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中学へ入学…心配事しかない。

無事に小学校を卒業して、
次に中学校へ入学。

私には、兄が2人いる。
特に、下の兄とは仲が良く、
わたしが入学する前から、
保健の先生や信頼していた先生に話してくれていた。

入学する前にも、
校長先生や学年主任らしい先生と母と4人で入学後の話をして、
無事に生活を送れるか、どうしたらいいか。
など、話し合った。

体育はできるものだけ。
そのほかは、できないものや手を貸してもらいたいものなど、
その都度話すようにした。

しかし、
中学には、
わたしが通っていた小学校の生徒と、もう一つの小学校が合わさる感じになるので、
知らない子もたくさんいる。
同じ小学校の子たちは、わたしのことを知ってる人がほとんどで、
いじめのこともあったけれど、
他校の方の子たちがどんな子か、不安でたまらなかった。

入学して、
わたしは、6組になった。

同じクラスに、小学校の頃から仲良くしてた子も数人いたけれど
一番仲良くしてた子たち2人は、
みんなバラバラの中学に行ってしまったので、
2人ともいない。

担任の先生は男の先生で、
とても心配してくださり、いつも何かと気にかけてくれた。
だから、何かあった時とか、とても相談しやすく、
ありがたかった。

私はまだまだ通院中で、
週に一度は学校を休んで病院に行っていた。

リハビリや、小児科、脳外科、眼科など。
少しづつ検査も減ってきて、
最終的に、リハビリが主だったかな。

いつも病院に行く曜日が木曜日と決まっていたので、
入学してから、木曜日にある技術の先生とはなかなか会えず、
曜日を変えたりもした。

あと、大変なこと。
体育の時の着替え。
ワイシャツの、一番上のボタンの開け閉めができない。
最初はたまたま近くにいたMちゃんにやってもらってたけど、
気がつけば、いつもMちゃんのところに行ってやってもらってた。
Mちゃんは、学級代表をやるようなしっかり者の
頼れる子。
今思えば、当たり前にやっていてくれたことだけど、
当たり前じゃない。
今あって、ありがとうを改めて言いたい。

夏以外の体育の時は、
誰よりも着替えが遅く、
集合に遅れがちだったけど、夏は違う。
中に短パンとTシャツを着てるので、
ネクタイもしていないので、ボタンも一番上までしなくてもいいし、脱ぐだけ!なので、
夏の体育の着替えは、誰よりも先に着替えて
集合場所に行っていた。

中学生になって、
リハビリもしていたけれど
体の動きも少しづつ良くなり
まだまだ走ることができなかったりしたけど、
唯一、体育の時できる授業。
バレーボール。

オーバーパスはできなかったけれど、
アンダーパスはできた。
クラブに入っていたから、不自由な中でも、
アンダーで、思った方向に飛ばすことができた。
なので、
ずっと斜線だった体育の通知表(ペーパーテスト以外)
バレーボールの時だけは、
斜線ではなく、数字が書かれてた。
試合にも出させてもらえるようになり、
サーブも、普通の人と同じところから打つのは難しかったので、少し前から。
みんなと同じようにやらせてもらえたのが嬉しくて、
本当にありがたかった。
もちろん、位置によっては取れない球もたくさんあり、
迷惑たくさんかけたけど、
誰も文句言わず付き合ってくれた。

当時のクラスメイトに
本当に改めてお礼を言いたい。
ありがとう。

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