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うれしいことを、そのままに

両親に嬉しいことを話していたら、いつのまにか自分で少しくさしていることに気付きました。

「まだまだで」「全然あれなんだけどね」みたいな感じで。

心の奥底を見ると、期待されるのが怖いんだなぁと。期待されて、そうできなくて落胆されると「もう信じてもらえない」「見限られる」となんか思い込んでたみたいです。

他人の場合は、そこにまた違うパターンが加わって。
褒めてもらったことや嬉しい話が鼻についたら怖いから、「〇〇さんのおかげです」とか「私なんてまだまだです」と言ってました。攻撃されることに対する恐怖が強かったです。

見限られて誰にも相手にされなくなると、「終わり」と思っていました。

確かにこの感覚、子供のころにしっかりあったんです。
“誰にも相手にされなくなると終わり”
“生きていくためには必要なこと”

ただ…歳をとって、もう色々違うよ?と。

嬉しい話をするだけでキレそうな人は、そもそも関わりを自ら減らすくらいでいいし、
家族はもう散々色んなところを見せた上でサポートしてくれてるんだから、ちょっと小さくミスったくらいで見限らない。

昔の感覚のままアップデートされずに、自動操縦して嬉しい話を自らくさしていました。

…嬉しいことは嬉しいんでいいんだよ!と自分に言い聞かせた1日でした。

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