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「百年道場-西葛西のクリシュナ-」第2話

第2話 動き始めた百年道場

スタッフが辞めていく

正月明けの始業日の朝、時間になってもスタッフが集まりません。

そこに社長が現れ、社員が会社を辞めたことを告げます。聞くと9人の日本人の先輩達で、大手や中堅のIT会社から引き抜きがあり、説得を続けていたものの待遇の差は埋まらなかったといいます。
ようやく仕事や日本の生活に慣れてきたのに、これからどうなるのかクリシュナは途方に暮れます。

1ヶ月後、社長は残ったスタッフ全員を集めます。
その間も手持ちの受託プロジェクトを納めるために、昼夜兼行の開発体制が組まれ、スタッフは皆んな疲れ切っています。

そこに現れたのは、社長ともう一人、浅黒い放浪者のような風貌の男です。
社長は彼を紹介します。
「野口ヲサムさんは私の友人で、優秀なエンジニアです。イスラエルのプロジェクトを終えて1年以上、エクスプローラーとして中東やヨーロッパを放浪しながら自己探索していたところを、私が無理をいって帰国してもらいました」
「この会社の建て直しを、野口さんに託したい」といって、野口を前に促します。

野口は、簡単に自己紹介して、「この会社で挑戦したいことがあります」と一言いって席に戻っていきます。
一体、何が始まるのか。

百年道場株式会社

社長は、会社再生の説明を始めます。
「会社は人なり。それなのに人が去って会社が潰れかけています。どうやって立て直すべきか、この1ヶ月野口さんと考えてきました」
「最初に、もう一度人を集め直したいと思いました。それも折角なら、生きる力のある人を集めたい。時間を能動的に使い、一人でも軽々と生き抜けるような人達と一緒に仕事できたら、どれだけ頼もしいか」といって野口さんを振り返ります。
「しかし、そんな人がいたとしても、小さな会社には来てくれないし、そもそも今の日本に、そんな人などいないのではないか、と考え直すようになりました」

社長は、白板に「人生100年時代」と書いて説明を続けます。
「皆さん、この言葉、聞いたことがありますか?」
「昔50年だった寿命が100年に延びるようになった、というものです。ただ、一人ひとりに与えられる時間が延びるだけでなく、年金や定年、医療介護、教育といった社会の仕組みも見直さないとならない大きな問題です」

「ところで皆さん自身、人生100年の備えは出来ていますか?」
「100年という長い時間を考えると、ほとんどの会社はそこまで続かないので、まず会社に頼る生き方は誤りといえます」
「そして、学ぶ→働く→定年で引退という常識的な生き方も通用しません。働こうと思えば働けるという意味で、働く時間がなんと2倍にもなり、90歳でも元気に働ける。やろうと思えば40年間の人生を続けて2回生きることもできる」

社長は続けます。
「では改めて、仕事を考えてみましょう」
「皆さんは会社で仕事するだけでなく、他社に移ることも、副業も、兼業も、会社を起こすことも、そして仕事をやめて自分探索することも、学び直すことも可能です」
「選択肢としてこれだけステージがあっても、人生で選択する場面は限られています。まして、ステージを能動的に組み立てたり、組み替えたりして時間を大きく使う人はほとんどいません」
「しかし本来、セルフマネジメントさえ出来ていれば、様々なステージを渡り歩き、変身する時間の使い方が出来るはずです」
「この会社に集まって欲しいのはそんな人。自分の時間をデザインして大胆に変身する人、変化する力を持った人達です」

次に社長は、「百年道場」と大書きし、振り返っていいます。

「我々は、人生100年を経験する人類の最初の世代といわれます。100年間のセルフマネジメントが始まったばかりなら、経験した人はいないし、出来る人も限られる。それなら養成すればいい。私も含めて修行すればよい」
「そこで会社を「道場」にします。仕事を通じて生き抜く力を身につけてもらいます。それが「百年道場」の再生プロジェクト。社名も、百年道場株式会社に改名する予定です」

そして社長は、百年道場で一緒に働いてほしいと頭を下げました。

次に、野口が前に進み、説明を加えます。

「宇宙から、今の自分を眺めてみてください。百年前と比べて我々は、太陽の周りを50回も多く回るようになりました。その膨大な時間は、我々自身がマインドチェンジしない限り、使い切れるものではありません」
「この道場は、皆さんのマインドチェンジを促すとともに、生き抜く力を身につけるための様々な仕組みを用意していきます」

時間のセルフマネジメント

野口がプロジェクタで映し出した画面には、4行の施策が書かれています。

1.週休3日、給与2割減
2.週1日の副業、目標未達分は補填
3.起業、転職、エクスプローラーの支援
4.ライフステージ・ノート

「まず、給与は2割減、週休3日にします」

スタッフは動揺して、声をあげます。

「ただし、休みが3日取れるというわけではありません。週1日は「副業」に充ててください。多分皆さんは副業の経験がないと思いますが、会社が全面的にサポートします」
「副業の収入は全て皆さんが取ってください。最初のうちは副業で得られた収入を足しても、今の収入を下回るかもしれませんが、その分は会社が補填します」

なんとか今の収入は保障されるようです。

「また、皆さんには「ライフステージ・ノート」を書いてもらいます。そこには自分が思い描くライフステージを生涯にわたり書き込んでください」

ライフステージ・ノート? 個別にサポート??

「転職、起業、そのための準備として副業。また、節目節目でエクスプローラーになって旅に出る、学び直す。皆さんがライフステージ・ノートに描くステージに合わせて、会社がそれをサポートする仕組みを用意します。タイミングや金額、具体的なメニューは、これから社長と相談して決めていきます」

野口は「ここまで一方的に説明してきましたが、何か質問や意見はありますか?」と聞きますが、皆、下を向いています。クリシュナも、質問できません。

「当たり前ですが、目前の仕事に集中し、仕事を進めることが大前提です。そこで身につけた仕事力を ”副業”で腕試しします」
「ただし、副業は単なる腕試しではありません。仕事を兼務することで、自分の時間をコントロールするスキルを身につけることが狙いです」
「その先には必ず転職や起業の機会が訪れますし、結果としてキャリアアップになっていくはずです。また、自分を探索するエクスプローラー期間が必要になるはずです。そうした皆さんのステージ選択を全力でサポートしていくつもりです」

最後に、野口は語ります。

「私は皆さんにとって一つのロールモデルといえます。例えば、エクスプローラーの重要性も、私を見てもらえれば少し理解してもらえるのではないでしょうか」
「私の今回のエクスプローラー期間は、人生100年という難問を自分の問題として考える時間でした。全てを疑うイスラエル人の姿勢や、トルコ人の自由自在な思考に学び、「時間と向かう姿勢」を自分なりに見いだしました。それを日本流にアレンジして「道場」という答えを導いています。そして社長に採用してもらい今に至ります」

エクスプローラーという聞き慣れない言葉の意味が少しわかってきました。

「今後、私は全力で道場を育てます。そこでの成功は、一日も早く皆さんとお別れすることです。皆さんが次の大きな次のステージを選び、巣立っていく日のことを、今から楽しみにしています」

再出発

全員が集まった会議の後にも、数名のスタッフが辞めていきました。

ただ会社の雰囲気は、少しずつ変わっていきます。
野口さんは、マッチングサービスを始める大手企業への営業に成功し、開発済みのシステムに少し手を加え納入しました。
マッチングサービスとは、売り手と買い手を直接結びつけるプラットフォームで、様々な分野で導入が進んでいます。
そのプラットフォームを運営する会社に、自社開発した共通の駆動システムを販売し、これを百年道場の主力サービスにしようと動いています。

自社開発はエンジニア派遣と違い、スタッフが同じ場所で仕事できます。ワンチームとして大きな目標も立てやすくなります。
また、お客様と直接仕事できるのも自社開発のメリットです。野口さんはアジャイル開発方式を採用し、お客様のUXを追求します。こうして開発チームは徐々に一つの生き物のように育っていきました。

採用活動も成功し始め、会社に人が増えてきました。道場としての評判が徐々に浸透して、面接での手応えが違うと社長は喜んでいます。
面接で社長は、スタッフ養成のための仕事なのか、仕事のためのスタッフ養成なのか、という質問をよく受けるそうです。その時社長は、どちらも百年道場のエコシステムの一部で、コインの裏表と説明するそうです。

一方、スタッフは、初めて「副業」を経験することになります。
営業職や管理職も含めて、自分が持つスキルを活かせる分野を決め、ジョブサイトへの登録から始めます。クリシュナも仲間の助けられながらいくつかジョブを登録しました。
最初に依頼が来たのは、アプリ開発デザインです。それを納品すると再びリピートが来ます。これを繰り返して、徐々に時間単価が上がっていきました。

副業には週1日を充てるのですが、時間がオーバーしがちで、どうしても休日を削ることが増えてきました。
ただ、気がついてみると、減った給与分を少し上回る収入が得られるようになっています。そして、少しだけ時間マネジメントができるようになった気がしています。

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