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将来の夢〜青年時代編〜

▲上が18歳、下が30歳くらいに久々集まった写真

僕は歌手を目指してました。
小学校の頃、歌の発表で音楽の先生やみんなに褒められるようになってから、
歌を歌うことが大好きになりました。

今でも忘れない、15歳で高校上がる前の頃。
TVで初めて観たBoyz II men で号泣しました。
そのとき、歌っていうのは国境を越えて人の心を動かすことが出来る、
なんて素晴らしいものなんだ!
と感動し、プロに絶対なるとそのとき決めました。

決めてから、どうしよう、と考えたのは歌とダンスの養成所です。
沖縄アクターズスクール、ってご存知でしょうか。
僕ら世代なら誰もが知ってる安室ちゃん、DAPUMP、SPEED、Windsなどが所属するプロダクション兼養成所です。
その原宿校にオーディションで応募し、合格。
15歳の高校始まったと同時に、週2回神奈川の藤沢駅から原宿まで学校が終わったら通っていました。
その時の学費は、勿論全て自分です。
うちの親父は、やりたいことがあるなら何をやってもいいが自分で全てなんとかしろ、という方針でした。
僕は、親父のその方針には心から感謝してます。
おかげで、自分の好きなことには全力で頑張れる体力がつきました。
当時は、週2のスクール以外は週5、17ー22時まで飲食店のバイト、週4で早朝5-8時コンビニバイト
夜は夜な夜な歌の勉強、睡眠時間は毎日2時間くらいだったでしょうか。
高校の頃、友達と遊んだのなんて両手で数えれるくらいしかない気がします。
人生を全て捧げる覚悟でした。
毎日が充実してました。

そこで得た1番の収穫は、
歌とダンスの仲間が出来たことです。
後に、グループを組むことになる勝央と聖と知り合いました。
高校卒業後、デビューを目指していた僕たちは、
好きな音楽も似ていたのでグループを組むことになりました。
そこで出来たグループが、
ForStyle というグループです。

メンバーの入れ替えや紆余曲折あったものの、
最終的にはあのSONY musicにスカウトされ、
実際にSONYのスタジオでレコーディングし、デビュー一歩手前というところ、チャンスを逃しました。
当時は観客も気付けば300人くらいは路上で集まるくらいにもなりました。

夢中になる、という言葉は、
本当に夢の途中にいるんだな。と、思うくらいとても心が揺さぶられる毎日でした。

結局、デビューには辿り着けず、
各々違う道へ進むことに。

僕はシンガーソングライターを目指し、
家には電話ボックスくらいの録音室を購入、自宅で作詞作曲、毎月のようにライブをしていました。
当時歌を習っていたのは、もうメジャーデビューをしているHanah springさん。
この方に会えて、改めて歌うことの素晴らしさ、そしてテクニックもたくさん教わりました。

気づけば9年の月日が経ち、音楽の世界は上に行けば行くほど、素晴らしい才能の方々と出会い、そしてそんな方々でも経済的に大変苦労してる人たちをたくさん見ました。
当時はメジャーデビュー=大金持ち、有名になり、毎日のようにテレビで活躍出来る、なんてキラキラしたものを目指してたのに、その姿にはとても葛藤しました。
そして、だんだんと音楽をしていくことが苦しくなっていきました。

そんな矢先、清水翔太さんが16歳でデビューし、アポロシアターで歌ってる姿を見て、その日に音楽を、辞めようと踏ん切りがつきました。
どう足掻いても勝てない才能だったからです。

今、音楽に対して僕はどうしてるのか、というとほば全く聴いていません。
たまーにふと歌いたくなる時もあるし、数年に一度仲間と会って歌うこともありました。

https://youtu.be/ZfS1zbT9bhA

今は、違う夢を追っています。

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