とある救世主について

 私は大学生の頃、空っぽであった。
 空っぽだと空っぽが集まるのだ。私の周りの人間関係は終わっていた。その中で私はかなり面倒くさくない空っぽ野郎だったと思う。誰かに縋り付いて助けてほしいとか、自分を傷つけてそれをひけらかしたりとか、そんなことは一切しなかった。私の周りにはそんなことばっかりしてる人たちばかりだったのだが。私は黙って心療内科で貰った薬を飲んで、空っぽだなぁと思いながら生きていた。
 そんな時に仲良くなった人がいた。その人は私のような空っぽの人たちと仲が良かった。私はその人と関わっていくうちに自分の尊厳やら、自尊心やらが満たされていく感覚があって、とても心地良かった。そういう人の周りには良い人たちが集まるもので、私も良い人たちとの関わりが増えていって、自分が真人間になっていく感覚があった。
 私はその人にありがとうと言った。その人は何故お礼を言われるのかわからないような反応だった。私はその人が救世主だと思いこんでいた。
救世主に空っぽはみんな縋っていた。みんなその人に自らの傷を見せていた。救世主はそれを無視はしていなかったが、受け止めることはしていなかった。本人に聞かないとわからないけれど、上手くいなしていたのだろう。
 今思えば、救世主でもなんでもない、ただの一人の人間なので、私が勝手に助かっただけなのだけれど、それでも感謝はしているので、その救世主の人生が幸有るものであることを祈らずにはいられない。
 その救世主もきっと、空っぽだったのだ。

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