LGBT etc.について

最近、自民党の会合で、LGBTの人の差別をやめようという法案に関して、「道徳的にLGBTは認められない」「人間は生物学上、種の保存をしなければならず、LGBTはそれに背くもの」等という発言が有ったそうですね。また、他の機会にやはり自民党の人が、「LGBTは生産性がない」「同性愛が広がると足立区が滅びる」と発言したとのこと。そもそも、LGBTというのはそんなに恐れるようなことなのだろうか。

そんな時、ある本を読んでいて、自然淘汰という言葉に久しぶりで触れた。ご存知のように、荒っぽく言えば生存に都合のいい形質の種が残っていくということかと思う。それでまたLGBTを恐れたり差別したりする必要があるのかという疑問に立ち戻った。

一体、何人の人がそういうカテゴリーに入るというのだろう。とても少ないからマイノリティーだったり、差別されたりしているのではないのか。OECDのサイトに、2019の資料だが、「推定値が入手可能な OECD14 カ国では、LGB の人々の割合(成人人口に占める割合は 2.7%)・・・、増加している というのがあった。他のweb siteには10%弱のようなデータがあった。差別をなくし、うまくいけば人々の認識も変わってきたら、こういう人が爆発的に増えるかと考えると、それはないんじゃないのと思う。思うだけだけど。ここで、自然淘汰の話に戻ると、同性愛者は子孫を残すことはできないから、例えそういう資質が遺伝子にあるとしても、それを心配する必要はない。カミングアウトも、ある程度で安定するのではないかな。歴史で考えても、こういうことは古代ギリシャの時代からあったようだし、カトリックの偉い人の男児寵愛は本当かどうかしならいけど綿々と語り継がれてきたよね。女性ばかりの修道院での業行とか・・・。そういうのはやむを得ずなのかな。しかし、陰間茶屋とか、女装したい(これはまたちがうカテゴリらしいが)とかいうのも、古今東西を問わず、あったようだし、それが大して増えていないのも事実。

怖くないということになれば、差別する必要もないではないですか。しかし、特別扱いや、都合のいい運用も気をつけなくてはならない。俺は心が女だから体は男でも女のトイレに入りたいなんていうのは、そうでない女性の立場に立てば脅威ですわな。それから、スポーツでもそんな事例があったそうですね。体は男でも心が女だから女と戦わせろって・・・、スポーツは元々主に体の戦いなのだから、それはないだろうとおもうけど。こういうのは差別にかこつけた都合のいい要求だろう。差別は許されるべきではないと思うけど、逆に特別扱いも駄目だよね。職業上の制約も残るでしょうね。まあしかし、こういうことが普通になってくると、色々な所でどう切り分けるか再検討が必要になるかもねぇ。運動は肉体的性別。トイレは、ニュートラル用を作る、等など。

特別扱いという意味では、LGBTの方が正しいとか、普通だとかいって、それ以外の人を差別しないようにしてもらわないといけないよ。例えば、同性愛カップルが養子をとったりした時、同性愛を特別視したり優越視したりする教育だはしないでもらいたいですね。どちらも、髪の毛の色が違うのと同じような、ちょっとした違い、ということでいいじゃないですか。

最後に、性同一性障害という言葉があるけど、「障害」って言うかなぁという感じ。人間にも色々と個人差があってその一つでしょうと思いますね。



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