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8年前のあの日 坂道が凍ったせいでリマインド型思い出botになった話





「スギウラが凍った坂で転んで頭打って、病院に運ばれたよ。」




雪深い東北の12月。
大学3年の冬休みの夕方、同じ学科の男子から入った突然の連絡に
私はすぐさま着替えて出かける準備をはじめた。


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スギウラの親友であるその人から私に連絡が来たのはほかでもない
スギウラと私はそのとき、付き合いそうだった、というか実質付き合っていた、というか
大学生特有のなんかこう 告白はしてないけどなんかずっと一緒にいる、みたいなそういう関係だったからだ。



「なんか電話で話した感じ全然ピンピンしてるみたいだけど、お見舞い行ってやって。俺も今病院着くところだから、またあとで。」




大学入学当時からお互い存在は知っていて、ちゃんと話したことはなかったけれど
2か月前の学科飲み会で隣どうしになり、話してみたらビックリするほど意気投合して一気に仲良くなった。Syrup16gが好きだとか、あのCDのジャケットはカッコいいとか、最近サワー以外のお酒も飲めるようになったとかそういう話。
必修単位をひととおり取ってお互い暇をもてあました大学3年生、毎日授業終わりに会う理由はそんなものでじゅうぶんだった。


プールの塩素にやられたみたいな傷んだ茶髪とボロボロのリーバイスにレッドウイングのブーツ、姉の中学時代のお下がりだというスーパーラヴァーズのジャージがトレードマークで見た目は少し怖かったけど

仲良くなってみると案外優しく純粋であり、そしてなにより抜けきってない地元・九州の訛りがかわいくていつの間にか好きになっていた。


そのスギウラの一大事ってんであわただしく家を出て
駅前で買ったシュークリームを携えてタクシーに乗り、教えてもらった病院に向かう。


今からお見舞いに行くという旨のメールも入れたけど病院ということで携帯を頻繁には見られないのだろう、返信はないまま。病院の入り口でセンター問い合わせをしても受信はゼロ件で、これじゃあサプライズになっちゃうな喜ぶだろうななんて自惚れつつ、思いっきり彼女ヅラをして病室に向かった。




そろりと病室のドアを開けると奥のベッドの上に力なく笑いながら、件の親友と話しをしているスギウラの姿。


ドアの音に振り返り、私の顔をみてビックリしている彼に
心配したよ〜〜大丈夫?なんつって近づいていくと開口一番、スギウラが言った。






「○○ちゃん?ビックリした…あれなんか、急に太った?」







――違和感。





彼は昨今、私のことを呼び捨てにしていたはずだ。
○○ちゃんなんてよそよそしい呼び方は久しく聞いていない。
会うやいなや太ったって言ったな今…みたいな気持ちもあとからジワジワ沸いてきたけれど、それよりもその不意打ちにやや戸惑っていると友人が




「なんか、俺もついさっきお医者さんから聞いたんだけど
 スギウラ、頭打ったせいでここ1・2か月の記憶だけすっぽ抜けてるっぽいんだよね。」






………?






頭を?打って?記憶が??





ーー????




言葉の意味はわかる。わかるけど、理解ができない。
そんな話きいたことない。
いや、ある。あるけどそれらはすべてアニメやギャグ漫画の中での話で、まるっきりフィクションの世界のことだと思っていた。
そんなことあるわけが……と思いつつ奥底から恐怖に似た感情がふつふつわいてくる。





だって合点がいく。
いまの一瞬の違和感。




私と彼の関係はまさにその、ここ1、2か月で形づくられていたものだった。

あと私はこの1、2か月でちょっと太った。



スギウラの中で、この1、2か月の私との事が無かったことになっているとしたら。


私はクラスメイトの○○ちゃんのままで
「毎日会っていると気づかないような変化にたまに会う程度の人は気づく」の法則で、彼の記憶にある最新の――2か月ほど前の私――からいきなり3キロくらい増えて現れた私に、あっちはあっちで戸惑っているのだとしたら。


そんなことが一瞬のうちに頭を駆け巡り、何も言えず立ち尽くしてしまう。
やっとのことで「そうなんだ」とはしぼり出したけど全然そうなんだじゃない。
困る。それは困るよスギウラ。



友人が気を遣って席を外してくれたものの、何を話していいかわからない。



だってあの喋り明かした夜も、呼び捨てでいいよってなった自習室も、スギウラがコンビニの赤ワインをよく飲むのを知ったのもそれをジンジャーエールで割ったのを私用に作ってくれるようになったのも今年初雪だねなんて話しながらスーパーにいったのだってここ2か月の出来事だ。というかその2ヶ月が楽しくて私は太ったのだった。
本当に覚えてないなら、私たちの間に共通言語なんてない。



いやでも、そんなことある?あ、もしかしてドッキリ??驚かそうとしてるんじゃなくて?
一縷の望みをもちながらぽつぽつ話しはじめていくうちにその言葉の端々から、嘘でもドッキリでもなんでもないことがわかっていく。



「○○ちゃん来てくれるってなんか意外だね」


意外じゃないんだよ。
おとといとか一緒にサイゼリヤいたわけで。そちらはそちらでそのゼロゲージのピアスホールにストロー刺しておどけていたわけで。



「俺今日から何日か入院なんだけど、短期の記憶に支障ある可能性あるから、お医者さんに回復のために毎日日記つけろって言われてさ」



じゃあこれは、この一連は今日の日記に特に仲良くもない○○ちゃんがなぜかお見舞いに来たと書かれるであろうくだり。





シュークリームは、食べられなかった。

大変だったねぇ、なにか必要なものある?なんて甘やかな話をしながら一緒に食べるはずだった、そのために買ってきたのだ。
いま急になぜか太って現れたクラスメイトがシュークリームを食べはじめたら「そういうのばっか食べてるから太るんだよな」と思われかねない。
助けてビ●ードパパ



「いや~でも意外とここ最近よく話してたんだよ、覚えてないなら驚くよね、ごめんねビックリさせて。」

「あ、そうなんだ、こっちこそごめん。」



そんなことの繰り返しで
体に異常はないということ、無くなった記憶は戻るかどうかわからないけどそれ以前のことは覚えてるし案外自覚がないということ、そんな話を聞きながら
私はずっと頭の片隅で、あ~さっき送ったメール間違って消してくれないかなーーーほんとによーーーーーーと思っていた。



当時すっかり調子にのっていた私はピンピンしていると聞き安心しきって、「大丈夫?シュークリームと○○が行くから少々お待ちを~~<`~´>」的な文面を送っていた。
おまえソレ、その文面の感じはあの関係値があったから成立するものであっておまえ、今のテンションで読まれるのはちょっとソレきつくないか。



そんなことも口に出せないままシュークリームを備え付けのちいさい冷蔵庫にいれて部屋を出て、ロビーにいた友人と無事でなによりだけどちょっとビックリしたねなんて話をして病院を後にした。
友人は「でもまぁすぐ、思い出すと思うよ。」とだけ言ってくれた。



帰り道。


雪のせいでなかなか進まないタクシーの車内、
頭のなかで自分なりに整理をしながら中古で買ったipodでsyrup16gの、当時よく聴いていた曲を聞いて帰った。


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「あなたと出会ってただそれだけで

素晴らしくなって後悔なんかしないで

何がそんなに楽しいんだろう

笑って疲れて目を閉じた
―――――――――――――――
たいしてすごいこと起こらないけど

全部満たされた気持ちになる」




ついこないだまでスギウラ、この歌に自分達の姿を重ねてるっぽいこと言ってなかったか。
すごいこと起こっちゃってますけどー。
オーイ。聴いてっかー。




家に帰ったあとも、悲しいとか泣くとかそういうのじゃなくて
ただ呆然と、どうすればいいんだろうとそればかり考えていた。

いちばん大変なのはスギウラだし、責める気やどうしてほしいという気持ちは全くない。それでも、どうしたってすぐに得心はいかない。


あの曲すきなの?あの絵すきなの?わぁ偶然だねって盛り上がったのに
それで好きになってもらったようなもんなのに
私にとってそれはもう偶然じゃないし、あんなふうにはしゃげない。


しかもまた呼び捨てでいいよとかそういうやりとりをゼロからする気力がなんだか、もうない。


入学直後ならまだしも3年生にもなって「クラスメイトの女子」だった人間が「好きな子」になるまでの道のりは、大学生ともなるとなかなかどうして遠いもので
いろんな奇跡とかタイミングみたいなものがあってこそのものだった。その程度のものだった。


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結論から言うと、スギウラの記憶はついに戻らなかった。
私と彼はそのまま仲良くなる前の距離感にもどって暮らし
彼は22年生きたうちのその2か月だけ欠けたまま、大学の卒業式を迎えた。それっきり会っていない。



たぶんスギウラもスギウラなりに忘れ去った時期の記憶をたどるため、過去のメールを見たりもしたはずだ。


そのせいか彼が私と話すときにいつも「泥酔して朝起きたら隣に女が寝てたけど何かしたのだろうか、何を言おうか謝るべきか」の人が感じるのであろう気まずさみたいなものを湛えてるのはうすうす感じていた。



件の友人は
「でもスギウラ、忘れる前ほんと、○○のこと好きって言ってたから」
とときおり慰めてくれて私も「じゃあいっか」とだけ返していた。
意味のない会話だとはお互いわかっていた。


一緒にいた期間は短かったし、そう引きずることもなく
なんかいろいろ現実離れしていて夢の中の出来事みたいだなくらいに思ってはいるけど

その出来事は「忘れられたら再びは好きになってもらえない」という謎のトラウマだけを私に残した。


一目ぼれをされたりすぐに気に入ってもらえたり、そういった絶対的な入り口の恋愛と縁遠い私は

仲良くなった人によく、直近の、一緒にしたことの想い出話をしてしまう。
小さい小さいエピソードの積み重ねによって隣にいられている自覚があるため、いくら些細でもそういう想い出をすこしずつ忘れられたらわずかなヒビから水滴が漏れて枯渇するみたいに、すこしずつ好きじゃなくなられる気がして
覚えててほしくて、こないだ一緒に食べたゴハンとか出かけた公園とかそういうことを話す。


当時よりずっと人を好きになるだとかそういうことがわかるようになった今、ふりだしに戻るのはすごくこわい。





今日こうしてスギウラのことを思い出したのは、Facebookで久々に彼の姿を見かけたからだ。
友人がタグ付けした写真のなか心底嬉しそうな笑顔のスギウラは、タキシードを着てみんなにお祝いされていた。
お幸せに、と素直に思う。







8年ぶりにみたスギウラは、私の記憶よりちょっと太っていた。


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