を談笑し、私たちは歩き始めた。

 途中、交流会のメンバーや後輩たちがたむろしていたので、交流会の反省会と引継ぎのため改めて集まろうなどと事務連絡を交わした。私となつみさんが共にあることを、誰も不思議にも思わなかった。私はなつみさんと校門のゲートを潜り、駅に向って歩き始めた。一年前と同じ光景だった。ただ少なくても私の心持ちは大きく成長していた。私はなつみさんの連絡先を聞きだすために、一年前、緊張して同じようになつみさんとこの道を歩いた。月日が経ち、当時は想像も出来ないくらいに多くの思い出を共有し、そして当時は曖昧だった気持ちは、今、明確な恋愛感情となって今、私の心を燃やしていた。この期間、恋愛だけでなく、多くの学びもあったし、普通の高校生活では味わえないような経験も沢山出来た。男子高での生活において、単なる役得ではなく、女性とこうやって夜の道を語らい歩ける日が来るとは想像していなかった。過去の出会いから現在までのあらゆる景色を呼び起こすように、追憶の糸を辿るように進んでいく時間はゆっくりで穏やかだった。

 そんな温かな時間を、このまま駅近くの雑多な喧騒で乱されてしまうのは躊躇われた。私は街中に出る手前の小高い丘の上にある公園になつみさんを誘った。古びたブランコに腰掛けて、揺れるでも揺れないでもなく話は続いた。細く欠けた三日月の佇まいは華奢であり、繊細に私たちを照らす。夏の終わりのささやかな風が、時々、周りの木々をざわつかせる。小高い丘から見下ろす景色は慌しく車が行き交い、電車が右へ左へと人々を運んでいる。

 私たちの思い出の糸もまた時に喧騒の中で複雑化し、メンバーの思惑が交錯して衝突もした。しかし、自分とは異なる人種であったタツヤと、なつみさんの存在が私を支えてくれた。自分の青春の1ページは、こうやって支えられてなんとか刻むことが出来た代物だった。だからこそ、私にとっては、それが大切で価値あるものであるように感じられたのだ。

 この公園で感じる月夜の下、夏の終わりの風を受けて、私の心はじんわりと温まったのだ。

 話は過去から遡り、ようやく現在に至った。これからは振り返るのではなく、それぞれが作っていく未来の話だった。

 ブランコを漕ぐ。子供がそうするように、勢いをつけた。なつみさんも一緒に漕いだ。ふたりで前へ後ろへと体は押され、また引き戻されていく。私たちの日々もそんなブランコのようだった。前へ進む時もあれば、後ろに下がることもある。勢いがある時もあれば、勢いがなくなってしまうこともある。

 前へいくと、後ろへ引き戻され、
 後へいくと、前へ押し出してくれる。


 そんな単純な反復運動の中にドラマが生まれる。喜びや苦しみはそんな中で自らを育み、豊かにしてくれるのだ。

 未来の話など私自身は浮かばなかった。今日という節目を迎えて、次のことなど考えられない。世界を圧倒するアスリートのように、メダルを取ったその日に次のオリンピックを考えるなど考えられず、凡人の私には、明日から虚無の時間が流れるに違いなかった。

 「なつみさんは、受験どうですか?」

 なつみさんは受験生なのだ。今まさに、将来をどう選ぶか、ひとつの岐路に立っているのである。センシティブでプライベートなことに言及してよいかとも思ったが、逆にそこまで気を遣わずに自然と未来の話をする。

 「うん、色々迷ってはいるんだ。でもね、ようやくやりたいことは見つかった気がするんだ。だから今はそれを学べる大学を見つけたから、そこを目指すつもりなんだ。」

 なつみさんはどこか噛み締めるように話した。もしかしたら、他の誰かに自分のその思いを話したのは初めてだったのかもしれない。その大切に築き上げている将来のことだからその内容に踏み込むのは失礼だと思った。

 「そうですか、自分のやりたいことを見つけられつつあって、目標となる大学もあるなら、また頑張れそうですね。こうやって誘い込んで時間を奪ってしまって申し訳ないですけどね。」

 私はなつみさんの意志を尊重し、励ましというとおこがましかったが、本当に頑張ってもらいたいという気持ちを込めた。

 「今の私の学力ではまず合格できないんだ。あと少ししかないけど、頑張って勉強しようと思うよ。」

 なつみさんは現実と理想の間で苦しんでいるのだと悟った。そしてなつみさんは続けた。

 「でもね、なんか今日過ごした1日はとてもよかった。悲観的になってもしょうがない、前を向いていこうとエネルギーをもらえた気がするの。去年、自分が頑張った姿を勝手に重ねて見てたりもしたんだけど、あぁ、あの時、自分も頑張っていたな、輝いていたなと思ってさ。だから、、、なんかうまくいえないけど、これからにとってよい1日だったと思う。本当にありがとう。」

 ブランコに乗っているから、横顔しかわからない。
 でもそれがよかった。ゆっくりとブランコを漕ぎながら、やり取りされる会話はどこか真実が深まっているように感じられた。素直な心情が表れ、その会話の合間の間もまた自然だった。

 受験というものは、己との戦いである。もちろん、他の受験生に勝ることを求められる競争である。しかし、自分との対話が何度もなされるものなのだ。目指すものはなにか、そもそも自分がどうありたいのか、そのために今、この方程式を解くことが、この論理を説明することが、あるいは歴史を記憶し、英語の文法を紐解き和訳することが、どう自分の将来に繋がるのか。そんなわからないことを手探りでもがきながら、しかし模試を受け評価が下され、何かもわからないものに向かい走り続けなければならない。

 感受性が豊かなこの時期に、その理不尽さと戦いながら、勉強を進めなくてはならないことは、進学校にある者同士、宿命でもあった。

 思い悩み、苦しんでいる人へ、大丈夫という取り繕いの励ましは通用しない。頑張ってというエールの言葉も表面的なやり取りにしかならない。私もこれまでの実感としてそれを理解していた。だから、励ましもせず、エールの言葉を投げかけることも控えた。

 「そうですか、大変なんですね・・・。」

 私は苦労の話については、ただ静かに受け止めた。余計な言葉は何一つ通用しないのだから。理解をして一緒に共感することだけが、今の私に出来ることだった。ブランコの金属同士が軋むギコギコ音が響く。

 そして続けた。

 「でも、今日という1日が、なつみさんにとって貴重な息抜きとなり、またステキな時間になったのなら、私はとても嬉しいです。」

 今度は力強く発した。
 これは私の率直な感想だったし、この嬉しいの感情の裏には、自分のなつみさんへの特別な感情も大いに作用していたのだから。

 私は私の想いの伝え方について少しずつ整理がついてきた。しかし、電車の時間は迫っていた。そろそろ公園を後にしなければならない。

 ブランコから降りて、駅へと続く坂を下っていく。一気に景色は喧騒として、先ほどまでのゆっくりとした時間が嘘のようだった。周囲には私のクラスメートが、弱肉強食の狩りの世界に打ち勝ちゲットした女の子と一緒にカラオケ店の前で駆け引きをしている。そんな横を、私はなつみさんと2人で駅へ進んでいく。時折、同級生や交流会のメンバーにも声をかけられたが、
全て右から左に受け流した。邪魔をしているつもりではないのだろうが、今の私を邪魔しないでもらいたかった。

 この道がいっそずっと続けばいいのにと思う。駅になんて着かず、どこか全く違うところでいいから、束縛のない、自由なところへ、なつみさんと行き着けば幸せだろうと妄想する。しかし、現実は駅に着くのである。

 私は自分の想いをどうなつみさんに伝えるか、心に決めた。どうすることがベストかは結局わからなかった。そんな模範解答などどこにもなかった。ただ、ここで秘めたる思いとしてこのまま封じ込めてしまうのは、この文化祭という青春のストーリーにおいて大きな汚点となってしまうような気がした。だから想いを告白する道しか私には残されていなかったし、そうしたいと心中思った。それは自分の独りよがりな都合ではあったが、自分がどうしたいかをまず大切に、その上で、相手のことへ配慮するやり方をするのだと決心したのだ。

 この際、ロケーションはどうでもよかった。ロマンティックな雰囲気ある場所、せめて静穏な場所でゆっくりと伝えた方がよいとは思った。しかし、今の私にはそんな環境の手助けは不要だと感じていた。想いを告げるときに、雰囲気を作ることは、女性慣れしていない私でもドラマの影響で当然のことととして刷り込まれていたが、そんな気取ったことを言うつもりも、求めるつもりもなかったのだから。

 切符の券売機で、私は改札を通る入場券を買った。昨年は自動改札機の前で恥ずかしい思いをしたが、今回は駅のホームまで降りて見送ることにした。

 入場券を買う人を追いかけてドキュメントを作ったら面白いと思う。そこには様々な人間ドラマがある。そして、今、私もひとつの青春の1ページを終結させようとしていた。そのためには、この入場券はどうしても必要なものだった。なつみさんは恐縮し、ここでいいよと言ってくれたが、しかし、これは私の問題であったし、なつみさんも強くは私を止めなかった。いつもは口数の多いなつみさんも、どことなく静かだった。

 駅のホームは夜も遅くしんみりと静まり返っていた。電光掲示板が次に来る電車を知らせているがだいぶ時間が開くようだ。やや湾曲したホームのその先に見える信号は赤く点灯している。エスカレーターを降りた私は、なつみさんと共にホームの先頭方向へ進む。そのホームの端に置かれた誰ひとり人の気配がないベンチに腰掛ける。スゥーっと大きく息を飲み、そして、ふぅ~と大きく吐いた。なつみさんはすっかり無口になり、うつむき加減に哀感に包まれていた。

 私はゆっくりと語り始めた。
 つたない言葉を必死に紡いだ。無力な言葉に感情を込めて、必死に奏でた。声は震え、途中で噛んだりもした。リズムは乱れ、聞くに堪えないぎこちないものだった。

 なつみさんはやや下を向いたまま沈黙のまま、
 私の奏でる不協和音に耳を傾けていた。

 あらかじめ、こう伝えようとセリフを決めていなかった。というより、冷静な頭でセリフに纏められる程、感情は単純ではなかった。だから伝えたいことも紆余曲折しながら、その場で浮かび溢れ出る感情を必死に繋いだ。
自分でも支離滅裂になっているのを感じる。しかし、そんな自分もまた自分なのだから仕方のないことだった。スマートに想いを伝えるなんて、最初から無理な芸当なのだ。

 私は私の身丈で想いは全て伝えた。
 自分の素直な感情を、相手を想う誰にも負けない自負のある感情を、このようにぶつけることが出来ることは何者にも変え難い感動だった。

 なつみさんの頬に涙が伝っていた。伝った涙がベンチの下に垂れた。
それがどんな涙なのか私にはわからなかった。ただ、少なくても良し悪しは別にして、自分の気持ちは伝わったのだと理解した。

 「本当に、不器用なんだね~。」

 なつみさんは目を真っ赤にして涙がまだ伝う頬を緩めて、こちらに泣き笑いの顔を向けた。その表情は、決して私を咎めるものではなかった。そのことにまずは救われた。

 ホームの先の信号が赤から青に変わる。まもなく、なつみさんが乗る電車が到着する。それはこの場の別れを意味し、
しかし、新たな出発のサインのようでもあった。

 ここで文化祭という1冊の青春の本は終わる。しかし、ひとつの終わりは、また新たな始まりでもあるのだ。

 電車の扉が閉まり、電車はゆっくりと動き出す。私は手を振って笑顔で見送る。心の中でどこまでも深い感謝の気持ちを唱えた。

 電車がゆき去り、私はスゥーっと心が満たされた。その充足感は心から溢れ、大きく体を伸ばし全身でこの感情を受け止めた。

 家に帰り、なつみさんとお揃いでともらった、あのマグカップをようやく開けた。ずっと大切に箱にしまったままだった。なつみさんは受験勉強のさなか、そのマグカップにミルクティーを入れて飲んでいるという。私も、そのマグカップに甘いミルクティーを作り、啜った。体に染み渡るその甘さは、砂糖の甘さだけではない。あらゆる甘さに満ちていて、ほっこりと幸せな気持ちに包まれた。

文化祭という私の青春の1冊はこうしてそっと閉じられた。

• あとがき

 なつみさんとのその後がどうなったのか。そもそもどのように想いを伝えたのかは、敢えて伏せました。ここは皆さんのご想像にお任せします(笑)。

 学校の文化祭というひとつのイベントにここまで傾注してきたという経験は、なかなかイメージがしにくいかもしれません。題材としては部活とかの方がより青春としてイメージがしやすいと思いますが、あくまで「私の青春」という回想録なので自分自身の経験を忠実になぞりました。

 前半で登場したたかゆき先輩は、物語ではやや私との関係性は冷えた印象を抱かれたかもしれませんが、実際には、ストーリーの中では割愛してしまいましたが、その後の交流会でも面倒を見ていただきました。様々な立場から何度も相談をして的確なアドバイスも頂きました。今でも年に1回くらいは旧友を深めています。ありがたい先輩に巡り合え、自分の性格上、馴染まない渉外という部門を叩き込まれたことが交流会への発案に繋がっていきました。貴重なご縁を頂いたなーと今でもよく回顧しています。

 タツヤは私とは全く違うタイプの人間で、私に多くの刺激を与えてくれました。衝突することも多く、物語においても一部触れましたが、何度ももう一緒にはやれないと思ったものでした。しかし、なんともいえないカリスマ性のようなものがあり、結局最後まで切磋琢磨し、二人三脚で走り続けることが出来ました。これには周囲の参加者からの様々なフォローや支えがあり、そういったコミュニティのありがたみもとても貴重なものとして経験できました。この経験は、自分と異なるタイプの人間とどう対峙して、自分の中の釈然としないことをどうぶつけ、その中でどう折り合っていくのかという基本的な人間関係の進め方を学んだ気がします。今でも、自分と異なるタイプの人間にも一定の許容度を持ち、むしろ興味関心が向くのはこのような経験から来るものなのかなと感じています。

 新井さんは同級生でとても美人な方でした。物語でも触れたように長身でモルのように小顔なんですね。今回の物語でこんな逸材をほとんど描写できなかった、というか一度は描写をしたのですが、中途半端になってしまうのと、更に文字数が増えてしまうのでごっそり落としました。物語ではわからないと思いますが、他のメンバーも同様ですが、友達として仲良くなって、高校を卒業後、彼女とも交流は続きました。実はそんな繋がりが新たな人生のドラマに変わっていきます。

 そして、なつみさんですね。まぁ当然主人公である私目線で書かれているので、バイアスがかかっているのは否定しません。でも私のこの期間の青春において間違いなく輝いていました。書ききれないエピソードも沢山あるのですが、泣く泣く物語からは割愛しました。その後のことも含めて、私の思い出として大切にして、その後については深くは言及しておかないことにします。

 また自校の文化祭の準備そのものについては、敢えてフォーカスしませんでした。実際には自校の準備でも大変な苦労があり、ドラマがありました。
そんな中で交流会との二束のわらじで活動をしていました。勉強を一切せず、学校に泊まるなんてことも多かった不良学生でしたから、成績は見る見る落ちて、高校2年の秋の模試では偏差値30まで落ち込みました(笑)。失うものもありましたが、それに余りある得られたものも大きかったですね。

 物語は途中途中で私自身が感じた教訓のことへ言及しています。総合的な活動を通して、大人になった今でも生きている価値観や、物事の対応へのスタンスなどが築かれているなと改めて感じます。高校生という多感な時に、また大人と子供の狭間にある中で、社会的な面も含めてなかなか経験出来ない機会に触れたことは、その後の私の社交性を活かす大学生活の礎にもなりました。

 執筆の事にも触れておきます。この物語は概ね全体で8万字となりました。時間も相応に費やして紡いだ物語ですが、その無駄な営みに驚きを抱かれるかもしれません。ただ、私にとっては、当時にタイムスリップし回顧できることはとても恵まれて幸せな時間でした。もちろん、おじさんの青春回顧に読者の方に需要がないという自覚もあります。投資ブログにおいて趣旨に反した内容であることにも躊躇もありました。それでも豊かなひとときに満たされています。

 冒頭にも記載をしましたが、この長文をここまで耐え抜き、読破された方はいらっしゃらないと思います。しかし、部分的にも目を通して下さった方がいれば嬉しいです。そして、その方にとっての青春の思い出が心のどこかに小さくとも蘇り、ほっこりして頂ける機会が生まれてくれていることを祈っています。

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