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読書備忘録第7回 狂気の山脈にて クトゥルー神話傑作選 H・P・ラヴクラフト 新潮文庫版 南条竹則訳

とりあえず、読み切った。

 そっか、こんな話だったのか。一応、創元推理文庫で「ラブクラフト全集」は所有していたのだが、第3巻から始まる大瀧啓裕氏の作品解題、H・P・ラヴクラフトの履歴書、第4巻の「怪奇小説の執筆について」あたりを読んでお腹がいっぱいになり、購入して30年以上積読していたのだ。見ると消費税が出来る前に購入していたから、我ながら大笑い。^^

 翻訳家の大瀧啓裕氏の文章が自分に合わないのだろうかと思い込んでいたのだが、Wikipediaを見ていたら、F・ポール・ウィルスンの「マンハッタンの戦慄」は面白く読んだ。何せ、異界の化け物が怪獣映画みたいに大暴れするお話しである。

 やっぱり、P・K・ディックの「聖なる侵入」「ヴァリス」の一気読みがイカンかったのだろう。「大瀧啓裕、おれに、合わね」と思い込んでいたのだ。違うのだ。P・K・ディックが肌に合わないのだ。最初に読んだのだが「流れよ我が涙と、警官は言った」だったのだが、ミステリとサスペンス的展開が終わり20ページくらいで、いきなり終わるのである。

 あれはロサンゼルスオリンピックの年だから、来年で40年になるな。
思えば、遠くに来たもんだである。(笑)

 で、新潮文庫版のH・P・ラヴクラフト 南条竹則訳「狂気の山脈にて クトゥルー神話傑作選」の読書後の感想である。

 前に読んだP・K・ディック大森望訳「フロリスク8から来た友人」を読了したのが、7月20日だったから、今回は6日で読み切った。
 前に読んだH・P・ラヴクラフト南条竹則訳「アウトサイダー」は読み切るのに、一か月以上かかった。文章は読みやすいのだが、殆どが、H・P・ラヴクラフトの「走り書き」「メモ」に近いようなもので、お話になっていないものが多かった。まるで、「なろう系」サイトの自分の思い込みだけで書き綴ったような文章。あれは疲れた。

 一般に、H・P・ラヴクラフトは生前、周囲に認められなくて二流の作家扱いだったという記述をよく見るが、認められないのは、それなりの理由があり、彼の思い込みに編集者と出版社が追い付けていなかったというか、二流の作家であることに変わりはない。

 こんな事を言うと、H・P・ラヴクラフトのファンの人に怒られそうだが、夢の中に現れた神殿や異界の生物の描写は事細かいのである。それに物語が追い付いていない。
 ただ、その事細かさに、「これでは商売にならない」と編集者と出版社が決めつけられたに違いない。

 そのメモや作品の散逸を避ける為に、オーガスト・ダレスとドナルド・ワンドレイは「アーカムハウス」を設立したのだろう。
 そこに友情があったというより、「俺らなら、お前の世界観を使って、もっと、面白いものを書いてやるぜ」
 今で言うなら「なろう系」のテンプレ小説の書き手同士の関係に近いと思う。

 かなり、乱暴な見方だが、多分、そう言う事なんだろう。

 では、短編ひとつひとつの感想書いて行こう。

 「ランドルフ・カーターの陳述」
 有名なキャラクターなのは知っていたから、化け物退治するのかと思ったら、肩透かしを食らった。やたら、闇よりの永劫からあいつらが来る!と叫んでいるだけで。そう言えば、昔、俳優の佐野史郎氏が書いたラブクラフトの短編はこんな感じだった。佐野史郎さんは原典主義なんだな。

 「ピックマンのモデル」
 これが一番怪奇小説らしかった。アーサーピックマンの描く絵が実は…と言うオチが素晴らしい。

「エーリッヒ・ツァンの音楽」
 パリの片隅の古びたアパートに主人公が引っ越す所から始まる。H・P・ラヴクラフトが自己を投影しているので、精神分裂症気味で貧乏暮らしと言うのが、彼の小説の特徴である事に気づいた。まるで、ホラー小説界の「志ん生一代」だな。^^
 そのアパートの奥にエーリッヒ・ツァンという音楽家と出会う。彼は昼間はそのアパートの高層階で奇妙な音楽(今で言う前衛的なシンセサイザーのようなものか)をヴィオールを使い演奏しているが、夕方には止めてしまう。
 ツァンは自分の音楽は「異界」の化け物を呼ぶためのものであり、古代の楽譜を使っているが、異次元から彼らを呼び寄せてしまう。
 主人公は驚きつつもツァンの音楽を聴き続ける事を決意するが、ある晩、彼らがやって来るとツァンがが言い、もう音楽を引き続ける事は出来ないと主人公に告げる。それも震えながら。

 それから、主人公はツァンの部屋を訪れるが彼の姿は忽然と消えて、彼の部屋も廃墟と化した。主人公は何が起こったのかを理解出来ずに立ち尽くす。もしかすると、食人鬼に食われたのであろうか。

 そして、そのアパートを去った主人公は二度とそこの街を見つけられないで彷徨う所で終わる。
 細部に至る描写が緻密だが、まるで夢遊病患者の独白を聞いているような感じ。これが、H・P・ラヴクラフトの特色なんだろうか。

 「猟犬」
 これは読みだした時に、何だかインディージョーンズみたいだなと思って読んでいたが、何のことはない、二人の墓荒らしの話である。
 二人は「猟犬」と呼ばれる死者の頭蓋骨から作った像を盗み出しますが、盗み出した後、主人公の友人はとある駅で何か得体のしれない獣に食い殺されたような死体で見つかり、恐ろしくなった主人公はその像を返すべく墓へと行きますが、それを果たせず、気がつくと病院のベットの上にいたのでした。で、何かが窓を覗いている、誰かがドアを開けようとする音がする、と言う所で終わる。
 H・P・ラヴクラフトの小説のオチは実にこれが多い。

 「ダゴン」
 ウルトラQの怪獣に「ラゴン」という半魚人の怪物が出て来るが、このダゴンがヒントになっていると思う。
 お話は第一次世界大戦のアメリカ海軍の軍人が見知らぬ島へ漂着する所から始まる。彼は早速、サバイバルを始めるのだが、見た事のない神殿や遺跡を目の前にして、何とか逃げ出そう試みます。
 そして、サンフランシスコの病院のベットの上で遺跡の中にあったダゴンの像の怪物が襲って来るのではないかと言う恐怖に苛まれる。
 またもや、このオチである。
 困ったら、病院のベッドの上と言うのは、H・P・ラヴクラフトの私生活を反映しているんだろうか?

 「祝祭」
 夢に出て来た祖母の住む家とその土地に行く主人公。その語り口が細部まで明確なのだが、何処か夢遊病患者の独白めいていて、現実なのか夢の中の出来事なのか判らない。やがて、その土地の祭祀を傍観するに至って、これは細部が明確な夢の出来事ではないかと思ってしまう。屋敷の地下の遺産を受け継ぐというのは、TVアニメ、fate/zeroの間桐雁夜の周辺エピソードを連想してしまう。翻訳者の南条竹則氏も解説で書いておられるが、小説、漫画、映画、アニメ、ゲームと言ったさまざまな分野に馴染み深くなっていますと書いておられるが、こうやって、H・P・ラヴクラフトのイメージは伝搬していくのだなと感じた。
 どうでもいいが、この主人公も最後には病院に収監される。^^

 「狂気の山脈にて」
 この本のタイトルの小説である。南極の探検隊が山脈の奥地に行くと、そこには氷漬けになった異界の生物と彼らの神殿であった。
 これを読んで大笑い。永井豪の「魔王ダンテ」「デビルマン」の元ネタはこれだったのか!!テレビ版「デビルマン」の脚本を担当した辻真先先生は永井豪原作の漫画から、H・Pラヴクラフトの影響を読み取って、妖鳥シレーヌやその他のデーモン族を換骨奪胎したのである。才人とはかくあるべきであるな。
 読んでいて思ったのは、この小説、映像的には「エイリアンvsプレデター」に出て来る神殿に影響というか、まんまパクられている。
 まぁ、確か、ジョン・W・キャンベルがこの小説に影響を受けて「影を行く」と言う小説を発表して、ハワード・ホークスにより映像化されたのが「遊星よりの物体X」で、そのリメイク作品がジョン・カーペンター監督の「遊星からの物体X」である。
 こうやって、大元のイメージが凄いと連鎖していくんだな。そういえば、ギレルモ・デル・トロがこの小説を映像化する計画があったそうで、YouTubeでデモ映像を見た事があるが、いかにもと言う出来である。
 長生きして、見てみたいものだ。

 「時間からの影」
 読みやすいとはいえ、最初に6日で読み切ったと言いながら、いざ、感想を書こうと思ったら、これは何を書いているんだと思案した。
 いざ、書こうと思ったら、何処かの大学教授が異界の魔物やそれに関する書物を読むうちに、記憶の欠損を生じて、半分、夢遊病の状態でその意識の流れと時間に対する混乱をそのまま、書きなぐっているのだ。

 南条竹則氏の解説を読んで何となく判った。この作品を発表した翌年、H・Pラヴクラフトは腸癌で夭折したらしいのだが、推察するに、痛み止めのモルヒネを打ちながら、この作品を書いたのではないか。

 映像的言うと、不動明がアモンと合体してデーモン族の世界と時間を幻視するあれを活字化したものなのだと気づくまでに、二日、かかった。

 人間的に鈍いと、反応が鈍くて感想が浮かび上がらない。

 召される前の、H・Pラヴクラフトは多分、異界のクトゥルフと融合した幻想を抱きながら、逝ったのだろう。

 今回、南条竹則氏の翻訳でようやく、H・Pラヴクラフトの一端を知る事が出来た。
 
 次の積読があるから、次はいつの事になるか判らないが、大体、見当はついた。
 迷宮へ至る解読書だった、と記しておこう。^^

 

 

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