田舎とテレビ
今や全国津々浦々、テレビが見れない地域はないんじゃないかというくらい、テレビは当たり前のものになっている。
そんな状況だけど、私はテレビを4年くらい見ていない。(病院の待合室等では見るけど)
テレビ点けっぱなし生活をやめたのは10年程前。
(今はネットだけ見てテレビ見ない人も多いとか?)
テレビを見なくなった経緯は色々ある。
その中の一つが、実家での体験。
虚しくて悔しくて、テレビを見たいと思わなくなった。
以前の記事にあげたのだけど、私はいわゆる田舎育ち。
私が育った家庭は、じいちゃん、ばあちゃん、お父さん、お母さんがいる三世代世帯だった。
自分の育つ環境を当たり前と思っていたら、実は私が生まれる前の1980年でも、三世代世帯は12.2%で、それからずっと低下傾向、2005年には6.1%だという。(引用:内閣府のHP https://www8.cao.go.jp/shoushi/shoushika/whitepaper/measures/w-2006/18webhonpen/html/i1511110.html)
田舎だから当たり前か、なんて思っていたけど、なかなか珍しい境遇で育っていたらしい。
(今まで知らなかった)
そんな家庭で、生まれたときからあったのがテレビ。
赤ちゃんの頃の写真を見ると、当たり前のようにテレビが点いている。
畳敷きの居間の正面にテレビがドカンと置いてあり、そのテレビのまん前に赤ちゃんだった私の為に布団が敷いてあった。
生後0ヶ月からテレビの洗礼を受けていたことになる。
物心ついたときも、我が家では常にテレビを点けていて、チャンネルの取り合いとかはなく、皆それぞれ淡々とテレビを見ていた。
テレビに関した記憶で覚えているのは小学生高学年か中学生の頃。
何かのバラエティ番組を見ているとき。
テレビを見ていると、横からばあちゃんが話しかけてくる。
「これぁ何や?」とか聞いてきて、番組に関係ある内容ではあったんだけど、ばあちゃんといちいち会話するのがめんどくさくて、すごく嫌だった記憶がある。
今では見ていたつもりの番組の内容が全く思い出せない(笑)一体何を見てたんだろう。
それくらいの熱量でしかないのに、邪魔されたことがすごく嫌だった。
時は経ち、
社会人3年目の時、ばあちゃんが死んでしまった。
その時既に私の結婚が決まっていた。
何よりも私の花嫁姿を楽しみにしていたばあちゃんに見せてあげたかった。
(当時付き合っていた彼に、ばあちゃんが死ぬ前に花嫁姿を見せたい、と迫った。結婚詐欺みたいなものである)
だけど、見せられないまま、死んでしまった。
葬式のときも、火葬場で煙を見上げるときも、そして今でも悔しい。
なんであの時、テレビばっかり見てたんだろう。
テレビを消して、ばあちゃんからしか聞けない昔話をいっぱい聞いておけばよかった。
ばあちゃんの話す方言が完コピできるくらい、いっぱい方言聞いとけばよかった...
死んでしまって、この身体で会えなくなってから、初めて気付いた、失われた大切な機会。
そして虚しさでいっぱいになったもう一つの実家での体験。
ある時わたしは中学生で、昼間でも薄暗い居間で電気も点けずに一人でテレビを見ていた。
学校はお休みで、日曜日のお昼過ぎの単調な番組が繰り返されているのを、ただただ惰性で見ていた。
ただテレビを見ていただけ。
夕方4時、太陽が沈みかけていよいよ暗くなり始めた部屋で、ついに自らテレビを消す。
その消した後にじわりと広がる、虚しい感覚。
テレビを見たあとの虚しい経験を、ばあちゃんが死ぬまでに何度も体験してウンザリしていたからこそ、
テレビ消してばあちゃんの話をもっと聞いておけばよかった、と強い後悔が残ったし、
私、テレビ見てたら時間浪費しちゃう人だ、と気づいて、見ないようになった。
話は変わって、
昔、田舎に住んでいることに、いくらかの負い目があった。
その思いがあったから、地元を出た記憶があるし、結婚する相手も私の地元よりは田舎じゃない出身地の人を選んだ(気もする)。
でも今では、なんでそんなに田舎が嫌だったのかわからない。
私がもう若くないからなのか、欲しいものが全国どこでも買いやすい時代だからなのか...
ただ、一つ思い当たるのは、テレビを見なくなったからなのかな、と思う。
日本初上陸のドーナツの店とか、
雑誌に載ってるお洒落な服を売っている店とか、
芸能人御用達の美容室とか、
そういうテレビで取り上げられるお店って、やっぱり都会にある。
そして、テレビで取り上げられる話題は田舎の私達にも知れ渡る。
テレビにより大衆に知れ渡り人気がある(ように見せている)=価値がある(ように見せている)ものを、人は魅力的に感じる。
そして、田舎の人は、それがない田舎には価値がないと思ってしまう。
その思考に陥っていたのかな、とテレビと距離をとってようやく最近になって気付いた。
本当に価値があるものは何だろう?
テレビの情報ばかりを鵜呑みせず、自分の体感で物事を感じていきたい。