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憧れの日本アルプス

 2024年9月26日
長野県にある燕岳に姉と登った記念として。自分の記録として。

  3年ほど前から、山登りが私と姉の共通の趣味の一つになった。もともとは私が姉を誘ったのだが、今では姉のほうが登山にのめり込んでいる。九州に住んでいるということもあり、まずは日本100名山にも選ばれている熊本県の阿蘇山、宮崎県と鹿児島県にまたがる韓国岳に登った。とはいえ、春や秋の比較的涼しい時期にしか登山をしたことがなく、年に数回程度なので、登った山も回数も両手で数えられるほどだ。
 九州の山々もとても魅力的で登り甲斐があるが、私たちはやはり標高が高い山々が多い日本アルプスに憧れていた。そして、ついに今年、職場の方から勧められた、長野県にある「燕岳」に登ることになった。山を登るといっても、当然ながらまずは燕岳の登山口まで行かなければならないわけで、その前に九州から長野県までの移動が必要なわけで。とにかく時間とお金がかかった。最寄りの空港から長野県に行くためには、愛知県の空港経由のルートしかなかったため、愛知県を経由して長野県に向かうことになった。最寄りの空港から愛知県の小牧空港への便は1日に3便しかなく、私たちは午後の便で愛知県に到着した。空港から先のルートは以下の通りだ。

燕岳登山口 9:30

 長野県松本市に前泊した私たちは、翌朝早くに燕岳の登山口へ向かった。登山口に到着したとき、手元の時計は9時半を指していた。燕岳山頂までのモデルタイムは*6時間10分(引用:燕山荘HP https://www.enzanso.co.jp/route-map)。途中の合戦小屋でお昼ご飯を食べることを目標に歩き始めた。

第1ベンチ 10:00

 登山経験はそれほど多くないが、これまでの経験上、登り始めが一番きつい。まだ目覚めていない太ももに声をかけながら、一気に上がる心拍数を整えながら、少しずつ体を慣らしていく。最後に山登りをしたのは約1年前だったため、日頃から運動をしているとはいえ、普段使わない筋肉にアプローチするとなかなか呼吸が乱れる。心拍数140~160くらいを維持しながら登ると良いという情報を得ていたので意識したのだが、たぶん180くらいはいっていたと思う。第1ベンチまでは30分ほどで到着した。

第2ベンチ 10:25

 第1ベンチに到着した私たちは、まだヘトヘトになるほど疲れていなかったので、水分補給だけしてすぐに出発した。途中、すれ違う人たちは皆、山頂の空気に浄化されたようなすがすがしい表情をしていた。登ってくる私たちに「こんにちは、お先にどうぞ」とか、「あと少しで次のチェックポイントだよ」といった声をかけてくれる人もいた。平日だったこともあると思うが、それにしてもご高齢の方が多いことに驚いた。いくつになっても健康な体を維持することが、こんなにも人生を豊かにするのかと思い、健康への意欲がさらに高まった。心拍数もだいぶ落ち着いてきて、少し小腹がすいてきたところで第2ベンチに到着した。第1ベンチからここまでは25分。いいペースだ。少し早すぎるくらい。

第3ベンチ 11:05 

 第2ベンチから第3ベンチまでは、あまり記憶がない。標高がだいぶ上がり、雲の中にいるような感覚だった。日差しが消え、霧が下から迫ってくるような幻想的な空間の中を、ただひたすら前だけを見て登り続けた。途中、何度か水分補給をしながら進んでいるうちに、気がつけば第3ベンチに到着していた。ここまでは40分。
意図していたわけではないが、かなりのハイペースで登っていたようで、第3ベンチで立ち止まった瞬間、初めて体の疲れに気づいた。荷物の重さで首と肩が固まっているのも感じた。10分ほど休憩をとり、再び先を急ぐことにした。

富士見ベンチ 11:45

 登山道の雰囲気も、登り始めた頃とは大きく変わり、大きな岩や赤みを帯びた土が目立つようになった。植物も見慣れない種類が増え、ずいぶん高いところまで登ってきたのだと感じた。登山道は狭く、下山してくる人とのすれ違いが難しい場所もあった。さらに、背の高い植物が視界を遮るため、自然と足元ばかりを見るようになっていた。ほとんど景色を見ることもなく、気力だけで、すれ違う人たちと淡々と挨拶を交わしながら富士見ベンチに到着した。視界が開けたその場所で、初めて遠くに燕山荘の姿を見つけた。赤色の屋根が青空と山肌の緑にとても映えていた。ここまでは40分。

合戦小屋 12:20

 12時を少し過ぎた頃、人の声や食器を洗うような音が聞こえてきて、合戦小屋をもうすぐそこまで感じた。同じような階段の曲がり角の連続で、あと少しで危うく気持ちが折れるところだった。開けたその場所では多くの人がもぐもぐとエネルギーをチャージしており、その光景を見るだけで元気が湧いてきた。うどんやスープ、おしるこなど、食欲をそそられるメニューが並んでいたが、山で食べるなら絶対に「山菜うどん」と決めていた私は、迷わずそれを注文した。正解だった。ビジュアルもさることながら、味が格別だった。その山菜うどん自体がとても美味しかったのだと思うが、山で食べると食べ物が倍くらい美味しく感じるのはなぜだろうか。あの味を求めて山登りをしているといっても過言ではない。

燕山荘 14:00

 しっかり腹ごしらえをして、13:00頃、合戦小屋を出発した私たちは、山頂を目指して再び進み始めた。周りを見渡すと、雲の上まで来ていることに気づいた。標高もいつの間にか2000mを超えていた。今まで登ったことのある山は、最高でも標高1700mくらいだったため、高山病にならないか心配だったが、特に体に異変は起きず、安心した。
 富士見ベンチで目視確認した燕山荘の姿がだんだんと大きくなってきて、「ついにここまで来たか」と姉と写真を数枚撮った。視界にはちらちらと燕岳の姿も確認できたが、後でしっかり楽しむためにあえて見ないようにして登った。足取りが軽くなった私たちは、最後の坂道を早いペースで登っていたらしく、前を歩いていた御一行が、「若者が来た。先に行ってもらおう。お先にどうぞ」と道を開けてくれた。お礼を言って進んだ先には、SNSや燕山荘のHPで何度も何度も調べていた燕山荘が目の前にあった。

燕岳山頂 17:00

 燕山荘に到着し、チェックインを済ませた後、山小屋のカフェでお茶をしたり、周りを散策したり、山の空気を思いっきり吸い込んでのんびり過ごしたりしてもまだ時間があった。そこで、夕食前に燕岳に登ることにした。体は疲れているようだったが、それを無視して比較的歩きやすい登山道を進んだ。
 燕山荘の姿が見えなくなってきた。時間帯と天候の影響で、辺り一面が霧やガスのようなもので覆われており、残念ながら周りの景色は見えなかったが、無事に燕岳山頂に到達した。標高2763mの地点に立っていることに感動した。山登りのベテランからすれば大したことないかもしれないが、初心者にとっては、達成感でいっぱいだった。
「一緒に登ってくれてありがとう。」
「それはこっちのセリフ。」

初山小屋

 山小屋ってどんなものだろうと思っていたが、想像をはるかに超えるおもてなしに、私たちはここに来て本当によかったと強く感じた。とにかく、すべての食べ物が美味しすぎた。カフェで食べたモンブラン、夕食、朝食、どれも元気が出るものばかり。幸せだなと思った。物資の中にはヘリで運ばれているものもあると聞いたが、麓から重い荷物を背負って登ってくる人を目撃し、心から感謝した。
 夕食の時、隣に座っていた年配のご夫婦が話しかけてきた。そのご夫婦は10年間で100名山を制覇されたそうで、とても素敵で素晴らしいことだなと思った。「まずは、いっぱいお金を貯めなさい。山登りには時間とお金がかかるからね。それと、山登りにのめり込みすぎるのも良くないよ。ほどほどに楽しんで、大切なものを見失わないようにね。」その貴重なお言葉が心に響いた。「でも、のめり込んでしまうのが山登りなんだけどね。まだ若いから、楽しんで。頑張って。お食事中に失礼しました。」そう言って席を立ったご夫婦の後ろ姿には、まるでこれからまた100名山をもう一周できそうな力強さが感じられた。普段は出会うことも、話すこともないような人たちと出会えるのも、山登りの魅力だなと改めて感じ、ますます惹かれてしまった。
 眠る場所は2人で畳1畳半ほどの空間だったが、とても心地よい広さだった。20:30が消灯ということで、早々に寝る準備を済ませて布団に入ったのは良いが、時間が早いせいか、疲労困憊だったのになかなか寝付けなかった。隣を見ると、姉はさっそく寝息を立てて眠っていた。とても長い夜だった。

早朝の雲海

 残念ながら、雲に隠れてしまい日の出を見ることはできなかったが、5時前から外に出て眺めた景色はとても神秘的だった。実際に雲海を見たことがなかったので、眼下に広がるその光景を目にしたとき、思わず「下山したくない」そう思ってしまった。映えまくりの景色にシャッターを押さずにはいられない。

最後に

 朝ごはんを食べた私たちは、燕岳からさらに少し進んだ先にある「北燕岳」に登り、そこから下山した。8:30に燕山荘を出発し、登山口に到着したのは11:30頃だった。あっという間の時間だった。足は棒のようになり、体も疲労で悲鳴を上げていたが、あの絶景が目に焼き付いて離れない。非日常を経験すると、現実に戻るのが難しい。この文章を書いている今も、その余韻が残っている。100名山を制覇するのは簡単ではないことは分かっているが、これからの人生で機会があれば、ぜひ挑戦してみたいと思う。「次はどこに登ろうか?」そんな話を、もう姉としている。100名山に選ばれていない山にも素晴らしい場所はたくさんある。まだ知らない景色、感じたことのない雰囲気、出会うはずのなかった人々──それらに会うために、これからも山登りを楽しみたいと思う。

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