仏談 ー 変な仏様 ー
そりゃあくまで神様や仏様なんだから『変』だなんて言ったら怒られそうだけど、どう考えても変わった仏様や神様はいらっしゃる。
⚫︎性愛の仏様
仏様には『明王』というカテゴリー(簡単にいえば階級)が存在する。きっと不動明王の名は聞いたことがある人が多いのではないかと思うが、数ある『明王』の中にあって、性や煩悩の悩みにめっぽう強い 愛染明王 というその筋の専門家がいらっしゃる。煩悩が邪魔して仏の教えが届かない人々をこの明王は救うのだ。忿怒の形相(メッチャ怒ったお顔)と炎で煩悩を吹き飛ばしてしまうという。
人の煩悩は108個あるということは、除夜の鐘をつく回数で人々に知られているが、そんな煩悩の中でも男女の情というものは心中や包丁沙汰になるなど扱いにくいものの代表である。人生の最終章をホームで過ごす老人同士であっても、その熱い思いがぶつかり合う場面を実際何回か見た。
この愛染明王は愛欲や性欲のエネルギーを利用して悟りに至ろうという、なんともズルくてウルトラCなアプローチをブッかます仏様なのである。しかしこの教えにすがる人や救われる人は多かった。愛欲・金銭欲・出世欲と深いかかわりを持っていた武士や遊女にも高い支持を受けていたのが何よりの証拠である。
⚫︎トイレの神様
明王つながりで。烏枢沙摩(うすさま)明王といっても、愛染明王同様あまり一般的には馴染みがないと思うが、この尊格こそ『トイレの神様』である。世の中の汚いものを焼き尽くす火神であるこの仏様(元は『神様』ではなかった)、不浄なものを焼き払うということで、トイレの神さまということにされたのだ。トイレは古くから怨霊の通り道だと考えられていたこともあり、人々はトイレを清めるための理由を必要としたのかもしれない。
トイレの神様といえば過去に同名のヒットソングがあったが、この歌に出て来るおばあちゃんが教えてくれたのもこの明王のことなんだろうな(あの歌ではさらに『女神様』だったが)。
ところでお釈迦さまがいよいよ亡くなるという時、神々が集まって嘆き悲しんでいても、重鎮のくせに『梵天』一人だけは天女と遊び戯れて参上しなかったという。仙人達が迎えに行くと梵天は神通力を使って自分の住まいである城のお堀を糞尿で満たしたのだ(神様がそんなことするか?)。それを聞いたお釈迦さまはこの トイレの神様 = 烏枢沙摩明王 を遣わした。明王はウンコのお堀を大地に変え、梵天を連れ出してお釈迦様のもとに参上した、というエゲツなく香り高い話がある。このことからあらゆる穢れや不浄なものを浄化するとして信仰されるようになったんだと。
⚫︎性神に丸め込まれた象のバケモノ神
大阪の人で知らない人はいないであろう、生駒聖天(聖天=歓喜天)。家内安全や良縁、夫婦和合なんかにご利益のある神なのだが、コレも一筋縄ではいかない。頭が象で体は人間のこの異形の神は、元々ある国の王(この時は人の姿)だったのだが、大根と牛肉ばかり食いまくったため(生駒聖天さんには大根をモチーフにしたり飾りにした物がそこここに見られる)、やがて国中に牛がいなくなった。すると王は人の死体を、さらに生きている人間まで食らうようになった。これはタマランということで、人々は王を成敗しようとしたところ、王は自分の姿を象頭人身の姿に変じさせ、姿を消した。そして呪いで国中に疫病を流行らせたので、人々は十一面観音(頭の上に色んな顔をくっつけたポピュラーな観音様)に助けを求めたのだ。
この観音様、なかなかにヤリ手だった。なんと自分の姿を象頭人神の女、それも絶世の美女に変化(へんげ)させ、その姿で王の前に現れて色仕掛けで王の心を操ろうとしたのである。ハートをワシ掴みにされた王は、鼻息荒く観音様の忠告通り疫病を終息させたのだが、仏像として造像される際には、正面から抱き合う象頭人神の男女で表されるのだが、女役の十一面観音(姿は象頭人神)は 二度と王に悪さをさせないように、男神の片足を踏みつけているのである。
⚫︎踏まれ続ける鬼たち
優れた2人が存在する時に、比喩として使用されるのは『両巨頭』『双璧』あたりか。これが3人になると『三羽ガラス』になって、さらに4人であれば『四天王』だ。しかしこの四天王の本家というものは『持国天・増長天・広目天・多聞天』の四神のことである。
この四神は仏法の守護神なのだが、東南西北に一人ずつ 配置(記載の順番通りの割当)されている。臨戦態勢の軍人なのでとにかくイカツい彼らだが、仏教世界の中にあってはかなりの有名どころなのである。顔は憤怒相(ふんぬそう・愛染明王の欄参照)であり、とにかく怖い。特に東大寺は戒壇院の四天王はその姿も迫力満点だが、広目天あたりの睨みは本当にスゴい。なんであんなに恐く作ったんだろうと思ってしまう。ちなみに北方の守護を任されている多聞天は、毘沙門天の別名であり、七福神の一人としても有名だ。しかも奥さんは美神の誉高い吉祥天という、非の打ちどころのない大スターなのである。
さてこの四天王を造像する際は、基本的に邪鬼と呼ばれる鬼を踏みつけている姿で表される。この稿のテーマ画像は四天王に足に踏みつけられている2体の哀れな邪鬼である。鬼なので悪いヤツには違いないのだが、なんとなく憎めなくって個人的には好きだったりする。だってかわいいじゃない。
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