せどりnote#1 僕のせどりについての見解

世間では、ゴミ以下の扱いを受けているセドラー
果たして本当にそうなのだろうか?
何をもって、ゴミと思われているのか?
僕は仕事柄様々なビジネスを見てきているし、ビジネスについて勉強もしている

その僕から言わせたら

せどりは、ビジネスに他ならない

これこそが僕の結論である

最初に言っておくが、僕がセドラーの見方だと思っている人がいるみたいだが、僕はセドラーの見方でも何でもない

僕はnoteで、僕の思う事、見解を、誰にも忖度せずに、自分の信念に基づいて自由に書くだけである

“僕はせどりをしている”と言っても、せどりに掛けているツール代・経費だけを稼げたら良いと思ってやっている
前のコラムでも書いているが僕はそもそも稼ぐ為にせどりをしている訳ではない

僕が、最初に転売をしたのは確か平成14年頃だったと思う
知人から、「このヤマダ電機の開店セールの限定5台のパソコン買ったら、ヤフオクで2万円儲かるよ」と言われたのがきっかけである
それからその友人とは疎遠になり、4年ぐらい転売についてはしていなかったが、平成18年のPS3の発売をきっかけに、Wii、DSをヤフオクで売るようになったが、約半年程度で、自分のやっている転売が恥ずかしくなって辞めた
その当時はツールとか情報も何も知らずに、ただ、上記の商品は売れるそれだけでやっていた
また、あの頃の僕は物事に対して何も考えずに、ただその日暮らしをしているだけのただただ無知な若者だった

そして一昨年たまたまとあるテレビを見た際に僕は正直度肝を抜かれた

あるお店に入って行き30分後に出てきたと思ったら「自分も良く分からないのですがこの商品1万円儲かります」と普通に言って仕入れるセドラー

僕には理解不能だった
彼に何故?このような事ができるのか?
どうしても知りたくなった

元々、僕は気になる事は調べつくさないと気が済まないタイプなので、せどりについてめちゃくちゃ調べた

そして僕は現代のせどりというものを知った

そこには、最新のテクノロジーが可能に成しえた最新のビジネスの形があった

僕が半年程度していた時代には、スマホなんてものはなかった
それが今はスマホでAmazonの価格、販売個数等が商品のバーコードを読み取るだけで分かる
僕は改めて職業柄電卓ばかり叩いてテクノロジーに無知であった自分の無能さを思い知らされた

そして、東洋オンラインビジネスに書いてあった事が全てであると悟った

そこには、せどりというものについて

テクノロジーの進歩により誰しもが小売業者になれる時代が来た

とあった

そこには、せどりに関して、肯定的な記事しかなかった

“安く買って高く売る”

これが卸売、小売のビジネスの基本であれば、せどりは間違いなく、最新のテクノロジーを用いた最も効率的な小売業と言えると僕は考える
仕入れる前に、売れる金額と個数が分かる
こんな事が普通にできる・・・それは、小売りビジネスにとっては、究極の型であるはずである

要は、個人がネットでモノを売る環境が出来て、それに対応するためにツール等を開発進化させた天才がいたというべきか

此処で僕が本当に驚いている事は、このツールの開発である

出来るのか?
果たして大した根拠もなくセドラーをゴミと言っている輩にこんなことが出来るのか?
自分の仕事を効率化するためにツールを自ら開発する

僕は先日とある会社の社長と話す機会を持った
その際に、社長から「従業員の意識が低すぎて困っている。業務を効率化するために何も行動をしない。毎年同じことをしている。ツールを作成しろとまでは言わないが、使えそうなツールを自分で探してきても良いのではないか?」という内容だった
僕はセドラーが行っている事は、ビジネスにおいて今最も必要とされている能力ではないのか?と思った
おそらく彼らは一流企業においても成果を出し必要な人材となることが出来ると僕は確信している
と言っても、これは一部のツールを開発したセドラーに限定される内容ではある

話は少し変わるが・・・

僕のうちの近くにはドラッグモリがある
そこで森伊蔵、魔王をプレミア価格で売っている

これはせどりと何が違うのであろうか?

またお宝ショップと言う類のお店もそうだ

でも、ドラッグモリ、お宝ショップ等に対して、ゴミとか文句を言う人は少ないというかほぼ皆無である

要は、せどりが悪いとか、セドラーはゴミとか言う意見は、ただ単にイメージなのである
やっていることは、普通の小売業と何ら変わらないのである
要は仕入先が少し違うだけの事であり、それもビジネス環境の変化がもたらしたものであり、そもそも法律的には全く問題ない事なのである(ネットでモノを買うことに対して、当初、拒絶反応を示す人は大勢いたはずであるが今は当たり前のように利用しているような事がビジネス環境の変化の例である)

日本人がこのようなイメージを持つのは偏に、お金を稼ぐことは悪い事として教育を受けてきた日本人に無意識にかかっているバイアスなのである
いや、もしかしたら、どんどん経済力が弱くなっている日本において、給与も上がらず生活が厳しくなって将来に不安を抱えている人の妬みと言った方が良いのか?
いや、もっと言わせてもらえば、ただの暇人なのか?
正直、僕は人が何をしてようが何を言ってようが、僕に害を与えなければどうでもよい
だから僕は基本的には人の事をどうこう言うのは好きではないし、そんな時間があれば、自分の好きなことをしていたいが、セドラーの事を色々言う人に対しては、敢えて彼らがセドラーに対して根拠もない批判をしていることと同じように根拠のない僕なりの批判を言わせてもらう
せどりに対して批判をしたい人は自分の人生が充実してないのであろう?
金銭的にも充実してないから、稼ぐ人間が妬ましいのであろう?
自分の人生が充実している人はそもそも人の事を批判しないのである
自分の人生に満足できていれば、そんな事を考えることもないし、気にもならないのである
賢い人は他人の劣っている所を見つけて優越感に浸るのではなく、自分よりも優れている所を見つけ自分を向上させるためにリスペクトするのである

僕は自分の人生が充実しているから、せどりで月に100万稼いでる人の話を聞いても、すごいと思うだけで、羨ましいとか思わないし、もちろん批判しようとも思わない
僕からしたら、彼は彼・・・正直、どうでもよい事なのである
そんなことを考えたり批判する事に時間を使うほど無駄なことはない
それは何も生まないし、自分の有限な時間の無駄遣いに他ならない
そんな時間があれば、僕は僕の好きなことをしたい

色々な企業、ビジネスを見てきて、またビジネス等について色々な事を勉強してきた僕がアドバイス出来ることがあるとすれば、せどりの本質を知ってもなおこれが最新のテクノロジーを使ったビジネスという感覚が持てない人は、現在の資本主義においては、間違いなく負け組になるという事だ

これは、せどりをバカにしている輩を馬鹿にしているのではない
これは僕の彼らに対する最大の親切だ
まだ間に合う
誤った認識に気づき、現状を受け入れれば、まだ間に合う
ただ、僕のnoteを読んでも、意識が変わらない人は、可哀そうだが、暗い将来しかないはずである

そもそもお金を稼ぐことは悪い事と言う人がいるが、お金を稼ぐことは、本当に悪い事なのであろうか?

僕が思うに、GAFAをはじめ富を得た者が行っている慈善活動なんてものはただのお金持ちの自己満足でしかない
お金を稼ぐ段階ではお金を稼ぐことに必死であったはずだ
少なからず汚い事もしてきているはずである
結果、豊かになってから、社会貢献だとか色々な活動をしているがそれはあくまで世間のイメージ等を考えての事
もしそうでなければ、すべての財産を投げうってやればいい事だがそれは絶対にしない
金額だけ聞くとすごいが、彼らの持っている資産からしたら全然大したことではないと僕は思う
実際、現在の世界においては、ほんの数パーセントの富裕層が世界の総資産の80%ぐらいを独占しているという現状を真摯に受け止めなければ、未来はない

僕は車好きだ
フェラーリとかそのような欲は言わない
でも、せめて国産のNSX-Rが欲しい・・・でも、正直、買えるほど僕は裕福ではない
世の中には、車に何億も掛けている人が大勢いる
特にNSX-Rに関しては、投資用と自分用で2台購入する人がいたそうだ
その結果、現在、新車価格の3倍以上の値段で取引されている
これが資本主義の現実なのである
富んだ人はその富を利用して更に富を得てゆく
今後格差は間違いなくどんどん広がってゆく

僕は常々年収1,000万円あれば満足だと言っている
1,000万円あれば、そこそこの生活は出来るし、それ以上稼ぐ為に家族と過ごす時間が減るのであれば、お金より家族との時間を優先したいと言っている
それは嘘ではない・・・でも、結局は、欲しい物すら買えない僕もまた資本主義という枠組みの中では負け組なのだ(但し、僕が此処で言ってるのはあくまでも資本主義においての勝ち負けであり、いくら稼げば幸せなのかについては、人の価値観が絡み合ってくるので、実際はその人それぞれの価値観で勿論ゴールも変わるので一概には言えない事を補足しておく)

資本主義においては、お金を稼ぐことは悪い事ではない
いや、むしろ、稼がなければならないのが資本主義なのである
そうでなければあまりに惨めな生活しか送れない

結局は、どんな言い訳をしようがどんな理想を掲げようが資本主義においては富んだ者が勝者なのである

せどりは、悪いという人がいるが
それでは、何が良いビジネスなのか?
そもそも資本主義においてどんなに綺麗ごとを並べてもビジネスの根本はお金を稼ぐ事が最大の目的
稼がなければ、理想も何もない
理想で企業は存続できるのか?
理想だけで生きて行けるのか?
理想で家族を養えるのか?

結局は、稼げなければそこにあるのは敗北者の言い訳だけである

逆に稼げばそのお金を使って社会貢献をしようと思えばある程度の事は出来るのである

せどりに関して言えば、法律を犯している訳でもない
事業主として開業して税務申告も行っている
ある人は自分の老後の不安を解消しようとして、また、ある人は自分の夢の為に、理由はそれぞれであるが、楽してる訳ではなく、皆、必死に働いてお金を稼いでいる
何が問題なのであろうか?
誰かに迷惑を掛けたのであろうか?

歴史を紐解けば、その時は社会に貢献していると思われていたとしても、後になって、あの企業は悪かったとかいう事はいくらでもあるはずである
国民の生活向上、日本の為に工業化を進めて行った挙句の果てに、環境破壊・公害として社会から責められた企業もある
でも、国民は喜んでその企業が作った商品を使っていたはずなのである
そしてその便利さを享受したはずである

逆に世界をみれば、当初は馬鹿にされた事業であっても、ほんの小さなきっかけで世間の評価が変わり大成功を収めた企業もある

要は、時代が変われば環境も価値観もビジネスの概念も正義も・・・善悪の基準すら変わるのである

日本の商売のあり方に、“三方よし”というものがある

売り手よし、買い手よし、世間よし

この考え方も僕からしたらそんなもの鎖国時代の理想でしかない

現在の日本は、グローバルな環境で戦わざるを得ない
鎖国時代とは訳が違う

理想とか綺麗ごとを言っているうちに、世界経済に飲み込まれあっという間に貧困国に格下げされるだろう
この辺の事は、また、違うコラムで書こうと思うが、僕の見解では、せどりがこれほど流行っている事も、それが何故なのか?を考えればすべてが繋がってくるのである

せどりの事を悪く言う人の中に、何故?せどりがこのように大々的に行われるようになったか?
そのような理由を真剣に考えた人がいるだろうか?
おそらくそんな人はいないはずである
何故なら?人を批判する人の大抵は意味もなく理由もなく自分の価値観のみで批判するのである
それは言い換えれば、何かに対して不満を持っている表れであり、自分に自信のない表れでもある

僕はこのせどりの現況について考えて考えて未だに考えている
何故?この現状があるのか?それはただ単に、せどりが儲かるからなのか?
いや、僕が思うに、現在のせどり界はそんなに簡単に儲けることは出来ない
真剣に取り組んだ人のみがその努力に見合った利益を上げれるかどうかだ
そんなに楽な世界ではない
それでは、何故?せどりが大々的に行われているのか?
物事には必ず原因がある
色々な側面から分析する事によって、初めて物事の本質が見えてくるのである

この現状も、ただ単に貧困国の日本の然るべき姿なのかもしれない

このように書くと恐らく僕に反論したい人は沢山いるだろう

”経済大国の日本のどこが貧困国なんだと・・・”

もしそう考える人がいれば、その人は無知すぎる
そんな思考の人は資本主義の中においてただの敗者にしかなりえない

僕は何度も無知程コワいモノはないと言ってきているはずである

その内、この事もきっちり僕のコラムで書くとして

僕はnoteを始めた時から、せどりのコラムを書くことについてずっと考えていた
どのような形にするのが良いのか?
おそらく書き出したら膨大な量になる
僕はボランティアをしている訳ではない
人の時間は有限であり、僕は他人に僕の時間を奪われる事とかが一番許せない
そのような点から自分がこのコラムに掛ける時間を鑑みて有料記事にしようと思っていた
また、当初は、せどりをしている人が、自分のしている事に胸を張れるようにとの思いで書こうと思っていた

僕にはせどりを通じて大事な仲間ができた 
彼らはクズとかではなく本当に素晴らしい人達だ
その仲間が言われなき誹謗中傷を浴びてる事が許せない
そうせどりのコラムに関しては、その仲間に対する応援のコラムのつもりだった

だが、このコラム関しては、多くの人、特にせどりに対してアンチの人に見てもらうことによって、はじめて価値が生まれるのでは?と思った
アンチはまず有料記事だと読まないと思う
だから、無料記事とすることにした

僕は敢えてアンチテーゼに問いかけてみたくなった
僕が正しいのか?アンチテーゼが正しいのか?

正直、僕は、せどりを稼ぐ為にやっているのではないから、いつまでするか?分からない
もしかしたら明日辞めるかもしれない
だから、僕にはせどり・セドラーを擁護する必要もない

僕はただ僕の正しいと思う事を書いているだけである

せどりに関して言えば確かに悪い部分もある

その部分も僕なりに客観的な立場として僕の意見を書いていく

今回のコラムはその序章として、僕の大まかなせどりについての見解を書いてみたが、これでは、僕の見解の押し付けに他ならない
そう今回の僕のコラムには、あくまで僕の個人的な見解であり、理由付けであり、人を説得させるだけの根拠が一切ない
言わば、根拠なしに、セドラーを批判している人と何ら変わらない
それでは、何故?僕がこのようなコラムを書いたのか・・それは、今後僕がせどりについて書いていく各コラムの前提として僕の見解というか立ち位置を知っておいてもらいたかったからである

せどりが悪いのか悪くないのかに関しては、色々な側面・立場から考えていかなければ、答えは出ない

今後・・・

消費者の立場
メーカーの立場
卸・問屋の立場
EC運営側の立場
小売店の立場
セドラーの立場
国の立場
外国の立場
経済学の側面 他

このくらいのせどり関係のコラムを書いていこうと思う

もし、僕のせどりに関するコラムをすべて読んでくれる人がいたら、僕が何故?せどりに関して肯定的な意見を持っているのかが、少しは理解してもらえるのではと思う
また、そうなってもらえるように、今後内容を考えながらコラムを書いていく予定である

但し、いつ書くかは特に決めてはいない

それにどちらかというと僕はせどりのコラムより、他の話題のコラムの方を書きたい
もしかしたら、せどり関係のコラムに関しては道半ばで僕は死んでしまうかも知れない

それでも僕は僕の好きな時に、僕の書きたい内容のコラムを書いていく

ただ、それだけ・・・

ただ、それではせどり関係のコラムに終わりが見えないので、せどりに関しては、1か月に1コラムぐらいは書いていこうと思う

それではまた😑🤚

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?