教師もいいなと思った。『GTO』を見た感想。

こんにちは、まるです。

音声でも同じ内容をお話ししています。*少し違っている部分があったりしますが、ご容赦ください^^;
音声版はこちらです。

4/1(月)に、「GTOリバイバル」が放送されました。


僕はそのことを知らず、昨日(4/3)、何気なくインスタを見ていたら、窪塚さんのアカウントがタイムラインに流れてきて、26年ぶりにGTOのオリジナルメンバーが集って、ドラマが放映されていたことを知りました。


高校生の頃、部活をしていなかった僕は早々と学校から家に帰ってきて、16時くらいに再放送で流れていた「GTO」をとても楽しく見ていたので、「これは絶対に見ないと!」と思って、早速Tverで試聴しました。

試聴してみて、「やっぱりGTOは最高だ」と興奮しました。過去のGTOも一挙配信していたので、そのまま第1話も見ました。そして、今日(4/4)は2話を見ました。

GTOを見ていると、今の自分の立場と重なってきました。高校生の頃に見ていた感覚と違っていることに気づいて、なんだか成長を感じました。僕は、正直に言うと学校が大嫌いでした。ですが、そんな僕が、今は「公民館主事」「社会教育士」として、小・中学校、高校と関わりを持っています。不思議な感覚です。

学校と深く関わりを持ったことで、教師という仕事の魅力や尊さを知りました。しかし、知ったことでより一層「自分には無理だ」と強く感じるようにもなりました。

GTOは、いわゆる問題児と呼ばれるクセのある生徒たちとのやりとりが主なストーリーとなっていますので、ドラマを見ていると、「現実にこんな様子だったら、自分はやっていけないな」と思うことがほとんどです。

GTO2話で、鬼塚先生が菊池に「学校を好きになってほしい」というメッセージを話すシーンがあります。僕自身も学校嫌いで毎日学校に行きたくないと思いながら、通っていました。嫌いでしたが、ほぼ皆勤賞くらい行ってました。

今は、学校現場に関わる立場になり、子どもたちに「学校を好きになってほしい」との想いで、教員という立場ではなく、近所のお兄ちゃん的な立ち位置で、子どもたちと接しています。だからこそ、鬼塚先生のメッセージがグサッと響いてきました。

現代の日本社会では、学校は誰もが必ず通わなければいけません。そして、自我が形成される大事な幼少期〜青年期の大半は、学校で過ごしています。その学校が好きか嫌いかによって、人生は大きく変わっていくと思うようになりました。

学校が嫌いだったからこそ、子どもたちに寄り添い、楽しい学校生活を送るサポートが、僕にはできるんじゃないかと思っています。学校の勉強を教えることはできませんが、伝える力は高まってきていると思うので、いつか子どもたちに「学ぶって楽しい」と思えるような授業をすることが僕の目標です。国数英社理を学び直したいです。

教員免許は持っていませんし、実際に学校現場に入りたいという強い想いも今はないので、すぐに教員にはなれませんが、自分が40代や50代、もう少し人生経験を経てから、子どもたちを良い方向へ導けるような教師になるのもまた良い人生だなと、考えることが増えてきました。

自分が今やっている公民館主事になるまでは、「学校教員になろう」と思ったことは一度もありません。そんな自分が、今はこのような感情を持つようになったというのも、また面白いなと感じます。

とまあ、色々と述べましたが、如何せん影響を受けやすいタイプなので、今はこのように思っていても、またすぐに別のことに興味を持つと思います。

職業よりも、自分の力が最大限発揮されることが僕にとって大事なこと。

以上です。

ありがとうございました! さようなら〜👋

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