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あなたとなら生きていられる。「Blue Jasmine」感想など

ハルと申します。
「Blue Jasmine」という楽曲がもう、米津玄師氏の楽曲では最も好きでですね。あんまりにも好きなのでここに感想を垂れ流しておきたくなってしまいました。
とくに推敲せず感情のまま書きなぐってるのでおそらく駄文です。


①この曲の構成について

この「Blue Jasmine」という楽曲は、少しでも米津玄師というアーティストを知るものが聴いたら驚く程にシンプルで真っ直ぐな言葉で構成されています。
単語レベルで難しいものもなく、構成もすごくわかりやすく、ほとんど全ての歌詞が直感的に理解できるはずです。

ただ、この楽曲は「愛している」とか「特別なんだ」とか、そういうラブソングらしさだけではない、どこか影を孕んでいるようにも感じますね。

差し出したジャスミンのお茶でさえ
泣き出しそうな顔をして
戸惑いながら口を付けた
あなたを知っているよ

沢山の道を選べるほど上手には生きられなかったけど

など。この楽曲に登場する二人はどちらもなにか苦しい過去があるようで、「僕」も「あなた」も、おそらく上手に生きられず、人と上手く折り合いをつけられなかった人間だったのでしょう。

その二人はある日どこかで出会って、「僕」は「あなた」にジャスミンティーを差し出した。
この「ジャスミンのお茶」は「相手を思いやるやさしい気持ち」とかそんな感じのものの比喩だと思っています(実際、ジャスミンティーにはリラックス効果があるらしい)。

そんな思いやりでさえ、戸惑いながら受け取る。「こんな私が、そんなものを受け取っていいの?」といった感じでしょうか?(この、自分をとても卑下しているのは同じラブソングだと「アイネクライネ」などにも見られます。)

そんな、同じ悩みを抱えた、ある意味では似たもの同士の二人。
そんな二人が、やがて互いを思いあって、

これから僕らはどこへ行こう
ねえダーリン何処だろうときっと
隣にあなたがいるならそれだけで特別なんだ

なんかいい感じになって(!?)サビに繋がる、といったストーリーでしょうか。

僕個人としては「互いが互いの救いになっている」のがすごい好きですね。パズルのピースがパチッとハマるような、相手の足りない部分を補い合うような(Flowerwallにもそんな歌詞ありましたね!)。

②「Bremen」のトリとして

さて、この「Blue Jasmine」という楽曲は、米津玄師氏3rdアルバム「Bremen」のトリも務めています。その「Bremen」とトリとしてどういう役割を果たしているのか、というところにも触れていきたいと思います。

13曲目の「ホープランド」はすごく広大で、荘厳な響きを持った曲で。すごくいい感じで終わるんですけど、でもそれでアルバムが終わっちゃいけないなと思っていて。「ホープランド」の中で「いつでもここにおいでよね」って言ってるけど、聴く人は「じゃあどこに行けばいいの?」ってなるわけですよ。

この曲ってなんでもないラブソングだから 、終わりとしてはすごくあっけない。だけどこういう曲で終わらなきゃいけないなって思ったんです。

ちゃんと自分の半径5メートル以内にあるものに目を向ける必要がある

音楽ナタリー 米津玄師「Bremen」特集 より

1曲前の「ホープランド」は、まさしく理想郷に関して歌った歌です。簡単に言えば「世界は酷い、だから君のいる場所はここじゃないんじゃない?」みたいな内容なのですが、インタビュー内でも「自分の意思が100%尊重される場所はない」「精神的な場所ならともかく、自分には理想郷(=ブレーメン)は用意できない」とのこと。ホープランドは存在せず、この楽曲はつまり「君はどこにも行けない」というメッセージでもあると感じている。実際、インタビューにて、この楽曲はガムシャラな希望に満ちた「アンビリーバーズ」と対になっており、「暗くなればなるほど、明るい言葉と明るい音でしか表現できなくなる」と言われている。つまり、どうしようもない絶望の歌なのです。

しかし、それでアルバムを終わらせてしまうと、「じゃあ、この辛い状況から抜け出すためにどうしたらいいの?」と、答えがないまま放り投げ出されたようなまま終わってしまう。

そこで米津玄師氏が用意したのが「Blue Jasmine」という、自分の身の回り半径5メートルの理想郷なのです。
精神論ではなく、実際に自分と分かり合える恋人がいて、それを幸福だと実感すること。
「幸せなんてのはどこにでも転がり落ちていた。」、この歌詞こそが、「Bremen」というアルバムの答えなのではないでしょうか。

③米津玄師3rdアルバムのトリとして

米津玄師氏はこの3rdアルバム「Bremen」以降、劇的な変化を遂げていきます。
「Loser」「orion」「ピースサイン」、どれも大ヒットした楽曲であり、また彼の作曲スタイルも、一人でコツコツつくる内向的なタイプから、様々なタイアップやコラボレーションなど、積極的に他者とのコミュニケーションを取るようになりました。

そして、その米津玄師氏が新しい道へと歩む様子は、この「Blue Jasmine」という楽曲にも現れています。

1stアルバム「diorama」、2ndアルバム「YANKEE」、そして3rdアルバム「Bremen」。全て何かと何かの間のコミュニケーションがテーマとなっているように感じませんか。
dioramaでは「vivi」や「トイパトリオット」などに代表される「結局のところ人は分かり合えない」というすれ違い。
YANKEEでは「メランコリーキッチン」や「眼福」などに代表される「対話」ということの大切さ。
Bremenでは対立構造が目立つ。インタビューでも語られているが、アルバム内で2つの楽曲を対立させ(例:アンビリーバーズ/ホープランド メトロノーム/Blue Jasmine)、その結果何が起こるかを考えた。

これらを経て、米津玄師氏はようやく本物の人間と対話をする決断ができたのではないだろうか。個人の予測でしかありませんが、しかし彼はこのタイミングで「かいじゅうずかん」の連載もやめていたので、ここが彼にとって何かしらの大きな転換点であったのは間違いないと思われます。

その節目に、「Blue Jasmine」はかなり近い楽曲です。悲しい人生を送ってきた二人の、ささやかながら、しかし確かな愛に満ちたコミュニケーション。彼は、内向的な世界から外に旅立つにあたって、この楽曲に人間同士のコミュニケーションに対する強い希望を込めたのではないか。と考えています。これは完全に想像の域を超えていませんが…あとどちらかというと時期的に「Love」の方ではある気がしますが…まあ、ここはひとつ、Blue JasmineとLoveどちらも、ということで。


いかがでしたか。
「Blue Jasmine」。素晴らしい曲なので是非鬼リピしてください。
私はLINEミュージックの再生数ランキング1位がコイツにずっと占拠されています。

よすぎ

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