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◯◯警察

《帰省警察》
 一昨年の夏の頃だったか、地方に住む多くの人たちは都会に出た娘や家族には会いたいものの帰省してほしくないと思っていた。ご近所の目が怖かったからである。しかしその圧力を破って子供が帰ってきた家があり、『常識を考えろ!』という意味合いの貼り紙までするような甚だ非常識な行為がニュースになったりした。いわゆる帰省警察である。
 他でもない私とて例外ではなく、俗にコロナ禍と呼ばれるシーズンも3周目になった今年、妻の実家に子供を連れて帰ろうとして、2人の兄嫁から事実上拒否された。いわく『職場から県外の人との接触は避けること』と言われているとのこと。どうも県か市かの方針らしい。まだこんなことやってんのか?とアホらしくて言葉を失ったが、迷惑をかけることになるのなら控えようと天を仰いだ2022年のGWだった。

《マスク警察》
 2020年は人々がコロナの脅威に最も狂っていた(今も変わらない人は少なくないが)。街ではコロナ対策のつもりなのか自身の正義感からなのか、マスク警察なるものが出現した。ご近所だけではなく街に歩く人の中でマスクをしていない人まで睨みつける。路上飲みと呼ばれた行為もトップニュースになった訳だが、こんなことを聞くと日本人がいまだにムラ社会に生きていることを思い知らされる。周りと同じことをしない他人が気になって仕方ないのである。

《ワクチン警察》
 そして流行はワクチン未接種者に対する同調圧力に移った。『安心のために3回目のワクチンを打とう! 』とメディアや政治家は叫ぶが若者の接種は思うように進んでいない。当然である。様々な情報を得ることができる若者は、逆にTVや新聞しか見ない老人のように無知ではない。ワクチンを打ったからといってコロナに罹らないわけではなく、重症化の抑止力も怪しいのだからそれも仕方ないと思う。しかしそうは思っていない人は多い。ワクチンは打つモノであり、他の選択肢などないと信じている。接種がいつまで、何回続くのか?などとは考えない。そしてさらに自分のことだけを考えていてくれたらいいのだが、時にその手の人々は他人にまで自分の理屈を押し付ける。自分達の価値に沿わない奴らなど非国民であるかのように。他と同じくこうして新たにワクチン警察が生まれるのである。

《障害者警察》
 さてコロナの話はこれ位にして。運命により内部障害と精神障害の両方を持つことになった妻を助手席に乗せ、毎週スーパーに買い物に行く。空いている時には障害者スペースに車を停めるのだが、時に冷ややかな目を向けられることがある。車椅子も使わず、一見健常者と変わらないように見える私たちが車から出てくると、正義の味方を気取る彼らの頭の中では『こいつらは健常者のくせに一番出入口に近い障害者スペースに停めやがる』と感じるのだろう。面倒クサいので大概は無視するのだが、障害者警察の人たちは、見た目が障害者らしくなければ障害者とは認めないようで、正義感を発揮して糾弾したくなるようだ。『ここは障害者のスペースやぞ?』とか『へぇ、ここに停めれるのか?』などの嫌味をボソッと聞こえるようにいってきたりする。どうしてもしつこい粘着質の人(ほぼ男性のご老人である)がいて、腹にすえかねる時には(そんなことは1年に1度もないが)、失礼ながらそんな人の非礼を糺す(後で恥ずかしくなり後悔するのだが・・・)。

 日本は恥の文化が育まれた国だというが、結局それはみんなが同じでないといけないという価値観と根を一にするものなのかもしれない。母親は我が子に『そんなことしてるのは◯◯ちゃんだけよ!』と叱る。行為の善悪より、1人だけだからやめろという訳だ。
 困ってる人や不運な人がいれば、他人であってもその人に情けをかけて助けてあげようとする思いは、日本人は世界一だと思う。しかし誰かが1人だけ得をしている状況が許せないのも世界一だ。これぞムラ社会の相互監視体制ではないだろうか。

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