5月15日

pm11:42

音楽は、恋と似ていると思います。

受け取る人にとってそれは魔法のように美しく、聴く音の一瞬一瞬が輝いているものです。私にとっても、歌や音楽や楽器の音は日々の支えであり、無くてはならない存在です。

聴くだけでなく、演奏したりもします。自分で音を奏でる瞬間の高揚感は、例えられない素晴らしさがあります。

でも、時にそれは呪いにもなります。

怖いくらいに。

私は私の気に入った曲ばっかりを何度も何度も再生して、何度も何度も繰り返して、ただ過ぎていく時間に身を任せて、飽きるまで同じ道を辿るのです。

友達には「変なの〜笑」と言われますが、私にとって音楽を聴く上で楽しむ方法が、それくらいしかわからないのです。

飽きるまで、繰り返す。

飽きても、思い出す。

恋と似ていると思いました。

家族や友達、先生皆に、「私は感受性が豊かだ」と言われます。自分で言うのもなんですが、私も豊かな方だと思っています。映画やアニメを観たり、本を読んだり、音楽を聴いたりすると、もうこれ以上出ないだろうって位に涙が流れるし、私自身の想像でしかない登場人物の心情がそのまま私の感情に移ってしまったり、誰かが痛がっていたり、怪我をしたり、具合が悪そうにしていたりすると、私もその部位が痛いように感じたり、気づいたら私も顔面蒼白になって、一緒に保健室に向かったこともあります。

この感受性の豊かさ故に、私はよく友達の相談相手役になってたし、恋でも沢山心を動かされて、失敗をしてきました。

沢山傷ついて、傷つけてしまいました。

言葉は、歌は時に、狂気に、凶器になり得る。

私には好きな人がいました。

その人はとても良い匂いで、同い年と思えないくらい強くて、友達思いで、でも思わせぶりだし、怖いところもあるけど、不器用なりに私に優しさをくれる人でした。

私は歌うことが得意だったし、好きでした。友達と行ったカラオケで、彼に歌を聴かせました。お世辞だったろうけど、すごいと褒めてくれました。

ある日その人が、私にいつか歌って欲しいとわざわざメモにまとめて教えてくれた曲がありました。

私はその曲が大好きになりました。でもその曲の歌詞は、いつも私が聴くような曲とは真反対とも言えるような言葉ばかりが並んでいました。まるで、愛情が足りていないような、切なくて重くて悲しくて、それでもそれなりに自分の生きる道を選んで、歪んでいる社会に歯向かって行くような、そんな歌詞ばかりでした。

彼の心の底が、覗いた先の万華鏡の世界が、ほんの少し見えた気がしました。

私はよく、他人に何かを薦められたときにそのものに対する気持ちや、どうして好きなのか、それを薦める上で何を知って欲しいのかを考えます。相手にとってはオススメする行為自体にそんな大層なことは考えてないだろうし、思ってもないだろうけど、私はつい、考えてしまいます。

そこから作り出す彼らの虚像は、私の勝手な想像だし、周りの目ばかり気にしてしまう私の良くない一種の癖なのです。違っても全然構わないし、本人に伝えるわけでもなく自身の中で完結させ終了させることだから。でも、彼が教えてくれたその魔法には、誰かに愛されたい、誰かに必要とされたい、でも伝え方がわからない。そんなもやもやした感情が、切なさが、伝わってきました。

彼には好きな人がいました。お互いが想い合う関係だったにも関わらず、その好きな人が彼を拒絶したらしく、気持ちだけが置き去りのまま、元に戻れる事はなく、距離が離れていってしまったのです。

彼が私と通話するたびに、その時の楽しかった記憶や、思い出を話すのです。その言葉の一つ一つに切なさや虚しさを浮かべながら、もう戻れないあの日々を愛しそうに私に話すのでした。

彼にとってその人を色で例えるなら、「透明」なんだそうです。透明だからこそ、何色にでもなれる。そんな彼女が大好きだった。と。(ちなみに私は薄紅色なんだそうです。ハナミズキかって。笑)

彼の時間はその時から止まったままでした。

想い想われていたあの時の記憶にいる彼女を未だに忘れられず、憎んでいながらも、心の底から愛していた彼女を引いて返す波に手を伸ばすように、追いかけていたのでした。

彼の心は、彼女にしか溶かせない冷たく閉ざされた氷で覆われていました。

そんな彼の気持ちを電話越しで嫌と言うほど聞いた後に彼の教えてくれた曲を1人暗い静かな部屋で聴くと、とても、とても苦しくなるのです。

彼がその人に伝えたい想いが、その歌に詰まっているのでした。

私は悟りました。

私では彼の傷は癒せない。

あの子しか、彼を救えない。

嫉妬や憎しみを通り越して、ただただ悲しくなりました。

私じゃダメなんだ。

私じゃ足りないんだ。

彼が教えてくれた歌は、聴くたびに自信を追い詰める凶器になり、もはや魔法ではなく、呪いへと姿を変えていました。

不甲斐ない自分を何度も責めました。

それでも彼の歌を、彼の気持ちを。耳と目と心で聴かずにはいられませんでした。

世界にとって、最悪音楽はなくてもいい。趣味の範疇が形を変えて、聴覚で得る享楽、ユートピア、リバティーが、大衆に広まっただけのこと。

でも私にとってはなくなってしまったら生きていけないほどで、とても大切なもの。

私は今まで、言葉に表せない沢山の感情を、喜怒哀楽を自分の中で整理し理解するために、沢山の歌や音楽に触れて、感じて、考え続けて、そして支えられてきました。

きっとこれからも忘れられないその魔法と呪いは、永遠に私を楽しませて、喜ばせて、心躍らせて、悲しませて、苦しませて、縛り続けるのだと思います。

そんな素敵なものなんです。音楽も、恋も。

私は最近、ギターを始めました。元々習っていた(数年前に辞めてしまった)ピアノも、ホコリを払ってまた鍵盤に手を添えました。ギターで初めて弾けるようになった曲は、彼が教えてくれたあの曲でした。

皮肉とかじゃありません。私の想いが届かなくても、いつ来るかわからない、来ないかもしれないいつかに、彼に私の歌とギターを聴かせてあげたい。

彼が教えてくれた世界を、幸せを、私も形を変えて返してあげたい。

私の恋は叶わなかったけど、大切なものをもらえたし、音楽の楽しみ方を、また一つ見つけられました。

いまだに彼との未来を想像して悲しくなってしまうけれど、私も一人で立てるように、今は幸せになれるように、あの呪いがまたいつか魔法に変わるように。頑張ろうと、前向きになれたのでした。

音楽と、恋のお話でした。

おやすみなさい。




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