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#005② 母子手帳を受け取った翌日に 【高齢出産育児日記】〜流産のおはなし・中編〜

病院へ戻る日
看護師さんが私に言葉を濁した様に、私も主人に流産の可能性が高い事をハッキリと言えないでいましたが、きちんと説明しなくてはなりませんでした。

様子を見るというのは、赤ちゃんがお腹にとどまったまま流産している可能性が高いけど、一度で判断する訳にはいかないから様子を見るという意味で、おそらく回復は見込めないと。

自分でもまだ気持ちが追いつかず向き合えていないのに、分かりやすく人に話すのは自分で自分の傷にゆっくりと塩を塗り込む様でした。それでも何とか話し終えると

「残念だけど、また頑張ったら戻ってきてくれるよ」
と言葉をかけてくれた主人。

何言ってんの、と思ってしまった


「また頑張る‥‥?私は今、この子がいなくなる事で押し潰されそうなのに?またこんな辛い思いをするかも知れないのに?何を言ってんの?」と。

もちろんそんな事言えません。
慰める為に言ってくれている事はじゅうぶん分かっていました。
だけどすごくイラついてしまって、それを悟られない様に下を向き目をぎゅっととじて感情を抑え込みました。


夕方病院へ戻ると、景色が全く変わっていました。

これから沢山の文字で埋め尽くされるハズだったまっさらな母子手帳は、何も書き込む事ができないまっさらなままの母子手帳へと変わり、産婦人科病棟に響く赤ちゃんの元気な声も、私には関係ない音となりました。

つわりがないので食欲はありました。
でもお腹の子が食べられないのに私が栄養をとっても意味がない。
私は何のために食べ、誰のために入院しているんだろうとぼんやり考えていると勝手に涙がこぼれてきました。

月曜日
いつもの場所でエコー検査
うっすらとしか確認出来ず
外来で再度エコー検査(精度が高い)
心拍確認出来ず

稽留流産と診断されました

ちゃんと覚悟していたつもりでした。
でもダメでした。

私の胎盤に沿う様に横たわる赤ちゃんの姿を見てたまらなくなり、離れたくないと診察台の上で泣きました。

「せっかく自然妊娠出来るって分かったんだよ?このままじゃ、赤ちゃん来られなくなっちゃうよ、次また来てくれる様に寝床を整えてあげて、早く元気にならないとね」と先生。

ここでまた、先の事なんか知らないよとひねくれる私。

優しい言葉にいちいちイライラしてしまって、自分でも抑えがきかず苦しくてまた泣きました。
外来だったので裏の通路から看護師さんに支えられ、病棟へ移動。

手術は水曜日に決まり病室へ戻ると、若い妊婦さんが「頭痛がして眠れない!ご飯も食べる気がしない!」とワーワー泣いて看護師さんに当たり散らしていました。

「我慢してよ。赤ちゃん元気なクセに。」

そう思った直後にハッと我に返って反省し、みんなそれぞれに辛いんだと自分に言い聞かせました。
だけど、つわりが跡形なく消えてしまっていた私にとって、体調が悪いのは赤ちゃんが元気な証拠なのにと、彼女が羨ましかったのです。


翌日の院長回診の時、先生が私を気遣い誰もいない大部屋の窓際にベッドを移す様指示してくれました。

母親に電話して「赤ちゃん、ダメだった」と伝えると、「しばらくは辛いだろうけど、早く体力つけて、元気になりなさい」と言ってくれました。

この時、赤ちゃんの事や今後の事なんて何も言わずシンプルな言葉で慰めてくれた母親にとても救われました。

翌日の夜には手術前の処置があり絶食になるので、地下のコンビニでカフェラテを買ってきて飲み、外の景色を眺めながら赤ちゃんに話しかけ、『ありがとう、ごめんね』と伝えました。


手術当日。
お腹が痛くなると言われていた前処置でしたが、違和感はあるものの痛みは大した事がなく、2時間程ですが眠ることもできました。

手術の1時間前には主人が来たので、コロナ禍でしたが特別に少し話す時間をもらい病棟の通路沿いにあるソファで話しました。

どんな話をしたかは忘れましたが、他愛もない事で笑い、主人がお腹に手をあてて何か言って、「それじゃ、行ってくるね」と別れたと思います。

点滴をして手術着に着替え、手術室へ移動。
手術台に上がり準備が進む中、心の中でありがとうとごめんなさいを繰り返し、麻酔で意識がなくなる直前


(待って、やっぱりもう少しこの子といたい)

そう思いながら眠り、気が付くと全て終わっていました。

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