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大阪人

 思わず笑ってしまう時、それは感情の表われというより反射だと思う。その行為を意識してるわけじゃないからだ。自分の発した言葉や行動で周囲にいる人にこの反射を常時狙っている街、それが大阪である。

 大阪では笑いというものがただの日常行動の一部にとどまらず、かなり高い価値を持つ。ボケとツッコミなどという役回りは幼稚園児でさえ演じ切る。『お笑い』とはよく耳にする言葉だが、ここ大阪では確固たる地位を築き、決して軽んじられることはない。だから何かを見て『面白い』と評価するのは優れていることを表している。『今度入った新人は面白い人やね』はかなりの褒め言葉だし、逆に『面白くない人』は誰かを評価して語る時には、貶す言葉として最低レベルのものだ。『あなたつまらない人ね』などと女性に言われた日にゃぁ、大阪では自殺モノである。

 『しょーもな』とは老若男女が日常的に使うレスポンスの一つだが、言われた方は、なんせ『面白くない』と評価されているのだから弁解に必死になる。子供同士なら「オレ笑わそ思て言うたんちゃうもん』と言い逃れようとするが、笑わそうと思わずに言葉を発する大阪人はほぼいないのでその理屈は破綻している。

 大阪に長らく住んでいると、知らない間に頭の中がお笑いという病原体に侵食されてしまう。地域や年代によって変異するのでその病原体はウィルスとよく似ているのだと思う。この地においては、何かの機会に『どーぞー!』と自分を紹介されたり振られたりしたら、その場を笑わせなければいけないというのが定期なのである。笑わせるために何もしなければ『なんも無いんかぁい⁉︎』や『オチは無いんかぁい⁉︎』と突っ込まれもする。この精神は結婚式における新郎の父による最後の挨拶(普通は感動的なモノだ)でさえブッ込んでくるツワモノがいて、参列者の失笑を買うという場面をこれまでに幾度か見た。個人的には実に微笑ましいと思う。

 人前で何かを発表(披露)しなければならなくなった時。繰り出したネタが面白くなければいけないという縛りは、ネタを持ち合わせない人にとっては、その場を地獄の空間にする。しかし経験上、振られたらモジモジしないでただちに行う方が良い。下手くそなモノマネでも、間髪入れずにやればその場の人は『一発目だからこんなモンだ』と許してくれる。『いやぁ、俺はできないわー!』とかなんとかモジモジやっている内に、ハードルはドンドン上がるから、順番が遅くなればなるほどツラい。やるなら一発目で間髪入れず、がネタのない人にとっては傷が少ない。

 こんな日常は、きっとおかしなことなんだが、ある意味文化でもある。私のような田舎の離島生まれでも、住んでいれば大阪の言葉やルールに従い、また文化にも染まってしまう。大阪というところはホントどこに行っても人情に溢れているが、そんなシビアな一面も持っている街でもある。


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