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#004誰にも会えない入院生活【高齢出産育児日記】

7ヶ月の息子がハイハイすっ飛ばして立ち上がりそうです。

じわじわと目的物に向かって行くのですが、その目的物はたいがい触られると困るものなので、いつもゴール直前で振り出しに戻され「んーーーーっっっっっ」ってなるのがお決まり。

あと、ハイハイする素振りを見せるのに結局その場でグッと体を持ち上げ片膝をつくという、きれいなクラウチングスタートスタイルになるのが最近ツボで我が子ながらホント可愛くて参ります。


普段はもっとフォームが美しいです


私は妊活を始めてすぐ自然妊娠したものの1度目は妊娠10週で流産、2度目も化学流産、そして3度目にしてようやく息子を出産し現在に至ります。

つわりで1か月ちょっと入院したのですが、コロナ禍の入院生活ってこんなだったなーの振り返りをするため、少し書いてみようと思います。


妊娠5週前にしてつわりが酷くなり水分も摂れなくなりました。あっさり降参して夫に泣きつき、夜中に病院へ。

電話で状況を伝えていたので、到着後すぐに簡易ベッドのある処置室で点滴を打った後、なぜだかお高くて私なんぞ入れないハズの個室へ運ばれました。

「PCR検査をして、結果が出るまではここで待機せよ」と。
あぁ、隔離ね・・・と。

シャワーもwifiも使い放題なのにしんどくてそれどころではなく、おまけに鼻グリグリの刑に処されて涙目&白目。

豪華な個室でのもったいない一夜を過ごし、お昼ごろに陰性の結果が出たので大部屋に移動。
ひとつも嬉しくなかった。

ところが4人部屋には私一人。
そこから退院までほぼ一人。



〜一日のスケジュール〜

6時、起床

7時半ごろ、ごはん。無理。

8時半〜院長回診

9時〜週1で尻にホルモン注射(高齢だから妊娠継続出来る様に、だそうです。コレ打つと何か具合悪くなってたなぁー)

10時〜時々エコー。ふっとつわりが軽くなる、唯一の癒し

12時ごろ、ごはん。無理。

午後〜シャワーに挑戦。無理。

17時半ごろ、ごはん。無理。

21時、消灯



ほとんどスマホでダウンロードしてた映画やYou Tubeを観たり、音楽を聴き、調子のいい時は編み物をして過ごしていました。

『フラガール』観てグフェっ、グフェっ、と変な声出るほど泣いたけど誰もいないから平気でした。

悲しかったのは、コロナ禍での入院なので面会もできず、癒しを求めて授乳室に赤ちゃんを見に行くとカーテンが引かれ中が見えない。
「赤ちゃんかわいい〜」と人が集まってしまうからでしょうか。

とにかく食事が受け付けず血管が細くなり、ベテランの看護師さんでも血管が探せないほどの衰弱っぷりでした。
最後の方は赤ちゃん用の一番細い針で点滴していました。

そんな中でやっと食べられるようになったのがバニラアイスとチョコレート。チョコは入院中だけで一生分食べたと思います。

初めは4本だった点滴もその頃から3本、2本と減り、食前にもらえるお茶や水も飲める様になり、「つわり食」と呼ばれる食事を食べ始めました。

決まって、お粥、梅干し、冷奴、おひたし、花の形をしたお麩が一つだけ入ったお味噌汁。たまにゼリー。

それを一日一回から始め、お粥が俵おにぎりやうどんになりアイスクリームが加わり、退院直前にはハンバーグとか食べてました。

ちなみにネットで生姜がつわりに効くと書いてあったので試しましたが私には信じられない位効かず、それどころか大好きな生姜が嫌いになる有り様でした。

吐気止めをひたすら飲んでごまかしているうちに、13週に入る頃には徐々につわりも落ち着きだしましたが、その間はまだお腹もほとんど目立たず胎動もないので赤ちゃんの存在を感じられず、ひたすら苦しいのはさすがにキツくて夜中に何度も泣きました。

つわりもピークで寝返りすらも苦しかった頃、朝方4時。
約40年前に亡くなったおじいちゃんが夢に出てきました。

それが妙に印象に残ったので姉にラインで知らせると、
「今日じーちゃん誕生日だよ!」と言われて驚きました。

孫とひ孫を心配してくれていたんでしょうか。
入院中一度だけ出血したものの赤ちゃんは元気そのもの、私もその日からみるみる回復し、点滴が取れた翌々日には退院となりました。

当時看護師さんに「え?退院するの!?」と驚かれたのを覚えています。
まぁ、退院させてくれと半ば強引に頼んだんですけども。

その時恐ろしく痩せたのは言うまでもありませんが、
その後の体重増加の方が更に恐ろしかったのはこれもまた言うまでもなく。


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