ビジュアル系という病
この世には数多くの音楽があるが、我が日本の音楽界にはビジュアル系という、摩訶不思議なジャンルがある。娘がこの世界の音楽に神経をやられていることもあって嫌でも耳にしてしまうのだが、彼らの良さについてはこれまで私はちゃんと聴いたこともないし、理解しようとしなかった。しかしその前に彼らの歌は、滑舌のせいなのか、はたまた歌い方なのか、ほぼ何を言っているのかわからない(笑)
娘に勧められてあるバンドの曲の歌詞を読んでみた。ふーむ。ちょっと面白くなって違うバンドの違う曲、また別のバンドの別の曲、、、。なぜか興味を感じ、さらにネットでビジュアル系バンドの曲の歌詞を次々と流し読みする。普段は気にも止めていなかったのだけど、ちゃんと歌詞を見て意味を理解しようとしたのだ。その曲の真意や思いを知るには歌詞の内容がわからないのでは話にならない。
・・・しかし彼らの歌は、歌詞が聞き取れないからわからないのではなく、歌詞は聞き取れても意味はわからないということがわかったのだった(笑) そしてそんな日々の中で、私はビジュアル系の曲に共通するある法則や約束事に辿り着くに至る。
《歌の中で描かれる世界》
まず、色は黒または赤系の色。黒については夜、漆黒、暗闇、灯りのない世界なんかがヘビロテ。赤「系」と表現するのはその赤は「紅」や「緋色」「血」であり「赤」という表現はあまり無いからだ。さらに「透明」という、色が無いという表現も多い。
時刻は夜中の午前◯時。間違っても朝日が降り注ぐ窓辺の鉢植えなんかは金輪際出てこない(笑) 時間の長さの表現としては、短くは「刹那」。なんでそんなに瞬間にこだわるのか(笑) 刹那好きだわ〜(笑) または逆に長い場合は「永遠」。ぜひ「とわ」と読んでほしい。特筆すべきは、すごい能力を発揮し、時を止めることもあることだ(笑)
場所としては、星または天使が舞い降りた街角か、鉄板である「迷宮」だ。この「迷宮」の出現率は高く、その中に色々なものを配置して異次元を表現する。「ゆりかご」なんかはシブい小道具だし、毎日誰かが迷い込んでしまい、見つからない出口を見つけようともがいている(笑)
花はなんといっても「薔薇」。決して「バラ」じゃなく漢字に限る。ひまわりやたんぽぽのような日光が似合う花はイメージに合わないから見当たらない。
本人の状態は「孤独」で「絶望」に蝕まれている。いつも手の届かない闇に溺れているし、孤独なくせに踊り狂うことも多く、邪悪な運命に引き寄せられることもある。奈落から這い上がりたいんだけどその祈りは誰にも届かない。背中の翼は傷ついてるか折れている。翼があるだけでも大変だけど(Tシャツは着られないし…)、それが折れたりしたら、やっぱり整形外科に行くのだろうか?
恋人は「マリア」または「ジュリア」で「君江」や「和子」ではない。また決して女性が一人称で語られることはなく、中性的ながら男からの目線で物語は描かれる。
歌の中の主人公である「私」は勝手な想像ながら、髪が長い(はずだ)。間違ってもスポーツ刈りじゃないと思う(笑) 刈り上げのツーブロックじゃ歌にならない(笑)
天気は雨。とにかくやまない(笑) 雪はあり得るけど、夏のかんかん照りはあり得ない。季節という概念は存在しないか、あっても冬だ。
まだまだあるがキリがない。しかし私はビジュアル系というものに対し、前例のないある結論を出した。ビジュアル系、それはプロレスである。実生活ではない。フェイクだ。エンターテインメントのために、ロープに投げられればやられるのがわかっていても相手のもとに帰っていく。ビジュアル系バンドのボーカリストは、ガラスの部屋で絶望に涙しながら堕天使の幻を見ていると歌いつつ、実態は六畳一間のワンルームでUFO焼きそばを食っているのである。
「実際とは違う!」や「そんなことあるかぁぁぁい!?」とツッ込んではいけない。あれはプロレスなのだから。
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