【アークナイツ】『懐黍離』考察—「人」の営みと黍について
炎国北部の農業地帯「大荒城」には、千年以上この地に「人」として居座り、人間と共に農作に励む歳の代理人「シュウ」がいた。
本記事は炎国と巨獣の歴史を振り返りながら「歳」とその代理人はどのような存在なのか、そして『懐黍離』で描かれたストーリーについても考察していくものである。
「歳」について
まず「歳」とは何ものかについて、炎国の誕生の歴史を踏まえながら簡単に見ていく。
炎国の誕生
炎国の領土にはかつて「神」が存在していた。この神は現在「巨獣」と呼ばれる存在だが、巨獣の住む土地にも人間がおり、人間による文明の興りがあった。そのような文明が興り始めた混乱期に「炎」という人間が国を治め、「炎国」という名を授けた。これが炎国の始まりとなる。
しかし、「炎」の早逝により炎国は戦乱の時代へと突入することとなる。この戦乱の時代を治めたのが「真龍」と呼ばれる炎国の皇帝である。
「真龍」は人間の世を平定するに至ったものの、その裏にはある一柱の神、すなわち「歳」が戯れで密かに人間の争いに加担していたという事実が存在していた。
その後「真龍」は自らが治める炎国で人々が天災の苦しみに喘いでいる様を見て、臣民を悲しみ哀れむと同時に次のように考えた。
「溥天の下、王土に非ざる莫く、率土の浜、王臣に非ざる莫し」とは『詩経』の小雅・北山之什の一節に由来する言葉であり、「大いなる天の下、王の土地でないものはなく、遍く地の果てまで、王の臣民でないものはいない。」という意味の言葉である。
神と崇められ、畏敬崇拝の対象となるあの巨獣たちが炎国の支配者であるならば、臣民を救って然るべきなのに、なぜあれらの者は臣民と炎国の領土を守ろうとしないのかということを意味すると考えれる。
こうした疑問を持った真龍は国と臣民のために、神と崇められる存在を炎国から追放し、炎国を神から人の支配へと移行するための巨獣狩り、すなわち「大討伐」を行うことを決意する。
この大討伐において同胞である巨獣を裏切り、人間側に加担したのが歳である。ただし歳の目的は真龍及び臣民を先導し新たな文明を築くことにあり、人間が真の戦争を学んだことに悦び狂喜した存在であることから、必ずしも歳の目的とする文明が炎国にとって良いものかは定かではない。
こうして歳の助力を得ながら真龍は数柱の神を殺し、それ以外の神を炎国から駆逐することに成功する。大討伐の末に最後に残る神は歳のみとなった。歳は裏切った同胞から痛手を受けており人間に敗北することとなるも、真龍は功績と罪科を相殺する形で歳の命までは取らず、その代わりに炎国に仕えるよう命じた。こうして真龍は炎国の繁栄を人間の手のみに握らせることに成功し、神の支配から人の支配へ移行することとなった。
一方で歳は陵墓へと入り、自らの意識を12個に分割し、それぞれに権限と機能、そして魂を与え、それらに大地での役割、すなわち炎国に仕え、「天地の為に心を立て、生民の為に命を立て、往聖の為に絶学を継ぎ、万世の為に太平を開く」という役割を代行させることとなった。
こうして分割され現在人の姿で存在しているのが、ニェンやシーといった代理人たちである。
「歳」の序列とそれぞれの権能
歳は12の代理人に分割されたが、ここではその長幼の序列と権能を確認しておく。長幼の序は「我とは誰か」という問いの答えを見つけた順版によるところ、12の代理人の序列と現在判明している権能は次のようになる。
朔(シュオ:武)
望(ワン:?)
令(リィン:詩吟)
不明(女性:法律)
颉(ジエ、死亡:書法?)
黍(シュウ:農作)
績(ジー:紡績)
不明(男性:医療?)
年(ニェン:鍛冶)
不明(男性:?)
夕(シー:画)
不明(男性:料理)
以下では名前等は不明だが序列又は権能が判明しているものについてその根拠を見ていくこととする。
まず男女の割り振りについて見ていこうと思う。
ニェンはジーのことを「三哥」、「my third brother」と呼んでいることから、ジーが三男ということになる。
他方『将進酒』でニェンがジエを呼ぶときの記載は、原文で「三姐」つまり三番目の姉とされている。EN版も原文に沿って三番目の姉という記載であるため、ジエが三女ということになる。よって長女のリィン、その間に一人、その次にジエが来るという順番となる。
その後ニェンが「うちの弟の中に一人」と発言していることからニェンの下に男性が二人いるいることが分かる。
そしてチョンユエが治療のできる弟がいると発言し、これが後述するがニェンの弟に該当しそうにないためニェンの兄となる。ジーは治療の権能とは別の紡績を司るため、ジーが7番目、治療のできる弟が8番目と推測できる。
なお歳の序列については「炎:劫争い」の掛け軸の順番からも推測することができる。
下段真ん中にいるのがチョンユエ、角の形からチョンユエの左にいるのが次男のワン、チョンユエの右がリィンだと分かる。左端にはシユウがいることから順番としては次のようになる。
この順番に当てはめれば右端が5番目の代理人であり、かつこれのみ掛け軸が消えかかっていることから死亡した代理人であるジエと推察できるという具合だ。上段の順番も同様の法則に基づくためチョンユエの上にあるのが7番目のジーということになる。
それでは以下それぞれの権能を見ていこう。
四女についてはIW-7戦闘後の次の一文の原文から法律の権能を有することが分かる。
この一文の後ろは原文で「还是那一字千金口含天宪的妹妹呢?」であり、「口含天宪」とは「口に含むは天の憲法」、すなわち「彼の者が発する言葉は全て法律であり、以て人の生死を決することができる」という意味の言葉である。そのため四女の権能については法律と推定できる。
五女ジエの権能については詳細が明かされていないものの、おそらくは書法だと考えられる。まずジエは沢山の書や法帖を残し、彼女が消えるときにそれらも消えたとされている。彼女が多くの人に読み書きを教えていたとの記載からも彼女の権能が書、或いは少なくとも文字に関わるものであることは確定できる。
同時にジエの名前は原文で「颉」と記載される。中国の伝説の皇帝に「黄帝」という人物が存在する。いわゆる三皇五帝のうちの一人であるが、この黄帝に仕える人物に「蒼頡」という人物がいる。
蒼頡は大自然の自然現象にもとづいて自らのてのひらに絵を描き、(象形)文字を発明創造したといわれている。ジエのモチーフの一つにこの蒼頡がある可能性は高く、そうであれば上述のものと合わせて彼女の権能が書、或いは文字と考えることはさほど不合理とはいえないと思われる。
八男にはWB-8行動後の記述から上述のように恐らく医療の権能を持つ者が入ると思われる。ただし、これについては末の弟が料理であること、ニェンの弟が大爆発のような騒ぎを毎日起こすとの発言から、ニェンの弟に医療の権能を持つ代理人がいないだろうという消極的なもののため、実際の序列が8番目か10番目かは定かではない。
司歳台
次いで司歳台について簡単に見ておこう。司歳台は読んで字のごとく「歳を司る」機関である。元々は礼部(炎国の行政機関の一つ)の下部組織として設立されたが、歳の代理人であるジエの死亡を引き起こすことなった次男ワンによる事件をきっかけにその地位が高まり、独立して巨獣問題に対応する権限を与えられることとなる。
ズオ・ラウが所属する「持職人」は司歳台の任務に当たる人間である。持職人については詳細があまり明かされてこなかったが、ズオラウのプロファイル資料によれば「生き物」としての巨獣の謎の解明と、巨獣の動向を探りそれらによる危険を防止することにあるのだろうと思われる。
近年司歳台と礼部とでは歳の処遇について意見の食い違いが生じてきているようである。近年ではサルカズによるヴィクトリア事変が起き、ウルサスの動乱は収まる気配がなく、リターニアでは女帝の一人グリムマハとが命を落とした。
こうした混乱期の訪れを眼前にして炎国は国内の巨獣問題の解決として、司歳台では歳の代理人の一掃により千年来の禍根たる歳の危険を除去すべきと主張するのに対し、礼部は十二の代理人の中には有用な才を持ち、また功績を持つ者も多いことからこの主張に反対している。炎国は北の悪魔、南のシーボーンという二つの脅威に挟まれているため、炎国をそれらの脅威から守る手段として歳を残すべきであり、おそらくは望のように明確な炎国への反乱分子のみを除去すべきという主張なのだろう。
このように現状歳の処遇については炎国内で意見が割れているところ、『将進酒』のラストにニェンは太傅から十二楼五城とからくり、兵俑の提供をすればその代わりに歳の討伐に朝廷が力を貸すとの取引を持ち掛けられ、これに応じた。
天機閣は「魔」すなわち北から侵食してくる悪魔の防衛拠点としての役割を担うものであり、また北方の国(ウルサス?)に対する防衛線でもある。その外に十二楼五城の建設を求められていることからすれば、十二楼五城は主として対悪魔の防衛拠点と考えるのが妥当であろう。
こうして舞台は大荒城へと移ることとなる。以下では大荒城を舞台とするイベント『懐黍離』の内容に触れていこうと思う。
『懐黍離』
大荒城
『懐黍離』の舞台となる大荒城は炎国北部の農業都市であり、また最先端の農業研究が行われる最重要拠点である。大荒城がかような発展をした理由として地理的要因が挙げられる。
農作と天災の関係についてはワンチィンのプロファイル資料の記載が簡潔で分かりやすくまとめられている。
こうした天災による源石の土壌汚染が少ない大荒城は農作にとって極めて稀で重要な土地であるが、大荒城のみで炎国全ての食料を賄うことは不可能である。そのため大荒城天師府の一部の天師は源石汚染に強い作物の品種改良に努めている。
ホーシェンが行っている「万頃」もその一環であり、そこでは25%の源石活性率を超える環境でも育つ作物を開発することを目的としたものである。
このような大荒城には神農信仰が存在している。以下では神農信仰と神農について触れていこう。
十二楼五城
大荒城には「十二楼五城」の建設が進められている。大荒城は現在移動都市全体を使って巨獣を模し、擬似的な巨獣を作ろうとしている。この擬似巨獣こそが十二楼五城である。
この十二楼五城は悪魔に対する防衛のみでなく、ニェンたちが歳を討伐した後に歳の本体に代わり器となるもの、すなわち歳が始末された後もニェンたちが消滅しないようにその存在を繋ぎとめるための役割も果たすものとなる。
十二楼五城の中核を担うのは「巨獣の心臓」と呼ばれるものである。巨獣の心臓は十二楼五城のエネルギー源となるコアエネルギーモジュールであり、同時に歳の代理人を支えるエネルギーの器となるものであった。
この十二楼五城については「単なる詩の抜粋では」ないとの記載、また「天上の白玉京、十二楼五城」との表現、そしてワン侍郎の発言から、恐らくは李白の詩の一節から持ってきたものと考えられる。
非常に長い詩であるため内容は省くが、ここで重要なのは「天上白玉京。 十二樓五城。」の箇所である。道教において中国古代には伝説上の山岳としての崑崙山が存在し、天上には白玉京、崑崙山の十二樓五城には不老不死の神仙が住むと信じられていた。
巨獣の姿を模す要塞に十二楼五城という名がつけられたのは、かつて炎国で巨獣が神と崇められていたことにちなんでいるのかもしれない。
神農
中国神話における「神農」は「炎帝神農」のことをいい、太陽神でありかつ農耕と医療の神でもあった。特に農耕の面に目を向けると、次のような話が残されている。
テラの大荒城にも神農信仰が存在している。炎国において神農は神話上の人物ではなく実在した人物として伝わっており、炎国の農業理論の創始者で、農業理論と二十四節気の規則を初めて体系的にまとめた人とされている。
千年前から源石汚染が少ない珍しい土地であり、炎国の重要な農地であった大荒城はある年に歴史上例のない天災に見舞われた。これにより大半の土地がひどく汚染されるとともに田畑を荒らす化物も大量に湧き出てきた。こうして何代にもわたる人々の努力が無に帰したとき、人々と土地を救うために現れたのが大荒城の神農と伝えられている。
神農は農民や天師たちを率いてここに住み、土地の汚染を取り除く方法、そして環境に適応できる穀物の種の栽培方法を何代にもわたり研究した。より多くの人を救うため北へ新たな種を探す途上で、神農はこの世を去ったとされている。
神農として崇拝されている人物は、かつて人里に下りてきたばかりのシュウと出会い、かつて荒地だった大荒城を開拓し、彼女に「人」とは何かを教えた一人の女性であった。
彼女は当時の大荒城の人々、シュウと共に荒地の開拓を行ったものの、当時は源石装置はおろか頑丈な鋤すら作るのに苦労する時代だったため、開墾は狭い範囲に止まっていた。数十年で大荒城の田地は二倍になり、毎年の収穫もそれ以上になったものの、それは炎国の同胞の飢えを満たすには十分でなく、晩年彼女は北の大地に源石に汚染された土地でも栽培できるような特別な作物を探しに北へ向かうこととなる。
後述するが、大荒城の北は悪魔による汚染が広がっている土地のため、北の大地へと到達した時点で神農は悪魔に穢されサーミの「崩壊体」のような姿となってしまう。
彼女が最後に見た光景は凍てつく寒さの中で見渡す限りの黄金の稲穂であったが、これも悪魔の汚染を受けていたものであり、悪魔に汚染された稲穂が真っ赤であるという記載からすると、この景色も現実のものかは定かではない。
その後神農の想いをシュウが継ぎ、シュウは彼女の望み通り大荒城に残り「人」として農法を後生に伝え、大荒城を悪魔の汚染から千年守り続けることとなる。
大荒城の悪魔
神農となった少女が北から持ち帰った種とその遺体により大荒城は悪魔の汚染にさらされることとなる。
しかし、悪魔は本来サーミの北、或いはウルサス北部のインフィ氷原にあるゲートを通じてテラの現実世界へと現れる。そのため通常は炎国の北部には存在しないと考えられる。
そのため過去に人間の手によって大荒城の北部に悪魔は持ち込まれたと考えれる。悪魔の欠片が炎国に持ち込まれたのは炎国が人の支配を勝ち取った大討伐の時代であり、これは巨獣に対抗するための手段として持ち込まれたものであったとされている。
つまり大討伐の時代に巨獣に対抗するための方法として悪魔の欠片を炎国に持ち込んだところ、これが大荒城の北部を汚染した。その後神農が悪魔に汚染された作物を大荒城に植えたことで、大荒城の土壌は千年もの間悪魔の汚染に晒され続けた。これを食い止めていたのがかつて討伐の対象であった巨獣「歳」の代理人であるシュウということになる。
このような悪魔の汚染地域がありながらも大荒城を放棄しなかった理由には、やはり大荒城が類をみない程稀な源石汚染の少ない土地であるという理由によるものであった。対岸の土地は悪魔に穢されていようと重要な農地を捨てることは出来ず、炎国の上層部はその事実に目を瞑り続けてきた。
大荒城の悪魔の汚染をシュウは抑え続けてきたのだが、その理由は何であるのだろうか。シュウが千年もの間悪魔の汚染を食い止めていたとしたら、彼女は神農が悪魔の種を持ち込んだその時から汚染を食い止めていたことになる。彼女が悪魔に精神を蝕まれながらもその汚染を食い止め続けたのは、やはり神農との約束があったのではないだろうか。
神農はかつて一生をかけてシュウに「人」の気持ちを教えた。神農のおかげで「人」とは何かを学んだシュウは、神農が北に向かう直前に彼女がいなくなったあともこの地に残り、農法を後生に伝え、同胞がお腹いっぱい食べられるようにすると約束をした。
チョンユエ同様に彼女もまた一人の人間によって「人」にしてもらったからこそ、彼女は大事な人が残した土地が彼女の持ち込んだものによって穢されることを良しとしなかった。それゆえに彼女は千年もの間悪魔の穢れを一新に背負ったのではないだろうか。
ジーの計画
歳の代理人ジーは大荒城に悪魔を扇動し、巨獣の心臓を乗っ取り、今回の騒動を引き起こした人物である。
ジーが大荒城で今回の騒動を起こした理由は二つ。一つはシュウを大荒城の地から解放すること、もう一つは次男ワンのために織る布に大荒城を織り込むことである。
①シュウの解放
ジーは歳から分かれた後、シュウに連れられて今の大荒城の地に留まることとなった。その中でジーがシュウや神農、大荒城の地の人々と過ごしながら「人」とは何か、「同胞」という概念を学んでいた。
その後ジーは大荒城を訪れた商人と出会う。ジーはその商人について各地を回り、ある真理を知ることとなる。
ジーが学んだ真理は「天下熙熙、皆为利来;天下攘攘、皆为利往。」というもの。これは司馬遷の『史記』に収められた「貨殖列伝」に由来する語である。天下の和楽の賑わいは利益の下に集まり、天下の攘攘の喧騒はみな利のために行くということ。経済的利益の重要性を説き、人々が経済的利益を追求することは合理的であることを肯定したものである。
こうしてシュウや神農のもと大荒城で同胞という概念を学び、商人のもとで利益の追求を学んだジーは、みずからの同胞たる歳の代理人と炎国との間で損益の勘定をした。
こうして炎国に利用されるだけ利用され損ばかりしているシュウをその元凶たる大荒城から解放することがジーの目的であった。彼は郷長たるロン・ワンチィン、工部侍郎のワン・チンチェンと取引をし十二楼五城の完成を急がせた。そしてニェンに対し、シュウの代わりにジーの力を使うのはどうかと提案した。
しかしジーが目的を達成する前に、シュウは命を落としてしまう。ただでさえ千年間悪魔の穢れを抑えつづけた彼女は、十二楼五城の完成への協力と河の上流で起きた源石鉱脈の爆発により起きた源石不純物を含む洪水への対処により疲弊し、悪魔の穢れを抑えきることが難しくなった。これにより表出してしまった穢れを一掃しようとした結果、彼女は一度その存在が消失してしまった。
ジーが以前から十二楼五城の完成に力を貸していたのも、おそらくはこれが完成すれば歳の代理人の器になると考えていたと思われる。シュウの消失後ジーは予定を前倒しし、シュウを歳の本体に還らせないために巨獣の心臓を無理やり起動させることとなる。
②ワンへの協力
ジーはシュウの解放と別に、ワンに協力するため炎国の「国祚」で服を織るという目的も有していた。
国祚とは国のさかえを意味する言葉である。山河百景を言い換えたことからすれば、炎国の各地の栄えた姿を織り込んだものであろうか。
一方で「祚」という字に天子つまり国の君主の位の意味があることからすれば、国祚は「(炎)国の王の位」ということになろうか。「国祚」で織った布をワンに渡すことが炎国への宣戦布告ということ、ワンが歳に対し次のように思っていたことを考慮すれば、歳が負けた相手たる「真龍」を思い起こさせる国祚は、炎国の地を統べる君主という意味で取るのが妥当なようにも思える。
ワンの目的は歳本体を殺しこれに取って代わるというもの。そしてその力を用いて天下数多の生命に「大利」を図るとのこと。詳細は分からないものの、決して自己本位のものではないようである。
いずれにせよワンはジーが「国祚」で織った服を受け取っており、近いうちに歳との決戦に臨むこととなると思われる。
シュウの復活
力を使い果たしたシュウは一度この世を去るも、歳の体内に戻されることはなく復活を果たすことになる。シュウが消えた後の会話の記載からすると、シュウと大荒城との繋がりが強かったこと、また巨獣の心臓が歳の代替としての役割を果たしたことがその要因のように思える。この記載からすると、仮に擬似歳が無かった場合、彼女は歳に戻ることもできず、大荒城に縛られ続けることになるのだろうか。
その後彼女は「我とは誰か」という問いへの答えを提示し、再びシュウとして復活することになる。
ところで、シュウが得た答えとは何なのだろうか。シュウはこの問いの答えは「これまで出会ったもの、見てきたものの中にしかない」という。シュウが大荒城で見てきたものはその地で懸命に生きる人の姿、かつて荒地だった土地から生い茂る豊作の作物だった。
彼女が得た答えがどのようなものかは最後まで明かされていないものの、それは最古の穀物の一つである黍(きび)のように、寒さに耐え、旱魃に耐え、痩せた土地でも生き、未来への種を遺そうと努力する人の営みなのかもしれない。
『懐黍離』について
最後に『懐黍離』というタイトルの意味を探って終わろうと思う。
「黍離」という言葉は中国最古の詩集『詩経』に収められた「黍離」という詩に由来すると思われる。詩の「黍離」は詩経のうち「国風」の部に収められている。「国風」は黄河流域の地方の歌を集めた箇所であり、恋愛や婚姻、農耕といった庶民の生活から生まれた歌が集まるとされる。
この詩は東周の旧王都である鎬京を訪れたところ、かつての王都がきびの生い茂る穀物畑となり荒廃した様を嘆くものといわれているが、一方で人の都が崩れようとも生き続ける植物の力強さをも描いているように見える。
この詩には「黍離」という言葉が用いられているが、ここの「離」は離れるではなく「植物がふさふさと生い茂っている様」を意味する。そのため「彼黍離離」は「あの黍はよく生い茂り、穂が実って垂れている」という意味になる。
ジーが起こした騒動を大荒城の人々はシュウなしで乗り越えた。またホーシェンは源石に汚染された試験田の「万頃」で生き残った苗を見つけた。高い源石汚染率のなかで成長する作物は正に「万頃の良田」を実現し得るものであり、これはシュウと神農が求め続けた「炎国の同胞の飢えを満たす」という夢を叶え得るものであった。
一度消失したことにより大荒城の人々の記憶からシュウの存在は消えてしまったものの、シュウと神農が大荒城に植えた「農作」とそれを受け継ぐ「人」という苗は今や立派な実をつけるにまで生長し、シュウの手を離れて生きることができるまでになった。
『懐黍離』というタイトルは大荒城で力強く生きる人々の姿を植物が生い茂るさまに見立てるとともに、大荒城を離れたシュウがその人々に思いを馳せることを意味するのかもしれない。
結び
以上で『懐黍離』についての考察を終わることとする。「歳」にまつわるエピソードもクライマックスに突入しそうな様を見せており、来年描かれる物語に期待が高まるばかりである。