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トリセツ

 現在は活動を休止しておられるが、ある特定の女子にとってのカリスマである女性歌手にそんなタイトルの歌があり、大いに売れた。あの歌をどんな人が求め、素敵だと思ったのか。恋愛に関する一連の歌を歌う彼女が全ての女性の代弁者だと考えている女子の一群は確実にこの世の中に生息している。自分の価値観にピッタリであることが嬉しくて、当該歌手の歌を聴いて自分を慰めるのである。
 歌詞を読むに、その歌手に共感(心酔)するタイプの女性たちは、相手に「こうあって欲しい」という願望の強い人だと言える。しかし当然のことながら、相手に何かを求めたとしても、現実にはその通りにはならないギャップからイヤでも不満が生まれる。そして何より困ったことにそのタイプの人が好む相手は、これまた同じく相手には自分の願望通りでないとイヤだ!という人が多いようにも思うのである。
 お互いが相手の思い通りなんかにならないからお互いが相手に不満を持ち、いつも喧嘩ばかりしてる。派手で社交的、ノリが良くってどんちゃん騒ぎが好きという人は大体このカテゴリーに入るし、例外なくこの「自分絶対」という価値観を持っている。

 しかし女子全員が彼女の歌に共感していることはない。若い世代と接する機会が多い私の肌感覚ながら、「トリセツ共感女子」とは別に、「あ〜、私の友達にもメッチャ好きな子いるんですけど、私はちょっと違うかなぁ・・・」みたいな位置付けに自分を置いている女子は多い。女子は皆、この2つのいずれかのタイプ(①トリセツ共感 ②自分とは少し違う)分かれるのかもしれない。ある女性を見て、そのどちらのタイプなのかを見分けるには、卒業式や成人式、また結婚式などの『式』に出た時の様子を見ればすぐわかる。『式』のつくイベントでは、自分が最もカッコ良く、また可愛く、またキレイだと思う姿を遠慮せずに主張するできるという不文律があるからだ。

 表題テーマに戻ると、そのタイプの人たちを取り扱う説明書には実際にはなんと書けばいいのか。まず冒頭に「とにかく欲求、願望、価値観には難クセを付けずに認めてあげなさい」と書いておく必要があるだろう。注意書きには「決して考えを正そうなどとはしないように」みたいな文字が注意事項として並ぶだろうしね。
 あーまた嫌われることを言ってしまったようだ。

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