「親は無くとも子は育つ」の本当の意味
「親はなくとも子は育つ」とは、「親の子離れ」の大切さを強調している。けっして、子育てにおける「親の役割」は軽視していないし、現実にある「貧富の差」も無視していない。子離れができない親に「子どもの成長に応じて、子育ては変わる必要がある」と、言っているのだ。
ネットで「親はなくとも子は育つ」の意味を調べると、以下の説明がトップに表示される。
「実の親が育てなくても、子はどうにか成長していく。世の中の事はそんなに心配する必要はない」。
でも本当に、この諺の主張は「どうにかなるさ」なのだろうか?
そうなると「親は無くとも子は育つ」は、「親の役割を軽視して、経済的な格差を理解していない」諺になってしまう。
そもそも諺は、あえて極論を吐いて「現実」に目を向けさせて、人に注意を促す効果を持つ。「親は無くとも子は育つ」が注目する現実は、「よけいな心配」ではなく「親心の危険性」だ。
親心の本質は、「子どものために、何かをしてあげたい」だ。「してあげたい気持ち」に、終わりはない。思いやって、手を掛けて、世話を焼きたがるのが親心なのだ。
ただし、子どもに世話を焼いてもらいたい「大人になれない親」は、いる。もちろん「大人になれない親」は、「親は無くとも子は育つ」の「親」ではない。
反抗期の正体は、子どもの「親からの自立」。自立は、子どもの「親離れ」だから、親も「子離れ」して子どもの自立を促してあげなきゃいけない。
ところが、親の「子離れ」は、子どもの「親離れ」よりずっと難しい。そもそも「子離れしようとしない親」は、意外と多い。
「親は無くとも子は育つ」は、「子離れ」しようとしない親に向けた諺なのだ。
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