2016/01/07

 スマホのメモ帳に埋もれてた文章。

 非常に読みづらい。

 保存された日付によると2年前の冬、高校3年生の頃に書いたものである。補足しておくと、高校2年生の夏、僕は不登校だった。

 この不安感はかなり漠然としてて掴みどころがなくてどう対処していいのか分からない。
 不登校の時とはまた違った感覚で、あの時は学校に行きたくないがいかなければならないという明確な閉塞を脱する為の方法があった。今はそれがない。
 受験に対する不安もあるかもしれないが掴みどころがなく漠然としている。
 一昨年の不登校の時からかは分からないがいつの間にか空虚感みたいなものがある。
 これの辛さは何というか文字には起こし難い。ただ何となく辛い。
 こんな状態でも音楽を聴くとかそういったことに楽しみを見出だせる。
 生きる理由って程でもない。死にたいけど死ねないとかそんな面倒くさいことを言うつもりはない。
 むしろ死にたくないと思っている。ただ生きたいとは思っていない。曖昧だが消えたいという表現が一番今の思いに近いと思う。
 目的もなく生きていくというのは想像出来る辛さではない。
 終身刑への拷問の一つに空のダンボールを隣の部屋に運ばせ、またそれを元の部屋に戻させる、これを数時間繰り返す。それをやれば獄中での食事と睡眠は保証するというものがある。やったことはないが辛いらしい。肉体的に辛いことは何もないが、ダンボールを運ぶという行為に生産性は全くない。それをやって、食べて、寝るだけ。生きたいという感情はすぐに消える。
 自分の今の状態は自分で自分を拷問にかけている。やりたいことは特にない。やりたくないことはたくさんある。
 恐怖に思う事、不安に思う事がたくさんあるという状態が今の漠然とした不安なのだろうか。そのような気もするしそうではないような気もする。
 今の無気力から抜け出せば事態は好転するだろうか。不安や恐怖にびくびくして失敗して怒られてそれでもまた失敗して怒られてを繰り返す日々のほうがましだろうか。
 前に無気力から抜け出した時は好転すると思っていた。前より怒られるのは減ったが、不安や恐怖は前よりも増えた。
 自意識過剰になっている。元々、人とのコミュニケーションには恐怖心が物心ついた時からあった。父親はどうも理解出来ないようだが。
 この恐怖心は親とのコミュニケーションにもある。
 というか、ない人はいない。自分の本心をさらけ出して話す事が出来る人は今までに一人も出会っていない。
 あがく苦しみか無気力の苦しみか。比べても結局無気力を抜け出す事が出来るとは思えない。
 それにどちらが苦しいとかは関係がない。世間では無気力はダメな事だ。存在価値が無いのだ。否が応でも抜け出さなければならない。

飽きたからやめる

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