拝啓、ジャニー喜多川様へ

あなたが亡くなってもう今年で4年目に入ります。
たまたま仕事を休むことができて、向かった東京ドーム。
あの日の光景を私はまだ鮮明に覚えています。

私はもちろん、直接お会いしたことも、お話ししたことももちろんありません。
ただ、様々なタイミングや縁に導いていただき、思春期特有の不安定で扱いにくかった私をたくさん支えてもらった様な気がしています。


私が初めて「ジャニーズ」というものに触れたのは、

YouTubeで「千年メドレー」をたまたま見たことがきっかけでした。


子供心に、

何か「とんでもないものを見たぞ」

という気がしていました。




そのころの私は、心がピークで荒んでいました。


なぜか、、
その理由をまず説明したいと思います。


(ここから先、精神状態が今不安定だという自覚がある方は絶対に読まない方がいいです



子供の頃、私の母親はずっと精神状態が悪く、


何か一つでも自分の思った通りに私が反応できないと暗い押し入れの中に何十時間も閉じ込められたり、

私の日記を勝手に読んだり友達関係を全て勝手に制限したり

本当にもっとストレスがかかった時は、「一緒に死ぬ」と暴れ回ったり

私の大切にしているものを勝手に破壊されたり、

何十時間にも渡っての説教があり、何十回も「ごめんなさい」と言わされたり、


とにかく毎日が「地獄」でした。

なんで私は、この世界に産まれてきちゃったんだろうと何度も後悔しました。



…一番悲しかったのは、傷つけられても平気なふりをしたことです。


生きていくために、


明日、命を繋いでいくために、

私は、

一生懸命、大人に愛されるようになろう、と決めました。

たとえ、その伸びる手が更なる地獄への入口だとしても、


私は、

どうしても、
生き延びたいと思いました。


そんな調子でしたので、私は実家では暮らせず、
よく祖母の家に預けられていました。

おばあちゃんは明るく、料理好きな人でしたが、
祖父を亡くし、ちょっぴりお酒に依存気味でした。

私はおばあちゃんが亡くなったら困るので、
「もうやめた方がいいよ」と言って、こっそりお酒をお水に変えたことも覚えています。

祖父は、某外資系企業の取締役に50代で登り詰めたけど、
働きすぎて心を病んでしまって、
就任1年経たずに、自ら命を絶ってしまいました。

おばあちゃんは、私によく「おじいちゃんが生きてたらきっとすごく会いたかっただろうね」と色んな昔の話をしてくれました。

私は、
次第に、
いつも、

心の中で、
「おじいちゃん」と話しかけるようになりました。

おばあちゃんは、自分にできることがあったのではないかといつもいつも苦しんでいたから、

私がおじいちゃんの想いを伝えられたら、良いのに
いつも願っていました。


(ごめんなさい、
この自分語りはまだ続きます)


こんな言い方をするとアレですが、

周りと比べて裕福ではあったので、

私は、次第に人と関らず、

いつも大量のおもちゃに囲まれて、

生活していました。


母親がサイコパスな代わりに、

父親は私にすごく甘くて、
一緒に生活できていない免罪符のように、
何でも欲しいと言ったものは買ってくれました。

わたしは、物が欲しいわけじゃなかったのですが、
たまに帰ってくる父の機嫌を損ねるのも得策ではないと思い、
そこでもまた元気で明るいふりをしていました。

私にとって父親が、


いつか

私のこのずっと続く地獄を終わらせてくれるはずでした。


しかし、


同時多発テロが起こったあの日から



さらに状況は悪化しました。


父は、私が望むような強くてかっこいい人間ではなく、

目の前の辛いことから逃げ、

他の女性と家庭を作ろうとし、


私のことなんか忘れて、

勝手に自分だけ人生を書き換えようとするようなやつでした。


私は父に失望したと同時に、

自分のことも激しく呪うようになりました。


心の隅にあった少しの「疑い」が、

最悪の形で

結実してしまったのです。


父を求める気持ちと、
責める気持ちと、

自分にもあの人を裏切るような


汚い血が半分流れているんだ
という

強烈なコンプレックスになりました。


あの日から私は、世界中の誰のことも信用できなくなりました。


中学に入り、

やり直そうと頻繁に家にいるようになった父をみると

虫唾が走るようになりました。


私を捨てた父と

狂った母と暮らすのは

絶対に嫌でした。


今まで我慢してきた分、絶対に嫌でした。


だから私は早く家を出たくて、

自立をしたくて、

お金を稼ぐ方法として、

手当たり次第にオーディションを受けることになります。


でも、ここでひょんなことからある人物と出会うことになります。

(省略)


私にとって

ジャニーさんは、亡くなってしまった祖父を感じる存在でした。

これはもう、勝手に思っているだけですが、

もし祖父がもしジャニーさんのように

自分の好きなことをとことん追求して、
楽しく生きていたら


私は祖父に会えたんじゃないか、

そして、こんな地獄にはなっていなかったんじゃないかと思っていました。


ジャニーさんはとても不思議な人で、

どんな有名になっても、
自分の心の中に

少年時代の自分をそのまま住まわせているような人で、

だからみんななぜかホッとして、
懐いてしまうんだ
と思いました。


この頃には私はすっかりジャニーズの魅せる舞台にハマっていて、
(あのSHOCKをこの目で観てしまったので)


和と洋の融合というか、

少しおどろおどろしいような世界観が何より好きでした。


そして初めて安心して自分の想いを話せる人に出会えたような気がしました。

同時に

私の会ったことのない、おじいちゃんも

こういう素敵な人だったら嬉しいな、と思うようになりました。


今だから分かることですが、

早く完成されよう、

早く世の中に消費されてやろうとする私を

宥めて、

目線を合わせ、

もっと、広い世界を見ろ、

お前は天才なんかじゃないぞ

厳しく接してくれたことを


とても感謝しています。



私は、、
こんな、

変な家族に囲まれて育ったから、

いっとき、

愛されていなかったから、

すごく自分の出自に関して

負い目を持って

いました。


生きていけばいくほど、

根っから愛されてきた人間には勝てないという思いが膨らんで

誰にも話せず、


私はずっと


そのことを気にしていました。


自分が愛した人間さえ、


私と一緒にいれば、


またあの地獄に引き摺り込んでしまうような気がして、


上手く想いを伝えられない、

こともありました。


でもずっとジャニーさんは、

「そんなことはいいから、

もっとyouのやるべきことに集中しなさい、

もっと広い世界を見て、

もっと自分より苦しんでいる人間を、

少しでも救えるような、

そんな「本物」に、

いつかきっとyouはなるんだよ

だから安心して、一杯もがきなさい」

と言ってくれていた気がします。

色々とジャニーズが騒がれていますが、

きっと大丈夫だから、

ジャニーさんが伝えてくれたこと、

私も大事に後世に伝えて行きたいって思っています。

この混沌とした世界を生きる一人の社会人として。

本当に心から尊敬しています。

どうか、みんなのこと、

たまにでいいから

直接、観にきてくださいね。

きっといつもジャニーさんの席は空いているから、

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