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画業

私は50代半ばになって、はじめて美大で勉強し、今は画家をしている。還暦を目の前にいきなりの転身に、周囲が結構驚いたので、ことの成り行きを書いてみたい。
私は高校まで岡山で暮らしたが、東京の私大に進学した姉がそのまま東京に住んでいたことから、地元に居て欲しい両親の願いを尻目に、私も東京での大学生活を目指した。ただし姉だけでなく私まで仕送りで親に迷惑をかけるのは心苦しかったので、学費の安い公立を探した。東大は無理だったけれど(笑)、国立の女子大学の家政学部(現・生活科学部)被服学科に入学することができた。そこで2年生になる時、具体的な専攻選びがあった。今考えるとその時、既に私は潜在的に美術の勉強がしたかったらしく、化学のコースや物理学的コースは選ばす、服飾美学や服飾史を勉強するコースを選んだ。そして卒論は「絶対王政期の服飾意識」という題でバロック期のカラヴァッジョ・ルーベンス・ベラスケス・レンブラントの作品を題材にした論文を書いた…はずだが、う〜ん内容はすっかり忘れてしまった(笑)
しかし卒業後は残念ながら、この超アカデミックな美学専攻では仕事的に一向に潰しが効かず、さらに当時は四大卒女子の採用は短大に比べてやけに厳しかった時代で、就職先を見つけるのが大変だった。でもふとしたことから、私は数学やアルゴリズムを考えることが嫌いじゃないのに気づいて、四大卒女子にも比較的門戸を開いていたIT業界に的を絞り、大手銀行系ソフトウェア会社に拾ってもらった。20代は通算6年ほどSEとして働いた。20代前半で結婚もして、当時流行のライフスタイルのDINKSを気取っていた。
そんな中20代最後の頃、急遽夫が米国ピッツバーグにあるカーネギーメロン大学にMBA留学することになり、私も付いて行くことにして、ITキャリアをつけようとピッツバーグ大学大学院に入学した。情報科学を専攻したところ、すでに実務でプログラミングやデータベース設計は経験していたのでコンピュータの授業ではアメリカ人の友達を助けてあげて、英語力が問われる文科系授業は逆に助けてもらった。この辺は夫に感心されるほどの社交性で優秀な成績をキープしていたのだが、修士号取得まであと1学期を残したところで長女を妊娠し、丁度勉強ばかりのアメリカ生活に疲れていたので、大学院はそこでキッパリ休学して、最後は大きいお腹を抱えて北米旅行を楽しんで、臨月になって帰国した。この決断は今でも後悔全く無しである。
次の30代が子育て真っ盛り、とはいえ、子育てだけだと息が詰まるので、在宅SEをしたり、情報工学の教授のアシスタントをしたりして、働く母を経験した。
40代は、詳細はまた別の機会に記すが、必要に迫られて親族や家族の世話を優先するために専業主婦になった。
そしていよいよ画業への転機の50代、介護や子育てがひと段落して『自分の後半生はどうあるべきか?』を落ち着いて考えるチャンスを得た。その時ふと絵が好きだった子供の頃を思い出し『絵を描いて余生を過ごしたい』と思った。ここで普通なら絵画教室にでも通おうになるところが、その頃たまたま親友が大学に再入学してキャリアアップを目指し始めたことにかなり影響され、私も本気で絵を勉強しようと学校を探してしまった。そして程なく武蔵野美術大学に通信制があるのを見つけて、これぞ!と思い、入学までしてしまったわけだ。と、半分は勢いで入ったこの大学だが、幸運なことに素晴らしい先生や同級生との出会いがあり、彼らにますます触発され、趣味ではなくプロとして絵と向き合う気持ちが強くなった。美大には3年間在籍し、卒業後すぐに制作活動を開始、ありがたいことに数々の公募展で入選や入賞させていただき、2018年に初個展が叶い、昨年11月には3回目の個展も無事終了した。
私は絵で身近な幸せを表現したいと思っている。例えば日常的に朝食やお弁当やお菓子やペットの写真をスマホで撮っている。そんな写真に残したいと思う瞬間には必ず幸せな気配が存在する。その気配をキャンバス上に油彩で表現するのが、私の仕事、私の画業になった。
成り行きをチャチャッと書くつもりが長くなってしまった。備忘録ということで。

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