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生きづれぇ世の中だよ

いつになったら苦しまずにいられる日々が来るのか。
いつになったらストレスから解放されるのか。

そんなことばっかり考えて、ついに20歳になった。
世間からしたら"まだ"20歳なんだろうけど、
私からしてみれば"やっと"20歳なのだ。
いまだに日々を生きるのはしんどくて、
未来は数ヶ月先すらも見えないままで、
人生は難しいなぁと常々思ってる。


最近『不適切にもほどがある!』というドラマを見た。
ほとんど一気見の勢いで見た感想は、
「どの時代も生きづれぇな」だった。
つまり"生きづれぇ"のは環境のせいではなく
自分自身の性格の問題だということに
改めて気づかされ、とても吐き気。萎える。まじ鬱。


分かってた。分かってましたよ、そりゃ。
自分のことだし、自分が1番分かってるから。
自分が生きるの下手人(へたんちゅ)だってこと、
数年前から薄々気づいてました。

でも下手人だって学校は行きたいし
良い会社に就職してたくさんお金稼ぎたいし
素敵な恋愛して、できることなら結婚もしたい。
そう願って努力する権利はさすがにあると思ってて。

かと言って世間に向かって
「今から下手人の私が努力するので
頑張りやすい環境にしてください!」
なんて言うつもりは全くない。
だから今の社会は下手人に寛容すぎると思ってるし、
その結果上手くまわらなくなってるとも思う。

下手人の難儀な性格は
努力でなんとかならない部分もあるけど、
そんなことは全人類に共通していることなので、
下手人は下手人で勝手に苦しんで勝手に頑張るから
みーんなが生きたいように生きればいいと思うんです。


誰かの為の社会になるってことは
必然的に"誰か"以外の人が犠牲になるということだから。

「こういう社会にしましょう」って作っていくんじゃなくて
みんなが自由に生きた結果、
「こんな社会だねぇ」ってなるのが個人的な理想。
多分社会って、作るものじゃなくて
なるようになった結果なんだと思うんだよね。