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真景累ヶ淵「豊志賀の死」~お久が”私がオバさんになっても”を唄う日~


やきもちは 遠火に焼けよ焼く人の 胸も焦がさず味わいもよし


女の嫉妬、悋(りん)気というのは今も昔も西も東も共通の感情のようで
さまざまな物語のテーマになってきた。
頬をふくらますようなかわいいものから身を狂わすような根深いものまで、六条の御息所からaikoまで。


広辞苑によると嫉妬とは、以下の感情である。

しっ‐と【嫉妬】
① 自分よりすぐれた者をねたみそねむこと。「弟の才能に―する」「出世した友人を―する」
② 自分の愛する者の愛情が他に向くのをうらみ憎むこと。また、その感情。りんき。やきもち。島崎藤村、藁草履「―は一種の苦痛です」。「妻の―」


落語のほうにも「悋気の独楽」「悋気の火の玉」「夢の酒」「権助提灯」など、やきもちをあつかった噺は多くある。冒頭の短歌がまくらで詠まれると、そういった噺がかかる合図のようなもので
不義密通が重罪だった時代であっても婚外恋愛にはしる移り気な男たちとそれでもやっぱり独り占めしたい女たちの、いじらしい人間模様を垣間見ることができる。


そんな数あるジェラシー落語のなかで私のいちばん好きな、ベストオブ嫉妬狂いキャラと思っているのが
三遊亭圓朝作の怪談噺「真景累ヶ淵」の第3段、「豊志賀の死」にでてくる師匠・豊志賀である。

本日は、現代にも通ずるところがあるであろう豊志賀のコンプレックスとそれによる苦しみについて、お話させていただきたい。

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◆『豊志賀の死』あらすじ◆
1793年,根津七軒町に住む富本の師匠豊志賀は,男嫌いで固い人ともっぱらのうわさ。
身持ちがいいので信頼できると女のお弟子が集まるうえ、男嫌いといえど器量の良い独り身、男のお弟子さんもよく集まり、稽古場はたいそうな大所帯となっていた。
そんな豊志賀のところに出入りしていたのが、暇があれば座布団敷きやお茶淹れの手伝いを買って出る働き者の煙草屋・新吉。あるとき豊志賀のところの女中が病に臥せったことをきっかけに新吉はそこの2階に住み込みで働くこととなる。とある夜、天気が荒れて寝付けない2人は、床を共にしたことがきっかけで恋仲になった。

すっかり新吉に入れこんでまめまめしく世話をする豊志賀であったが、だんだんと通い弟子のお久と新吉の仲を邪推するようになる。嫉妬心からお久につらく当たるようになるが、その因果かある日、豊志賀の顔に小さな腫物ができてしまう。これが消えるどころかどんどん腫れてくる一方でついにはお岩さんのように顔面の半分にまで肥大する。痛みと気落ちから寝込んでしまい、食欲すら失くしてふさぎこむ豊志賀。

病に臥せりながらも新吉とお久の仲を疑い続け新吉を問い詰める毎日で、ついにはお見舞いにきたお久にも新吉目当てだろうと毒づく始末。
毎日そうした小言を言われ、また看病にもすっかり疲れた新吉が家を出ると偶然お久と出くわす。それぞれの事情を抱え家に帰りづらく、腹ごしらえでもしようと2人で鮨屋を訪れ2階に上がるが、向かい合って座っていると急にお久の目の下にプツリとできものが、と思った瞬間それはふくらみ、豊志賀そっくりの顔になって―――
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この後の物語ではこうして嫉妬に狂った豊志賀が、新吉の妻を7人まで取り殺すという遺書を遺して自害。その怨念によって新吉と彼をとりまく女たちに様々な悲劇がふりかかる様が語られてゆく。


豊志賀の呪いの始まりのこの章、あらすじと併せてまずとりあげたいのが登場人物の年齢なのだが


このとき豊志賀、39歳。
新吉、21歳。
お久、18歳。




お久、18歳。




強い




そう、真景累ヶ淵の豊志賀は
まずもって自分の年齢(と新吉の年齢との差)がコンプレックスである。


今より寿命の短かった時代、
女ざかりは18、9と言われ30代後半ともなればもう大年増に片足つっこんでいるというような時分の話であるからそのあたりわずかに感覚の差こそあれ、
正直もうこの時点で私(30代)は豊志賀の味方。豊志賀サイドのセコンド入りを決意。


女性の魅力はもちろん若さだけに因るものではない。
豊志賀も浄瑠璃・富本節の師匠として身をたてているくらいであるから、教養があって品もあって魅力的な女性だったのだと思う。丁寧に年を重ねて自信と努力に裏打ちされた大人の女性の凛とした美しさというのは同性から見てもウットリするものがある。


それでも、それでも気になってしまうお久18歳。
21歳の新吉と幸せに暮らすなかで少なからず負い目に思っていた「年齢」が、長所ですらあるけなげで可愛い女の子。

そんな女の子が自分の恋人にモーションをかけてくるというのは
体バキバキに作った階級3つ上の選手が腕をブン回しながらリング入りしてきたくらいの絶望である。


豊志賀が2人の仲を疑うのは、お久がよく新吉に笑いかけるから。
新吉もそれに笑みを返すから。


それだけ!?と思ってしまいそうなものだが
自分に自信がないときに「自分が男だったら絶対こっち好きになるな…」という相手を前にすると
その劣等感はそのまま敵対心になる。懐疑心になる。
親熊が子熊を連れているときに狂暴化するみたいなもので、相手が大事であればあるほど、すべてが自分の幸せを脅かしうるものにみえてしまう。


嫉妬心にかられてお久にいじわるをし始める豊志賀の余裕のなさ、性格のキツさは結構なもので客観的にみたら完全にヒールであるし
ましてや顔の半分を覆うほどの腫物ができて臥せってからの豊志賀は審美的にも美しさを失くしていっているためもう鏡を見るたび辛く、若くて可愛いお久が新吉に近づくのが苦しくてしょうがない。
そしてさらに悪いことに、そのみじめさが災いして献身的に看病してくれる新吉をずっと責める。
広義的には責めているわけではないのだが、新吉からしたらいわれのない罪で責められている感じしかしないであろう物言いをする。
以下、煎じ薬を飲ませようとしてくれる新吉につらくあたる豊志賀・抜粋である。


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豊「…薬を飲んでも無駄だからいらないよ…」
新「そんなことはないだろう、昨日より腫れがひいてるじゃないか」
豊「お前さんはそういう嘘をつくから嫌いだよ、日に何度も鏡をみてる私のほうがわかってる…それに腫れがひいてもヒキツリみたいな跡になるだけだから、はやく死にたいよ」
新「また始まった…2言目には死にたい死にたいって、看病してる俺の身にもなってくれ」

豊「私が死ねばお前たち2人が喜ぶと思って…」
新「なんだいそれは、その”お前たち2人”ってのは。」
豊「お前とお久さんだよ」
新「お前はすぐそうやってあたしとお久さんの間に何かあるようなことを言うけど、なにもありゃしないよ、なにがあるっていうんだよ」
豊「今は何もないよ、どうにかなりたくてもあたしがいるからなれないんだよ。だからあたしが死ねばお前たち2人が喜ぶだろうと思ってね」
新「どうしてそういうことを言うんだ、そんなことを言うから…ハァ…
 2言目にはそういうことを言うけどなんにもないって。こないだだってお礼を言ったのは物をもってきてお見舞いにきてくれたからだよ。どうしてわからないかね。
なにかあるってんだったらなにがあったのか言ってごらんよ、なんもありゃしない。そういうことを言うのが病気に悪いんだ、なんでわかんないかな…」

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豊志賀ッッ!!!!!

それやっちゃ駄目なやつ―――――!!

セコンド


でもめっちゃわかる―――
わかるというか、私もやったことあるっつーか。
磯丸水産でおんなじ感じのゴネ方したっつーか。


なぜ私が豊志賀にここまで心を寄せてしまうかというと私も過去、当時の恋人に対して
自分に持ってないもの・自分がコンプレックスに思っていることを持っている女性との浮気をうたがっていた経験があるからである。(クロでした)(でもその話はおいといて疑心暗鬼期間の話を)


そもそも私も、最初に疑ったのは「可愛かったから」であった。
こんな子と仲良くて好きにならないはずなくない?という至極単純なところ。
そして私は当時、朝も晩もなく会社に泊まり込んだりの働きづめだったので
仕事と仕事をしているときの自分は好きだったけど、女として努力できていないことに自覚があったので恋愛というところにおいては
いつでも綺麗な恰好をしてオフにはジム通いをしているらしきキラキラしたその子にまったく勝てる気がしなかった。


自分が美人とか可愛いとか、そういう人間じゃないのはわかってる。
それでも好きって言ってくれてるのは、そこ以外で何かを好きになってくれてると思っていたものの
このかたちの被害妄想(クロでしたけど)で一番ツラいのは、ジェラシーだけでなくコンプレックス由来のエンヴィが混じっていることであり
相手の女の子を羨むのと同じぶんだけ、自分を好きじゃなくなってしまうことであると思う。

自分を嫌いになるということは、それまで自分の世界をきらきらさせてたものも趣味も努力してきたことへの自信も全部かがやきを失ってしまうから、しんどい。自分なりに楽しく生きられないのが悲しい。とはいえ相手のことが好きだからそのリングからも降りられない。


ここからはもう落ち込む、責める、表情ブスになるの負のループ。
自分に言ってた言葉をその子にも言ってるのでは・言うのではと思いはじめるともう何を言われても嬉しくない。
以前までだったら甘やかな気持ちで聴けたはずの言葉もとたんに白々しく、
気持ちが落ちてるときだけでなく楽しいはずのひとときでもふと「この気持ちが無かったらいま手放しで幸せなのに」と思ってはその都度安心したくて確認して、その試し行動は可愛げなんてものとは程遠く相手をウンザリさせてしまう。


良くないのは自分でもわかってる、逆効果だって知っている、
言っている間、頭の中でサイレンが鳴っている。
やめろやめとけ引かれるぞ、これで相手の女性に相談されて
「彼女心せまーい私だったら束縛しないけどなー」とか言われたらいろいろ負けだぞ。
いま絶対みにくい顔をしている。いやな女になっている。
それでも止められない。
ひとえに安心したくて言ってるはずなのに、欲しい言葉は自分でもわかってない。


勘違いだと言われても信じられないくせに、言えば言うほど相手の気持ちが離れていくのも今ひしひし感じているのに訊かずにいられない。
どうしてとかどうせとか何べんも同じことを訊きながら
坂元裕二さんの小説にあった「悲しみを伝えることってひとつの暴力だと思います」という一説が頭をかすめる。


たぶんそうなのだ、そのやりとりはYESNOクエスチョンではなく、傷つけたくてやっている。もはやノーガードでいてくれている相手に悲しみを伝えてぎたぎたにやりこめることは事実、自覚こそないものの、いまその瞬間のエゴ満載な目的である。安心させてくれないなら自分が悲しいのと同じくらい、きちんと自身を責めて傷ついてほしい。そっちのお互い「アリ」な雰囲気によるささやかなときめきはこっちを死ぬほど不安にさせるものだとわかってほしい。

そうして相手がしびれを切らしてため息をはいたのを合図に我に帰るとき

なんの解放感も達成感もなくただ茫然とする。スパーリングのあとみたいな脱力感のなか肩で息をしながら、焦げていくカニみそ甲羅焼きを眺めていかに後悔しようともそこに可逆性はない。

――真景累ヶ淵の話に戻るがこの豊志賀の不安は、現実のものとなる。


というのも豊志賀とのこのやりとりに疲れて家を出た新吉がお久と外で鉢合わせたとき、彼が豊志賀の無礼を詫びて「なにかにつけてあたし達の間になにかあると言い出して…」と言うとお久が「私はそう思われた方が嬉しいんですけれど…」とか言いだす。

おひ…お久!!!お久あーた、あーたそれは!!
話違くない!!!????

お久も継母に育てられて家でいじめられてたりで家庭に癒しがなく複雑な子なのだけど
にしたってお久。それはずるいぞ。
疑わしきは罰せずの気持ちで見守っていた万引きGメンも「言ったねほら今、言ったね」つって追いかける。



っていうかお師匠さんに隠れてそんなこと言ってたらさっきお見舞いですーって新吉んとこ持ってきた炒り卵もちょっと意味合い変わってくるみたいなとこあるからなー!
豊志賀へのリスペクトと心配よりも新吉への家庭的とやさしさアピール卵の疑惑でてきちゃうからなー!

いやでも冗談抜きでたまったものではない。セコンドとしてはタオル準備案件。
だってオアシス兼ねてる。疲れた新吉をときめきで癒しちゃってる。かわいい。
ロンドンハーツのザ・トライアングルだったら隠しカメラが男性のちょっとほころんだ顔に寄ってモニター見てる強気キャラの彼女がブチ切れてイヤホン外すところである。


で、さらに目も当てられないのがこのあと2人が行った寿司屋でも
店主が2人を当然カップルだと思って気をつかって2階の個室に案内とかしちゃう。


ツモった。
お互いまんざらでもなくなる環境が、全ソロ。



ふたりは端から見てもお似合いなのである。




この段の冒頭で豊志賀と新吉が初めてひとつの布団に寝るとき、朝はやくきたお弟子さんに見られたら…と案じる新吉に豊志賀が「私とお前は親子ほども歳が離れてるんだよ、だれもそんなこと思いやしないよ」と諭す場面があるのだが
そこと比べるとこの寿司屋の残酷さったら。
牧瀬里穂が出てきてヒューヒューだよー!と言わんばかり。


こうして結束が生まれ始めた2人は豊志賀の死後、豊志賀の墓参でまたしてもはちあい、
お久の実家がある下総羽生村へと駆け落ちをする。


そんなこんなで物語が進んでいく真景累ヶ淵。
「豊志賀の死」の次の段のタイトルは




「お久殺し」




である。




なにがどうなって、だれがどうしてお久を殺すのかは
ぜひ落語のほうで聴いてみてほしい。
たくさんの音源が残っていますがここには、三遊亭圓生師匠と



笑点でご活躍された歌丸師匠のCDリンクを掲載いたします。


怪談噺の稀代の名手でもある師匠の、テレビで拝見するお姿とはまた違う迫力たっぷりの語り口をご堪能いただきたい。



「真景累ヶ淵」の豊志賀について、個人の解釈を思うがままに書かせていただいたがひとつ言えるのはこの後の展開、
ここまでさんざん豊志賀に肩入れしてきた私でもちょっと引く。


あーでも豊志賀、改めて、女らしくて好きだなぁ。
やりすぎの感は否めないけど。

豊志賀と知り合いだったら。
磯丸水産で一緒に飲めたら。
かけたい言葉が、たくさんあったよ。


最後に、短歌で始めさせていただいたこちらの記事
これまた好きな現代短歌を引用して、終わりにいたします。


ふりだしに 戻るだなんて今はもう きちんと怖い しあわせですよ
                          (尼崎武)


妬いたのは、つらかったのは幸せだったから好きだったからで
豊志賀にも幸せたっぷりでほくほく可愛い時期は、なんの疑いもなく湯舟のごとき幸福に浸れていた時期はあったろうと思う。

新吉が盗られてしまったら
新吉と一緒になる前の自分にもう戻れないのわかってるから、怖かったんだよな。


それでは、また。
お読みいただきありがとうございました。


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拝啓 豊っちへ

元気にしてる?っていうのも変か。
あれから200年たった今でも「若い子のほうが好きなんでしょ」という考えは、世の女性たちを脅かしているよ。
人生100年時代ってのに華とされる年代は当時とそう変わらないから、もっと残酷かもしれません。


昨今のそういったミソジニーのところで、とりわけ話題になったのがね
「ハーバード数学科のデータサイエンティストが明かすビッグデータの残酷な現実」に掲載された「ウッダーソンの法則」で
『女性が「最も魅力的」と思う男性の年齢が、女性自身の年齢に比例して上がるのに対して、男性が「最も魅力的」と思う女性の年齢は、20~23歳の4年間に集中している』というものだよ。

女が考える魅力

男の魅力


ここばかりがクローズアップされがちだけど、ただ、このデータには続きがあって

上記を回答した男性たちが、実際にデート相手として検索した相手の年齢は、以下だということです。

デート


何が言いたいかというと
一緒にいて幸せとかそういうのと、見ててカワイイなー魅力的だなーと思うのとかはきっと、違うんだと思う。

新吉っつぁんはイケメンで、若くて気もきいて、素敵な人だったと思う。
端から見てたら豊っちのこともちゃんと好きだったように見える。

でもそうして豊っちが一緒にいて苦しいなら、別の人とのことを考えるのもひとつの道だと思う。
新吉っつぁんは恋愛の楽しさを思い出させてくれたかわいい年下の元彼ってことで…

そりゃお久ちゃんはさぞ可愛かったと思うし、自分にないものを持ってそうに見えたとも思う。
でも豊っちには豊っちの魅力が絶対たくさんあるし、お久ちゃんが持ってないものを持ってる。みんながみんなお久ちゃんのほうを好きになるわけではないよ。顔をあげて豊本節弾いてるときの豊っちなんてそれこそ人が羨むくらい、綺麗だったと思う。
お弟子さんのなかにも豊っちに惚れてた人、いたと思うけどなぁ。


好き勝手言って、ごめんなさい。
いつか一緒にかにみそ甲羅焼きを囲んで飲めるの、たのしみにしています。

敬具


無題


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