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【音楽連載】キャッチボール|漆黒の音 vol.1|音楽と文:慶田盛大介@石垣島



(*この企画は、記事に合わせた楽曲をYoutubeでお楽しみいただく音楽連載です。まず記事を読んでいただいてから楽曲をご覧いただくいただくことをお勧めします:月刊まーる編集部)


はじめに

アジアのヘソと言っても過言ではない沖縄。様々な文化の交流地点。その沖縄、そして八重山には、多色に富んだ世界感が混在してるのだと思う。

戦時中、パプアニューギニアへ行きマラリヤにかかり生死を彷徨いながらも、無事生還できた祖父。その後は安室流の民謡研究所に入門し、三線、笛の稽古に勤しんだ。

そんな祖父の生前録音された八重山民謡を聴いた。祖父は笛の担当で他に三線、太鼓の演奏があり、八重山の原風景がそのまま音にのって流れてくるようだった。祖父の吹く笛は、月のような音で、まだ街灯もない時代の月明かりの中にこだまし暗闇を照らし出すような艶と存在感があった。

これは、僕が八重山民謡を聴くたびに、幼少のころから受け取っていた歌々の影にゆらめいている存在を詩にしたものだ。

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『漆黒』

月は闇の照らし手
闇は人の照らし手
闇は世界の人の心の漆黒
純粋な漆黒
漆黒には
全ての色々が混ざる
茜色、青紫、日暮れ色も
漆黒は、全てのいろのもと
月は闇の照らし手
闇は人の照らし手
闇は世界の人の心の漆黒
純粋な漆黒

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漆黒、それはすべての色を混ぜ合わせた色。沖縄、こと八重山には、その漆黒の色が伝統と音として残っているような気がするのだ。

そんな祖父の長男である僕の叔父は、盲人である。

高校生の時の事故が原因で、二十代半ばから徐々に視力を失い、三十歳にさしかかる頃には完全に世界が暗闇、まさに漆黒になってしまったのだ。

光を持っていた若かりし頃。光を失った三十代。その闇の中、もがき苦しみながらも鍼灸という道を選びゼロからのスタートに踏み切った。そんな叔父が七十代を過ぎるころ、こんな言葉を口にした。

『大介、おっちゃんは目が見えなくなってよかったと思うよ』
『なんで??』
『目が見えなくなったおかげで、いろんなことがみえるようになったから』

キャッチボール

目が見えなくなることにより、より鮮やかな色の混ざりを感じ、『みて』いたのだと思った。そんな叔父へ作ったキャッチボールという曲がある。


『僕はあなたの姿が見えている。あなたは僕の成長を感じ、みている。心と心、そして
お互いの言葉と言葉で』

現在、八十七歳になる叔父の、光を失った目は僕と会話するとき、島の青空に想いを馳せるかのように空を見上げて笑ってくれているのだ。

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この記事を書いた人

慶田盛大介(たゆたい唄者/kan-kanデザイナー)

1978年石垣島生まれ。大学進学とともに上京。バンド、ユニット、ソロで音楽活動をし、指笛で紅白歌合戦に出場。2021年、クラウドファンディングを達成し、制作したCDアルバムをひっさげて帰郷。2022年、服とギャラリーの店kan-kanをOPEN。現在、石垣島を拠点に音楽のみならず、全てのアートをツールとし表現中。
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