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「百年道場-西葛西のクリシュナ-」第3話

第3話 クリシュナの憂鬱

バックキャストして描く百年

ライフステージ・ノートは、一人ひとりが100年のタイムライン上にライフステージを書き入れていくツールです。ライフステージとは職業であり、立場や肩書きであり、働き方や時間の使い方であり、その時々の自分の状況を書けばよいといわれています。

野口さんは、ライフステージ・ノートの使い方を説明する時、必ず「未来へのアプローチ」の話をします。
未来へのアプローチ方法は、二つあるといいます。
一つが「フォワードキャスト」です。エンジニアを極めればフリーで仕事できるし、会社も起こせる、大学で教えることもできる。こうして今の状態を未来に向けて展開していく方法がフォワードキャストです。

もう一つが「バックキャスト」。未来のあるべき状態から現在のやるべき姿を逆算して決める方法で、これが時間のセルフマネジメントに最も役に立つといいます。
「たとえば、50歳で二度目の人生を始めると決めてみる。そうすると30歳の君たちの時間の使い方は劇的に変わる。二度目があると思えば失敗を恐れず挑戦するようになるし、二度目を始めるための準備を並行して行う賢さも備わる」

ライフステージ・ノートは毎年更新します。更新するとまず社長や野口さんに説明し、その後スタッフの前で発表させられます。発表の場で社長は、話し合ってそれぞれのサポートメニューを決めていきます。
このツールは、次第に「百年ノート」と呼ばれるようになりました。

35歳になったアサーヴは、こんな「百年ノート」を発表しました。
彼は誰もが認める優秀なエンジニアです。副業でもかなりの収入を得ています。今の副業の経験をもとに人的なネットワークを広げ、自分でも資金を貯めて45歳で起業を目指すといいます。そして55歳でインドに戻り、第2の人生を始めるというシナリオです。
起業が成功するかどうかわかりませんが、第2の人生は、ヒンドゥー教でいう「林住期」の隠遁生活をイメージしているといいます。
アサーヴは社長と、起業前のエクスプローラー期間に補助してもらう約束をしました。

〈アサーヴ「百年ノート」〉
 22~33歳 オフィスワーカー
 34~40歳 ポートフォリオ・ワーカー(副業)
 41~42歳 エクスプローラー
 43~44歳 起業準備
 45歳~  起業
 55歳~  インドへ帰国し第2の人生


しかし、クリシュナは、なかなか「百年ノート」が書けません。どうしても、働くステージを自らデザインすることに抵抗を覚えます。

ヒンドゥー教徒であり、カースト社会で育ったクリシュナは、個人が自由に職業や将来のステージを選択するというイメージが掴めません。
自分は、ヴァイシャ。ブラフミンとクシャトリヤに次ぐ第三の身分で、この身分は今世では変わらない。職業も基本的に世襲制で、自分の職業を業(カルマ)として貫くことで、ようやく来世に生まれ変われるのだと何度も聞かされてきました。

社長や野口さんがいうように、仕事を次々と変え、自から変身するライフスタイルは本当に許されるのだろうか、そうした疑問が拭い切れません。

クリシュナの憂鬱

そこで、クリシュナは霞さんを誘い、相談に乗ってもらいます。二人は舩堀タワーの展望レストランで、川の手を見下ろしながら話します。

これまでの経緯や、社長や野口さんの考えを足早に説明したあと、霞さんに本音を語ります。
「経験が少ない未熟な自分に、正しい選択などできるはずがない。正しい選択をするには知恵と経験が必要だし、選択するのであれば神々の導きに従った方がよっぽど正しい選択ができるに決まっている。社長や野口さんは、どうしてそれほど自分の選択に自信が持てるのだろう」。

「百年ノート」にも不満をぶつけます。
「野口さんは、百年ノートに自分のキャリアやステージを自由に描いて、そこで自分の時間をコントロールするスキルを身につけなさいという。だけど、自分勝手にステージを描いてもそれ通りになるとは限らないし、人生のステージは取りに行くんじゃなくて与えられるものじゃないのか?」

ずっと話を聞いていた霞さんが、クリシュナに質問します。
「インドで学校に進学した時、それと就職した時、どうやってITという職業を選択したの?」

クリシュナは答えます。
「ITは”カーストの外”にある新しい職業なんだ。なぜかどんな身分の人でも選択することが許されている。それで僕もIT分野を選択することができた。ラッキーだと思ってる」

遠く広がる街並みに、東京スカイツリーが浮いているように見えます。
少しおいて霞さんがいいます。
「今、会社が選択、選択といっているのは、職業やステージじゃないと思う。そうじゃなく、自分に与えられた時間の方。つまり、時間の使い方をいっているんじゃないかな。クリシュナ君にとって、職業を勝手に選択するのは正しくないことかもしれないけど、時間の使い方は私たち日本人と同じく自由でいいように思うけど」

霞さんが続けます。
「社長がいうように、私たち世代に初めてとても使い切れない時間が配られているのだとすると、私も時間の使い方を考え始めないといけないと思った。でも、時間の使い方なんて誰も教えてくれない。それを会社がやってくれるなんて、クリシュナ君は恵まれているんじゃない」

確かに今、時間の使い方を学んでいる。それは副業とか起業とか働く時間を選択するため。でもそれは結局、職業を選択するのと同じことじゃないか。そもそも時間を選択するとはどういうこと?と考えが巡ります。

それ以上話しは続かず、二人はインド映画RRRの情報を交換して別れます。

時間選択の自由というギフト

次の週末、クリシュナは野口さんに時間をもらいます。
東大島駅で待ち合わせて、駅から近い「自由の広場」という都立公園に向かいます。
一通り話しを聞いた野口さんは、時間のセルフマネジメントについて話し始めます。

「我々に突然、時間というがギフトが舞い降りた。時間とは生きること。時間の選択は生き様そのもの。だから、これは想像以上に大ごとなんだ」

「だれど、今はまだ、この長い時間を使う社会の枠組みが用意されてない。それはインドも同じ。たった50年間でインドの寿命は30年延びている」
「用意されているのは、昔ながらの時間の枠組み。そこからは個性のない一様な人生しか生まれない。でもギフトされた時間を巧く生かせば、無数の人生シナリオが描けるはずなんだ」

「卒業して会社や職業を選ぶ、定年して別の仕事を選ぶ。このように我々は、その時々で重要な選択をしている。しかし、そのタイミングは誰かに決められてきた」
「まず、人生の節目となるタイミングをいくつか自分で作ってみる、そして、もっと思い切って時間を組み替えてみるのがセルフマネジメント」
「そして、セルフマネジメントがもたらす未来は、一人ひとり時間の流れが違う社会。時間の縛りから解放されて、それぞれ考えながら大胆に時間を使う。その時間の使い方こそ「個性」というものだ。時間というギフトの最高の活用法になるはず」

野口さんは「こんな未来を描いて、皆んなに時間のセルフマネジメントを勧めている」といいます。クリシュナも、その未来に共感します。
しかし、個人に正しい選択は難しいと反論します。

野口さんは少し間を置いて、答えます。
「私には信じる神はいない。しかし神を信じる人が、個人に正しい選択ができないと考えるのはよくわかる。また、それぞれに正しい職業が決められるカースト社会も理解しているつもりだ」

「ただ、今、日本やインドや世界で同時に起こっているのは、個人を縛ってきた時間の枠組みが壊れて、それが個人の手元に配られるという変化。つまり、我々に与えられたギフトの正体は、時間の「長さ」というより、時間選択の「自由」なんだ」

「そして、クリシュナ君が気にしているのが選択の「正しさ」。ただ、その正しさとは、個人を縛ってきた時間の枠組みから生まれている。でも、その縛りが壊れているのだとすると、もはやそこに正しさを求めるのは無理があるように思う」

「寿命はこれからも延びる。贈られる時間が増える。我々は試行錯誤しながら進むしかない。クリシュナ君はもう気づいていると思うが、その試行錯誤は始まっている。「正しさ」ではなく時間選択の「賢さ」を求めて百年道場は動き始めている」

「我々は時間の選択を、自分で何かを始めたり、やめたり、変えたりする決断と捉えている。それも時間の選択に違いないが、それこそ縛りの下での、受け身の、小さな選択にすぎない。我々の時間マネジメントは、もっと自由で、大きな選択のことなんだ」


野口さんの話しはよく理解できませんでした。
ただ、大きな流れのなかに自分が立たされていることを感じます。気がつくと西の空が色づき、川面がオレンジ色に染まります。マンションの重なりも倉庫のゴツゴツした屋根もオレンジ色に飲み込まれていきます。

月曜の朝、百年道場では忙しく仕事が始まります。
クリシュナは、ようやくに百年ノートに向き合ってもよいと考えています。父親とも話しがしたいので、今度の冬はコルタカに帰る予定です。

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