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息を吐く


1日の始まりはぼんやりとしている。
1日の始まりはいつかと訊かれれば、
ほとんどの人が時計をみて、0時だという。

だが、ほとんどの人は太陽が昇ってから目を覚ます。
それなら6時を0時にすれば良かったのに。

捻くれた子供は不貞腐れながらそんなことを考えていた。

日常を繰り返す日々にうんざりするお年頃なのだ。

例えばジメジメした朝にどんよりした重い雲をみた気持ちがずっと続いているような、
例えば持久走大会の前夜の気持ちがずっと続いているような、
そんな感じだ。憂鬱に似ている。
捻くれた子供は時計を見ていた。
時計に用はない。

ひょろながい針が、大袈裟に音を立てながら、忙しなく動いているのを横目に、
ぽっちゃり気味の針が微妙に動いている。

私たちは時間に支配されている。
いつも何かに追われている。

そして、行き着いた先には突然の終わり。
私たちは時間から逃れる為に生きているにも関わらず、
最終的に時間から逃れるためには死ぬしかないのである。
なんて皮肉のきいた世の中だ。
捻くれた少年は、大きなあくび1つ。
窓の外は雨。

いま。


時間はするすると流れて
残るものは虚無感。

少年は目を閉じた。時間を感じる為に。


再び目を開けると、何も変わってないかのように見える部屋の
窓際の掛け時計のひょろながい針だけが移動していた。

ぽっちゃり気味の針は動いていないと見せかけて、ちょっとだけ動いていた。
その事に捻くれた少年は気づかない。

時間は目の前にある。
しかし、とてもとてもはやすぎて止まってるかのように思える。

物事の本質というものは、
複雑な繭の中にある。
その複雑な繭こそが時間の正体なのだ。

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