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8年分のスーを差し上げる

*このnoteはなにきんのオタクだった元金内担が康二の10000字にかこつけて当時の思い出をだらだら書き付けたものです。

向井康二の10000字インタビューを読んで涙が止まらなくなった、ので自分語りしていい? 康二デビューおめでとうの気持ちを込めて。


ハッキリ言うけど私は懐古厨だしなにきん信者だからかなり思考が偏ってると思う。私が気持ちを整理するための殴り書きだから、無理だと思ったらブラウザバックでもなんでもしてほしい。

あと、いろんな人やグループの名前が出てくるけどその人達を下げようという気持ちは一切無いです。



私は小学生当時から筋金入りの関西担だった。土日の予定はあほすきとまいジャニ。日々の楽しみは年1の少クラin大阪と月1のドル誌数冊、あとはたまに連れて行ってもらえる松竹座のライブ。

何を隠そう、私は金内柊真のファンだったのだ。康二のシンメだった人。肌がとにかく白くて「壁」って呼ばれてた人。


康二は柊真といくつかのユニットを経て8年前に「Kin Kan」というのを組んで、後にそこに平野紫耀が加入して3人体勢になる。

このKin Kan、本当にバランスがよかったの。ボケの向井、天然ボケの平野、ツッコミの金内とまあボケの渋滞ではあるんだけど、それを捌ききってしまう柊真のテクニックたるや……。まいジャニではそれに加えてなにわ皇子のボケも捌いてたわけだから凄い。まいジャニ当時の柊真って16〜18歳だったんだよ。

だってあの有名な「エリンギプール」にツッコんだのも柊真やからね。
「4月1日がエリンギプールって知らんくてな〜」とか隣のヤツがいきなり言い出したらどうする? すぐにエイプリルフールのことやって気づける?
これが柊真が「平野紫耀の通訳」と呼ばれた所以だよ。

でも柊真だって完璧じゃないところはある。コンサートのクイズコーナーで間違って正答を先に言ってしまって、罪悪感からステージ上で泣いちゃったこともある。そんな柊真のところへすぐに飛んでいったのは康二。

それから柊真と康二は2人で振り付け師さんに怒られて泣いたこともあった。柊真が怒られて泣いてるのを康二が慰めて、その後康二も怒られて結局2人でわんわん泣いたこともあったね。(実際に見たかのような話しぶり)


そんな柊真と康二の凄いところは、常に努力をしようとするところ。誰からでも学ぼうとするところ。


現にKin Kanに紫耀が加入した時、アクロバットが得意な紫耀に習って3人全員バク転できるようになってる。そう、Kin Kanってメンバー全員がアクロバットできるグループだったんだよ。

当時はまだそれほどジャニーズに詳しくなかったというのもあって、私はKin Kanが絶対にデビューすると信じて疑わなかった。Kin Kanがデビューしたら出てほしい番組やCMを妄想したりもした。はちみつきんかんのど飴のCMやって〜ってずっと言ってたなあ。

......ところがどっこい、Kin Kanは解体されてしまう。なにわ皇子も。突然グループ名の表記が番組からも雑誌からも消えた。それについての説明は一切無し(Jr.にはよくあることだけど)。なにきんは自然消滅してしまった。

けれど若かりし頃の私の頭はお花畑だったから、「そうか!なにきんは3人組+3人組だったけど、一旦解体して6人組になるんだ!」とかなんとか考えてた。というか、ポジティブに考えてないとやってられなかった。


同時期ぐらいかな。カウコンでジャニーズWESTのデビューが発表される。

もちろん関西担だから7WESTやB.A.D.や濵ちゃんのことも大好きだった。だから2月に「この7人でCDデビューします」と聞いたときも本当に嬉しかった。


でも、何年もジャニーズばかり見てきた今なら分かる。これはなにきんとそのオタクにとってはかなり絶望的な結果。

当時、関西Jr.出身者だけで結成されたグループのCDデビューは10年ぶりで、その10年の間に何人もの素晴らしい人達が退所していった。

で、関西からのデビューはもちろん次も10年後になるだろうと誰もが予想する。


康二の10000字でそこについて言及されてたのが本当につらかった。
康二、ここでジャニーさんに「俺も入れない?」って聞いて、「YOUはここじゃない」って言われてるんだ。悔しかっただろうな、どんな気持ちでまいジャニの企画でなにわ侍観に行って、あの手紙読んだんだろう。考えてるだけでつらい。何も悪いことはしてないはずなんだけど、私が何か康二に償わないといけないような、そんな気持ちになってしまった。

そのなにわ侍の客席で、康二は泣いてるんだよね。当時は「感動したんだろうなあ」とか思ってたけど、きっとそれだけじゃなかった。康二だって悔しかったんだ。

ちなみにそこで柊真はなにきんで唯一、客席でも手紙を読んでいるときも一切泣かなかった。「僕はもう泣いてられないんで」と言った。泣き虫だった柊真が。

そしてその放送の最後は「次泣く時はデビューした時!」って言葉で締めくくられるんです。もちろん6人で肩並べて。

だから私も信じた。なにきんは近いうちにデビューする!って。こんなに仕上がってる6人組知らないもんね。



しかし2014年はこれまた残酷だった。ジャニストのファンとして考えると最高な1年だったんだけど、今となって振り返ってみると。

(勘違いされたら嫌なので書きますが、ジャニーズWESTだってワガママでデビューできたわけじゃありません。何度も直談判しているし、「YOUたちデビューなんてしなくてもいいんじゃない?」と言われたこともあります)


例えば、2014年の春松竹ではなにきんが2人+4人のような扱いになった。「愛は味方さ」をしょうれんが2人でやり始めたのってこの頃じゃなかったかな。それから後のドル誌もずっとそう。なにきんに4ページ割かれてたとしたら、2ページはしょうれんであとの2ページに他4人だったり。だんだん2人と4人は別撮影になっていって、しょうれんは関東Jr.のページに混ざることさえあった。

それから、2014年の少クラin大阪には柊真と大ちゃんの出演がない。なにきんが揃ってメインで踊った少クラin大阪は2013年限りということになる。

冬松竹にも最初柊真は出ないことになってたけど、途中で出演者に追加された。この時点でみんな何かを察した。

それからその冬、JAMJAMというラジオにゲストでかねこじが出演した。そして、柊真はそこで「2015年は『動』の年にしたい」と言った。当時の私は何も気づけなかった。

今思えば、なにきんが音を立てて崩れていったのって2014年だったんじゃないかな。記憶は曖昧だけど、一番楽しかったのは2013年だったと思う。


そして2015年が来る。2015年3月の春松竹には、初めから紫耀が出ないことになっていた。なにきんはもう揃わない。そしてその春松竹を最後に柊真は退所する。

私がどうにか当てて観に行けた春松竹は3/28だったんだよ。なんと1階6列目で、柊真に2回もファンサをしてもらって。幸せでほくほくしてたら、その数日後の千秋楽で関ジュ全員大号泣したと聞いて。

4月からまいジャニに柊真が出なくなり、あほすきのメンバーも何もなかったかのように柊真がおおにっちゃんに変更されていた。もちろんジャニショの写真も撤去。


突然自分の担当が退所したらどんな気持ちが残ると思う? 残らないよ。虚無だよ、虚無。


なんでだろうな、柊真と康二はなにがあっても2人でいっしょにいるもんだと思ってた。なにがあっても関ジュにいてくれるし、絶対に2人同じグループでデビューするって勝手に信じていた。

でもこの世界に絶対なんてなかった。

まいジャニは絶対的なバラエティエースを失い、5人体制で番組を続けていくことになる。MCは康二から廉になったかな。ここから康二は司会席ではなくひな壇後列右端にいることが増えていく。


私にとっての絶望は続く。夏にテレビ朝日のイベントが開催されることになり、期間限定ユニットとして「Mr.King vs Mr.Prince」なるものが結成される。その中にはしょうれんの名前も。

今でも忘れない。どん底に突き落とされた気分だった。
それでも「期間限定」という言葉だけを信じて、純粋だったわたしはなにきんの復活だけを祈った。柊真はいなくなってしまったけどせめて5人は、という思いだった。その後キンプリがどうなったかは世間に知られている通りである。


しょうれんは関東での活動の方が多くなっていき、まいジャニの夏休みスペシャルを契機に5人さえ揃わなくなっていく。

紫耀がいなくなり、廉もいなくなった。ふたりは東京へ拠点を移したのだ。まいジャニは「まいジャニメンバー」という概念をなくし、龍太くんやFunkyをはじめとする様々な関ジュがスタジオに出演するようになった。もしかすると、これはなにきん以外の関ジュからすれば大きなチャンスではあったのかもしれない。


それからの記憶はあまりない。私は自担不在のまま2015年の冬松竹に行き、普通に楽しんだ。それからは2020年のあけおめコンまで関ジュの現場に行っていない。


しかしこれだけは言いたい。あの時代は焼け野原なんかじゃない。

初めてその表現を知ったのはファンのツイートからだったか本人達からだったか覚えていないが、酷いことを言う人がいるもんだと思った。
だって、残った関ジュはみんな前に進もうとしてたよね。夢を諦めたメンバーばかりではなかっただろう。さっきも書いたように、一部の関ジュからすればある種のチャンスでもあったはずだ。

実際、2015年のin大阪で披露されたビグゲの迫力は今でも鮮明に覚えている。関ジュがビグゲをやるときは、きっと何かの決意を固める時。焼け野原なんて、関ジュが焼かれて燃え尽きたみたいに言わないで。彼らは焼かれたんじゃない、どこの誰よりも情熱を燃やしたんだよ。


............とは思っていたが、さすがに自担がいない関ジュを見るのはつらく、あれだけ楽しみにしていたまいジャニも(今週はいっか......)とだんだん見なくなっていった。中高時代は休日も部活に明け暮れていたので、部活がある日は録画を怠り、部活のない日でも起床がおっくうで見逃す......ということが増えた。

それからもずっとジャニストは変わらず好きだったしジャニーズは追ってたから、関ジュもなんとなく横目では見ていた。そんな2018年に、また絶望を思い知ることになる。

なにわ男子の結成である。


もちろんなにわ男子のメンバーのことは大好きだ。大西畑もいるし、応援したい! という気持ちは当時からもちろんあった。


でもなんで康二がいないの。と単純に思った。

なにきん解体以降も、康二はずっと大西畑と龍太くんと一緒に4人でメインを張っていた。康二は関ジュにいなくてはならない存在だったし、何より、康二はまいジャニのプロデューサーやジャニーさんみたいな偉い人とも仲が良かったから、次にグループができるなら康二は絶対に加入するだろう、と淡く思っていた。でも入らなかった。


10000字で、康二が「なんで俺おらんの?」と思ったと告白してくれていて涙がどっと溢れた。康二もやっぱりそう思ってたんだ、でも表には出さずいつもと変わらないように活動してたんだっていろんな感情がごっちゃになった。

そこで、康二は「正直やめる方向で考えてた」とも話してくれている。

関ジャニ∞がデビューしてからジャニーズWESTがデビューするまでに10年かかっている。となれば次のデビューは2024年になるかもしれない。2024年、向井康二は30歳。と、年齢を計算して私は関ジュから目を背けることを決めた。
知らんふりをしよう、そして何年後かにそっと雑誌を開いて、あれからどうなったんだろうとチラ見すればいいじゃないか、と。



……しかしその“何年後か”は結構すぐのことである。しかも雑誌ではなく、新聞を開くことになった。

忘れもしない1月17日の記事である。

Snow Man増員。そして、増員メンバーには康二の名前があったのだ。その記事が文字だけの小さなものなら、すぐに忘れることもできただろうが、写真付きの大きな記事だったので今でも忘れることができない。新しい最年少を中心に、9人で、ネクタイ姿でにっこりと笑って並ぶSnow Man............。


私は増員前のSnow Manに対してなにか特別な思い入れがあるわけではない。オリ曲のアクロバットがヤバい人達だなぁと、そのぐらいの浅い知識しかなかった。

しかし、Snow Manが舞台班でもあるという認識は私にもあった。それも、滝沢歌舞伎のようなハードな舞台を年にいくつもこなすエリート集団だと。

そんなところに加入したら、誰であってもバッシングを受けるだろう。特に康二はスキンシップが激しくて、それが人との距離を縮める助けになることは多いけど、関東には、それも職人Snow Manには通用しないと思っていた。

その後に幕が開いた歌舞伎でも、ポスターに傷がつけられていたとか、そういう悲しいツイートをたくさん見た。YouTubeでも康二のスキンシップが多くて、煙たがられてるとか、なんとか。

もーーーーーーーっそれが悔しくて!!!!!!!! だってそこが康二のいいところじゃん、康二からスキンシップと人懐っこさ取ったらダメだよ、でも関東に行くってそういうことなんだろうな......と息苦しかった。


思えば、数年前に関東へ旅立ったしょうれんもそうだったかもしれない。環境が変わるということは立ち位置も変わるし、キャラクターも変わるということ。それが普通だろう。

でも、康二は自分を通した。今でもスキンシップは多い。岩本くんのことを「てるにぃ」と呼んだり、メンバーの膝枕で動画を撮ったり、はじめ「9人でやりたいことはまだ見つかってない」とまで言ってた舘さんをあんな笑顔にさせたり。

正直、めちゃくちゃ凄いと思う。私は康二が周りに染まって、柊真みたいに関西弁が抜けてしまうことも覚悟してたんだけど、そればかりかむしろ康二がSnow Manを関西に染めたまであるよね。アフロでおばちゃんROCKやる関東ジャニーズなんて見たことないよ。(褒めてる)

(※追記  美容院で柊真に直接聞いたんだけど、柊真は周りに染まったというよりも、敬語=標準語だから東京で生活するうちに自然と関西弁が抜けたみたいです。決して関西弁を恥ずかしいと思ってるわけじゃないらしい。)


加入を受け入れられていなかった私のもとにもいい噂がたくさん入ってきて、ある日流れてきたYouTubeの動画。それがあのチンジャオロースを作る動画だった。

正直、Jrチャンネルもそこまで見たことなかったしなあ......とは思いつつ、でも康二がオカンの作るチンジャオロースが好きだということは昔から言っていたので気になり、ポンと動画のサムネイルをタップした。ちょっと見るだけのつもりだった。


..................1時間が過ぎていた。1回目のお化け屋敷の動画なんて2回観た。(かわいすぎて)


そんなこんなで晴れてスノ担になった。

推すなら康二だろうなあ、と思っていたけど、デビュー前年の11/27にベストアーティストで披露されたD.D.を見て阿部ちゃんに落ちた。人生何が起こるか分からない。

そうして、私はようやく呪縛から開放されて、美容師の柊真のこと、Snow Manになった康二のこと、キンプリになった紫耀や廉のこと、なにわ男子の大西畑のこと、それぞれを清々しい気持ちで応援できるようになった。5年近くもかかってしまった。初めてKin Kanを知った時から数えれば8年近くの時間が経っていた。



康二は10000字インタビューの中で、「関西Jr.のファンの人へ。Jr.のファンは本当に大変だし不安になることも多いと思う。でも、信じて最後まで応援してあげてほしい。愛してあげてほしい」と私たちに呼びかけている。


信じた結果、どうなるかは分からない。来年のライブではもう会えないかもしれないし、グループを組んでいたって何も言わず解体されてしまう可能性がないわけではない。でも康二はデビューした。これが結果だ。




私は途中で離脱してしまっていたようなものなので、本来はこんなに長々と関ジュを語る資格なんてないのだけど。

何が言いたかったんだっけな、とにかく、Kin Kanは全員東京に行ってデビューした。実は柊真も東京の美容院に就職してスタイリストデビューしたんだよ。今はお店の副店長をやってる。(※追記  2022年、ついに柊真は自分のお店を出したよ。すごいよね。)

これまでもこれからも、たぶん私は「康二には幸せになってほしい」と言い続けると思う。それは康二以外のことを下げたいわけじゃなくて、単に、康二にこれ以上しんどい思いをさせたくないから。ずっと康二のモンペでいさせてもらおうと思う。



これ書いてなにきん信者やめるつもりだったんだけどさらに熱が強くなってしまったな。

もちろん今はSnow Manだってジャニストだってキンプリだってなにわ男子だって、これが一番いい形だったんだと胸を張って言えるよ。

その上で、やっぱりなにきんってよかったよなーって、これからも図々しく言っていきたいな。