生きるということ

96歳の戦争を体験したおじいちゃん、のお話を聞いた。

優秀だったおじいちゃんは、特攻隊員の乗る機体の整備担当に回された。特攻隊を送り出すまでが、任務であったから、隊員が酒を飲み「死にに行く」前の現場に居合わせたのだ。
「ほとんどの隊員は酒を自分の顔面にかけ、茶碗を机に叩きつけ、敬礼もせずに機体へと走りに行った、その目元には涙が光っていたね。そして、旋回もせずに飛び立っていった。3回旋回することが軍の礼儀だったけどな。」
背中に冷や水を浴びさせられる感覚、「死ににいく」ということを実感した瞬間は、今でも脳裏に焼き付いているという。
特攻隊員の手紙を読むと、お国のために死んでくる、悲しまないでというような美化された内容が多いが、国によってつくりだされた圧力や、雰囲気、検閲があった、決して彼らの生の声は消されてしまっていたことが分かる。寂しさや怒り、やりきれない思い、などという本音は、決して吐き出すことが許されない時代だったのだ。文字として残る彼らの言葉からは見えてこない、真の状況をおじいちゃんの生の声と経験を通して聞けたことはとても大きな衝撃であった。「軍国少年、少女でなかった子どもはいなかったよ。一瞬たりとも疑うことはなかったね」ある意味、戦時中の教育はとても上手で、子ども達の兵士や看護婦への憧れは大きく育てられていたようだ。しかし、いざ死にに行くとなれば、それ自体を怖がらない人はいなかったことを知った。

お国のために死ぬ、天皇のために死ぬ、富国強兵を第一に掲げた日本。その中で、一人の生身の人間が、駒のように使われ尊い命が一瞬にして、残酷にも殺されていく。相手国の兵士に殺されたのか、いや、自国によって殺されたと言いかえても過言ではないだろう。なぜ戦争をしてはいけないのか、それは、物理的な経済的、人的ダメージだけではなく、心に一生の傷を負う人をたくさん生み、憎しみを次世代に残すことになるからだと思う。「憎む」ことは、本当に悲しいことだと思う。抱えきれない憎悪、そのような感情を抱くのは、結局、市民同士。たとえ、宗主国や、政治家の争いであっても、一番の被害を被るのは、弱い立場の人だろう。

日々生きることが当たり前になっている令和の時代に、ロシアとウクライナで戦争が起きた。映像を見ても実感が湧かないのが事実だ。少しのすれ違いでたくさんの罪なき人の命が一瞬にして奪われる。私は何ができるのか、正直、分からない。何が正しいのかも分からない。

でも一つだけ、今生きることが出来ているということが、当たり前ではないということ、それに感謝をすること、それが今私に出来ること。そして平和を祈ること。

今目を細めて、時計を確認する。肩こりを感じる。明日早く起きなければ、と不安になる。

すべて生きているということ。ありがとう。