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障害をアイデンティティにする必要はない。

以前も似たようなことを書いたのだけど、ぼくは昔から自身の障害を「個性」や「アンデンティティ」とするって考え方にどうも違和感があった。

これは決してネガティブな意味で言ってるわけではないのだけど、以前はてなで書いた時には、賛同してくれる人、否定的な人共にネガティブな話として捉えてる人が多かったような気がする(そうじゃない人もいたけど)。これは多分、わたしの文章力の問題であろう。

これを書いた時、ぼくは「障害者としてできること」とか「障害者なのにこんなことをできた」みたいなことに固執しすぎるなってことを言いたかったのです。結果としてそうなってるのは良い。周りがそういう評価をするのもそれはしょうがない。だけど、自分はそこに無自覚であるほうが多くの選択肢をもてるはずなんです。

みんなが期待する障害者のストーリーに知らず知らずに乗っかってしまい、自分が本来もてるはずの選択肢が行動が狭められてるような気がしてくるのです。少なくとも自分は子どもの頃にそういった何とも言いがたい窮屈さを感じてしまって、脱却することにした。

つまり自分をパブリックな存在にしすぎるというか。自分で望んでそういった方向に進んでいくのであればいいのだけど、そこには当然トレードオフが生じて、以前とは別のある種の偏見というかイメージを作られてしまったりする。これは別にテレビに出て有名になるとかそういう大きな話じゃなくて、日々の生活の中でも障害者はそういうシチュエーションで苦労しがちだと思う。

社会的には意義のあることなんだろうけど、自分の人生でそういうポジションをとることが果たして本当に望んでることかどうかは考えなきゃいけないと思う。障害者だろうが健常者だろうが人生は思い通りにはいかないものだし、自分を肯定することはとても大切だけど、肯定しつつもふとした瞬間に出てくる違和感をそのままにせず「ほんとにこれか?」と疑うこともぼくは大事だと思う。

つまり、社会のためにとか考えるよりも、まずは自分のためにってこと。

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