心の集中観

心の集中観のなさをひしひしと感じるこの頃。

やりたいことややるべきことは沢山あるのに、その海に溺れて、心が落ち着かなくて身体がどこにも着地しない。
そして、やっていないことに打ちのめされてまた心が彷徨うという負の循環。

何かに強制的に縛られて、やることが絞れると、心は安心して目の前のことをやりだす。
自分で開拓して進んでいくのが苦手な自分につくづく向き合わされる。
目の前のことに集中することは、ある種機械的な動きだし、そこに向かうまでの取捨選択やどう改良を加えて、物事を進めていくかこそが、人間の質が出る部分だと思うのに。


武道で体に向き合うと、ますますそんな自分を体感する。
浮き足立っている自分。ベクトルがあらゆる所へ飛んでいる自分。

どうしたら上達するか先生に問うと、鍛錬あるのみ。というシンプルかつ容赦ない回答。


整体の先生から、何か一つ集約していく場があるといい、という話があった。
武道でも、儀式でも祈りでもいいが、何か型や式があるものがいい、とのこと。

同型を続ける中で、自分の変化を認識することができるから。
そしてそういうものはきっと自然と縁あって出会うものだという。

さて、どんな出会いがあるのかしら。すでに出会っているのかしら。

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