じいちゃん

 ホンダやトヨタの飛行機の記事を見てひさしぶりに、じいちゃんを思い出した。祖父母といえば、わたしにとっては、じいちゃん、ただ一人だ。じいちゃんは、わたしが16歳の頃ぽっくり亡くなった。最後に言われた言葉は、どうしたぼやけた顔して、だった。わたしの顔はもともと薄い。

 じいちゃんは、飛行機が好きだった、とても。カメラも。実家には飛行機プラモデルコレクションのうちの1つだけが残されているし、わたしが初めて手に取ったフイルムカメラは彼の遺品の一眼カメラだった。

 じいちゃんは、頭が良かった、とても。物理が得意だ。小学6年生の時には、たまに算数や理科を教えてもらっていた。わたしときょうだいは、親の教育ポリシーが小さい頃にあまり勉強させないことだったので、小学6年生になるとテキストを一式渡されて、自分で勉強するように言われた。中学受験のためである。今思えばむしろスパルタなのではないかと思うが。じいちゃんは、重さのことを目方と言ったり、つるかめざんがわからないといっているのに一次方程式をおしえてくるので、ますます混乱したことは、よく覚えている。いまだにつるかめ算がよくわからない。

 じいちゃんは戦争にはいかなかった、幸いにも。中学生の時、親族の戦争体験を聞いてレポートを書くという宿題が出た。当時学生で、文系の学生が先に戦争に行ったと言っていた。理系だったので基地で訓練していたら終戦を迎えたと。友人がたくさん死んだと言っていた。

 じいちゃんに聞いてみたいことがたくさんある、とても。亡くなってから知ったが、留学していないのに英語を話せたし、海外出張にもたまにいったりしていたらしい。何の仕事をしていたのかも知らなかった。それから、関西弁を話すことも知らなかった。イントネーションが、完全に関東だった。今思えば、カメラのこと、仕事のこと、もっとたくさん聞いてみたかったと思う。でも、それは大人になったからそう思うんだろうな。

 家に遊びにいった時、玄関に張り紙がしてあって「みかんを買いに行ってくる、暫時待たれよ」と書かれていた。それから暫くわがやでは、やたらと「暫時待たれよ」というのが流行った。

 じいちゃんは、白山眼鏡をかけてバーバリーのジャンパーを来ていた。お洒落で着ているとも知らずに、作業着みたいな上着だと小さい頃言ったのは悪かったと思っている。謝りに行けるまでは、まだ時間がかかりそうだから、じいちゃん、暫時待たれよ。その時には、昔できなかった話を。

 



 

 

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